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テディベア
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「あの……ここは……?」
埃の匂いに咳をするのを我慢しながら、サラは尋ねた。女性は、乱雑に置かれたものの中から比較的綺麗な椅子を取り出すと、奥のカウンターの傍に置いた。
手招きをされた。どうやらサラ用の椅子らしい。サラはものとものの間を縫うようにして歩くと、椅子に腰掛けた。
「私が趣味でやってるアンティークショップよ。中のものは全部売り物」
「……そう、なんですか」
さっき女性がものの山からこの椅子を取り出していたことを思い出し、サラは慌てて少しだけ腰を浮かせた。
「自己紹介がまだだったわね。私はダフネ・オドラ。この店の店主よ。あなたは?」
「私は、サラです……」
「へぇ、サラというの」
ダフネはさほど興味が無さそうに呟いた。それはそうだろう。見たところ、彼女はおしゃべりが大好きなおばさんだ。今まで一人でいる間にたまっていたものを吐き出すために、ちょうど聞き役に抜擢されたのがサラなのだろう。サラはとりあえず聞いていようと、じっとダフネを眺めていた。
「私ねぇ、昔からアンティーク集めが趣味だったのだけれど、10年前に、父を亡くしてね。父が残した遺産を元手にこの店を出したの」
「そうなんですか……」
「ここにあるもの、なかなかのものばかりでしょう? みんなそれなりの値段するんだから」
ダフネはニコニコと話し続ける。店内を見渡してみるが、サラにはどれがどのような価値を持つのかまったく分からなかった。これは、やはりサラがまだ子供だからなのだろうか。
そう言えば。サラはふと、さっきのくまおの言葉を思い出した。
『まぁ……かと言って大人も嫌いだけどな。奴らは自分の物差しで価値を勝手に決めやがる』
これは、一体どういう意味だったのか。ダフネはさっき、くまおは高くつくとも言っていたが。
「あの……と言うことは、あのくまさんもすごく高いんですか……?」
サラはくまおのいるほうを指差した。ダフネは、あぁ、フィラデルフスのことね、と笑った。
「あの子はもともと、父が私の5歳の誕生日にプレゼントしてくれたものなんだけれどね。あなた、グランディ・フロルスって知ってる?」
「……いえ」
くまおの名前では無いのだろうか。サラは首を傾げてダフネの言葉を待つ。
「そうか、あなたはまだ若いものね……。彼は、有名な、テディベアデザイナーよ。フィラデルフスは、彼がデザインしたものなの」
「そうなんですか……」
なるほど、有名なデザイナーが作ったテディベアだから、高いのか。サラは納得して、小さく頷いた。しかし、ダフネはさらに言葉をつなげた。
「それだけじゃないわ。彼はね、このフィラデルフスと同じデザインのテディベアを何体か作ったあと、急病で亡くなったの。あのテディベアは、彼の最後の作品となったのよ」
世界に数体しかない、グランディ・フロルスの最後の作品。だからあのケースにしまわれているのか。サラはやっと理解して、くまおのいるほうをちらりと見た。
「私もね、彼が亡くなるまではフィラデルフスと遊んだりしたんだけど。彼の訃報を聞いた父が、『なるべく綺麗に保存しとけ』なんて言うもんだから、納得できないままフィラデルフスで遊ばなくなったの。でも、父の読みは大当たりね。今じゃあの子が、この店で一番高値なのよ」
──あ……。
サラは悟った。くまおが『子供は嫌いだ』と言った意味。ダフネに『飽きられた』から、彼は。
──『昔はあんなに可愛がってくれたのに』。
誰の言葉だか分からない声が、サラの頭に響いた。
「このお店を出すときに、納屋を整理してたらこの子を見つけて。そう言えばと思って調べたら、すごい値段になっているのね。まぁ、もっとも、高額すぎてまだ買い手はつかないんだけれど」
ダフネはクスリと笑った。その笑顔が、見れない。くまおが今、どんな気持ちで一人、あそこに座っているのかを考えたら、ダフネを見ることが出来なかった。
「……昔、みたいに」
やっとのことで、声を絞りだす。服の裾を、震える手でギュッと掴んだ。
「あの子に……あのくまさんに、触れようとは、思いませんか?」
それは、希望に近い問いだった。
お願いだから。お願いだから、私が、くまおが望む答えを。
サラの思いも虚しく、ダフネは小さく鼻で笑った。
「──まさか。あの子は、大切な売り物よ。触れて価値が下がったら大変じゃない」
サラは、拳にこめていた力を緩めた。
──何を、期待していたんだろう。
もう10年も、彼はあそこに一人でいたのだ。それなのに。
「そう……ですよね。ごめんなさい」
サラは俯いたまま立ち上がった。
「そろそろ、行きます。お話を聞かせてくれて、ありがとうございました」
頭を下げると、サラは逃げるように店を出た。ダフネは声を掛けてこなかった。
入り口を出た瞬間、渋い声が響く。
「ったく……聞こえてるってんだよ、バカ娘」
「……くまお、さん」
「何でおめぇが泣きそうなんでぇ」
「……わからない、けど、あなたの気持ちを、考えたら」
酷く胸が傷んだ。まるで自分のことのように。
──自分のことの、ように?
少し違和感を感じて、目を見開いた。くまおはまた自嘲ぎみに笑うと、小さく呟いた。
「……笑えるだろう。この歳で、また昔みてぇにしてもらえるのを、心のどっかで、期待しちまうんだ……」
ドクン。心臓が痛いくらいに音を立てた。頭の痛みが、サラの意識を朦朧とさせた──。
* * *
サラは昔の写真を見つめていた。幼い頃の自分が、笑顔で映っている。心から幸せそうな、そんな笑顔だ。
『サラ、サラ。あなたは私たちの宝物よ』
優しい声が、頭をよぎる。遠い遠い、昔の記憶である。
──いつから、だろう。
昔のように、愛情をくれなくなったのは。敬語を使われるようになったのは。
『いいですか? あなたは……家の娘なのですよ? 自覚と誇りを持って生活なさい』
教育的になったのは。厳しくなったのは。……触れてくれなくなったのは。笑ってくれなくなったのは。
サラは昔の写真をすべて持ち出して、火を点けた。笑顔の自分が、燃えていく。それを見ていると、何だか涙が溢れた。
『サラ』
本当は、こんなことは何の意味も無いことをわかっている。名前を呼ばれるたびに、期待してしまう。また昔みたいに、自分に愛情をくれることを。
* * *
「おい……お前、大丈夫か?」
遠退いていた意識が戻ってくると、くまおの声がした。何だかんだで優しいおじさんらしい。
「……大丈夫、ありがとう」
──自分のことのように、ではなかった。
自分だったのだ。何度諦めても、捨てきれなかった希望を持っていたのは。
「……くまおさん」
「何でぇ」
「ありがとうね」
「はぁ?」
もしこのガラスが無かったら、彼をひとしきり撫でていただろう。それが出来なくて、サラは苦笑した。
「もし買い手が決まったら、可愛がってもらえるといいね」
「……へん、何を言ってんだか」
くまおは冷たく言ったが、サラにはそれが照れ隠しに見えた。
人が嫌いかと問われて、「さぁな」と答えた。それはつまり、嫌いだと思っても、やはりどこかで好いていてくれてることの表れだと思った。サラは、彼が人を嫌いにならないでくれたことが嬉しかった。
「……ねぇくまおさん。この辺で、人形がある所を知らない?」
「おめぇなぁ、俺は10年もここにいるんだぜ? 分かるわけがねぇだろうよ」
「ご、ごめんなさい」
それもそうだ。うっかり失言してしまって、慌てて口を塞いだ。
仕方がない。次の人形も自分で探そう──そう思ったとき、くまおが何かを思い出したように「あ、」と言った。
「40年くらい前になるけどよ。俺が売られてた店の斜め前が、ケーキ屋だかレストランだかだった。そこに、やたらでけぇ人形があったっけな」
「それ、どの辺?」
「ここをずーっと南に行った所だ。まぁ、今もあるかは知らねぇが」
40年くらい前……確かにくまおの言うとおり、今もあるかは定かではないが、あてもなく彷徨うよりはいい。とにかく行くだけ行ってみようと思った。
「じゃあ、私、行くね」
「あぁ、気を付けろよ」
「……元気で」
サラはくまおに小さく手を振ると、南に向かって歩きだした。日はすっかり傾き始めていた。
彼はずっと人の愛情を、ぬくもりを求めている。彼は『この歳で』なんて言っていたが、それは決しておかしいことではない。誰もがみんな──それこそ、人だって、人形だって、いくつになっても同じように思っている。
今はまだ、誰からも相手にされないサラであるが、もし叶うのならば、自分だって人のぬくもりを感じたい。記憶を無くしてから、初めてそう思った。
埃の匂いに咳をするのを我慢しながら、サラは尋ねた。女性は、乱雑に置かれたものの中から比較的綺麗な椅子を取り出すと、奥のカウンターの傍に置いた。
手招きをされた。どうやらサラ用の椅子らしい。サラはものとものの間を縫うようにして歩くと、椅子に腰掛けた。
「私が趣味でやってるアンティークショップよ。中のものは全部売り物」
「……そう、なんですか」
さっき女性がものの山からこの椅子を取り出していたことを思い出し、サラは慌てて少しだけ腰を浮かせた。
「自己紹介がまだだったわね。私はダフネ・オドラ。この店の店主よ。あなたは?」
「私は、サラです……」
「へぇ、サラというの」
ダフネはさほど興味が無さそうに呟いた。それはそうだろう。見たところ、彼女はおしゃべりが大好きなおばさんだ。今まで一人でいる間にたまっていたものを吐き出すために、ちょうど聞き役に抜擢されたのがサラなのだろう。サラはとりあえず聞いていようと、じっとダフネを眺めていた。
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「そうなんですか……」
「ここにあるもの、なかなかのものばかりでしょう? みんなそれなりの値段するんだから」
ダフネはニコニコと話し続ける。店内を見渡してみるが、サラにはどれがどのような価値を持つのかまったく分からなかった。これは、やはりサラがまだ子供だからなのだろうか。
そう言えば。サラはふと、さっきのくまおの言葉を思い出した。
『まぁ……かと言って大人も嫌いだけどな。奴らは自分の物差しで価値を勝手に決めやがる』
これは、一体どういう意味だったのか。ダフネはさっき、くまおは高くつくとも言っていたが。
「あの……と言うことは、あのくまさんもすごく高いんですか……?」
サラはくまおのいるほうを指差した。ダフネは、あぁ、フィラデルフスのことね、と笑った。
「あの子はもともと、父が私の5歳の誕生日にプレゼントしてくれたものなんだけれどね。あなた、グランディ・フロルスって知ってる?」
「……いえ」
くまおの名前では無いのだろうか。サラは首を傾げてダフネの言葉を待つ。
「そうか、あなたはまだ若いものね……。彼は、有名な、テディベアデザイナーよ。フィラデルフスは、彼がデザインしたものなの」
「そうなんですか……」
なるほど、有名なデザイナーが作ったテディベアだから、高いのか。サラは納得して、小さく頷いた。しかし、ダフネはさらに言葉をつなげた。
「それだけじゃないわ。彼はね、このフィラデルフスと同じデザインのテディベアを何体か作ったあと、急病で亡くなったの。あのテディベアは、彼の最後の作品となったのよ」
世界に数体しかない、グランディ・フロルスの最後の作品。だからあのケースにしまわれているのか。サラはやっと理解して、くまおのいるほうをちらりと見た。
「私もね、彼が亡くなるまではフィラデルフスと遊んだりしたんだけど。彼の訃報を聞いた父が、『なるべく綺麗に保存しとけ』なんて言うもんだから、納得できないままフィラデルフスで遊ばなくなったの。でも、父の読みは大当たりね。今じゃあの子が、この店で一番高値なのよ」
──あ……。
サラは悟った。くまおが『子供は嫌いだ』と言った意味。ダフネに『飽きられた』から、彼は。
──『昔はあんなに可愛がってくれたのに』。
誰の言葉だか分からない声が、サラの頭に響いた。
「このお店を出すときに、納屋を整理してたらこの子を見つけて。そう言えばと思って調べたら、すごい値段になっているのね。まぁ、もっとも、高額すぎてまだ買い手はつかないんだけれど」
ダフネはクスリと笑った。その笑顔が、見れない。くまおが今、どんな気持ちで一人、あそこに座っているのかを考えたら、ダフネを見ることが出来なかった。
「……昔、みたいに」
やっとのことで、声を絞りだす。服の裾を、震える手でギュッと掴んだ。
「あの子に……あのくまさんに、触れようとは、思いませんか?」
それは、希望に近い問いだった。
お願いだから。お願いだから、私が、くまおが望む答えを。
サラの思いも虚しく、ダフネは小さく鼻で笑った。
「──まさか。あの子は、大切な売り物よ。触れて価値が下がったら大変じゃない」
サラは、拳にこめていた力を緩めた。
──何を、期待していたんだろう。
もう10年も、彼はあそこに一人でいたのだ。それなのに。
「そう……ですよね。ごめんなさい」
サラは俯いたまま立ち上がった。
「そろそろ、行きます。お話を聞かせてくれて、ありがとうございました」
頭を下げると、サラは逃げるように店を出た。ダフネは声を掛けてこなかった。
入り口を出た瞬間、渋い声が響く。
「ったく……聞こえてるってんだよ、バカ娘」
「……くまお、さん」
「何でおめぇが泣きそうなんでぇ」
「……わからない、けど、あなたの気持ちを、考えたら」
酷く胸が傷んだ。まるで自分のことのように。
──自分のことの、ように?
少し違和感を感じて、目を見開いた。くまおはまた自嘲ぎみに笑うと、小さく呟いた。
「……笑えるだろう。この歳で、また昔みてぇにしてもらえるのを、心のどっかで、期待しちまうんだ……」
ドクン。心臓が痛いくらいに音を立てた。頭の痛みが、サラの意識を朦朧とさせた──。
* * *
サラは昔の写真を見つめていた。幼い頃の自分が、笑顔で映っている。心から幸せそうな、そんな笑顔だ。
『サラ、サラ。あなたは私たちの宝物よ』
優しい声が、頭をよぎる。遠い遠い、昔の記憶である。
──いつから、だろう。
昔のように、愛情をくれなくなったのは。敬語を使われるようになったのは。
『いいですか? あなたは……家の娘なのですよ? 自覚と誇りを持って生活なさい』
教育的になったのは。厳しくなったのは。……触れてくれなくなったのは。笑ってくれなくなったのは。
サラは昔の写真をすべて持ち出して、火を点けた。笑顔の自分が、燃えていく。それを見ていると、何だか涙が溢れた。
『サラ』
本当は、こんなことは何の意味も無いことをわかっている。名前を呼ばれるたびに、期待してしまう。また昔みたいに、自分に愛情をくれることを。
* * *
「おい……お前、大丈夫か?」
遠退いていた意識が戻ってくると、くまおの声がした。何だかんだで優しいおじさんらしい。
「……大丈夫、ありがとう」
──自分のことのように、ではなかった。
自分だったのだ。何度諦めても、捨てきれなかった希望を持っていたのは。
「……くまおさん」
「何でぇ」
「ありがとうね」
「はぁ?」
もしこのガラスが無かったら、彼をひとしきり撫でていただろう。それが出来なくて、サラは苦笑した。
「もし買い手が決まったら、可愛がってもらえるといいね」
「……へん、何を言ってんだか」
くまおは冷たく言ったが、サラにはそれが照れ隠しに見えた。
人が嫌いかと問われて、「さぁな」と答えた。それはつまり、嫌いだと思っても、やはりどこかで好いていてくれてることの表れだと思った。サラは、彼が人を嫌いにならないでくれたことが嬉しかった。
「……ねぇくまおさん。この辺で、人形がある所を知らない?」
「おめぇなぁ、俺は10年もここにいるんだぜ? 分かるわけがねぇだろうよ」
「ご、ごめんなさい」
それもそうだ。うっかり失言してしまって、慌てて口を塞いだ。
仕方がない。次の人形も自分で探そう──そう思ったとき、くまおが何かを思い出したように「あ、」と言った。
「40年くらい前になるけどよ。俺が売られてた店の斜め前が、ケーキ屋だかレストランだかだった。そこに、やたらでけぇ人形があったっけな」
「それ、どの辺?」
「ここをずーっと南に行った所だ。まぁ、今もあるかは知らねぇが」
40年くらい前……確かにくまおの言うとおり、今もあるかは定かではないが、あてもなく彷徨うよりはいい。とにかく行くだけ行ってみようと思った。
「じゃあ、私、行くね」
「あぁ、気を付けろよ」
「……元気で」
サラはくまおに小さく手を振ると、南に向かって歩きだした。日はすっかり傾き始めていた。
彼はずっと人の愛情を、ぬくもりを求めている。彼は『この歳で』なんて言っていたが、それは決しておかしいことではない。誰もがみんな──それこそ、人だって、人形だって、いくつになっても同じように思っている。
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