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王子殿下の求愛 ②
しおりを挟むシルヴァーノ邸へ帰宅してすぐ主治医に様子を診てもらったこと、多めの水分を取って早くに就寝したことが功を奏したのか、ミリアが大きく大きく体調を崩すことはなかった。おかげで翌々日からの王子妃教育にも問題なく参加し、今も元気に授業を受けることができている。
元気がないのはミリアよりも、むしろティアナの方だった。
ミリアが講義を受けている間、ティアナは講義室の近くにあるティーサロンで過ごす許可をもらっている。三日前まではそこで本を読んだり、持参したハンカチに刺繍をしたりと、一人きりの静かな時間を満喫していた。しかし今日はいつもと違う。
「あの……アレクシス殿下……」
向かいの席に腰を下ろしたアレクシスが、本のページをめくるティアナの様子をじっと観察してくる。その視線がとにかく気になる。
アレクシスがこのサロンにやってきたとき、ティアナは彼にこの場を譲って、自分はどこか別の場所へ移動しようと考えた。しかしアレクシスはティアナの退出を許可せず、『読書の邪魔はしないので、このままここにいてください』と求められた。
次にアレクシスに会ったら先日のやりとりの件で質問攻めにあうのでは、と身構えていたので、話を蒸し返されないのは助かる。とはいえなにか会話をするわけでもなく、読書する姿をじっと観察されるのも居心地が悪い。
そもそも王族として公務に勤しまなければならないはずの彼に、こんなところで無意味にティアナを観察する余裕があるものなのか、と考える。
「殿下はご公務があるのでは?」
「本日分は正午までにすべて終わらせてきました。ティアナ嬢は、仕事を疎かにして女性に現を抜かすような男性は、お嫌いでしょうから」
「……」
にこりと微笑むアレクシスに、思わず表情が固まってしまう。蒸し返されないと思った数分前の自分を『そんなわけないでしょう』と叱ってやりたい。
彼が口にする『仕事を疎かにして女性に現を抜かす男性』というのは、ジャックのことだ。きっとアレクシスはティアナの素性だけでなく、婚家であったイクシア侯爵家についても調査したのだろう。ゆえに彼は、夫であったジャックがろくに仕事もせず愛人との爛れた関係に溺れてばかりだったことも把握しているのだ。
アレクシスはティアナの過去を知ったうえで、『自分はそうではない』とアピールしてくる。わかりやすい主張に項垂れたティアナは、読んでいた本をパタンと閉じて深いため息をついた。
「殿下のために勉学に励まれているご令嬢たちに、失礼だとは思わないのですか?」
「もちろん、思っていますよ」
ティアナの指摘を耳にしたアレクシスが、テーブルに頬杖をつきながらにこにこと微笑む。
「ですから俺は、『花嫁選定』はもう終わりにしましょう、時間がもったいないです、と伝えました。俺があの五人の中から誰かを選ぶことはないことも、きっぱりと宣言しました。ただ、関係者全員から猛反対されまして」
「……」
当たり前だ。そんなことをすればミリアを除く四人の令嬢はもちろん、終了を告げられた彼女たちの家族も混乱するに決まっている。
それにアレクシスのために候補者への授業と試験を行っている王室関係者、花嫁選定の実施を認めたであろう国王陛下や、先日のように協力してくれる第一王女にも迷惑をかける。あっさり中止できるはずがないことは、無関係のティアナですら予想できる。
アレクシスの思いきりが良すぎる提案に頭を抱えていると、テーブルに頬杖をついていたアレクシスがふと姿勢を正した。
「ティアナ嬢。あなたにこれを」
ティアナが顔をあげると、アレクシスがティアナに向かって右手を差し出している。視線を下げてみると、本日は手袋をしておらず素手のままの彼が、青い布のようなものを握っていることに気づく。
ティアナがぱちぱちと瞬きをすると、アレクシスが指の力をそっと緩めた。
「青色の、リボン……?」
彼の指先からはらりとほどけて広がった細い布は、深みのある青の色彩で染められた一本のリボンだった。美しい光沢を纏ったそのリボンをじっと見つめていると、アレクシスが小さく頷く。
「はい。見るたびに俺のことを思い出してもらうためには、日常的に使うものがいいかな、と思いまして」
「え……。いえ、それは……」
「本当は宝石や菓子を贈りたいところですが、シルヴァーノ伯爵家のご令嬢は目が肥えていらっしゃる。菓子は食べればなくなってしまいますからね」
アレクシスの言うように、ティアナの生家があるシルヴァーノ伯爵領は、宝飾品に使われる鉱石類の産出が盛んな土地だ。ゆえにそれらの研磨や加工を行う職人、鉱石や宝石の価値を見極める鑑定人、宝飾品を流通させるための商人も多い。
ティアナは宝飾品の生産や流通事業に直接関わっているわけではないが、同年代の他の貴族令嬢よりは極上品や最上級品を目にする機会が多いように思う。
しかしそういう問題ではない。アレクシスの花嫁候補者ではないティアナには、高価な宝飾品や流行の菓子はもちろんのこと、リボン一本すら受け取る理由がないのだから。
ならばここはきっぱりと断ろう、と心を決めた直後、アレクシスが椅子から立ち上がって傍まで近づいてきた。
「あ、あの……! アレクシス殿下……!」
アレクシスの接近に気づいて声をあげるが、彼に立ち止まる様子はない。狼狽するティアナの髪に手を伸ばしたアレクシスが、その一筋をそっと掬いあげる。
ティアナはいつも長い金の髪を下ろしたままにしており、華美な髪飾りや派手なリボンはつけていない。横髪や頭頂に編み込みを施すことはあるが、今日は丁寧に梳いただけの髪型だ。
ティアナの長い髪に手にしていた青いリボンを結んだアレクシスが、嬉しそうに頷く。
「よく似合います」
「!」
幸福をにじませるようなアレクシスの声に、ハッと顔を上げる。すると至近距離で彼と目が合って、ティアナの動きがぴたりと止まった。
「ああ……あなたは素顔『も』こんなに可愛らしい人だったんですね」
「~~っ……!」
アレクシスがストレートな言葉でティアナを褒めるので、再び言葉を失ってしまう。あの夜の記憶を呼び起こさせるように掠れた声で囁かれ、熱の気配が全身にぶわ、と広がる。
驚いたティアナはサッと顔を背けて、アレクシスにそっぽを向いた。 咄嗟の行動は熱く火照った顔を見られたくないという防御の意味だけでなく、彼の確信めいた問いかけを否定したいという抵抗の意味もあった。
「アレクシス殿下は、人違いをしてらっしゃいます。殿下のおっしゃる『月の仮面舞踏会』というものを、私は存じ上げません」
いつにない早口でアレクシスの発言を否定する。あなたの認識は間違っています、あなたが探している人は私ではありません、と、無駄な抵抗だと悟りながらも首を横へ振る。
万が一の確率でアレクシスがあっさり納得してくれないかと期待したが、やはりそんなはずはない。
「ティアナ嬢は嘘をつくことに慣れていないのですね。――声も、指も、睫毛も震えています」
「っ……」
くす、と笑みをこぼしたアレクシスが、大きな手でティアナの頬を包み込んで、ほんの少しだけ力を込める。くいっと顎を持ち上げられて視線が合うと、アレクシスがとろけるように優しい笑顔を浮かべた。
「こうして見れば、あの夜のままですね。どうして最初に会ったときに気づけなかったのか、自分で自分が不思議で仕方ありません」
恥じ入るティアナの表情を確認したアレクシスが、確信を得たように頷く。
だから違うと言っているじゃないですか、という否定は、きっともう意味がない。だが認めるわけにもいかないので黙り込んでいると、ふ、と力を抜いたアレクシスがさらに顔を近づけてきた。
「……ティアナ嬢」
「! ま、まってください……!」
アレクシスに急接近されたティアナは、まさかキスをするつもりなのでは、と大いに焦った。その予想は当たっていたらしく、頬を包む手はそのままに、反対の手がティアナの腰をぐいっと引き寄せる。
アレクシスの大きな手がティアナの頬を優しく撫でる。その触れ方にどこか懐かしいぬくもりを感じて、心臓がどきどきと大きな音を立て始める。
じっと見つめ合った相手は、髪の色も瞳の色も匂いもあの夜の人と同じ。違うのは顔を覆う仮面があるかないかという一点だけ。
忘れていた記憶と感覚がふいに蘇ってきて、優しくあたたかな気持ちに満たされる。長い間探し求めていた存在と再び巡り合えたような、胸の高鳴りと身体の火照りを感じる。
腰を掴むアレクシスの手にも力が籠る。その力強さに蜜夜の記憶が重なり、そのまま目を閉じたい衝動に駆られるティアナだったが――
『お姉さまー? ティアナお姉さま~?』
「!」
廊下からミリアの呼び声が聞こえてきて、身体がびく、と硬直する。はっと我に返ってみるとあと数センチのところにアレクシスの顔が迫っていて、自分がとんでもないことをしようとしていると気がつく。
(あ、あああ、危なかった……! 私は一体なにを考えて――)
ガタガタッと椅子を鳴らして立ち上がりながら、アレクシスが醸し出す甘い空気に呑まれそうになったことを猛省する。
アレクシスはこの国の第二王子で、彼には五人の花嫁候補者の中から将来の伴侶を選ぶ必要があって、対するティアナは年上の未亡人だ。釣り合い的にも状況的にも簡単に道を踏み外してはいけないはずなのに、雰囲気に流されてとんでもない大失態を犯すところだった。
『ティアナお姉さま~!』
「あの子ったら……大きな声で人を呼んではいけない、とあれほど……!」
心の中ではミリアに感謝しているくせに、表面上は彼女を正しい方向へ導く姉面をしてしまう。
そんな偽善を神さまに見抜かれたのだろうか。テーブル上の本を回収して早々にサロンから立ち去ろうとしたところで、背後から伸びてきたアレクシスの手に腰を捕まえられた。
「……ティアナ嬢」
「!?」
背中にやわらかなぬくもりを感じた直後、後ろから回ってきたアレクシスの手がティアナの顎をそっと包み込んだ。
親指で唇をなぞられる感覚にぞくん、と背中が痺れると、後ろからティアナを抱きしめたアレクシスが、熱い吐息と情熱的な口説き文句を耳の中へ直接注ぎ込んできた。
「次は、この唇に触れたいです。――あの夜のように」
「~~っ……!」
低く掠れた囁きのせいで腰から力が抜けて、床へ座り込みそうになってしまう。
ミリアの声がさらに近づいてくる前にティアナの身体は解放されたが、足に力が入らなくなったせいで、その場に硬直したまま動けなくなってしまうティアナだった。
*◆*◆*◆*
三日後。ファルトニア王室が父のマクシム=シルヴァーノ伯爵に宛てた書面の内容に、ティアナは再び腰を抜かしそうになった。
(なんで……!?)
マクシムは一か月ほど前のミリアのときと同じぐらい歓喜し、これまでの冷たい態度を忘れたかのようにティアナを『よくやった』『でかした』と褒め称えてくれるが、当のティアナは書面を手にしたまま震えるばかり。
(なんで私が『六人目の花嫁候補者』になってるの~~~~!)
いくらなんでも、それは予想外がすぎる。
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