海賊王と麗人海軍~海洋恋愛浪漫譚~

じゅん

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四章 竜骨の下で

竜骨の下で 5

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「よし」
呼吸を整え、肺を空気で満たし。
――海に飛びこんだ。
指先から入水時の衝撃を感じ、その勢いのまま潜水していく。冷たい水に包まれて、一気に体温が下がっていった。それだけで、想像以上に体力を持っていかれる。
喫水線の下の船腹は、船体の虫食いを防ぐためか銅板で覆われ、それが錆びて緑色に変色していた。そこにフジツボが岩のように群生し、海草が絡まって、不気味に漂っている。
深く潜るほど光が弱まり、色彩が失われ、視界が暗くなっていく。まるで底なし沼に向かっているような不安感に捕らわれた。あえてなにも考えないようにして、無心で手足を動かし続ける。
息が苦しくなってきた辺りで、やっと船底の中心、船の背骨である竜骨が見えてきた。
あと半分。
いける。
なんとか間に合うはずだ。
疲れと体温の低下から思うように力が入らない身体を、気力で動かした。
その時。
なにかの気配を感じて、アレクサンドラは周囲を見渡した。全身が粟立つ。本能が危険だと告げていた。
水面に近くても、余程透明度が高い海でない限り、海中での視界は十数メートルほどになる。ましてや光が届かないこの地点では、数メートル先までしか見えない。
なにかがいる。しかし、どこにいるのかわからない。
警戒して五感を研ぎ澄ませていたアレクサンドラは、灰褐色の影を捉えた。その影は一気に膨れ上がり、流線型の塊が突進してきた。
鮫だ。
尖った頭の先端が上がり、アレクサンドラをひと飲みできそうなほど大きな口が開くと、鋭い歯が襲ってきた。
「……っ」
アレクサンドラは船体を蹴って回避する。しかし口を開けたままの鮫はその動きに合わせて頭を大きく振り、噛みついてきた。
「っ!」
肩に痛みが走り、アレクサンドラは傷口を手で押さえた。歯がかすった程度だったが、線状に三本、皮膚が裂けていた。
三日月型の尾びれを振って鮫は視界から消えた。しかし、気配がなくなったわけではない。アレクサンドラは身につけていたカトラスに手を伸ばした。恐怖と寒さによる握力の低下で手が震えた。落とさないよう柄をしっかりと握って、身構える。
鮫の体長は四メートルほど。水中では大きく見えるので、アレクサンドラの体感では、それ以上の存在だった。そんな巨体が、自分よりもはるかに早いスピードで迫ってくるのだ。
周囲はただ闇が広がるばかりで、逃げ場はない。助けもない。一人で戦わなければならなかった。
船を背にして死角を減らしながら、神経を張りつめていると、下方から鮫が迫ってきた。
鮫はアレクサンドラに食いつかんと顎を突き出して鋭い歯を向けてくる。ぬめる船体に足をかけ、アレクサンドラはカトラスで鮫の頭から顎までを切りつけた。
鮫の身体が大きく跳ねた。その水流に巻き込まれ、アレクサンドラは鮫に引き寄せられる。
しまった。
アレクサンドラは身構えようとしたが、鮫は獲物どころではなくなったようで、尾鰭を激しく動かして姿を消した。
アレクサンドラは鮫の去った方向をしばらく眺めていたが、引き返してくる気配は感じなかった。
 追い払えた、のか……。
安堵した拍子に、アレクサンドラは海水を飲みこみそうになった。脅威が去ると、忘れていた苦しさがぶり返してきた。
こみ上げてきた空気と共に、最後の気力までも体外に出ていってしまったようだ。カトラスは手から零れ落ち、沈んでいく。
体がピクリとも動かなくなった。
動け、動け!
そうアレクサンドラが念じても、指先さえも自由にならない。
肌は氷のように冷たいのに、空気を取り込みたいと身体が渇望し、内臓が爆発しそうに熱くなっている。血管が破れそうだ。全身が心臓になったかのように、激しい鼓動だけが聞こえた。
それは、心臓の断末魔のようだ。
限界だった。
……ここまでなのか。
生理的な涙があふれ、海水に溶ける。
 だめだ、進まなきゃ。ここで意識を失ったら……。
 身体が鉛のようだった。船体が遠ざかる。意識が霞んでいく。
アレクサンドラは沈んでいた。
 
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