商家の旦那様の「お気に入り」は

都茉莉

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 セシリアは小さく息を吐いた。
 心臓がいつもより早いのが、自分でもわかる。
 主に呼び出された理由に心当たりはなく、いったい何が目的なのかてんで検討もつかなかった。

 セシリアがアーノルド家に仕えるようになってから、二ヶ月がたった。
 仕事には慣れたし、同僚とも上手くやっている。
 今までに取り返しのつかないような失敗をした記憶はないし、他意がないわけではないが表に出すようなヘマはしていないはずだ。

 何か気付かないうちに気に障ることをしてしまったのだろうか。

 一年の短期契約とはいえ、早々に主との関係を拗らせることはしたくない。
 どうにか対策を立てようにも、原因がわからないのではどうにもならない。完全にお手上げだ。

 もう一度丁寧に身だしなみを確認してから姿勢を正す。深呼吸をして、表情を引き締める。
 意を決して、品のいい扉を三度叩いた。
 入室許可の声を確認してから静かに入室し頭を下げる。

「セシリア・フィー、ただいま参りました」
「うん、楽にしていいよ」

 頭を上げると、この家の若き主、ノエル・アーノルドが悠然と微笑んでいるのが見えた。
 ……こんなに近い距離で顔を合わせるのは初めてだ。

 艶やかな黒髪、切れ長の目、すっと通った鼻筋……彼を構成する全てが、その表情までが整っていて、いっそ作り物めいている。

 表情から機嫌がうかがえるほど彼をよく知っているわけではないが、不機嫌は浮かんでいないように感じた。

「君にあげたいものがあるんだ」
「私に、ですか?」

 セシリアの脳裏に、同僚との他愛ない話が過ぎった。

 ノエルは定期的に「お気に入り」を作るらしい。
 期間はまちまちで、一年続いた時もあれば三日で終わった時もある。
 共通しているのは、女が姿を消していること。失恋で心を病んで宿下がりしたなどと噂されているが、真偽は定かではない。

 急死した姉を持つ身としては、最悪の想像が浮かんで仕方がない。まさかとは思いつつも、表情が引きつりそうになる。

 そんなことお構いなしにノエルはを差し出した。

「セシリア、君にはこれを持っていてほしいな。もちろん、肌身離さずね」
「これは……剣、ですか?」

 懐に隠し持てる程度の大きさで、柄や鞘に不釣合いな装飾が施された短剣だった。
 断りを入れてから抜いてみると、刀身は曇りなく輝いている。こんななりでも、きっと実用なのだろう。

「護身用の短剣だよ。綺麗な装飾を見てたら君の顔が浮かんでね」

 思わず買ってしまったなどと、なんでもないことのようにサラリと吐いた。ものはともかくとして、計算尽くのタラシは全くもって心臓に悪い。

 動揺していると悟られるのは癪なので表情が動かないように意識を注ぐ。

 お礼を言って受け取った短剣は何故か重く感じられた。
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