ヒトガタの命

天乃 彗

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名前のない人形

01

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 人形の老人と会話してから、どれくらい経ったのだろう。何度も朝と夜が交互にくるのを見届けながら、サラは街をさまよい歩いていた。
 何日かは、空腹は水を飲んでごまかしていた。しかし、さすがに体が動かなくなってきたため、ゴミを漁って食べ物を探すことを覚えた。そうしないと、生きられないと思ったのだ。
 でも、こうしてやっと命をつないでも、これからどうすればいいのか彼女には分からなかった。
 記憶もない。お金もない。あてもない。
 今できることといえば、フラフラと街を歩いて、記憶を取り戻す手がかりを探すことだけだった。

 レンガ造りを基調とした建物が連なるこの街は、一見温かみがあるように見える。しかし、ここの街の人々はみんなサラに対して冷たかった。大通りを歩く人々は誰もが綺麗な服に身を包み、大股で闊歩していた。
 しかし裏通りを覗けば、汚い服で家もなく、ただただ空腹を満たそうと必死なサラのような人たちが何人もいるのだった。貧富の差が激しい街だということは、街を見てすぐに気が付いた。そして、富がある人にとって、自分がどんなに汚くていやらしい人間に見えるのかということにも。

 サラは誰にも頼ることができず、とにかく今は朝から何も食べていない空腹を満たそうと、食べ物を探し始めた。


 * * *


 パンのいい匂いに釣られて、足を止めた。横を見ると、パン屋の主人が新しく焼いたパンをケースに並べているところだった。

──美味しそう……。

 しかし、今の自分に出来たてのパンなど買えるわけがない。それに、以前肉屋の前をフラフラと歩いていたときに、店の主人がサラの姿を見るなり怒鳴り散らしてきたことがあった。サラはそれ以来、食べ物屋の近くを通らないようにしていた。

──でも、本当にいい匂い……。

 パンの匂いが鼻先から空腹の胃袋を刺激する。ちゃんとした食事は、もうしばらくできていない。せめて匂いだけでもと、物陰からパン屋を眺めていた。

──あ……。

 すると、パン屋の主人がゴミ袋を持ちだして、前から並んでいたパンを袋に詰め始めた。古くなって売れなくなったものを処分するのだろう。サラは生唾をゴクリと飲み込んだ。
 もしかしたら、パンが食べられるかもしれない。ここのすぐ近くに、ゴミ捨て場があったはずだ。今から捨てるのなら、そこへ行けば……──。
 サラは待ちきれず、急いでゴミ捨て場に向かった。見つかると、騒がれて迷惑なのが想像できる。サラは隠れてパン屋の姿を待った。
 しばらくすると、パン屋の奥さんと思しき人が片手に袋を提げてやってきた。何か他のものと一緒にされてしまったのか、真っ黒なビニール袋だったが、間違いない。サラは奥さんがごみを捨てて去っていくのを見送った後、さっきの袋の口を開いた。
 小さな袋に入ったパンが四個。サラはその一つに夢中で噛りついた。

──美味しい。美味しいっ……! 

 久々の食べ物に、涙が出そうだった。売れなくなったものとはいえ、充分食べられる。こんなものを捨ててしまえる余裕が嫉ましかった。

「──……して」
「え……?」

 食べている途中、どこからか聞こえる小さな声に気がついた。さっきのパン屋に気付かれたのかと警戒したが、辺りには人はいなかった。気のせいだと考え直し、また食べ始めると、また声が聞こえた。さっきよりも大きく、はっきりと。

「──出し、て。ここから、出して……」

 小さな少女のような声だった。今にも泣きだしそうな、擦れた声。でも、それらしい姿は見つからない。
 サラは恐る恐る声を出した。

「誰かいるの……? どこにいるの……?」

 聞いてみたが、返事はない。やはり気のせいだったと思ったその時、さっきと違う言葉が聞こえてきた。

「……あたしの声が、聞こえるの……?」

 とても小さな声だった。不安げな、小さな声。でも、サラには確かに聞こえた。

「ええ、聞こえる。あなたは……どこにいるの?」

 サラはキョロキョロと声の主を探す。女の子どころか、人一人いない。声は、困ったように言った。

「分からないの。真っ暗で、何も見えないの。とても嫌な臭いがして、怖いの。だからお願い、ここから出して……」

 そう言うと、声の主はすすり泣きを始めた。さっきの擦れた声を聞くに、ずっと泣いていたのだろう。

──助けてあげたい。

 素直にそう思った。でも、どこを探せばいいのかわからない。

──真っ暗で、嫌な臭い……? 

 サラは、自分の目の前の物を見てハッとした。真っ黒なゴミ袋の山。少し漂う異臭。

──この中に、いる……。

 このゴミ袋の中から探しだすのは大変かと思ったが、声の主がずっと泣いていたため、もとを辿ればすぐに見つかった。サラは声が聞こえる袋をほどき、中を探った。

「……やっぱり」

 サラはゴミの中からそれを引っ張りだした。
 生ゴミの中から出てきたのは、かわいらしい人型のぬいぐるみ。

──声の主は、やっぱり人形だったんだわ。

 サラは指で人形についたゴミを拭う。黄色の紐でできた髪の毛は、三つ編みにされて真っ赤なリボンが付けられていた。大きな瞳はとてもかわいらしく、口元はにっこりと笑っている。赤いチェックのシャツの上にデニム素材のワンピースを着ている。おそらく、元はカウボーイハットをかぶっていたのだろう。牧場にいそうな、女の子のデザインである。
 しかし、そんなお洒落な服は、肩の部分が破れてボロボロだった。捨てられた場所が悪かったため、人形はひどく汚れていた。
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