【本編完結】番殺しの黒オメガが背負う愛は

小池 月

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Ⅶ 王太子殺し

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 それから、アルがジリスのもとに来ることは無くなった。

 毎日アルからの差し入れは届く。元気ですか、体調はどうですか、と一言が添えられていて頬が緩む。アルらしい。

 そして、ジリスはネモスとの食事が苦痛で仕方なかった。
 発情期が来ないのだし、アルはもう傍に居ないのだから放っておいてほしい。それなのに執拗にジリスに嫌がらせをする。
 必ず同席してくるミーナにも腹が立っている。ミーナは立場をわきまえるべきだ。

(コイツらはガキか)
 今日も心で悪態をついて、さっさと自室に戻ろうとしたが。ネモスがわざわざ席を立ってジリスの側に来た。

「アルの結婚相手が決まったぞ。これでアルはお前から解放されるってワケだ。また発情期が来たら、お前には誰か別のを当てがってやろう」

 ははは、と笑うネモスに今まで感じたことのない感情が爆発した。目の前が真っ赤になるような憎しみ。腹の底が燃え上がる。

「ネモス!」
 抑えきれない心のままに動いていた。自分でも、こんなことをするなど思っていなかった。

「き、貴様ぁ!」
 怒りを滲ませるネモスが膝をつく。

「きゃ、キャーー! ネモス様ぁ」
 ミーナが悲鳴を上げて、周囲がざわつく。ジリスは踵を返して走った。

「医師を! すぐに処置を!」

 ざわめきを後ろに聞き、とにかく自室に走った。

 途中、侍女たちが何事かとジリスを見たが、もともと侍女たちはジリスが何をしようと無関心だ。

 その態度に助けられた。止められることがなく自室にたどり着いた。

 すぐにジリスは避難路に身を隠した。

 避難路はアルが細工してくれて、ジリスが入った後は、ただの床に見えるようにしてある。

 それでも足音や物音で気づかれたら終わりだ。全てから隠れるようにジリスは避難路を降りた。

 ジリスの心臓がバクバク鳴っている。してしまった事の大きさに手が震える。

 ジリスは、ネモスを、刺してしまった。

 料理の切り分けに用意されていた包丁を、ネモスの脇から思いっきり突き刺した。深く刃物が沈み込む感覚が手に残っている。ネモスの驚愕の顔が目に焼き付いている。

 ジリスは、番のアルファを、殺してしまった。

 徐々に城内の騒ぐ声が大きくなる。ジリスを探しているのが分かる。

 とんでもないことをしたと思う。けれど、白国で辛苦を味わったジリスは、もうこれ以上ここで処されるのは嫌だった。

 ジリスの辛い状況など、きっと分かってもらえない。ジリスはただの悪者にされるだろう。そんなのは、耐えられない。

(どうしよう。アル!)

 こんな時に思い浮かぶのはアルの顔だ。アルには頼ってはいけないのに。

(とにかく逃げないと、ダメだ! 早く馬屋に!)
 恐怖感から涙が流れて止まらない。嗚咽が漏れないように口を押えて足を進めた。

 暗い通路を早足で駆けた。
(アルがいるかもしれない。いや、そんな期待は持つな!)

 興奮で考えがまとまらない。心臓がバクバクと限界を訴える。
 通路の突き当りに出ると、急に不安が押し寄せた。

 井戸の出口に警備兵がいるかもしれない。出るのが怖い。しかし、出るのが遅くなるほど警備は厳しくなる。

 覚悟を決めてジリスは出口を開けた。外の音に耳を澄ますが、静かだ。人々の声は遠くに聞こえだけ。音をたてないように注意して井戸から出た、が。

 人がいない安堵感で気が緩んでいた。最後の梯子階段を踏み外した。左手が上手く動かなくて手すりを掴み損ねる。全身から血の気が引いた。

(井戸の中に落ちる!)
 恐怖にジリスの頭が真っ白になる。

「ジリス様!」
 ジリスはハッとした。逞しい腕がジリスを抱き留めた。

「アル!」
 会えた喜びとここに居てくれた安堵感で、ジリスはアルにしがみ付いた。ボロボロと涙が零れた。

「アル、どうして? 家は? 結婚は?」
 上手く言葉が繋げない。

「俺は決めました。俺はあなたと生きて行く。これまで侯爵家の領地の事など、迷いはありました。しかし、全てを父に話したところ、父から殴られました」

 アルの言葉に驚いてジリスの涙が止まった。

「え? どこを? 大丈夫?」
 慌てるジリスにアルがクスッと笑った。

「大丈夫ですよ。俺は鍛えている騎士ですから。殴られたくらいは何ともありません。父は俺に言いました。侯爵家の現当主は父だと。領地の事は父が責任を負う、と。家のしがらみを捨てて、己のすべきことをせよ、と」

 アルの青い瞳に決意の炎が灯っている。

「アル……」

「俺は勘当してもらいました。もう侯爵家の人間ではありません。ひとりの男として、ここに居ます。俺は、愛する人を、守りたい。独りで戦っているジリス様を、俺が守ります」

 ジリスは身体の震えが止まらなかった。夢でなければいい。

「ジリス様、俺の生涯をあなたと共に。この命尽きるまで、ともに生きることを誓います」

 ジリスは胸がいっぱいでコクコクと頷いた。涙が溢れる。アルの瞳に強さが宿っている。

 引き寄せられるように、触れるだけの口づけを交わした。その感触に、これは現実だと実感した。

「さぁ、すぐに逃げましょう! 俺とともに!」
 アルは爽やかな笑顔だった。

 けれど、この道は神の掟に背くことになる。ジリスとアルは大罪を犯すことになる。
 それでもアルがいてくれたら、それでいい。

「うん。行こう、黒国に!」
 黒国で受け入れてもらえるか分からない。それでもジリスの行く場所は黒の国しかない。


 ジリスはアルと共に逃げた。幸せとは程遠い道になるだろう。
 ジリスがした罪は消えない。神の掟を破った罪も消えない。

 黒の国で罪人として捕らわれるかもしれない。それらをすべて背負う覚悟を決めて、ジリスは前を向いた。

(アルは、僕が守る。たとえ黒魔術で命を代償にしようとも、アルだけは僕が守る)
 ジリスは心で誓った。
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