かつて最強の刀弟子

くろまねこる

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街編

十三話.生還

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 それはまるで底の見えない水の中に沈んでいくような感覚だった。
 深く、深く、光すら届かない場所で、ただひたすらに落ちていく。
 息すら出来ず、もがくことも許されない。
 なぜこうなったのかは思い出せない。自分が誰なのかもわからない。ただわかるのは、気を抜けば意識を持っていかれそうになるということ。
 己の意識を保つならば、瞑想でもするとしよう。この底のない水の中を切り裂けるほどに、その精神を研ぎ澄ませてみせよう。
 僕は──いや、私だったか。まぁいい。どちらが正しいかなんて、今は些細な問題でしかない。

 誰かの声が頭に響く。

 強くなれと。

 まるで呪いのように離れない言葉に答えるように、精神を研ぎ澄ます。
 記憶はなくとも身体が覚えている。どれだけ時間がかかろうとも、この精神が途切れることは決してない。

『お主に託そう。これは我が人生、我が生き様──天────丈の刀である』

 ──深い水を切り裂き、光が身体を包み込む。
 眩しくて思わず閉じた目をゆっくりと開けると、そこには見知らぬ白い空が広がっていた。

 背中には柔らかい感触があり、まるで羽毛の上に寝転がっているかのようであった。天国があるならば、こういう世界なのだろうかと考えて、ふと気が付く。
 私が──いや、僕が見ていた空がただの天井であることに。
  
 僕は身体を起こす。自分が寝ていた場所がベッドである事を確認してから、辺りを見渡した。
 見知らぬ光景、見知らぬ部屋。物はあまり置いていないが、村長の家よりも丈夫で豪華そうに見える。詳しくはないので分からないが、多分木材で出来た家ではないだろう。
 次に窓を探す。窓自体は見つからなかったが、恐らく窓があるであろう場所にはカーテンが閉められている。外の様子は確認できないが、下から漏れる太陽光から外はまだ明るい事が窺えた。
 最後にドアだ。僕の向かい側付近にあり、そこは木製のドアになっている。取手の部分には木ではない素材の何かが付いていて、見たところそこを持ってドアの開け締めをするようだった。

「ここは……何処だ──ぐっ!」

 身体が痛む。自分の身体に目を向けてみると、白い布のようなものがぐるぐると身体に巻かれていた。
 誰かが助けてくれた?
 ……いや、村は何者かによって燃やされ、村の人達も皆……死んでいた。
 一体誰が、どうして、そして何処にここまで僕を連れてきたんだろうか。
 そんな事を考えているとガチャリという音が鳴り、ドアが開く。そこから現れたのは、これまた見たことない服装をした男の人だ。金の髪は長く、後ろで結んでいる。黒色の服、その胸元にはふさふさの何かが付いていて、下には白い服が見えている。僕が身に着けていた粗末な服とは違い、ほつれ一つない綺麗な服だった。ズボンも同じで、黒を基調とした高級そうなズボンだ。

 そんな男は鼻歌混じりにドアを閉めると、数歩歩いた処で僕と目が合った。しばらく目をパチクリとさせたあと、慌てた様子で何処かへ行ってしまう。

「なんだったんだ……?」

 そんな事を思っていると、またすぐにドアが開いた。
 そこからは数えるのが億劫になるくらいの人が雪崩のように入り込んできた。
 広い部屋が狭く感じるくらいの人が入った所で、人の雪崩は落ち着きを見せる。
 僕の事を見た人達の反応はそれぞれだった。

「おぉ、本当に目が覚めたのか……」
「これが噂の……」
「ちゃんと生きてたのか……」

 珍しい動物でも見るような目で見られるこの状況。村では慣れたものだったが、心地よいものではない。
 僕が対応に困っていた所に、先ほど最初に入ってきた男が僕の前に立った。その男は満面の笑みを浮かべ親指を立てる。

「おはよう、少年。いい夢は見れたかな?」

 無駄にいい声で話す男は反応のない僕を見て首を傾げると、僕の頬をぺちぺちと叩き始める。

「これ起きてるよな?」
「……起きてます」
「おぉ! やっぱそうだよな! ほらテル! 言っただろ起きてるって!」

 そう言って男が目を向けた先にいるのは青髪の男だ。金髪の男も若く見えるが、青髪の男はさらに若く見える。僕よりも五歳くらい上の人だろうか。
 青髪の男──テルと呼ばれた男は、ハイハイと面倒くさそうに相槌を打つ。 

「テルじゃなくてテムです。そろそろモラハラで大団長に訴えますよ」
「おいおい冗談だって。アイツからは一週間前に小言を言われたばっかりだしチクるのはやめてくれ……」

 どうやらテルではなくテムという名前らしい。
 そんなやり取りを傍観していると、金髪の男は僕のほうを向いて「ごめんごめん」と笑いながら謝る。

「君が目を覚ましたのが嬉しくてついテンションが上がりすぎちまった。俺の名前はオルカ・ミレニアムだ。気軽にオルカって呼んでくれ」
「オルカ……分かりました」
「君の名前はなんだい?」
「僕……の……名前…………」

 名前…………。
 はて、自分の名前はなんだったか。
 記憶が曖昧だ。『私』と『僕』の記憶が混じり過ぎて、ぱっと名前が思い出せない。その他の記憶は大丈夫そうなんだが……名前だけが駄目だ。
 そうやって自分の名前を思い出そうと言い淀んでいると、オルカは顎に手を当て何かを考えるような仕草をした。

「ふむ……まだ記憶が混乱しているようだな。まぁ一週間もぶっ通しで寝ていたんだから無理もない。ゆっくり思い出していけばいいさ」
「はい……はい? 一週間?」

 聞き捨てならない言葉が聞こえてきた僕は、反射的に言葉を返してしまう。

「あぁ。君を集落から保護して一週間程度が経つ。正直、もう目を覚ます事は無いだろうって皆で話してた所なんだ。目を覚ますのがあと三日遅ければ、安楽死の選択も出てきた頃合いだ。良かったな少年」

 つらつらと笑顔でよく話す。後半はとんでもないことを言っていたように思えるが……まぁ聞かなかったことにしておこう。

 それにしても一週間も僕は寝てしまっていたのか。
 思い返してみれば、確かに修練や瞑想ばかりでまともな睡眠なんてしていなかったように思える。あの鳥の魔物との戦闘も相まって、これまでの反動が今来てしまったのかもしれない。
 しかし一週間も寝ていたとなると、筋肉の衰えは避けられないな。今すぐにでも日課を済ませなければ。素振りと瞑想、あと筋肉も鍛えないと。

 僕は強くならなければならないんだ。

 ……そういえば、なんで強くなろうとしていたんだったか。

 確かあの時の僕は両親に認めてもらいたくて、村の連中を見返したくて強くなったんだったか。森の中を切り抜けるにはそれだけの力が必要だったし、生きるのに精一杯でなぜ強くなるのかなんて深く考えた事もなかった。

 村はなくなった。両親だって無事な可能性が低い。
 果たして今の僕に、強くなる意味はあるのだろうか。

「──ねん。おい少年。聞こえてるか?」
「あ……はい。すみません」

 駄目だ。つい一人の世界に入り込んでしまっていた。
 頭を下げて話を聞いていなかったことを伝える。オルカは面倒くさそうに頭をポリポリと掻くが、また説明をしてくれた。

「君にも色々あっただろうから、落ち着いたらでいい。少年には幾つか聞きたい事があるんだ」
「聞きたいこと……ですか?」
「あぁ。あの集落で一体何が起きたのか。それと、森の異変についてもな」

 集落……恐らく、僕が住んでいた村のことを指しているんだろう。
 この人には申し訳ないが、それは僕も知りたい事だ。唯一分かりそうなのは森に起きた異変についてだが、少しの間森に住んでいた僕にもわからない。
 見た感じだと、彼らは僕がその情報を握っていると見ているらしい。ガッカリされるかもしれないが、僕はこの事を正直に話すことにした。

「僕は……村から出ていった身なんです。しばらく森の中で暮らして、時を見て戻ったら──村があんな事になっていました。森にいた時間もそんなに長くなかったので、詳しいことは分かりません」

 僕は謝罪の念を込めて頭を下げる。
 いやいやと手を振るオルカは優しい笑みを浮かべたまま言う。

「いいんだ。君が謝る必要なんて一つもないよ。ところでなぜ君が集落──いや、村から出ていったのか理由も聞いていいかい?」

 無理はしなくてもいいよ付け加えたオルカの顔はとても優しかった。長らく人が笑った顔など見ていなかったため、こみ上げてくる感情に僕は困惑する。流れそうになる感情を必死に抑え、僕は深呼吸をした。

 別に隠すことでもない。

 そう考えた僕は、魔力がないこと、村の人からは悪魔の子と呼ばれ遠ざけられていたこと、両親からも見限られ耐えきれなくなり森に逃げたこと、苦い思い出となった記憶を何とか引っ張りだす。
 伝えている間、オルカやその仲間のような人達も、僕の話を笑うことも無く真剣に聞いてくれていた。
 あと、僕の記憶を遡ることで、僕が僕であると再認識できたような気もした。暫くの間『私』との境界線が曖昧だったから気持ち悪かったけど、その感覚も消えたように感じる。
 やがて話し終えたあと、オルカは真剣な面持ちで口を開く。

「そうか──閉鎖されたコミュニティにおいてはよく聞く話だな。だからといってそれが許されるわけもないんだが。ああいう場所は住民同士での繋がりが強く、定型的な暮らしを好む人が多い。だからこそ、普通の暮らしを出来ない者を極度に避ける傾向にある。でも村の性質上避けても避けても繋がりは必然的に生まれてしまう──だからやがて排除しようと動く。典型的な差別だな」

 明らかに空気が重くなったのを感じる。オルカの表情も一変して固いものに変わっていた。
 さっきまでの優しい雰囲気を変えてしまったと思うと、なんだか気が引けてしまうな。 

「すみません」
「なんで謝るんだ? 君が謝る必要なんてない。取りあえず今は休むといいさ。あぁそうそう、トイレとか行きたくなったらそこのボタンを押してくれ。この中から暇なやつが同行するからさ」
「……ありがとうございます」

 なんて優しい人たちなんだろうか。
 大した情報も渡せなかったのに、嫌な顔一つせず話してくれる。
 比べるのは違うかもしれないが、村とは大違いだ。そして……僕の両親とも。

 皆が部屋から出ていった。
 ざわついていた空気がしんと静まり返り、僕の呼吸音だけが聞こえてくる。

「そういえば……ここがどこか聞くの忘れてた……」
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