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狐系教師警報
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「おや、君は……」
「こんにちは。いつかは、うちのアホがお世話になりました」
そう言って頭を下げると、頭上からクスリと笑った声が聞こえた。
「今日は私しかいないんだ。とりあえず、そこの名簿に記入をしてくれるかな」
「あ、はい」
さすがに二回目ともなると迷わずさらさらと書くことが出来る。あたしが書き終わるのを待ってから、先生は「中にどうぞ」とにこりと笑った。ううん、やっぱり紳士。先生にエスコートされながら中に入ると、この間はタマが座っていた丸椅子に案内された。
「ええと。今日は、あいつが包帯の留め具をなくしちゃたので、新しいのをいただけたらと思って」
「ああ、そう言うこと。ふふっ、やっぱりやんちゃな彼なんだね」
そう言いながら、先生は棚を物色し始めた。おそらくは、そこにいろいろな用具があるのだろう。特にすることもないので、先生が棚をあさっている間、先生に話しかける。
「先生は、今日は模擬店回ったりしないんですか?」
「そうだな、行きたいとは思うけど……菜月さんの所は、何をやっているのかな?」
──え、何で、名前……。
いきなりだったからびっくりしたけど、そうか、さっき名簿見たからか。さらっと下の名前を呼んじゃうあたり、すごいわ。
「あたしの所は、妖怪喫茶です。712の教室でやってるので、お時間があればぜひ」
「へえ、面白そうだね。ぜひ行きたいな」
社交辞令ではなさそうな声音と表情だった。本当にそう思っているんだな、と思わせる。タマはあんなことを言っていたけど、やっぱりこの先生に裏があるなんて思えない。
「それで菜月さんは、そんなにかわいらしい格好をしているんだね」
「や、かわいくなんてないです、こんなの」
これは謙遜などではない。本心だ。猫=かわいいみたいなイメージが世間に蔓延しているけど、あたしにとって猫なんてただのアレルゲンである。よって、この格好にかわいさなんてみじんも感じない。勿論、あたしの考えなんて他人がわかるわけもないし、先生は謙遜だと受け取ったようだった。クスリと柔らかい笑みを浮かべたあと、こちらに向き直った。
「かわいいよ。とっても」
「え、と」
かわいい、なんて言われ慣れてない。タマはあんな調子だし(猫に向かってはさんざん言う癖して、あたしには滅多に「か」の字も出てこない)、そもそもルックスだってずば抜けていいわけじゃないし。なんだか先生はこの間からそう言ってくれるけど、あたしにとってそれは殺し文句でしかない。なんだか照れてしまって返答に困ってしまう。
「これは、化け猫ちゃんかな? ふふ、かわいいヒゲだね」
「え、あの」
──先生、か、顔、近くないですか?
なんて、声に出す余裕はもはやない。水性ペンで頬に書かれたヒゲを親指でなぞられ、どぎまぎしてしまう。ああ……なんかとてつもなくいいにおいするし! あたしの頬から離れた右手は、あたしの目前で狐の形になった。コンコン、と鳴き出すかのように、指と指とが上下する。
「菜月さん、知ってるかい?」
「な、何をですか?」
先生の作った狐くんは、しばらく口をぱくぱくさせたあと──あたしの唇に、噛み付いた。
「!?」
「狐ってね、ああ見えて食肉目なんだよ。木の実とか食べてそうなのにね」
あたしは依然として唇に噛み付かれているので、声が出せない。先生は相変わらずにこやかで、前に見たいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「雑食だから、何でも食べちゃうそうだよ。人のものでも、何でも」
「……っ!」
──人のものでも、何でも。
そう言った先生の声は、いつもの穏やかなものではなかった。何か黒いものを秘めている、そんな声。先生の目が、鋭く光った気がした。笑っている。笑っているのに、だ。背筋が凍るような、そんな感じがした。
“あんなやつ、ぜってー裏があるに決まってんだよ”
タマの言葉がよみがえる。ああ、あの時は馬鹿にしたけど、タマの勘って侮れない。これが、先生の、『裏』の顔──? こんな感じの状況には、覚えがある。そう、あれはマトさんに襲われかけた時。あの時は、ボスが介入してきたからなんとか助かったけど、今は。狐くんの束縛から解放され、あたしはようやく声が出せるようになる。ここで、叫んで逃げてもいい──というか、その方がいいんだろうけど、恐怖よりも疑問の方が勝って、あたしは逃げ出さずに先生に尋ねてしまった。
「なん、で、そんなこと」
「え?」
「先生、モテそうだし。大人だし、あたし、ここの学生だし。こんなことして、メリットなんて1つもない。先生だって、そんなことくらいわかるはずです。なのになんで……」
「……なんで、か」
あたしの問いに、先生は力なく笑った。その顔が、なんだかとても悲しげで、あたしはどきりとする。先生がこんなことをしようとしたことには、欲求とかそんな簡単なことじゃない、理由がある……?
「……教えてあげようか?」
「え……」
先生はそう言うや否や、白衣の下に着ている真っ白なシャツのボタンを1つずつ外していく。
「えっ、ちょ、先生!?」
あたしは動揺して、その手を止めようとした。
「いやいやいや! あたし、タマにしかそう言うの許しませんし! 落ち着きましょう!?」
「──……きみは、」
先生が何かを言いかけたその時──
「菜月ぃぃぃぃぃぃ!!」
「……タマ!?」
医務室の扉が、勢いよく開かれた。その声の主、タマはあたりを見渡し、部屋の奥のあたしと先生を見つけた。……服を脱ぎかけた、先生を。タマの目が見開かれる。怒りのあまりに、血管が浮き出たのがここからでもわかる。ああ、まずい! この状況は、なんと言うか、デジャヴ!
「戻ってこねえから来てみれば……てめえ、オレ様の女に何しようとした? 死ぬ覚悟できてんだろうなァ?」
「待ってストップストップ! あたし何もされてないし! そもそもあんた怪我してんのに無茶言わないでよ!?」
そしてまたデジャヴのように、開け放たれた扉からシバケンが顔を出す。シバケンも、中の様子を見て、少しだけ動揺を見せた。まあ、そりゃそうだ。誰もいない医務室で、先生が服脱ぎかけでいるんだもの。怪しまない要素がない。まじめなシバケンは、訝しげに眉をひそめたあと、先生に向き直る。
「状況がよく掴めないんですけど、俺が思っている通りなら、窓口なり何なりに報告させてもらいますよ」
「シバケンまで! あたしは何もされてないってば!」
「いや、でも……男の先生がこんな所で女学生と二人きりになることから、まずおかしい」
「そうかもしんないけど……」
常識人・シバケンまでタマサイドについてしまったら、先生の無罪は証明できないではないか(……いや、もしかしたら未遂ではあるのかもしれないけど)。どうしても引っかかるのだ、先生のあの時の顔。何で、悲しそうな顔をしていたのか。だから、話ぐらいは、聞きたい。
「もお~、あんたたちいないと行く意味ないじゃん!」
「やっほー、菜月ちゃん。来たよー」
すると、また空気の読めない声が医務室に響いた。おそらくあたしたちを迎えにきたのであろうユウと、その途中でユウと合流したであろうマトさんの声だ。無遠慮に医務室に入ってきた二人は、あたしたちの状況を見るなりきょとんとした。
「……君たち、どうしたの?」
「どうもこうも、こいつが菜月を襲おうとして……」
「え?」
先生を指差しながら説明するタマに、マトさんはますます頭に疑問符を浮かべた。
「あなた、そういう趣味?」
「ちょっと、マトさん?」
マトさんは、ぼうっと立っている先生に向かって尋ねた。っていうか、“そういう趣味”とか言われてしまうと、仮にも手を出されそうになったあたしが地味に傷つくんですけど……! 自分はストライクゾーン無限大な癖して、その言い草は何!? すると、マトさんが先生のことをまじまじと見る。上から下まで舐め回すように眺めたあと、先生に向かってにこりと笑った。
「もったいないなあ、こんなに素敵な女性なのに。どうせだったら、僕とセックスしませんか?」
「「「……え?」」」
「え?」
あたしとタマとシバケンの声が重なる。あたしたちの疑問符の意味が分からないと言ったふうにマトさんがさらに首を傾げる。でも、何より一番驚いた顔をしていたのは、狐塚先生本人だった。動揺しているのか、言葉も出ない先生は、マトさんのことを見ながら小さく震えている。
「マトさん……何言って?」
「そうだよ、こいつのどこが──」
タマが言い終わる前に、先生はふらふらとマトさんの前に歩みだした。すると、勢いよくマトさんの両肩を掴む。そりゃ怒る。いくら綺麗だからって、女の人に間違えられたら。あたしだって、人に男に間違えられたら、むかつく──。
「何でわかった!? 私が女だと!!」
「「「……ええええええ!?」」」
そうして、あたしたちは今日一番の雄叫びをあげることとなったのだった。
* * *
「こんにちは。いつかは、うちのアホがお世話になりました」
そう言って頭を下げると、頭上からクスリと笑った声が聞こえた。
「今日は私しかいないんだ。とりあえず、そこの名簿に記入をしてくれるかな」
「あ、はい」
さすがに二回目ともなると迷わずさらさらと書くことが出来る。あたしが書き終わるのを待ってから、先生は「中にどうぞ」とにこりと笑った。ううん、やっぱり紳士。先生にエスコートされながら中に入ると、この間はタマが座っていた丸椅子に案内された。
「ええと。今日は、あいつが包帯の留め具をなくしちゃたので、新しいのをいただけたらと思って」
「ああ、そう言うこと。ふふっ、やっぱりやんちゃな彼なんだね」
そう言いながら、先生は棚を物色し始めた。おそらくは、そこにいろいろな用具があるのだろう。特にすることもないので、先生が棚をあさっている間、先生に話しかける。
「先生は、今日は模擬店回ったりしないんですか?」
「そうだな、行きたいとは思うけど……菜月さんの所は、何をやっているのかな?」
──え、何で、名前……。
いきなりだったからびっくりしたけど、そうか、さっき名簿見たからか。さらっと下の名前を呼んじゃうあたり、すごいわ。
「あたしの所は、妖怪喫茶です。712の教室でやってるので、お時間があればぜひ」
「へえ、面白そうだね。ぜひ行きたいな」
社交辞令ではなさそうな声音と表情だった。本当にそう思っているんだな、と思わせる。タマはあんなことを言っていたけど、やっぱりこの先生に裏があるなんて思えない。
「それで菜月さんは、そんなにかわいらしい格好をしているんだね」
「や、かわいくなんてないです、こんなの」
これは謙遜などではない。本心だ。猫=かわいいみたいなイメージが世間に蔓延しているけど、あたしにとって猫なんてただのアレルゲンである。よって、この格好にかわいさなんてみじんも感じない。勿論、あたしの考えなんて他人がわかるわけもないし、先生は謙遜だと受け取ったようだった。クスリと柔らかい笑みを浮かべたあと、こちらに向き直った。
「かわいいよ。とっても」
「え、と」
かわいい、なんて言われ慣れてない。タマはあんな調子だし(猫に向かってはさんざん言う癖して、あたしには滅多に「か」の字も出てこない)、そもそもルックスだってずば抜けていいわけじゃないし。なんだか先生はこの間からそう言ってくれるけど、あたしにとってそれは殺し文句でしかない。なんだか照れてしまって返答に困ってしまう。
「これは、化け猫ちゃんかな? ふふ、かわいいヒゲだね」
「え、あの」
──先生、か、顔、近くないですか?
なんて、声に出す余裕はもはやない。水性ペンで頬に書かれたヒゲを親指でなぞられ、どぎまぎしてしまう。ああ……なんかとてつもなくいいにおいするし! あたしの頬から離れた右手は、あたしの目前で狐の形になった。コンコン、と鳴き出すかのように、指と指とが上下する。
「菜月さん、知ってるかい?」
「な、何をですか?」
先生の作った狐くんは、しばらく口をぱくぱくさせたあと──あたしの唇に、噛み付いた。
「!?」
「狐ってね、ああ見えて食肉目なんだよ。木の実とか食べてそうなのにね」
あたしは依然として唇に噛み付かれているので、声が出せない。先生は相変わらずにこやかで、前に見たいたずらっぽい笑みを浮かべている。
「雑食だから、何でも食べちゃうそうだよ。人のものでも、何でも」
「……っ!」
──人のものでも、何でも。
そう言った先生の声は、いつもの穏やかなものではなかった。何か黒いものを秘めている、そんな声。先生の目が、鋭く光った気がした。笑っている。笑っているのに、だ。背筋が凍るような、そんな感じがした。
“あんなやつ、ぜってー裏があるに決まってんだよ”
タマの言葉がよみがえる。ああ、あの時は馬鹿にしたけど、タマの勘って侮れない。これが、先生の、『裏』の顔──? こんな感じの状況には、覚えがある。そう、あれはマトさんに襲われかけた時。あの時は、ボスが介入してきたからなんとか助かったけど、今は。狐くんの束縛から解放され、あたしはようやく声が出せるようになる。ここで、叫んで逃げてもいい──というか、その方がいいんだろうけど、恐怖よりも疑問の方が勝って、あたしは逃げ出さずに先生に尋ねてしまった。
「なん、で、そんなこと」
「え?」
「先生、モテそうだし。大人だし、あたし、ここの学生だし。こんなことして、メリットなんて1つもない。先生だって、そんなことくらいわかるはずです。なのになんで……」
「……なんで、か」
あたしの問いに、先生は力なく笑った。その顔が、なんだかとても悲しげで、あたしはどきりとする。先生がこんなことをしようとしたことには、欲求とかそんな簡単なことじゃない、理由がある……?
「……教えてあげようか?」
「え……」
先生はそう言うや否や、白衣の下に着ている真っ白なシャツのボタンを1つずつ外していく。
「えっ、ちょ、先生!?」
あたしは動揺して、その手を止めようとした。
「いやいやいや! あたし、タマにしかそう言うの許しませんし! 落ち着きましょう!?」
「──……きみは、」
先生が何かを言いかけたその時──
「菜月ぃぃぃぃぃぃ!!」
「……タマ!?」
医務室の扉が、勢いよく開かれた。その声の主、タマはあたりを見渡し、部屋の奥のあたしと先生を見つけた。……服を脱ぎかけた、先生を。タマの目が見開かれる。怒りのあまりに、血管が浮き出たのがここからでもわかる。ああ、まずい! この状況は、なんと言うか、デジャヴ!
「戻ってこねえから来てみれば……てめえ、オレ様の女に何しようとした? 死ぬ覚悟できてんだろうなァ?」
「待ってストップストップ! あたし何もされてないし! そもそもあんた怪我してんのに無茶言わないでよ!?」
そしてまたデジャヴのように、開け放たれた扉からシバケンが顔を出す。シバケンも、中の様子を見て、少しだけ動揺を見せた。まあ、そりゃそうだ。誰もいない医務室で、先生が服脱ぎかけでいるんだもの。怪しまない要素がない。まじめなシバケンは、訝しげに眉をひそめたあと、先生に向き直る。
「状況がよく掴めないんですけど、俺が思っている通りなら、窓口なり何なりに報告させてもらいますよ」
「シバケンまで! あたしは何もされてないってば!」
「いや、でも……男の先生がこんな所で女学生と二人きりになることから、まずおかしい」
「そうかもしんないけど……」
常識人・シバケンまでタマサイドについてしまったら、先生の無罪は証明できないではないか(……いや、もしかしたら未遂ではあるのかもしれないけど)。どうしても引っかかるのだ、先生のあの時の顔。何で、悲しそうな顔をしていたのか。だから、話ぐらいは、聞きたい。
「もお~、あんたたちいないと行く意味ないじゃん!」
「やっほー、菜月ちゃん。来たよー」
すると、また空気の読めない声が医務室に響いた。おそらくあたしたちを迎えにきたのであろうユウと、その途中でユウと合流したであろうマトさんの声だ。無遠慮に医務室に入ってきた二人は、あたしたちの状況を見るなりきょとんとした。
「……君たち、どうしたの?」
「どうもこうも、こいつが菜月を襲おうとして……」
「え?」
先生を指差しながら説明するタマに、マトさんはますます頭に疑問符を浮かべた。
「あなた、そういう趣味?」
「ちょっと、マトさん?」
マトさんは、ぼうっと立っている先生に向かって尋ねた。っていうか、“そういう趣味”とか言われてしまうと、仮にも手を出されそうになったあたしが地味に傷つくんですけど……! 自分はストライクゾーン無限大な癖して、その言い草は何!? すると、マトさんが先生のことをまじまじと見る。上から下まで舐め回すように眺めたあと、先生に向かってにこりと笑った。
「もったいないなあ、こんなに素敵な女性なのに。どうせだったら、僕とセックスしませんか?」
「「「……え?」」」
「え?」
あたしとタマとシバケンの声が重なる。あたしたちの疑問符の意味が分からないと言ったふうにマトさんがさらに首を傾げる。でも、何より一番驚いた顔をしていたのは、狐塚先生本人だった。動揺しているのか、言葉も出ない先生は、マトさんのことを見ながら小さく震えている。
「マトさん……何言って?」
「そうだよ、こいつのどこが──」
タマが言い終わる前に、先生はふらふらとマトさんの前に歩みだした。すると、勢いよくマトさんの両肩を掴む。そりゃ怒る。いくら綺麗だからって、女の人に間違えられたら。あたしだって、人に男に間違えられたら、むかつく──。
「何でわかった!? 私が女だと!!」
「「「……ええええええ!?」」」
そうして、あたしたちは今日一番の雄叫びをあげることとなったのだった。
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