33 / 48
四章 竜骨の下で
竜骨の下で 6
しおりを挟む
だめだ、進まなきゃ。ここで意識を失ったら……。
身体が鉛のようだった。船体が遠ざかる。意識が霞んでいく。
アレクサンドラは沈んでいた。
最後まで勝手なことをして、ごめん。エド。
そして赤いジュストコールの男が脳裏に浮かんだ。
結局、何者だったのだろう。
彼をもっと知りたかった。話したかった。
――共に、世界を旅したかった……。
アレクサンドラは観念して目を閉じた。
そのとき、腰になにかが巻きついた。
「……?」
広がる金の髪と碧眼が、アレクサンドラの視界に飛び込んできた。
ロバート?
ここにロバートがいるわけがない。死に際の幻覚なのだろうか。
朦朧としている意識の中、鼻をつままれて、唇が押し付けられた。
「っ!」
枯渇した肺に、温かい空気が送り込まれた。体が楽になり、意識が戻ってくる。
ロバートが口移しに酸素をわけてくれたのだと、アレクサンドラは理解した。しかし、それではロバートが苦しむことになるだろう。胸を押し返そうとしたが、ロバートはびくともしなかった。
アレクサンドラを支える逞しい腕が、大丈夫だと語りかけているようだった。
無駄な抵抗をするのはやめ、アレクサンドラはロバートに身をゆだねた。なんとも言えない一体感、安心感があった。弾力のある唇の感触が心地いい。逞しい身体に包まれ、極限に冷えた身体にも熱を分け与えられていた。
餌を与えられる雛鳥のように、アレクサンドラはロバートの贈り物で身体を満たした。失っていた活力が戻ってくる。
ゆっくりと唇が離れた。ロバートは悠然と笑い、海面を指さした。かすかに光が見える。いつの間にか竜骨が見えないほど先に進んでいた。
ロバートはアレクサンドラの足裏を両手で掴んだ。踏み台になるつもりなのだろう。アレクサンドラは肯いて膝を曲げ、ロバートを蹴って、勢いよく浮上し始めた。手の指先から足先まで、ロバートに与えられた力で水をかく。暗い海の底から、色がだんだんと淡くなる。光があふれる。
海面に顔を出すと、船員たちの驚愕と歓声の声が響いた。いつのまにか隣に並んでいた商船からも、同じように声があがっている。
遅れてロバートも海面に顔を出した。
「縄梯子を二つ降ろしてくれ! 鮫が来るかもしれない、急げ!」
おおっ、というどよめきがった。
アレクサンドラと同じように船底くぐりをして、しかも空気までわけ与えてすぐにロバートは大声を出している。対してアレクサンドラは、まだぜいぜいと肩で息をしていた。全身が震え、唇が青くなり、声を出せる状況ではない。
完敗だと、アレクサンドラは心の中で白旗をあげた。
「よくやった」
ロバートは張り付いた金髪をかき上げて、ニッと笑った。
「なぜ……」
アレクサンドラの声はかすれている。海水のせいで、やすりをかけられたかのように喉が痛んだ。
「なぜ、私を助けた」
ロバートが来なければ、今頃海草と一緒に海底を漂っていたはずだ。
こうしている間も、力が入らないアレクサンドラが沈まないよう、ロバートは片手を添えている。
「オレは、おまえが女だと知っていた」
「えっ……」
「知っていながら、面白半分でドレスを着せたんだ。この騒ぎはオレにも多少、責任がある」
目を見張り、アレクサンドラはロバートを凝視した。
「いつ、から?」
「それは内緒」
ロバートはにやりと笑った。
「あんなことしなくても、私が気絶してから引っ張ることもできただろうに」
現にアレクサンドラは気を失いかけていた。そうなればそれ以上水を飲まないし、抵抗もしなくなる。息を分け与えるより、ずっと楽に引き上げられただろう。
「あんなことって?」
そう聞き返されたアレクサンドラは、目元を染めてロバートを睨んだ。
「自力で船底くぐりをしないと、みんなおまえを認めないだろう。オレは見張りってことで飛び込んだんだ。今回が初めてじゃない。罰は死なせることが目的ではないからな。気を失った時点で、船底くぐりは失敗だ」
死なせるつもりはなかったのか。では鞭打ちを選んでいても、ギブアップした時点で止めたのかもしれない。
「それに鮫に襲われていなければ、おまえは自力で船底くぐりを成功させていただろう。オレは見ていた。勇敢だった。そうできる者はいない」
ロバートに笑顔で称えられ、アレクサンドラははにかんだ。
「ありがとう、ロバート……」
「どういたしまして。オレが手を貸したことは二人だけの秘密だからな」
ロバートはウインクして、下りてきた縄梯子に手をかけた。
「アレックス、上がれるか?」
アレクサンドラは、手を握ってみた。まだ力が戻っていない。甲板まで自力で縄梯子を上がる力はなさそうだった。
「だろうな。落ちないように縛ってやる。……よし、引き揚げろ!」
アレクサンドラの身体を縄梯子に固定すると、ロバートは仲間たちに声をかけた。そして鍛えられた筋肉を躍動させて、ロバートは自力で縄梯子を上がっていく。
ロバートを見ながら、自分もほぼ裸の状態であの身体に抱きしめられたのだと思い出し、今更ながら恥ずかしく思った。
力強い腕だった。
密着した身体は、海水で冷え切ったアレクサンドラを温めてくれた。命そのものを与えられたようだった。
「……」
アレクサンドラは、そっと唇に触れた。息を吹き込まれる感覚が蘇って、全身が甘く痺れた。
胸が熱くなり……。
そして、苦しかった。
身体が鉛のようだった。船体が遠ざかる。意識が霞んでいく。
アレクサンドラは沈んでいた。
最後まで勝手なことをして、ごめん。エド。
そして赤いジュストコールの男が脳裏に浮かんだ。
結局、何者だったのだろう。
彼をもっと知りたかった。話したかった。
――共に、世界を旅したかった……。
アレクサンドラは観念して目を閉じた。
そのとき、腰になにかが巻きついた。
「……?」
広がる金の髪と碧眼が、アレクサンドラの視界に飛び込んできた。
ロバート?
ここにロバートがいるわけがない。死に際の幻覚なのだろうか。
朦朧としている意識の中、鼻をつままれて、唇が押し付けられた。
「っ!」
枯渇した肺に、温かい空気が送り込まれた。体が楽になり、意識が戻ってくる。
ロバートが口移しに酸素をわけてくれたのだと、アレクサンドラは理解した。しかし、それではロバートが苦しむことになるだろう。胸を押し返そうとしたが、ロバートはびくともしなかった。
アレクサンドラを支える逞しい腕が、大丈夫だと語りかけているようだった。
無駄な抵抗をするのはやめ、アレクサンドラはロバートに身をゆだねた。なんとも言えない一体感、安心感があった。弾力のある唇の感触が心地いい。逞しい身体に包まれ、極限に冷えた身体にも熱を分け与えられていた。
餌を与えられる雛鳥のように、アレクサンドラはロバートの贈り物で身体を満たした。失っていた活力が戻ってくる。
ゆっくりと唇が離れた。ロバートは悠然と笑い、海面を指さした。かすかに光が見える。いつの間にか竜骨が見えないほど先に進んでいた。
ロバートはアレクサンドラの足裏を両手で掴んだ。踏み台になるつもりなのだろう。アレクサンドラは肯いて膝を曲げ、ロバートを蹴って、勢いよく浮上し始めた。手の指先から足先まで、ロバートに与えられた力で水をかく。暗い海の底から、色がだんだんと淡くなる。光があふれる。
海面に顔を出すと、船員たちの驚愕と歓声の声が響いた。いつのまにか隣に並んでいた商船からも、同じように声があがっている。
遅れてロバートも海面に顔を出した。
「縄梯子を二つ降ろしてくれ! 鮫が来るかもしれない、急げ!」
おおっ、というどよめきがった。
アレクサンドラと同じように船底くぐりをして、しかも空気までわけ与えてすぐにロバートは大声を出している。対してアレクサンドラは、まだぜいぜいと肩で息をしていた。全身が震え、唇が青くなり、声を出せる状況ではない。
完敗だと、アレクサンドラは心の中で白旗をあげた。
「よくやった」
ロバートは張り付いた金髪をかき上げて、ニッと笑った。
「なぜ……」
アレクサンドラの声はかすれている。海水のせいで、やすりをかけられたかのように喉が痛んだ。
「なぜ、私を助けた」
ロバートが来なければ、今頃海草と一緒に海底を漂っていたはずだ。
こうしている間も、力が入らないアレクサンドラが沈まないよう、ロバートは片手を添えている。
「オレは、おまえが女だと知っていた」
「えっ……」
「知っていながら、面白半分でドレスを着せたんだ。この騒ぎはオレにも多少、責任がある」
目を見張り、アレクサンドラはロバートを凝視した。
「いつ、から?」
「それは内緒」
ロバートはにやりと笑った。
「あんなことしなくても、私が気絶してから引っ張ることもできただろうに」
現にアレクサンドラは気を失いかけていた。そうなればそれ以上水を飲まないし、抵抗もしなくなる。息を分け与えるより、ずっと楽に引き上げられただろう。
「あんなことって?」
そう聞き返されたアレクサンドラは、目元を染めてロバートを睨んだ。
「自力で船底くぐりをしないと、みんなおまえを認めないだろう。オレは見張りってことで飛び込んだんだ。今回が初めてじゃない。罰は死なせることが目的ではないからな。気を失った時点で、船底くぐりは失敗だ」
死なせるつもりはなかったのか。では鞭打ちを選んでいても、ギブアップした時点で止めたのかもしれない。
「それに鮫に襲われていなければ、おまえは自力で船底くぐりを成功させていただろう。オレは見ていた。勇敢だった。そうできる者はいない」
ロバートに笑顔で称えられ、アレクサンドラははにかんだ。
「ありがとう、ロバート……」
「どういたしまして。オレが手を貸したことは二人だけの秘密だからな」
ロバートはウインクして、下りてきた縄梯子に手をかけた。
「アレックス、上がれるか?」
アレクサンドラは、手を握ってみた。まだ力が戻っていない。甲板まで自力で縄梯子を上がる力はなさそうだった。
「だろうな。落ちないように縛ってやる。……よし、引き揚げろ!」
アレクサンドラの身体を縄梯子に固定すると、ロバートは仲間たちに声をかけた。そして鍛えられた筋肉を躍動させて、ロバートは自力で縄梯子を上がっていく。
ロバートを見ながら、自分もほぼ裸の状態であの身体に抱きしめられたのだと思い出し、今更ながら恥ずかしく思った。
力強い腕だった。
密着した身体は、海水で冷え切ったアレクサンドラを温めてくれた。命そのものを与えられたようだった。
「……」
アレクサンドラは、そっと唇に触れた。息を吹き込まれる感覚が蘇って、全身が甘く痺れた。
胸が熱くなり……。
そして、苦しかった。
0
あなたにおすすめの小説
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
『処刑されるたびに12歳に戻る悪役令嬢、7回目の人生は「何もせず寝て過ごす」ことに決めたら、なぜか周囲が勝手に勘違いして聖女扱いされています
六角
恋愛
公爵令嬢リリアーナは、18歳の誕生日に必ず断罪・処刑されては12歳に戻るという地獄のループを6回も繰り返していた。 真面目に努力しても、剣を極めても、裏社会を支配しても、結局は殺される運命。 心折れた彼女は、7回目の人生でついに決意する。 「もう頑張らない。どうせ死ぬなら、今回はひたすら寝て過ごそう」と。
しかし、安眠を求めて「うるさい」と敵を黙らせれば『王者の覇気』と恐れられ、寝ぼけて放った魔法は『神の奇跡』と崇められ、枕への異常なこだわりは『深遠なる儀式』と誤解されてしまう。 気がつけば、ストーカー気味のヤンデレ王子、パン屋の元ヒロイン、狂犬の如きライバル令嬢、元部下の暗殺者、そして不眠症の魔王までもが彼女の信者となり、リリアーナは意図せずして国を、そして世界を救う「最強の聖女」へと祭り上げられていく。
「お願いだから、私を寝かせて!」 睡眠欲だけで運命(システム)さえもねじ伏せる、無気力悪役令嬢の痛快勘違いサクセス(?)ストーリー!
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
無能妃候補は辞退したい
水綴(ミツヅリ)
ファンタジー
貴族の嗜み・教養がとにかく身に付かず、社交会にも出してもらえない無能侯爵令嬢メイヴィス・ラングラーは、死んだ姉の代わりに15歳で王太子妃候補として王宮へ迎え入れられる。
しかし王太子サイラスには周囲から正妃最有力候補と囁かれる公爵令嬢クリスタがおり、王太子妃候補とは名ばかりの茶番レース。
帰る場所のないメイヴィスは、サイラスとクリスタが正式に婚約を発表する3年後までひっそりと王宮で過ごすことに。
誰もが不出来な自分を見下す中、誰とも関わりたくないメイヴィスはサイラスとも他の王太子妃候補たちとも距離を取るが……。
果たしてメイヴィスは王宮を出られるのか?
誰にも愛されないひとりぼっちの無気力令嬢が愛を得るまでの話。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」にも掲載しています。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
【完結】World cuisine おいしい世界~ほのぼの系ではありません。恋愛×調合×料理
SAI
ファンタジー
魔法が当たり前に存在する世界で17歳の美少女ライファは最低ランクの魔力しか持っていない。夢で見たレシピを再現するため、魔女の家で暮らしながら料理を作る日々を過ごしていた。
低い魔力でありながら神からの贈り物とされるスキルを持つが故、国を揺るがす大きな渦に巻き込まれてゆく。
恋愛×料理×調合
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
《完結》金貨5000枚で売られた王太子妃
ぜらちん黒糖
恋愛
「愛している。必ず迎えに行くから待っていてくれ」
甘い言葉を信じて、隣国へ「人質」となった王太子妃イザベラ。
旅立ちの前の晩、二人は愛し合い、イザベラのお腹には新しい命が宿った。すぐに夫に知らせた イザベラだったが、夫から届いた返信は、信じられない内容だった。
「それは本当に私の子供なのか?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる