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続編
04 宝条さんは考えました
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締め作業をしていると、向こうの方からおずおずと店に向かってくる人影に気がついた。だいたい見当はついているその人物にそっと声をかける。
「待ってたよ、工藤さん」
着替えや荷物は店にある。いずれは取りに戻ってくると思っていたが、閉店後になるとは思わなかった。
「……あの、ごめんなさい」
「何がだ?」
「戻ってくるの、遅くなって……」
「気にしていないよ。裏に君の荷物と着替えがあるから、行っておいで」
工藤さんはぺこりと頭を下げ、バックヤードへと小走りで向かった。衣装にはないマントを着ていることに気づいて、そう言えば萩原くんがマントをしていなかったなと思い至る。
どうせ店には僕しかいない。鍵も僕が持っているから、多少は遅くなっても問題はない。外は寒かっただろうし、工藤さんにホットチョコレートでも作ってやろう。ついでに自分の分も。厨房に戻って牛乳を温め始める。
細かくチョコを刻み、牛乳が煮立ったころに鍋に入れて溶かす。甘い匂いが辺りに立ち込めると、バックヤードから出てきた工藤さんから声がかけられた。
「……あの、」
「着替えは終わったか?」
「はい……あの、お店、終わりじゃ」
「寒いからホットチョコレートでも飲もうと思って。君の分もある」
「そんな、悪いです」
「バイトを引き受けてくれたお礼だ」
バイトを引き合いに出したからか、工藤さんはそれ以上断れなかったようで、その場でドアにもたれた。
マグカップがないので、紙コップ二つにホットチョコレートを注ぐ。「熱いぞ」と一言添えながら工藤さんに手渡すと、彼女はこくりと頷いた。
「……美味しい」
「隠し味にバニラエッセンスとシナモンを入れてるんだ」
「へぇ……」
ふぅふぅと息を吹きかける姿が小動物のようだ、と思う。僕が人より身長が高いから余計にそう見えるのかもしれない。
「……優しいですね、宝条さん。本当に、あのカボチャさんなんですね……」
工藤さんが独り言のように呟いた。答えあぐねていると、また話し始める。
「あの時、本当に嬉しかったんです。転んだところを助けていただいて、お菓子ももらって。とってもドキドキしたんです」
「……」
「連絡先を渡したり、デートをしたり。あんなにドキドキしたことは初めてで、とっても楽しかった」
僕もだ、と声が出かけて止めた。彼女はそれを望んでいない気がした。
「……なのに、先輩ってば、それは恋じゃないと言ったんです。あんなに毎日が楽しくて、幸せで、ドキドキしたのに」
少しいじけているように尖らせた唇が、ちびちびとホットチョコレートを啜る。
「先輩、きっと意地悪で言ってるんですよ。いっつもそうなんです。アホとかバカとか平気で言ってくるし、私のこと1人じゃ何もできないって思ってるから、だからあんな風に言ってるんです」
「……」
「あれが恋じゃなかったなら、恋ってなんなんですか? 見ていた宝条さんなら、わかりますか? 私はカボチャさんに、“恋”をしていましたか?」
自分の分のホットチョコレートを啜った後、コトリ、とカップを置いて、工藤さんに向き直る。
「君は、あの頃と変わらないな」
「……え?」
「いや、なんでもないよ」
毎日が楽しくて、ドキドキして、幸せで、と言った彼女の言葉はきっと間違いではないのだろう。あの頃、確かに彼女の笑顔は輝いていた。僕──彼女がカボチャさんと呼ぶ方の──を見る彼女の瞳は何かに恋い焦がれる色をして、僕と話す彼女の声は弾んでいた。会話の内容が萩原くんのことでなければ、もっとよかったと思えるくらいには。
「恋をすると、人はわがままになると思う」
「わがままに……?」
「相手に対して、求めることが多くなると思う」
「それって、どういうことですか?」
「例えば……会いたいとか、相手のことを知りたいと思ったり。自分のことを知ってほしい、振り向いてほしい、自分の気持ちを理解してほしい、と思ったり」
「……」
彼女は、考え込むようにして俯いた。手のひらの紙コップを掴む力がかすかに強くなる。
“正体バラして、どうするつもりだったんですか”
彼女の言葉で、萩原くんの言葉が頭をよぎる。彼にはあんなことを言ったが、手の内なんか元々ない。僕はただ彼女に知ってほしかったのだ。本当のことを知って、少しでも僕のことで頭がいっぱいになればいいと。今日したカミングアウトは、彼女に恋した僕のわがままだ。
「工藤さん。僕は君に恋をしている。君が僕をカボチャのお化けだと思っていた頃から、ずっと」
「え──」
驚きからか手の力を緩めた工藤さんの手から、紙コップが滑り落ちる。中身がまだ入っていたそれは、床にたどり着いた瞬間にホットチョコレートをぶちまけた。
「あっ。ご、ごめんなさい! ごめんなさい! すみません!」
工藤さんはしゃがみこみ、謝罪の言葉を連呼しながら転がった紙コップを拾い上げようとする。僕は同じくしゃがみこんでその手を掴んで止めた。
「謝らないで欲しい。別の意味に聞こえる」
「ご、ごめんなさ……あ、で、でも、これ、こぼして」
「僕が片付けておくから、もう帰れ」
「……でも、」
「さっきの言葉に対する返事はいらない。知っていてくれればいい。……これも、僕のわがままだ」
「……っ、」
彼女を見つめた。息を詰めた彼女は、僕と目を合わさないまますくりと立ち上がり、パタパタと厨房を後にする。彼女が去っていくのを見守った後、床を拭こうと使い捨てのダスターを持ち出した。こうして床を拭いていると、思わずため息が漏れる。
僕に対して、あの頃も今も、彼女は愚直なほど素直だ。まずはわがままを聞けるくらいには距離を縮めなければいけないと、1人の厨房で考えた。
* * *
「待ってたよ、工藤さん」
着替えや荷物は店にある。いずれは取りに戻ってくると思っていたが、閉店後になるとは思わなかった。
「……あの、ごめんなさい」
「何がだ?」
「戻ってくるの、遅くなって……」
「気にしていないよ。裏に君の荷物と着替えがあるから、行っておいで」
工藤さんはぺこりと頭を下げ、バックヤードへと小走りで向かった。衣装にはないマントを着ていることに気づいて、そう言えば萩原くんがマントをしていなかったなと思い至る。
どうせ店には僕しかいない。鍵も僕が持っているから、多少は遅くなっても問題はない。外は寒かっただろうし、工藤さんにホットチョコレートでも作ってやろう。ついでに自分の分も。厨房に戻って牛乳を温め始める。
細かくチョコを刻み、牛乳が煮立ったころに鍋に入れて溶かす。甘い匂いが辺りに立ち込めると、バックヤードから出てきた工藤さんから声がかけられた。
「……あの、」
「着替えは終わったか?」
「はい……あの、お店、終わりじゃ」
「寒いからホットチョコレートでも飲もうと思って。君の分もある」
「そんな、悪いです」
「バイトを引き受けてくれたお礼だ」
バイトを引き合いに出したからか、工藤さんはそれ以上断れなかったようで、その場でドアにもたれた。
マグカップがないので、紙コップ二つにホットチョコレートを注ぐ。「熱いぞ」と一言添えながら工藤さんに手渡すと、彼女はこくりと頷いた。
「……美味しい」
「隠し味にバニラエッセンスとシナモンを入れてるんだ」
「へぇ……」
ふぅふぅと息を吹きかける姿が小動物のようだ、と思う。僕が人より身長が高いから余計にそう見えるのかもしれない。
「……優しいですね、宝条さん。本当に、あのカボチャさんなんですね……」
工藤さんが独り言のように呟いた。答えあぐねていると、また話し始める。
「あの時、本当に嬉しかったんです。転んだところを助けていただいて、お菓子ももらって。とってもドキドキしたんです」
「……」
「連絡先を渡したり、デートをしたり。あんなにドキドキしたことは初めてで、とっても楽しかった」
僕もだ、と声が出かけて止めた。彼女はそれを望んでいない気がした。
「……なのに、先輩ってば、それは恋じゃないと言ったんです。あんなに毎日が楽しくて、幸せで、ドキドキしたのに」
少しいじけているように尖らせた唇が、ちびちびとホットチョコレートを啜る。
「先輩、きっと意地悪で言ってるんですよ。いっつもそうなんです。アホとかバカとか平気で言ってくるし、私のこと1人じゃ何もできないって思ってるから、だからあんな風に言ってるんです」
「……」
「あれが恋じゃなかったなら、恋ってなんなんですか? 見ていた宝条さんなら、わかりますか? 私はカボチャさんに、“恋”をしていましたか?」
自分の分のホットチョコレートを啜った後、コトリ、とカップを置いて、工藤さんに向き直る。
「君は、あの頃と変わらないな」
「……え?」
「いや、なんでもないよ」
毎日が楽しくて、ドキドキして、幸せで、と言った彼女の言葉はきっと間違いではないのだろう。あの頃、確かに彼女の笑顔は輝いていた。僕──彼女がカボチャさんと呼ぶ方の──を見る彼女の瞳は何かに恋い焦がれる色をして、僕と話す彼女の声は弾んでいた。会話の内容が萩原くんのことでなければ、もっとよかったと思えるくらいには。
「恋をすると、人はわがままになると思う」
「わがままに……?」
「相手に対して、求めることが多くなると思う」
「それって、どういうことですか?」
「例えば……会いたいとか、相手のことを知りたいと思ったり。自分のことを知ってほしい、振り向いてほしい、自分の気持ちを理解してほしい、と思ったり」
「……」
彼女は、考え込むようにして俯いた。手のひらの紙コップを掴む力がかすかに強くなる。
“正体バラして、どうするつもりだったんですか”
彼女の言葉で、萩原くんの言葉が頭をよぎる。彼にはあんなことを言ったが、手の内なんか元々ない。僕はただ彼女に知ってほしかったのだ。本当のことを知って、少しでも僕のことで頭がいっぱいになればいいと。今日したカミングアウトは、彼女に恋した僕のわがままだ。
「工藤さん。僕は君に恋をしている。君が僕をカボチャのお化けだと思っていた頃から、ずっと」
「え──」
驚きからか手の力を緩めた工藤さんの手から、紙コップが滑り落ちる。中身がまだ入っていたそれは、床にたどり着いた瞬間にホットチョコレートをぶちまけた。
「あっ。ご、ごめんなさい! ごめんなさい! すみません!」
工藤さんはしゃがみこみ、謝罪の言葉を連呼しながら転がった紙コップを拾い上げようとする。僕は同じくしゃがみこんでその手を掴んで止めた。
「謝らないで欲しい。別の意味に聞こえる」
「ご、ごめんなさ……あ、で、でも、これ、こぼして」
「僕が片付けておくから、もう帰れ」
「……でも、」
「さっきの言葉に対する返事はいらない。知っていてくれればいい。……これも、僕のわがままだ」
「……っ、」
彼女を見つめた。息を詰めた彼女は、僕と目を合わさないまますくりと立ち上がり、パタパタと厨房を後にする。彼女が去っていくのを見守った後、床を拭こうと使い捨てのダスターを持ち出した。こうして床を拭いていると、思わずため息が漏れる。
僕に対して、あの頃も今も、彼女は愚直なほど素直だ。まずはわがままを聞けるくらいには距離を縮めなければいけないと、1人の厨房で考えた。
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