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シンデレラ
08 夢の世界に別れを告げて
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そこに言葉はなくとも、この瞬間を楽しんでいることはお互いに分かっていた。いつまでもこの時間が続けばいいのに、という気持ちが頭をよぎったが、現実はそうはいかないのだ。
「あの、さ」
「……はい」
「名前、聞いてもいいかな。君の」
不意に口を開いた大地は、真剣な顔で礼奈を見つめた。
「……えと」
「びっくりした。一目惚れって、漫画とかそういう世界だけかと思ってたけど、違ったみたい」
ダンスに紛れて、身を引き寄せられた。バランスを崩した体は、すっぽりと大地の胸に収まった。そのままぎゅっと抱きしめられる。
「踊って、なおさら。君のこともっと知りたくなった」
音楽が鳴り響いているはずの体育館で、大地の声しか聞こえない。大地の心臓の音も、礼奈と一緒で早くなっている。
おんなじ気持ちだ。多分、礼奈のほうも一目惚れで。一瞬で恋に落ちた。でも、気持ちが一緒でも、決定的に違うことがある。
──私は今、私じゃない。一目惚れをしてもらえるほど、私は綺麗じゃない。
法子に魔法をかけてもらって綺麗になっているだけで、普段の礼奈は、陰気で惨めないじめられっこ。魔法が解けてしまえば、その気持ちは一緒じゃなくなる。
──魔法……。そうだ、今何時……っ!?
それでふと思い出した。いつまでもこうしていられない。法子との約束の時間は16時だ。大地の腕をそっと拒んで、体育館の壁にかかっている時計を見やる。
──……15時55分……っ!?
あと5分しかない。楽しかった時間はもう終わりだ。
「……ごめん、なさい。私、行かなくちゃ」
「えっ?」
「ごめんなさいっ……」
するりと大地の腕の中から抜けて、走り出した。時間がない。急がなくちゃいけない。
「待って!」
大地に腕を掴まれる。振り返った大地が困惑した顔をしている。さっきまでの楽しげな表情が一変、その瞳は不安げに礼奈のことを捉えていた。そんな顔をさせたくない。あの楽しげな表情に惹かれたのだ。彼には笑っていて欲しい。でも、そんな顔にさせているのは礼奈本人だ。
どんなに楽しい時間にも、終わりは来る。どんなに手放したくないものでも、手放さなければいけないのだ。
「ごめん、なさいっ……!」
礼奈は大地の腕を振り払って駆け出した。涙と、片方のイヤリングを落としたことにも気づかずに。
* * *
走って、走って。人混みをかき分けて走って。
「きゃっ! ……ちょっと! 痛いじゃない!」
「し、祥子さん大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですかじゃないわよ! 鏡、あなたが私を守らなくてどうするの!? これだから人混みに出るのは嫌だったのに……!」
「で、でも祥子さんが文化祭回りたいって……」
「お黙りなさい!」
「えっと、えっと! ご、ごめんなさいっ」
男女の痴話喧嘩が始まってしまったようだが、それを仲裁している暇はなかった。礼奈は謝罪しながら駆け出した。さっきみたいに、何度も人にぶつかりながらも、必死に保健室に向かう。勢い良く扉を開けると、中にいた法子と目が合った。肩で息をする礼奈を見た後、左手の腕時計を確認する。
「……15時59分。まぁ、合格ね。こっちへ来なさい」
「……はい」
──あぁ。本当に、楽しかった時間が終わってしまうのだ。
時間を忘れて大地と過ごした。過ぎ去って欲しいことだらけの学校生活で、時が止まればいいと思ったのはあれが初めてだった。
「これ、クレンジングオイル。顔に塗ってメイクを落としなさい。そこに洗面台があるから」
こくりと頷いて、法子が差し出した袋を受け取った。英字で色々と書かれているが、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。
──これを使えば、私にかかっていた魔法が解ける。
礼奈は意を決して、洗面台に向かった。その袋の封を切って、手に中身を出した。手のひらにそれを広げた後、顔に塗る。ゴシゴシと、ゴシゴシと、必要以上にこすった。顔を洗う要領で、水でそれを流して、顔を上げる。見慣れた顔の礼奈が、鏡の中からこちらを見ていた。
「──……、」
差し出されたタオルで顔を拭いて、スカートを元の長さにもどして、もう一度鏡を見る。すると、そこに映った違和感にようやく気がついた。
イヤリングが、片方ないのだ。
「先生っ、私……!」
慌てて法子に向き直り、勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい……! 借りてたイヤリング、片方何処かになくしてしまったみたいで……! べ、弁償……」
お金に余裕があるわけではないが、借りてたものをなくしてしまったのだ。一生かかっても弁償しなくては。顔を青くしていると、法子はしばらくして吹き出した。
「あれはあなたにあげるつもりで渡したんだから、いいのよ」
「そ、そんな」
「“変わりたい”って思えたご褒美よ」
礼奈は思わず、残った方のイヤリングをぎゅっと握りしめた。自分に勇気をくれたイヤリングだ。これがなかったら、前に進めなかった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて、頂きます。ありがとうございます」
礼奈がそう言うと、法子は優しく微笑んだ。
「ありがとうが言えるようになったじゃない」
「──っ、」
変わりたいと思った。でも、外側が変わったところで、中身までは急には変われなかった。それでも、ほんの少しでも変われたんだとしたら、それは。
──あの人の、おかげだ。
大勢の中から、礼奈を見つけてくれた。楽しい時間を礼奈にくれた。
「文化祭は、楽しかった?」
法子にそう尋ねられて、礼奈はぎゅっと拳を握った。
「……とっても、楽しかったです」
礼奈のことを見据えた法子は、口元だけで笑って見せた。礼奈の目の前にやってくると、親指で礼奈の目元を拭った。
「その割には、酷い顔をしているのね」
もうすぐ、閉祭式が行われる。
──夢から覚めなくちゃ。
* * *
「あの、さ」
「……はい」
「名前、聞いてもいいかな。君の」
不意に口を開いた大地は、真剣な顔で礼奈を見つめた。
「……えと」
「びっくりした。一目惚れって、漫画とかそういう世界だけかと思ってたけど、違ったみたい」
ダンスに紛れて、身を引き寄せられた。バランスを崩した体は、すっぽりと大地の胸に収まった。そのままぎゅっと抱きしめられる。
「踊って、なおさら。君のこともっと知りたくなった」
音楽が鳴り響いているはずの体育館で、大地の声しか聞こえない。大地の心臓の音も、礼奈と一緒で早くなっている。
おんなじ気持ちだ。多分、礼奈のほうも一目惚れで。一瞬で恋に落ちた。でも、気持ちが一緒でも、決定的に違うことがある。
──私は今、私じゃない。一目惚れをしてもらえるほど、私は綺麗じゃない。
法子に魔法をかけてもらって綺麗になっているだけで、普段の礼奈は、陰気で惨めないじめられっこ。魔法が解けてしまえば、その気持ちは一緒じゃなくなる。
──魔法……。そうだ、今何時……っ!?
それでふと思い出した。いつまでもこうしていられない。法子との約束の時間は16時だ。大地の腕をそっと拒んで、体育館の壁にかかっている時計を見やる。
──……15時55分……っ!?
あと5分しかない。楽しかった時間はもう終わりだ。
「……ごめん、なさい。私、行かなくちゃ」
「えっ?」
「ごめんなさいっ……」
するりと大地の腕の中から抜けて、走り出した。時間がない。急がなくちゃいけない。
「待って!」
大地に腕を掴まれる。振り返った大地が困惑した顔をしている。さっきまでの楽しげな表情が一変、その瞳は不安げに礼奈のことを捉えていた。そんな顔をさせたくない。あの楽しげな表情に惹かれたのだ。彼には笑っていて欲しい。でも、そんな顔にさせているのは礼奈本人だ。
どんなに楽しい時間にも、終わりは来る。どんなに手放したくないものでも、手放さなければいけないのだ。
「ごめん、なさいっ……!」
礼奈は大地の腕を振り払って駆け出した。涙と、片方のイヤリングを落としたことにも気づかずに。
* * *
走って、走って。人混みをかき分けて走って。
「きゃっ! ……ちょっと! 痛いじゃない!」
「し、祥子さん大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですかじゃないわよ! 鏡、あなたが私を守らなくてどうするの!? これだから人混みに出るのは嫌だったのに……!」
「で、でも祥子さんが文化祭回りたいって……」
「お黙りなさい!」
「えっと、えっと! ご、ごめんなさいっ」
男女の痴話喧嘩が始まってしまったようだが、それを仲裁している暇はなかった。礼奈は謝罪しながら駆け出した。さっきみたいに、何度も人にぶつかりながらも、必死に保健室に向かう。勢い良く扉を開けると、中にいた法子と目が合った。肩で息をする礼奈を見た後、左手の腕時計を確認する。
「……15時59分。まぁ、合格ね。こっちへ来なさい」
「……はい」
──あぁ。本当に、楽しかった時間が終わってしまうのだ。
時間を忘れて大地と過ごした。過ぎ去って欲しいことだらけの学校生活で、時が止まればいいと思ったのはあれが初めてだった。
「これ、クレンジングオイル。顔に塗ってメイクを落としなさい。そこに洗面台があるから」
こくりと頷いて、法子が差し出した袋を受け取った。英字で色々と書かれているが、何が書いてあるのかさっぱりわからなかった。
──これを使えば、私にかかっていた魔法が解ける。
礼奈は意を決して、洗面台に向かった。その袋の封を切って、手に中身を出した。手のひらにそれを広げた後、顔に塗る。ゴシゴシと、ゴシゴシと、必要以上にこすった。顔を洗う要領で、水でそれを流して、顔を上げる。見慣れた顔の礼奈が、鏡の中からこちらを見ていた。
「──……、」
差し出されたタオルで顔を拭いて、スカートを元の長さにもどして、もう一度鏡を見る。すると、そこに映った違和感にようやく気がついた。
イヤリングが、片方ないのだ。
「先生っ、私……!」
慌てて法子に向き直り、勢い良く頭を下げた。
「ごめんなさい……! 借りてたイヤリング、片方何処かになくしてしまったみたいで……! べ、弁償……」
お金に余裕があるわけではないが、借りてたものをなくしてしまったのだ。一生かかっても弁償しなくては。顔を青くしていると、法子はしばらくして吹き出した。
「あれはあなたにあげるつもりで渡したんだから、いいのよ」
「そ、そんな」
「“変わりたい”って思えたご褒美よ」
礼奈は思わず、残った方のイヤリングをぎゅっと握りしめた。自分に勇気をくれたイヤリングだ。これがなかったら、前に進めなかった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて、頂きます。ありがとうございます」
礼奈がそう言うと、法子は優しく微笑んだ。
「ありがとうが言えるようになったじゃない」
「──っ、」
変わりたいと思った。でも、外側が変わったところで、中身までは急には変われなかった。それでも、ほんの少しでも変われたんだとしたら、それは。
──あの人の、おかげだ。
大勢の中から、礼奈を見つけてくれた。楽しい時間を礼奈にくれた。
「文化祭は、楽しかった?」
法子にそう尋ねられて、礼奈はぎゅっと拳を握った。
「……とっても、楽しかったです」
礼奈のことを見据えた法子は、口元だけで笑って見せた。礼奈の目の前にやってくると、親指で礼奈の目元を拭った。
「その割には、酷い顔をしているのね」
もうすぐ、閉祭式が行われる。
──夢から覚めなくちゃ。
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