泥まみれの宝石〜潔癖皇子に恋した奴隷〜

トウ子

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皇国への道中にて

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ケイの意図せぬタイミングで正体を晒すことになるかと思ったが、皇子は一度言葉を飲み込んでから、微笑とともに口を開いた。

「いえ。……あなたのお名前を、伺ってもよろしいでしょうか?」

スルタンは「この国で最も美しい己の寵姫を与える」としか告げていない。帝国の後宮には男も女も、老いも若きも、あらゆる民族の美を誇る者が溢れている。だから皇子は、ケイの名前も性別も年齢も、いまだに何も知らないのだ。
気になっていることは、幾らでもあるだろう。
けれども、最初に名前を聞いてきたところが、ケイには好ましく感じた。
おそらく別のことを尋ねたかったのだろう、と思いながらも、ケイは笑みを浮かべる。

「ケイ、と」

先ほどより少し甘く、とろりと媚びるような声で囁くと、護衛役の兵士の瞼がピクリと動いた。
横の侍女の頬も、少し赤くなっている。
聡く有能な者なのだろう。ケイが声に込めた色の気配に、気づいたのだ。
けれど。

「ケイ、ですか。東を想起させる響きですね」

皇子は何にも気付かなかったかのように、ただ社交的に、にこやかに会話を進めるばかりだ。

「あなたにお似合いの、軽やかなお名前でいらっしゃる」

熱の込もらぬ瞳で、思ってもいないことを口から放り出す皇子に、ケイはどこかしら苛立ちを覚えた。
慇懃無礼なほど丁寧すぎる口調が、いっそ違和感と不快感を煽る。
ケイは、演じられた良き皇子の仮面を剥ぎたくて、仕方なくなった。

あぁ。
この男の、本物の姿が見たい。

その想いは、昼食のための休憩地点で、限界を迎えた。


***

「それでは、食事に致しましょうか」

礼儀正しく、まるで賓客をもてなすように、皇子はケイを扱った。
手を取って、見晴らしの良い草原に用意された食事のテーブルにエスコートする。
王宮内では自由に闊歩していたとは言え、ここ十年、王宮から出たことのないケイにとっては随分と心浮き立つことだった。

そして、何よりも。
今、ケイは、皇子と二人だった。

「それでは、帝国の美食に慣れた方には物足りな味かもしれませんが、どうかご容赦下さい」

皇子は、ケイの目の前に座っている。スルタンから下賜された妾妃に対して十分な配慮をしつつ、皇子は努めて朗らかに振る舞っていた。
護衛兵達は距離を置いて二人を取り巻いており、侍女は給仕のために控えているが少し離れた場所に立っている。

これは、好機かもしれない。
ケイは、微笑んだ。

「……ありがとう、存じます」

馬車の旅の最中とは思えぬ見事な料理を前に、感謝の意を伝え、ケイはふわりとヴェールに手をかけた。

「お優しい皇子様……ヴェールを外す許可を、頂けますか?」
「え?」

完璧に適切な表情を選び続けていた皇子の目が少し開き、質問の意図を飲み込もうとして瞬く。
その反応にケイは吹き出しそうになりながら、説明をした。

「帝国では、妾妃であった私は、スルタン以外の方に肌も、顔も、見せるわけには参りませんでした。今、私の主は皇子様にございます。このような場所でヴェールを外せば、ふしだらにも多くの方の目にこの身を晒すことになります。しかし……、もしともにお食事をと仰って頂けるのでしたら、どうか、御許可を」

滑らかに言葉を続け、柔らかく許可を願ったケイの言葉に、皇子は鷹揚に笑って頷いた。

「もちろんです。あなたがご不快でないのなら、ヴェールを外して、ともに食事を致しましょう」
「嬉しく存じます」

にこり、と笑って、ケイはヴェールを留めていた飾りに手をかける。

細い金の鎖と真珠で作られた紐飾りを外した時、ふわり、と風が吹いた。
ケイを覆っていた薄い夜の布が、空に靡いて太陽に透ける。

「……っ、な!」

驚愕に息を飲む音が聞こえるが、返事をする暇もなく、ケイはすっと伸ばした右手でヴェールを掴み取り、するりと纏めて畳んだ。

ケイの目は、ずっと皇子を捉えていた。
ヴェールが外れた瞬間、幽霊にでも遭遇したかのように目を見開いて硬直した皇子の、随分と美しい間抜け面を。

「昨日、庭の……!」

驚愕のあまり単語でしか言葉を発せなくなってしまったらしい皇子に、くすくすと溢れる笑いを左手で隠しながら、ケイは唇に刻まれた笑みを深めた。


「えぇ。昨日はお見逃し下さり、ありがとうございました。
本日より、何卒よろしくお願い申し上げます。

どうか可愛がって下さいませ。
私の、新しい主」
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