分身鳥の恋番

小池 月

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Ⅱ章「幸せを運ぶコウノトリと小さな文鳥の幸せ番」

side:加藤幸一⑦

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<初めての二人旅行>
 旅行の日。心配していたけれど徹は一泊の支度を整えていた。

俺は旅行なんて初めてで、コレはいるかな、と不安になり大荷物になって困ってしまった。それを見て、そっと俺に近づき、膨らんだカバンから不要物を出してくれる徹。やや、目元が微笑んでいる。少しだけ感情が見えたことが嬉しい。

 着ていく服も、これでいいか? と聞けば頷く目が優しい。徹の感情が少し見えることに飛び上がりたい喜びがある。黒い瞳の奥が微かにキラキラしている。心臓がドキドキする。

 マンションの玄関に横付けしていた車に乗り、徹の両親が予約してくれた宿泊旅館に向かう。

 車で二時間弱。到着した旅館は、圧倒される高級な旅館だった。万が一に備えて、車を運転してくれていた二名の付き添いの人も同じ観光地のホテルに滞在する。夜中でもすぐ車を出せるように待機してくれる。これは、とても助かる。

 出迎えで並んでいる着物の女性三名に男性二名。分身鳥が皆中型から小型。きっと配慮してくれたのだろう。

俺は、女性に荷物を持たせていいのか迷って、「お持ちします」と手を出す着物の人に困ってしまった。

スッと後ろから、徹が自分の荷物を俺からとり、女性に渡す。良いのか? 目で問いかけると、穏やかな顔でクスリと笑う徹。

今、笑った。微笑んだ。フワッと心に光が差す。黒い目が俺を映している。立ちすくむ俺の手をそっと握り先導する人についていく徹。あぁ、綺麗な金魚だ。スイスイと気持ちよく泳ぐ美味しそうな魚が目の前にいる。食べたい。

食らいつこうとしたとき、女性の声に我に返る。
「こちらがお部屋になります」
石畳の床に竹が配備された静かな廊下の先に、一軒家にお邪魔するような引き戸の玄関。場違いな気がして緊張する。

 高級宿だ。和室。担当の仲居さんが出迎えのお茶を出して和菓子を出してくれる。窓から見える日本庭園。ここは、俺が来ていい場所か? 緊張して身体が固くなる。

 仲居さんが「ごゆっくり」と言い退室した。室内に徹と二人になり、やっと肩の力が抜けた。

正面に座っている徹を見ると、ぼんやりと外の景色を眺めている。綺麗な横顔だ。

 シンプルながら高級感の溢れる室内を見て、仲居さんが入口付近に置いた荷物を邪魔にならないように移動しようと思った。
ぐるりと見ると、一段上がった壁側の場所が空いている。中心に花が生けてあるが、段上がりで空いたスペースに荷物を置いたら邪魔にならなそう。二個の荷物をひょいっと移動する。これでいい。出入り口に荷物があるより良いだろう。

「幸一」
後ろから急に声がかかり、驚く。久しぶりの、声。

振り返り、徹を見る。

ゆっくりとした所作で立ち上がり俺の方に来る。黒い瞳が穏やかに俺を見ている。肩の文鳥がふわりと飛ぶ。コウノトリの背中に着地。それを見て、ふふっと笑う徹。徹の動きに、ただ見入っていた。俺の横まで徹が来る。

「幸一、床の間には荷物は置いたらいけないんだ」
え? なんだって? 

徹の綺麗な声が聞けたことに感動して、何を言っていたか分からない。

「床の間は、物は置かないんだよ」
カバンを持ち上げる徹。

「俺が、俺が持つよ」
慌てて二つのカバンを受け取る。でも、考える。

「でもさ、入り口だと邪魔じゃん。どうしたらいいんだよ」
「こっち。着替えの服や、金庫があるだろ? このスペースに入れるといい」

「ふうん。こういう場所、初めてで緊張する。ワケわからん」
「ここ、良い旅館だよ。少し庭も歩く?」

「でも、入っちゃいけない場所とかあるだろ? 俺、わかんないよ」
「枯山水には入らないほうがいいけれど、他は自由に見られるよ。一緒に行ってみよう」
久しぶりに見る徹の穏やかな瞳。

心がじんわり温まる。ずっと見たかったんだよ。徹の優しい目。伝わるように、そっと包み込むように腕の中に抱き込む。
「幸一、ご飯の時間決めた?」

「いや、仲居さんがゆっくり決めてくださいって言っていたから、まだ決めてないよ」
「じゃ、早めに伝えようか。支度があるから、時間決めて伝えたほうがいい」

「そうなのか。徹がいてくれて助かる。俺だけじゃ、テンパってなんもできない」
俺を見てふわりと微笑む徹。見惚れてしまう。

「今日はのんびりしよう。ここ、懐石料理とても美味しいよ」
普通に会話している。鼻の奥がツーンとする。涙がこぼれないようにそっと上を見た。

 一緒に室内を見て回った。半露天風呂が部屋についている。庭に縁側から出られる。俺たちしか客が居ないから静かな広い庭を独占状態。池に赤いモミジが落ちている。静かな風が抜ける。少し冷える凛とした空気。心が静まる感動。この庭は、似ている。徹のまとう雰囲気に、似ている。

「少し冷えるね。先にお風呂入る?」
「うん。風邪ひいたら大変だ」
縁側から二人で眺めていたけれど、開けていた大きな窓をそっと閉める。

 お茶を飲んだテーブルと座椅子のある部屋に、畳の上にローベッドのある寝室。もう一つの和室はソファーセットにデスク。どの部屋からも景色が綺麗に見える。ソファーセットの部屋の奥には、半露天風呂。あと、室内風呂にトイレ。豪華すぎる。

「徹、風呂、一人で入る?」
何となく聞いてみた。

退院してから心ここにあらずで、俺が一緒に入浴している。性的なことは一切なく、ただ大切に徹を磨き上げている。自分の事はどうでもいい、と示すかのように衣食にも疎くなっていた徹。それだけ傷ついている徹の心が痛々しかった。

食べることを促し、整容を整えて、大学のリモート授業を視聴する。精神科の先生にも生活リズムが大切だと言われていた。夜は時々飛び起きて震えるため、一緒に眠る。苦しいとも、辛いとも言わずに小さく震える徹を、絶対に一人にしたくなかった。

 でも、今日は徹が笑っている。感情が見えている。だからこそ、いつも通りでいいのかちょっと不安だ。

「いや、いつもと一緒でいいよ」
いいのか。穏やかな目線にドキリとする。今日は徹の目に俺が映っている。俺、自制できるかな。そっと徹を腕の中に閉じ込める。俺の鳥が徹の鳥に身体を寄せる。

「良かった。俺、こんな高級な場所で一人風呂なんて無理。何かやらかしそう」
少し間をおいて徹がブハっと吹きだして笑う。

「そうだ。幸一が初めて家の風呂使った日、素っ裸で廊下ビショビショにしてたわ。あれをここで再現するわけにはいかない」
あはは、と顔を紅くして笑う。

「昔の話じゃないか。今はジャグジーや泡風呂程度じゃ驚かないぞ」
また何かを思い出したのか、涙を浮かべて笑う徹。嬉しいような、恥ずかしいような妙な気持ち。ちょっとイタズラ気分にもなった。

ひょいっと徹を抱き上げて、そのまま露天風呂に服のまま一緒に入る。

「わぁ! 幸一! ダメだ。服のままはマナー違反だ!」
抱いたまま二人で入って、慌ててそのまま湯から上がる。

「そうなのか? あの、初日に服のまま徹を風呂に入れた、あれなら再現しても部屋汚さなくていいかと思って……」

唖然として俺を見る徹。二人とも、洗い場にびちょびちょで立ちすくむ。あ、寒い。ブルリと震える徹をみて、急いで服を脱がす。寒い~、と声を出す徹を風呂に入れる。次いで俺も服を脱ぎすて、徹のいる湯船につかる。俺たちの鳥は楽しそうに分身鳥用の浅めの風呂で湯遊び。

「はぁ、あったまる~~。幸一は面白いなぁ。まさかの洋服風呂の再現ときたか。あぁ、思い出したら笑えてくる。激寒だったし。ま、ここは俺たちだけだし良しとしよう」

濡れた服、どうすんの? と笑いの治まらない徹。俺は、失敗したドッキリに恥ずかしくてモヤモヤして徹を膝の上に抱き込む。真珠のような肌に顔をうずめて、ごめん、と呟く。慣れているからいいよ、と小さく笑う徹がキラキラしていた。

 いつもこうだ。俺が失敗しても否定しないで柔らかく受け入れてくれる。そんな徹が大好きだ。大切だ。もう一度、徹の肩に頭を寄せる。肌の感覚が気持ちいい。徹が、生きている。徹の温度が伝わってくる。

「徹、大好きだ。綺麗な、俺だけの徹」
そっと伝えてみて、この気持ちを言葉で伝えたのは初めてだと気が付いた。番鳥同士でパートナーだと認識していたけれど、肝心な部分が抜けていた。ほんと、俺はバカだよな。

「うん。俺も、幸一が大切だよ。大好きだ」
言葉を交わしてみて、心に響く感動を覚えた。嬉しい。そっと抱きしめて、温かな徹の身体を湯で温める。

「もう、痛くないか?」
肋骨の骨折した部分をそっと手でなでる。
「うん。大丈夫だよ。急に動くと、ちょっと響くけど」

「そうか。ごめん」
「幸一のせいじゃない」

思い出したのか、下を向く徹の肩に力が入る。そっと湯をかける。

「怖いんだよ」
「……うん」

「あんなの忘れたらいいって思うし、男だから気にする事じゃないって思っても、本能の部分、かな。寒気が来るほど震えるんだ。言うこと聞かない俺の心が、情けない。苦しい」

肩に力を入れたまま、辛そうに話す徹。情けないわけがないだろう。あんな暴力にあって独り耐えている徹をずっと見て来たよ。ずっと傍にいたよ。でも、どんな言葉も薄っぺらくて言葉にできない。どうしたらいい? 

ふと、小坂君が皆に頭を撫でられていた話を思い出した。徹は、言葉に出来ない思いを、頭を撫でることで伝わるようにしていたって言っていた。俺なら、俺ならどうだろう。俺なら、撫でることもできる。それに、抱きしめることも出来る。

この思いが伝わりますように。徹の痛みが半分俺に移りますように。願いを込めて、宝物を包み込む。優しく、愛情をこめて黒い艶髪を撫でる。徹、愛している。深呼吸して精一杯の言葉を紡ぐ。

「俺が怖い思いをもらうよ。徹の痛みを、全部もらうよ。俺、バカだからどうしていいか分からない。でも、傍にいる。ずっと、俺がついている。全力で守るから。……徹、我慢しなくていい。俺のところで、泣いて、いい」

腕の中の徹が、ゆっくり、頷く。徹の喉がぐうっと鳴る。顔は見えないけれど、徹が泣いている。白い肩が震える。そのまま身体を密着していると、徐々に声をあげて徹が泣いた。つられるように俺も泣いていた。

悲鳴のような徹の声を腕の中に包み込んだ。
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