月夜の猫屋

来条恵夢

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短編

その後の話2

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「おーい。どこだー?」
 間抜けにも、そびえ立つ校舎を前にして、抑え目ながらに声をあげた。
 学校に出て来い。
 そう言われて来たはいいものの、どこで待っているのかがさっぱりわからなかった。携帯電話は迂闊うかつにも置いて来たし、いつも待ち合わせているお決まりの場所、なるものもなかった。
 そもそも、あいつとはまだ付き合いが浅いのだ。ゼミが一緒だったにも関わらず、前期の間はほとんど口をきいた覚えがない。 
「…そんな奴に殺されるなんて、お前も運がないな」
「勝手に殺すなよ」
「っ!」
 気配もなく隣に並んだ男に驚いて、変な間合いで息を呑んで、せた。
 男――弘前彼方ひろさきかなたは、チェシャー猫のようににやにや笑いを浮かべる。夜なのに晧々こうこうとついている校舎の明かりの下で、煙草たばこの煙が揺れた。
 煙草も、ジーンズにシャツという格好も、あの日のままだった。切り損ねたという、少し伸びた髪もそのまま。
「大体、そんな奴ってどんな奴? 葉山はやまクンの悪い癖だねー、物事を悪い方から考えるの。世界は憂い事で溢れている、って?」
「…相変わらず、口が減らないな」
「そりゃね。何せ、口から先に生まれて、ストックだって一杯ありますから。で、眉間にしわ寄せながら生まれてきた葉山クンは、今回は何悩んでんのかなー?」
 軽く、めまいがする。
 馬鹿は死んでも直らないというあれは、本当らしい。いや、こいつの場合、馬鹿でないと言えば馬鹿ではないのだけど。そういう意味では、よほど俺の方が馬鹿なのだけど。
 それにしても。
「お前みたいに悩み事がない奴は、いっそ尊敬する」
「そいつはありがとよ」
「それで、用件はなんだ?」
「ん? まー、お前のことだから、どうせ俺殺しちゃったー、とかって罪悪感で苦しんでのかなって、こうやって出てきてやったわけよ」
 煙を吐き出す。
 煙が上がる様は、火葬場を思い出させた。煙突から上る、遺体を遺骨へと換えていく、煙。
「お、やっぱ図星か。出て来て正解だったな?」
 どこまでもふざけた調子で、弘前はにやりと笑う。冗談じゃない。
「と――。もう時間?」
 俺が口を開くよりも先に、弘前は光の届いていない彼方へと視線を向け、言葉を発した。見ると、闇に潜むようにして、男が一人、立っていた。時代を間違えたかのような、着流し姿で。
「…急ぐんじゃな」
「わかった」
 短く応えて、俺には何の説明も無しに、弘前は深く煙草を吸うと、地面に落として足で消した。
「じゃあま、さくさくと済ませることにするか。つまりはだな、お前が責任を感じる必要性も必然性も、どこにも微塵みじんもないってことだ。酔っ払って落っこちて死ぬなんて、そりゃ自業自得以外の何物でもないだろ」
 きっぱりと、笑い顔で言い切って、弘前は軽く俺の肩を叩く。
「そういうことだ。じゃあな」
「待て!」
 思わず、行きかけた弘前の腕をつかむ。
 だって、だって。こんなのは、ない。逝きそびれた幽霊は、恨み言を言うものだ。怨霊になって、憎い相手に恨み言を言って、そうして殺すのだ。そうでなければ、そう在らなければならないのだ。
 なのに。
「なんで…違うだろ、俺のせいだろ。酔っ払ってたお前を、置き去りになんかしなかったら良かったんだ。ちゃんと安全なところまで連れて行けば、良かったんだ!」
 呪い殺されて、それでいいと思った。電話がかかってきたとき、そういう意味では、喜んだのだ。
 これで罪が、裁かれるのだと。 
「う―――ん」 
 唸って、弘前はちらりと、着流しの男を見たようだった。それから、つかんでいた俺の手を振り払うと、正面から俺の両肩を叩いた。
「まあそりゃあな、チクショウこの野郎、と思わなかったって言や嘘になる。どうせ会うなら、目一杯びびらせてショック死でも狙ってやろうかって、考えもした」
「じゃあ!」
「でもな。違うだろ。いいか? 俺は、死んで、何でまだここにいるんだろうって思った。そこにあの男が現われて、色々話して、最後に誰かに会わせてやるって言われた。そりゃあ一杯浮かんださ。家族に恋人、腐れ縁の幼馴染、初恋の娘や世話になった先生とか、意気投合した友達とか。でも、一番気になったのはお前だ。わかるか?」
「それは――」
「恨んでじゃないぞ。最初に会ったときから思ってたんだけど、葉山、お前馬鹿なんだよ」
 絶句。
 思わず、それまで抱えていた悲壮感も何もかも放り出して、弘前をまじまじと見返した。何か――ひどいことを言われている気がする。
「要らないところで悩んで、責任感じて、貧乏くじばっか引いて。正直、よくここまでまともに生きてきたなと思ったよ。で、だ。ロクダイに話聞いてるうちに人が来て、発見されて大騒ぎになって。どうする、って訊かれて、葉山の奴、馬鹿みたいに責任感じるんだろうなあ、って思ったわけよ。あいつ、俺の家族前にして、『すみません、俺のせいです! 俺が殺したんです!』なんて泣きながら言いかねない、と。まあ、さすがに言わなかったからちょっと安心したけど。そもそも酔っ払いの男、うやむやのうちに押し付けられたのが災難だってのに」
 そこまで呆気に取られて聞いていた俺に、弘前はにやりと笑いかける。新しい煙草に、火をつけたようだった。
「あのな。誰がどう言おうがどう思おうが、俺が納得してるんだ。それをまだぐちぐち言うなんて、故人の意志無視して酷いことやってるんだぞ。自覚あるか?」
「なっ…?!」
「そういうことだ。ああ――夢じゃない証拠にこれやるわ。もらいもんの外国産だから、滅多やたらに転がってないぜ。記念にもいいだろ」
 缶入りのタバコを投げて寄越して、弘前は振り返らなかった。
 そのまま、闇に消えていった。
 残された俺は一人、微妙にぬくもりの残る間を握り締めて、馬鹿みたいに立ち尽くすしかなかった。――馬鹿はどっちだ。
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