とりあえず、最強で

河野マサ

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ゆらりゆらりとどこ吹く風に

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 昨夜の疲れがどっと押し寄せたかのように、珍しく僕は寝坊をしてしまった。
 一夜を明かしたこの頃にもなると、あの時の自分が一種のハイな状態だったと思い痴れる。危機を脱した直後の喜びと興奮とが冷め止まぬ感覚。
 嗚呼――後悔と呼べばサーシャには悪く、誇らしいとでも称せばノースさんたちへ向ける顔を失ってしまう。所謂、後の祭り。

「僕は……いや、いってきます」

 後悔の念を吐露しようかとも思ったが止め、そのまま父の形見が収まる木箱を所定の位置に戻して僕は小屋を出た。
 村外れとはいえ、大概に小さな村である。小屋を出て数分も歩かずとも村の中心地へは至る。
 中心から円形状を意図して建てられた家屋やら店やらを抜け、簡素な水場を伴う中央広場へ出ると、そこには図ったかのようにサーシャの姿があった。

「おはよう」
「あ、クロ……うん、おはよう」

 よそよそしいと言うよりは、ほんの少しだけ気不味げな挨拶。目を合わせようとしないのはお互い様だった。

「それで、ノースさんたちは?」
「それがね――」

 思いもよらない結果を伝え聞いた僕は、すぐにハーベスト家の営む宿へと向かった。




 ノースさん、それから奥さんのステラさんは僕の顔を見た途端、二人で目を見合わせてから笑った。

「昨日の今日でもう自身が無くなったのかい?」
「いや、そうじゃなくて……」

 困惑していると、ステラさんは手近にあった椅子を差し出してきてくれた。
 カウンターを挟んでハーベスト夫妻と向き合ったところで話は再開される。

「意外だったかな」

 ノースさんは静かに微笑みながら頭を指で軽くかく仕草をしてみせる。
 ステラさんの方は終始目を細めながら微笑んでいる。元々ステラさんの方は娘の夢に対しては肯定的な姿勢だったのだろう。

「分かってるとは思うけど、ボクは元から反対していた訳じゃない。サーシャ自身がどうなりたいのか、それをあの娘にしっかりと自覚してもらいたかっただけなんだ」
「それは分かるんですが、サーシャの出した答えはその……」
「冒険者アイドル、だろう」

 そう、サーシャの出した答えは両得。どっち付かずの答え。
 元よりサーシャは「冒険者アイドルになりたい」と言い出し、考える間を与えられたにもかかわらず再び出した答えは結局「冒険者アイドルになりたい」という、最初と何ら変わり映えない答えだった。

「それがあの娘の目標だと言うなら、それはそれで良いんだよ」

 ノースさんの浮かべた表情には、確かな満足の色が伺えた。
 そこでようやく思い違いの咎を犯していたのは僕の方であると理解した。
 サーシャはしっかりと目標を定めていた。冒険者かアイドルか、という二択を強いていたのは僕の方で、それらは決して相容れない代物だと断じてしまっていた。
 僕が僕であると言う自覚を取り戻したせいで盲目的になっていたのかもしれない。今の僕は前世の僕がどういった人間であったかの記憶は無くとも、前世で学習した知識に関する記憶は僅かながら残っている。
 その偏った知識ゆえに、僕はそれらが同居しないものだと決め込んでしまっていた。

「それに、クロくんが付いて居てくれるなら心配はいらないだろう」

 もう一つの問題がこれだ。

「信頼してくれるのは有難いのですが、本当に良いんですか?」
「昨日の晩、あれだけの事を言った人間とは思えないセリフだな」

 言うと、ハーベスト夫妻はまた笑った。

 ――僕が、何があってもサーシャを守ってみせます。

 あと一歩のところで足踏みしそうになったサーシャの背を押す為だったとは言え、やや無責任な物言いだったと後悔している。

「それはその、善処はしますが……」
「ははは、良いんだよクロくん。君はまだ若いんだから、後々の保険なんて考えなくて良い。無責任に言い切ってみせるくらいが丁度いい」

 この人はどこまでもお見通しのようだ。

「はい。サーシャは僕が立派な冒険者アイドルにして、ここへ戻ってきます」

 ノースさんの言葉に甘え、僕はそう言い切ってみせた。




 村長やお世話になった様々な人たちへの挨拶回りを終えた頃、陽はすっかりと暮れた。
 思いがけず旅立ちの前夜となってしまった今、僕は小屋のベッドの上で何をするでもなく見慣れた天井を眺め見ていた。
 すると、遠慮がちに小屋の戸を叩く音が聞こえてくる。誰であるかの察しは凡そ付いている。

「サーシャしかいないとは思ったけど、明日の準備とかはいいのかい?」
「だいたい終わったし。それにね、ちょっとクロと話しておきたくて」

 僕とサーシャは小屋近くの大きな切り株の上に並んで腰を下ろした。
 しばしの沈黙の間、僕の目は自然と頭上へと向いていた。満天の星空はまるで明日に控えた旅立ちを祝ってくれているかのようにも思え、どこか心強さを覚える。

「綺麗だね、星。こんなだったっけ」
「普段は何となくでしか見てないだけなのかもしれない。昨日と今日とでこの光景が変わってるハズはないんだ」

 永遠ではないのかもしれない。幾千幾万もの歳月を経ればこの星空も見違えてしまうのかもしれない。けれど、それを僕たち人間が一生をかけて観測したところで知れる訳もない。

「でも、私たちは変わったよね」
「うん。昨日までとは違う。それはきっと明日も同じだと思う」

 僕たち人間は星とは違う。
 ちっぽけで、その寿命だって星たちにとっては一瞬である時間程度しか許されていないのかもしれない。
 だけど、だからこそ、僕たちは常に変わり続けていける。昨日までと同じで在り続ける訳ではない。

「少しだけ、不安なんだ――ううん。すっごく不安かも」
「ははは、僕も不安だよ」

 言葉とは裏腹に、僕たちは笑っていた。

「今ね、クロと出会えて良かったって、心からそう思うんだ」

 一瞬でもドキりとしたのは、心の内に伏せておこう。サーシャの声音は甘美さの色を帯びていないからだ。

「例え僕がいなくても、サーシャはこうして空を見ていたと思うよ。むしろ、僕がいなかった方がもっと早くそうなってたかもしれない」

 そうじゃない。
 サーシャはそう言って静かに立ち上がった。

「もっと自信もってくれて良いよ。クロはクロが思ってる以上に誰かを勇気付けてたり、助けてたりするんだよ」

 その屈託のない笑み、かつてのサーシャを連想させる。絶望と喪失の夜が明けたあの日の朝、僕を励ましてくれたあの日のサーシャを。

「サーシャもね」

 それからしばらく、僕たちは空からの祝福を受け続けた。
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