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第38話 使徒アスタロト

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まずい、か。

少なくともいままでの使徒たちは、殺すことについてはもっと密やかだった。
街中ではなく、暗がりを好んだ。
だが、相手が神竜ならば?

国そのものを敵にすることも容赦ないだろう。
アモンがそうしないのは、単に嫌だからであって、彼女にその力がないわけではないのだ。

例えば。
今、ホテルの真上にいる神鎧竜が、下方に向かってブレスを吐けば。

ぼくらは逃げられるかもしれない。
ボルテックは転移魔法の天才だ。
だが、ホテルに止まっている人達は。
いや竜のブレスならば街区ごと崩壊させてしますかもしれない。
その場合の損害は?
何万人にも、及ぶだろう。

相手の攻撃魔法を魔法陣に吸収し、再放出するのは、ぼくの得意技ではあったが、神竜のプレスにそれが可能かは試していなかった。

だが、攻撃はブレスではなかった。
まるで、巨大な鉤爪にむしり取られたように天井が、なくなった。
空には、ぽっかりと、雲がうかび天井の破片と共に、爽やかや秋の大気が。

浮かんでいたのは、龍の首を脇に抱えた男。
見えない手がぼくとドロシーだけを掴んで空中に持ち上げた。

なるほど。
使徒アスタロトは、標的以外のものを殺す気はない。少なくとも殺さないように、注意してくれている!

「ランゴバルド冒険者学校の生徒だ、な。」
アスタロトは、そう尋ねた。
ぼくとドロシーを締め付ける腕は、、まだそれほど、力はこもっていない。

「違う、と言ったら見逃しますか?」
「いや、おまえは冒険者学校のから出てくるところを見ている。」
アスタロトは即座に言った。
「そちらの女はどうだ?」

ドロシーは、身体をひねるようにして身悶えしている。
いや、身悶えではなく。
体をひねる動作を媒介に、魔力をたくわえる。
呪文の詠唱に似て異なる。
蓄えられた魔力は、形のある魔法として解放されるのではなく。
ドロシーは、魔力をたくわえた腕を組んで、自分を掴む見えない手に叩きつけた。
掴む手がゆるんだのが、ドロシーの体が落下をはじめた。

この短期間で、よくぞここまで。

すごいじゃないか、ドロシー。
ボルテックもよくここまで仕込んだものだ。方法はどうだか知らんけど。
屋根が無くなったホテルの部屋で待つボルテックが、ドロシーの体を抱きとめた。

筋骨隆々たるボルテックと、白い滑らかな肌に細身のドロシー。
これはこれでお似合いのカップルに見える。

ぼくを鷲掴みにしていた腕が実体化した。
極彩色の鱗に彩られたそれは、間違いなく竜のもの。

竜の鱗は、物理的な打撃にも魔法にも極めて強い耐性がある。
もっとも効くのが、いまドロシーがやったような(あるいは、かつてボルテックがリアモンドに使ったような)魔力を打撃にのせる攻撃なのだか。

「12使徒のアスタロト」
ぼくが呼びかけると、アスタロトは嬉しそうに破顔した。
「よく、知ってるな。どうだい?おまえもヴァルゴールさまの使徒に志願する気は無いか?
それなら命をとらなくて済むんだが。」

「ええっと、それからそっちが神鎧竜のレクス?」

アスタロトが止めるまもなく、抱かえられた生首がうれしそうにしゃべった。
「いやあ、ぼくに話しかけてくれるなんて珍しいねえっ!
古竜の知り合いでもいるのかい?」
「いや、レクス、おまえは黙ってるって約束だろ!」
「いや、話しかけないってのが約束たぞ。向こうから声を掛けられたんだから挨拶を返さなきゃいかんだろ?」

ドンッ
と床がなった。
ボルテックがジャンプしたのだ。
そのまま、飛行魔法に移行した。

「雷王紫電流」
大きく拳を振りかざす。
「百裂拳!!」

ボルテックの体がブレた。
本当に百あったかは定かではない。たぶんそこまではないと思う。

たぶん。
理屈は転移だ。きわめて短い距離の転移を相手の目の前で繰り返す。
結果。ボルテックは数十体に分身したように見えた。

魔力プラス打撃。刹那の瞬間に叩き込まれた衝撃は、アスタロトとレクスの身体をすべてすり抜けた。
見えないなにか。
鞭のようにしなり、はるかに巨大なものが、ボルテックの身体を打ち据える。

竜の尾、だった。
交差させた両椀がそれを受け止める。いや受け止めるなよ。割りと小型とはいえ、竜の尾だぞ。

「幻覚です。本体はほかにいる!」
ぼくは叫んだ。

ドロシーが下から、無数の氷弾を打ち出した。あたってもたいして威力はない。だが、光学的な迷彩で姿を隠しているのなら、この方法で位置を特定できるはずだ。ナイス、ドロシー!

はたして、空の一角が割れ、アスタロトとレクスが姿を現した。

「炎雷豪天流・・・」
ボルテックが拳を腰だめにした。上着がボロボロに裂けて、肩から胸にかけて裂傷がいくつも見える。
竜の尾に打ち据えられた代償がその程度なら、もう人間やめていいレベルだ。
「爆裂豪砕波!」
拳とともに巨大な火球が打ち出された。
かつて「火炎耐性のある魔物には、火力をあげればいい」とぬかした御仁である。

アスタロトとレクスは、鉤爪につかんだぼくをひょいと、その軌道上に差し出した。
ひええええっ!!

とはならない。
ぼくの目の前の魔法陣が、大火球を飲み込んだ。火球は転移され、アスタロトの足元に出現した。
アスタロトの身体が爆風で揺らぐ。だが、それだけだ。竜鱗に加えて、黄金級冒険者たるアスタロト自身の防御障壁も作用しているのだろう。
アスタロトになんのダメージも与えないまま、それでも身体は爆発におされて、上方に流れた。

「これは!」
はじめてアスタロトが狼狽したように叫んだ。
光の格子が、出現し、アスタロトの動きを拘束していく。

これが、ランゴバルドが誇る、首都上空を警備する停滞魔法。
有名なものだから、アスタロトも知らないわけはない。事実、彼らは、その制限空域ぎりぎりのところに定空していたのだ。
ぼくらの魔法は、つまりボルテックとぼくの魔法は、彼らのいた場所をわずかに押上げて、停滞魔法の空域に彼らを押し込んだ。
最初から、直接のダメージなど狙っていない。

移動を封じられたアスタロトとレクスに、次々と光の矢が飛来する。
停滞魔法はその名の通り、動きをとめるだけではない。魔法の発動も妨害する。
続いてボウガンの矢も放たれた。

たいていの相手ならば。いや古竜などたいていではない相手でも拘束し、なにもさせないまま倒し切る。
ランゴバルドの防空網。

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