年下王子と未亡人令嬢

紺乃 藍

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警告と苛立ちと ①


「ティアナ=シルヴァーノ嬢」
「はい」

 眼鏡をかけたロングワンピース姿の女性から名前を呼ばれたので、椅子を引いてその場にスッと立ち上がる。

 三十代半ばの伯爵家のご夫人は、花嫁候補の令嬢たちにファルトニア王国の歴史や経済について教えてくれる女性教師だ。

 女性がティアナに問いかけたのは『ファルトニア王国の水害の実情と対策について述べよ』――我が国の〝弱点〟を理解し、問題の〝解決策〟を的確に言語化してみせよ、との内容である。

 一度吐ききった息を吸うと、彼女の目を見つめながらティアナの考える『答え』を示していく。

「我が国では渓谷の多い北部から河川の多い中央部にかけての『北方域』と、ラウラス海に面した『西方域』が、特に水害の多い地域です。そのためファルトニア王政は現在、北中域のバーニス子爵領、西方域のガルサ侯爵領、アラント伯爵領、ルイヴァール子爵領の低海抜地域に堤防の設置や副水路を通すための工事を急いでいます。ただし工事費に充当できる国費には限界があり、工事にも時間も要するため、各領地でも対策を講じる必要があります」

 ティアナが水害の現状と対策をすらすらと述べると、最初は目を丸くしていた夫人が、うんうん、と深く頷き始める。どうやらティアナの考えは、彼女の考えと一致しているようだ。

「また、これらの地域は水はけが悪く小麦の栽培には向かないため、他の作物で食料を賄う必要があります。具体的には――」
「す、すごいですわ……」
「ティアナさま、どうしてそんなこと知っているのかしら……?」

 講師の夫人は深く共感してくれているし、隣に座ったミリアも『私のお姉さま、すごいでしょう!』と言わんばかりに胸を張っているが、他の四人の令嬢たちはぽかんと絶句したままティアナの顔を見つめている。中には『何を言っているのかわからない』と顔に書いてある令嬢もいた。

「結構です。よく勉強されていますね」
「ありがとうございます」

 ティアナの意見を耳にした夫人がにっこりと頷くので、お礼と微笑みを返して元の席へ腰を落ち着ける。

 今回の授業内容や彼女の語り口調から察するに、夫人はこの国の災害対策に強い関心を持っているようだ。

 しかしファルトニアの政界はまだまだ男性社会で、女性が意見を主張できる機会は少ない。ゆえに同意見であれ、反対意見であれ、議論を酌み交わす相手がいなくて寂しい思いをしているのだろう、と推察する。

 その後もティアナに当てたときだけ深い内容の意見を求めてくるので、ティアナの答えが彼女の琴線に触れたことがわかった。

 ただし夫人はひとつ、盛大な勘違いをしている気がする。

(アレクシス殿下の花嫁となるために勉強したわけではないのですけどね……)

 おそらく彼女は、ティアナがアレクシスの花嫁になるために必死に勉強している、と感じているはずだ。しかし実際は違う。

 ティアナは一度イクシア侯爵家へ嫁いでおり、そこでジャックの代理として領主の仕事を行うために、ファルトニアの現状や災害対策について勉強をする必要があったというだけ。別にアレクシスの花嫁になりたいわけではないし、むしろ可能であれば今からでも辞退したい、と思っているほどだ。

 本当は適当に答えてもいいのだが、あまり露骨に手を抜けば、一緒にいるミリアの印象が悪くなる可能性がある。真面目にやっていないと判断された結果、父に報告されることも避けたい。

 よって授業や試験は真面目に、と思っていたのだが、さすがに少々喋りすぎてしまったようだ。次はもう少し加減しなければ、と違う意味で反省するティアナである。

「では、本日の授業はここまでです。皆さま、お疲れさまでした」

 授業を終える号令をかけると、ティアナに向かってにっこりと微笑んだ夫人がそのまま教室を出て行く。これで今日の授業は終了だ。

 しかしすべての授業が終わっても、花嫁候補の令嬢たちはまだ教室を出ていかない。そわそわと落ち着きのない様子で手鏡を覗き込んだり、髪を撫でたりと身繕いに必死な様子である。

 そんな四人の令嬢たちを尻目に、ティアナとミリアはそそくさと教室を後にした。

「明日はアレクシス殿下との昼食会ですね、お姉さま」

 隣を歩くミリアがにこにこと問いかけてくるので、そういえばそうね、と頷く。

 花嫁選定のメインは授業と試験の成績だが、もちろんそれだけではない。時折アレクシス本人や他の王族が同席するお茶会や食事会が実施され、そこでの装いや振る舞い、会話も評価される。座学や試験でなくとも気は抜けないのだ。

「早く帰って、ミリアの衣装を確認しなきゃ。新しいドレスに合う靴や宝飾品を考える必要もあるわね」
「私だけではなく、お姉さまもでしょう?」
「私はいいのよ」
「よくないです」

 ティアナの返答にミリアがぷんすこと頬を膨らませる。可愛い妹が不機嫌に唇を尖らせるので、なぜミリアが怒るの……としゅんとしていると、すぐに表情を変えたミリアが顔を覗き込んできた。

「私よりも、お姉さまの方がアレクシス殿下にお似合いだと思いますけれど?」
「……そんなはずないでしょう」

 ティアナをからかうように、ミリアが微笑む。ティアナは即座に否定の台詞を紡いだが、おそらく彼女も気づいているのだろう。

 ティアナが六人目の候補者として花嫁選定に参加するようになってから、授業が終わる頃になると、アレクシスが教室へ現れるようになったことに。一見すると全員平等に接しているようで、実は彼がティアナにだけ他とは違う笑顔を向けていることに。

 今日は授業が早く終わったが、他の四人はこの後アレクシスがやってくることを期待して、少し居残ってみることにしたらしい。特に彼に会いたいと思っているわけではないティアナとミリアは、さっさと教室を後にしてしまったのだが。

 しかしミリアはなにか勘づいているらしい。居残りを提案してくるほどではないが、彼女の視線には明らかに『アレクシス殿下に会わなくていいのですか?』という問いかけが含まれている。

 それを否定するように、ティアナはふう、とため息をついた。

「お似合いなはずがないでしょう。アレクシス殿下よりも私の方が年上なのよ?」
「年齢なんて関係ないです。たったの三歳の差なんて、あってないようなものですから」
「大ありに決まってるでしょ。そもそも、私の場合はそれ以前の問題じゃない」

 ミリアは忘れているのかもしれないが、そもそもティアナは未亡人なのだ。法的に再婚が許されない立場ではないが、どう考えても第二王子の結婚相手には相応しくない。

「問題だらけの私よりもミリアの方が……」
「あっ、いっけなーい!」

 ティアナが口を開いた瞬間、ミリアが右手の先で口元を隠しながら、自身の失態を宣言した。

「教室に忘れものをしたみたい! 急いで取りに行ってきますので、お姉さまはここで待っていらして!」
「……」

 ミリアの一言に、口角がひくっと引きつる。

 たぶん嘘だ。花嫁選定の授業に使われる教科書は、先ほど鞄の中にしまっていることをこの目でちゃんと確認した。筆記具は王宮のものを借りているため毎回持ち運ばないし、自主学習のときはともかく、授業中はノートを使わないのでそもそも持ってきていない。

 しかしするはずのない忘れものをしたというミリアを、あえて叱ることはない。

「走ってはだめよ?」
「わかってまーす」

 ミリアが笑顔を浮かべて教室へ引き返していく。その背中を見つめて、ティアナはうーん、と苦笑いを零した。

 人の行き来が多い回廊なので、中央に突っ立っていては邪魔だろう、と考え、端に寄って壁に背中を預ける。

「……あの子が元気いっぱいなことが、評価されるといいのだけれど」

 身体の弱さを克服し、以前とは比べ物にならないほど元気になったミリアの姿を見ていると、本当によかった、と安堵する。しかし以前の病弱な状態を知っているためか、ついミリアの将来について、あれこれと口を出し過ぎてしまう。

 ミリアには幸せになってほしい。ティアナのように父の駒として望まない結婚を強いられる未来は、回避してほしいと思う。

 そのために第二王子とする、というのは良い案だと思っている。アレクシスが愛情深い人柄であること、女性を大切に扱ってくれることを知っているので、彼になら大切なミリアを預けられる。本質は異なるが、そういう意味ではティアナとマクシムの意見は一致しているのだ。

 ただ本当は、ミリア自身がそれを望んでいないことも知っていた。昔からベッドの上にいることが多く、学校にもあまり行けていなかったので、まさかとは思うが――もしかしたらミリアには好きな人がいるのかもしれない。

 もしそうなら、アレクシスとの結婚を過剰に推奨するのは酷な話だ。だがこればかりは本人に聞いてみないことにはわからない。

 ついに六歳年下の妹と恋の話ができるようになったのかも……と不思議な緊張感を覚えていると、横から誰かに声をかけられた。

「ティアナ」
「!」

 聞き覚えのある声がしたので振り向いてみる。

 するとそこに、予想外の人物が佇んでいた。

(!? ラ、ラザールさま……!)

 相手の存在を確認した途端、声を失ってしまう。思いがけない再会に身体がぎくりと強張る。

 ティアナに声をかけてきたのは、まさかのラザール=イクシア侯爵だった。

 なぜここに彼が……? と思いつつも、まずは丁寧に挨拶をする。それが貴族の令嬢に相応しい礼儀だからだ。

「ご機嫌麗しゅうございます、イクシア侯爵さま」
「そんな堅苦しい呼び方なんてしなくてもいいのに。君と僕の仲だろう?」

 ティアナの挨拶を耳にしたラザールが、にこりと笑顔を浮かべる。しかし人の良さそうな笑顔を向けられても、ティアナは背中に嫌な汗をかくばかり。

「君がイクシア家を出たことで、兄さんがいかに君に領地管理を任せきりにしていたか、よくわかったよ。おかげで今、大忙しだ」
「……」

 そうでしょうね、と思ったが、それはもちろん口には出さない。

 嫁いだ直後から離縁される日の前夜まで、ティアナはイクシア侯爵家が統治する領地の管理と運営を、ほとんど一人でこなしていた。それを急に切り捨て、引継ぎもままならないままイクシアを追い出されたのだから、彼は今、さぞ大変な思いをしていることだろう。

(でもジャックさまよりラザールさまの方が、まだ良識のある領地経営ができると思うわ)

 本当になにもしなかったジャックと異なり、ラザールには領地を適切に運営していこうという気概が感じられる。

 後ろ髪を引かれる思いで侯爵家の使用人や領民たちと別れたティアナはそれだけが心配だったが、ラザールが彼らのことを考えてくれる領主であることは、ティアナにとって救いだった。

「それより、ティアナ」

 そんなラザールがティアナの名前を呼びながら一歩傍に近づく。呼び捨てにされたことと身体の距離が近づいたことで、背筋がざわりと震えた。

「君がアレクシス殿下の花嫁選定を受けているというのは、本当なのかな?」
「!」

 ラザールの確認に思わずたじろいでしまう。なぜ知っているのだろう、と身構える。

 ティアナがアレクシスの花嫁候補になっていようといまいと、ラザールには関係がない。しかしティアナの反応を目にした彼は、なぜかひどい裏切りにあったような憎々しげな表情を見せる。

「兄さんに操を捧げた身だ、再婚の意思はない、と豪語していたのに、相手が王子殿下なら手のひらを返すんだね」
「そ、それは……!」
「そもそも、どういう手を使ってカミラの目を欺いたんだ!?」

 一度問いかけの台詞を告げると、疑問の感情が一気に膨れ上がったらしい。ここが人の行き来が多い廊下だと忘れているのか、ラザールがティアナを糾弾する言葉を並べ始めた。

 ただしその言葉はどれも、昼下がりの公衆の面前で堂々と口にしていいものではない。 

「本当は兄さんとは寝てなんていないくせに……! 君は兄さんに愛されることがなかったのに、なぜ……!?」
「や、やめてください……!」

 こんな人目がある場所で、突然なにを言い出すのだろう。寝る、愛される、などと、本来秘されるべきプライベートの事情を詳らかにされて、ティアナの顔と背中に嫌な熱がじわりと滲んだ。

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