冷徹公爵が無くした心で渇望したのは愛でした

茜部るた

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傷ついた手 2

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 お前の食事は昼になってからだと言われ、まずは洗濯を終わらせろとランドリーへ連れていかれる。
 そこには1人ランドリーメイドがいたが、彼女は新人が使えるやつと分かると仕事のほとんどを押し付けた。
 洗濯を終え、赤子に乳を貰い、戻るとすぐ昼食の準備を手伝わされる。
 それらが終わるとやっと食事を許された。
 鍋の底から攫ったスープとパン、少しばかりのベーコンとインゲンの付け合わせ。お腹いっぱいにはならないが、暖かい食事ができてほっとした。
 下げられた主の食器と使用人6人分の皿や鍋を洗い終えると、主の主寝室の掃除、ベッドメイキング。
 間にまた貰い乳をし、行き届いていない部分の掃除。
 
 自分1人なら逃げだしたかもしれないこの状況。
 だが彼女は誰の子だかわからない赤子を守るため、この状況ですらありがたく享受した。

 
 ゲイルは何をしている人なのかは分からなかった。
 暖炉の火を眺めていたり、冷えた空気の染みこむ窓から雪を見つめていたり。
 部屋の掃除をした時は書斎のデスクに手紙が山になっていた。
 シーリングスタンプが王族が使用するロイヤル・バーミリオンと言われる特別な赤い蝋に見えたが、デスク回りは触るなと言われているのでよくはわからなかった。
 
 時折何かと葛藤するように頭を抱えているところや、体が悪いのか胸を押さえている姿も見かけた。

 ただ好奇心を持つほど時間に余裕はなく、彼女は1日の作業に疲れ果てると、赤子を抱き毛布にくるまって死んだように眠った。
 赤子は寝る前の乳で腹持ちがいいのか、朝まで眠ってくれるのがありがたかった。

 そうして数日が過ぎたある日。
 ベスに旦那様にお茶をご用意しろと言われ、掃除道具を急いで片付けるとティーセットをワゴンに乗せ談話室に向かった。
 彼は暖炉に1番近いソファに座り、またその冷ややかな瞳に炎を映していた。

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」

「貴様はメイドの割に教育がなされているようだな」

「私は商家の出身でございます。14まで父が教師を付けて下さいました」

「15からはどうした」

「今はもう商会はございません」

 マリアは淡々と説明しながら紅茶を淹れローテーブルにお茶菓子と共に並べた。
 彼はソーサーを取り上げるとカップを持ち、そして気づいた。
 ソーサーに少し汚れがついている。
 赤茶けたそれは血のように見えた。

「なんだこれは」

 ローテーブルに戻されたソーサーを見たマリアは慌てて頭を下げた。

「汚いものをお見せし申し訳ございません。すぐに新しいものとお取替えいたします」

 ソーサーに伸ばされた彼女の手をゲイルは見た。

 とても18の娘とは思えないほど手は荒れ、老婆のようになっている。
 関節でぱっくりと割れた皮膚はまだ血が乾かずに滲み、指先はささくれその血がソーサーに付いたようだった。

 あまりの痛々しさにゲイルも眉をしかめる。

「酷い手だな」

「重ね重ね申し訳ございません」

「何故そんなことに」

 使用人の酷使される体など貴族は知るまい。
 マリアは「ただの手荒れでございます」と答えると、エプロンで手を拭ってから予備の茶器を用意した。

 血を付けないように細心の注意を払い、淹れ直した茶をローテーブルに置く。
 今度は綺麗なまま出せたが、エプロンで強く拭いた指先は痛みを増していた。

「うっ…」

 ゲイルがソーサーに手を伸ばした時だった。
 彼は急に胸を押さえ呻いた。
 肺の中に氷水でも入ったかのように冷たい。
 彼は思わず「寒い」と口にした。

「ゲイル様、こんな手で失礼ですが熱をみさせていただいてもよろしいでしょうか」

 ゲイルはその言葉に顔を上げる。
 心配そうに眉を寄せるマリアの顔は、数日前と印象が違う。
 来た時は薄汚れた女だと思ったのだが。

「額に触れてもよろしいでしょうか?」

 もう1度問う彼女に「構わない」と言うと、あのソーサーを血で汚した手が迫って来た。
 間近で見た手のひらもあちこち傷つき、紫になっているところもあった。
 ただの手荒れでこんなになるだろうか。

 彼は凍りそうな胸を忘れ、その手を取った。
 マリアは汚い手を咎められたと思った。

「申し訳ございません。こんな汚い手で触れようとしたこと、お許しください」

 どんな罵声が飛んでくるのかとマリアは身構えた。
 だが怒鳴り声は聞こえず、ゲイルは不思議なものでも見るかのように傷の上を指先でなぞっていた。

「旦那様、お手を汚してしまいます。お放し下さい」

「この手は痛くはないのか」

「旦那様がお気になさるようなことではございません」

「痛くはないのか」

「…痛いです」

 ゲイルはまだその手を掴んだまま何かを考えているようだった。

『そこ、違います』

『いたいっ』

『言ってわからないのなら体で覚えていただきます』

『先生、ぶたないでください』

『では次はお間違えないよう』

『はい…』

『違います! 何度言えばわかるのですか!』

『いたいっ、いたいです先生』

「旦那様?」

 マリアの声にようやく顔を上げた。
 幼い日の光景が何で蘇ったのか。
 あの時鞭で叩かれた自分の手は今のマリアの手よりはマシだった。
 みみず腫れでも痛いのだ。
 こう血が滲むほど皮膚が割れていては、メイドの仕事などままならぬのではないか。

「もういい。お前は下がれ」

「ひざ掛けをお持ちいたしましょうか」

「いやいい。もう寒くない」

 彼女は一礼すると、お茶はそのままに赤子の入った籠を持ち退室した。

 嘘をついたわけではない。
 あれほど冷たかった肺は温度を取り戻したようだった。
 少しぬるくなったお茶に手を付けると、彼はまた揺らめく炎を見つめていた。
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