68 / 73
短編2
セイギ
しおりを挟む
「あ。いらっしゃい」
まだ幼い声。それには聞き覚えがあった。それは厭な記憶と結びついていて、できるなら二度とは聞きたくなかったものだった。
「あんた…なんで?」
出てきたのは予想通りに一度会ったことのある一見子どもで、呆気にとられて立ち尽くした。それまで、これから全く新しい人生が始まるのだと、逃げ出したくなるほどの緊張に包まれていたというのに、呆気なくそれも吹っ飛んで。
「いや、なんでって言われても困るんだけど? ロクダイー、来たよ。新入りさん」
「おお、そうか」
呼ばれて出てきたのは、着流し姿の同年代か、少し上くらいの男。こんなときながら、男前なことに少し悔しさを感じた。死んでまで馬鹿だ。
店は異常なほどに雑然としていて、果たしてこれを「店」と呼んでいいのかと、客商売でこれはどうなんだと、言いたくなるくらいに埃が積もっていた。それなのに床だけはあまり汚れていなくて、それが妙だった。
小学生くらいの、少し生意気そうな少女と着流し姿の優男は、頭二つ分くらいはありそうな身長差で並んで、にっこりと笑った。
「改めまして、だね。これからよろしく、セイギ」
無邪気に笑うが、以前に会ったとき――俺が死んだ直後には、随分と憎らしい口を利いた。こちらの感情を逆なでするような、そんな台詞と口調だった。
この仕事ができる見込みのある者がいた場合、既に働いている者が最終確認をしにいくのだと、そのために試したのだと後になって言われたが、だからといって忘れられるものでもない。割り切れもしない。
「何じゃ、もう面識があるのか?」
「うん。ほら、前迎えに行ったのがそうだったから。まさかここに来るとは思ってなかったけどね」
「あれか。――わしとは正真正銘にはじめてじゃな。ロクダイと、呼ばれておる。よろしくたのむ」
「あ…はあ。俺は、榊正義っていいます…」
目の前で勝手に進む会話と、男の時代がかった口調に呑まれて、俺は随分と間の抜けた声を出していた。
二人はちらりと顔を見合わせて、改めて俺を見た。
「とりあえず座るか? 立ち話もなんじゃろう」
言われるままに椅子に座ると、向かいに二人も座った。
「えーっと。何するかってのは、どのくらい聞いてきた?」
そこからの話は、大体事務的に流れていった。俺が事務所…って言って良いのか知らないけど、死んで、彰が迎えに来て、ここに来るまでの間居た場所で聞いた話をして、二人がそれに補足を加えて。
問題なのは、その後だった。
「で、セイギは何をする?」
「……………は?」
非の打ち所のない笑顔で、少女は訊き、男も当然といったかおをしているのだった。
「仕事。何にする? ちなみにあたしは何でも屋で、ロクダイは雑貨屋」
「…いや、あの。仕事って?」
幽霊たちの案内をすればいいんだろ? と重ねて訊くと、相手は動じずうなずいて、「それは裏の仕事だから。表は何をする?」とあっさりと言い放ったのだった。
「あたしたちも手伝うけど、基本的には一人でやれることを選んでね。それと、基本はここに置くこと。何でも屋も、やるのは大概外だけど受け口はここだからね」
「資本金がいくら、とかいうことは余り心配せんで良い。ああ、何も今決めろとは言わぬよ」
そう言って、男は仕入れがあるから、と席を外した。
残った少女は、じゃあ部屋に案内しようか、と立ち上がった。
「なあ」
「何? あ、のど渇いたなら台所そっちだから。適当に飲んで良いよ。ご飯は…材料、まだあったかなー。この頃面倒で、食べてなくてさ。ほら、食べなくても大丈夫だからつい」
「いや、そんなの訊いてるんじゃなくて」
「そう?」
とてつもなく非常識な現状に頭がくらくらしながらも、どうにか言葉を押し出す。少女は、あのとき――俺が、死んだあのときと同じ真っ直ぐな眼を向けた。
「…俺、本当にここに居ていいのかな…」
何も言わずに、少女は先を促した。
「だって、死んだのに。意志が強いとか言われても、よくわからない。弱さに負けたら滅ぼされるだけだとか、言われても。なんか現実感ないし…」
「それは、自分が死んだことが信じられないってこと?」
「いや。それは、わかってる…と思う。そうじゃなくて、なんて言うか…なんか、違うような気がして…」
ふうん、と少女は小首を傾げた。何故か、無表情に見えた。
「あたしは、自分の判断が間違ったとは思ってないよ。それで、迷うのが悪いとは言わないけど、セイギはあのときに決めたんじゃなかった? それともあれは、その場の勢いだった?」
違う。
勢いなんかじゃなくて、よく考えて決めた。考えて、もう誰にも会えなくても、それでも、ここに居たいと思った。少しだけでもいいから、ここで過ごす時間が欲しいと。
――そうだった。
「ん? ところでそのセイギって何? なんか、さっきからそう呼ばれてた気がするんだけど。まさかそれ、俺じゃないよな?」
「え? セイギ以外に誰かいる?」
にっこりと笑う小悪魔。
――つまりはそれが、俺をこっちの世界に招いたものだったのだろう。
多少の悔しさはあっても、後悔はなかった。
まだ幼い声。それには聞き覚えがあった。それは厭な記憶と結びついていて、できるなら二度とは聞きたくなかったものだった。
「あんた…なんで?」
出てきたのは予想通りに一度会ったことのある一見子どもで、呆気にとられて立ち尽くした。それまで、これから全く新しい人生が始まるのだと、逃げ出したくなるほどの緊張に包まれていたというのに、呆気なくそれも吹っ飛んで。
「いや、なんでって言われても困るんだけど? ロクダイー、来たよ。新入りさん」
「おお、そうか」
呼ばれて出てきたのは、着流し姿の同年代か、少し上くらいの男。こんなときながら、男前なことに少し悔しさを感じた。死んでまで馬鹿だ。
店は異常なほどに雑然としていて、果たしてこれを「店」と呼んでいいのかと、客商売でこれはどうなんだと、言いたくなるくらいに埃が積もっていた。それなのに床だけはあまり汚れていなくて、それが妙だった。
小学生くらいの、少し生意気そうな少女と着流し姿の優男は、頭二つ分くらいはありそうな身長差で並んで、にっこりと笑った。
「改めまして、だね。これからよろしく、セイギ」
無邪気に笑うが、以前に会ったとき――俺が死んだ直後には、随分と憎らしい口を利いた。こちらの感情を逆なでするような、そんな台詞と口調だった。
この仕事ができる見込みのある者がいた場合、既に働いている者が最終確認をしにいくのだと、そのために試したのだと後になって言われたが、だからといって忘れられるものでもない。割り切れもしない。
「何じゃ、もう面識があるのか?」
「うん。ほら、前迎えに行ったのがそうだったから。まさかここに来るとは思ってなかったけどね」
「あれか。――わしとは正真正銘にはじめてじゃな。ロクダイと、呼ばれておる。よろしくたのむ」
「あ…はあ。俺は、榊正義っていいます…」
目の前で勝手に進む会話と、男の時代がかった口調に呑まれて、俺は随分と間の抜けた声を出していた。
二人はちらりと顔を見合わせて、改めて俺を見た。
「とりあえず座るか? 立ち話もなんじゃろう」
言われるままに椅子に座ると、向かいに二人も座った。
「えーっと。何するかってのは、どのくらい聞いてきた?」
そこからの話は、大体事務的に流れていった。俺が事務所…って言って良いのか知らないけど、死んで、彰が迎えに来て、ここに来るまでの間居た場所で聞いた話をして、二人がそれに補足を加えて。
問題なのは、その後だった。
「で、セイギは何をする?」
「……………は?」
非の打ち所のない笑顔で、少女は訊き、男も当然といったかおをしているのだった。
「仕事。何にする? ちなみにあたしは何でも屋で、ロクダイは雑貨屋」
「…いや、あの。仕事って?」
幽霊たちの案内をすればいいんだろ? と重ねて訊くと、相手は動じずうなずいて、「それは裏の仕事だから。表は何をする?」とあっさりと言い放ったのだった。
「あたしたちも手伝うけど、基本的には一人でやれることを選んでね。それと、基本はここに置くこと。何でも屋も、やるのは大概外だけど受け口はここだからね」
「資本金がいくら、とかいうことは余り心配せんで良い。ああ、何も今決めろとは言わぬよ」
そう言って、男は仕入れがあるから、と席を外した。
残った少女は、じゃあ部屋に案内しようか、と立ち上がった。
「なあ」
「何? あ、のど渇いたなら台所そっちだから。適当に飲んで良いよ。ご飯は…材料、まだあったかなー。この頃面倒で、食べてなくてさ。ほら、食べなくても大丈夫だからつい」
「いや、そんなの訊いてるんじゃなくて」
「そう?」
とてつもなく非常識な現状に頭がくらくらしながらも、どうにか言葉を押し出す。少女は、あのとき――俺が、死んだあのときと同じ真っ直ぐな眼を向けた。
「…俺、本当にここに居ていいのかな…」
何も言わずに、少女は先を促した。
「だって、死んだのに。意志が強いとか言われても、よくわからない。弱さに負けたら滅ぼされるだけだとか、言われても。なんか現実感ないし…」
「それは、自分が死んだことが信じられないってこと?」
「いや。それは、わかってる…と思う。そうじゃなくて、なんて言うか…なんか、違うような気がして…」
ふうん、と少女は小首を傾げた。何故か、無表情に見えた。
「あたしは、自分の判断が間違ったとは思ってないよ。それで、迷うのが悪いとは言わないけど、セイギはあのときに決めたんじゃなかった? それともあれは、その場の勢いだった?」
違う。
勢いなんかじゃなくて、よく考えて決めた。考えて、もう誰にも会えなくても、それでも、ここに居たいと思った。少しだけでもいいから、ここで過ごす時間が欲しいと。
――そうだった。
「ん? ところでそのセイギって何? なんか、さっきからそう呼ばれてた気がするんだけど。まさかそれ、俺じゃないよな?」
「え? セイギ以外に誰かいる?」
にっこりと笑う小悪魔。
――つまりはそれが、俺をこっちの世界に招いたものだったのだろう。
多少の悔しさはあっても、後悔はなかった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる