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逃げられない ②
しおりを挟む(ど、どうして……!?)
なぜラザールがここにいるのか。彼が来訪する予定など聞いていないし、もちろん招いた覚えもない。
なのになぜ――と混乱状態に陥ってしまう。背中に変な汗をかき、ルームドレスの中でも脚が小刻みに震え出す。
しかしただでさえ混迷を極めるティアナを、ラザールがさらに追い詰めてくる。
「ご覧ください、シルヴァーノ伯爵」
近づいてきたラザールが、胸ポケットから三つ折りにされた一枚の紙を取り出して開き、それをティアナとマクシムの前へ示した。
「これが医師の証明書です。ここに、ティアナ嬢からは『乙女の証』が失われている、とはっきり記されているでしょう?」
「!?」
衝撃的な一言を告げられ、弾かれたように視線を上げて彼が手にする書面の内容を確認する。
(これは……あのときの……!)
そこに記されていたのは、女医であるカミラから検査を受けた日付、検査の内容、そしてその結果――『ティアナ=シルヴァーノ伯爵令嬢からは乙女の証が失われている』との一文だった。
書面を確認した途端、ティアナの足から力が抜けそうになってしまう。
確かに検査は受けた。そのときに告げられた結果も、ここに書かれている内容も、間違ってはいない。だがまさかあの日の診断を逆手に取り、こうして嘘の主張に利用されるとは思ってもいなくて、心の底から絶望してしまう。
しかし崩れ落ちている場合ではない。ティアナは捻じ曲がった主張を意気揚々と語り続けるラザールに、今すぐ黙ってもらわねばならなかった。
「彼女の純潔を散らしたのは兄ではありません。この僕、ラザールなのです!」
「!? ちが……違います!」
しかしティアナが口を開くよりも早く、ラザールが平然と嘘を重ねてくる。ありもしない事実を自信満々に並べ立て、ティアナやマクシムに悪いと思わないのか、良心が痛まないのだろうか、と思うほどの悪質な虚言を繰り返してくる。
「イクシア侯爵さま、嘘は――!」
無理にでもラザールを制止しようと顔を上げ、腕も伸ばそうとする。だがふとラザールの表情を確認したことで、ティアナは唐突に状況を理解した。彼の突拍子もない行動の理由も、わかりたくはなかったがすべてわかってしまった気がした。
思わず、ああ……と絶望の吐息が零れる。
(目が据わってる……正気じゃ、ない……)
通りで平気で嘘をつくわけだ。
話も通じないに決まっている。
ラザールの目は、完全にティアナでもマクシムでもない、別の世界にいる誰かを見つめていた。現実には存在しない何者かに自身の主張を切々と訴え、医師の診断という武器を根拠に、恍惚の表情を浮かべて己の正当性と勝利を宣言している。
この状態のラザールにはなにを言っても無駄だ。どう考えてもまともに話が通じる様子ではない。
正直、明らかにおかしい彼の訴えを信用し、シルヴァーノ家へ迎え入れた父にも疑問を感じている。だがそれは後回しでいい。
こうなったらティアナが取るべき行動はひとつ。マクシムに自身の潔白を訴え、今すぐラザールにここから出て行ってもらうことである。
「お父さま。私は、ラザールさまと情を通わせたことはございません。私は本当に、ジャックさまと……」
「ティアナ」
マクシムに事実無根であることを訴えようとしたティアナだったが、その説明を突然遮られる。
冷たい目でこちらを見下ろしたマクシムが、ティアナに対してあまりにも無情な判断を言い渡した。
「アレクシス殿下の花嫁選定が終わり次第、おまえはイクシア侯爵家へ戻りなさい」
「!? お、お待ちください、お父さま……!」
「言い訳など聞きたくない」
父の宣言に今度こそ全身から血の気が引く。めまいを起こしてその場で意識を失いそうになる。
互いの訴えを時系列に並べ、情報を追いながら冷静な思考で考えれば、ラザールの主張が間違っていることはわかるはずだ。頭の良いマクシムならばなおさら、彼の訴えが明らかにおかしいことは理解できるはずなのに。
どうしてそのような結論になるのだろう。
なぜティアナの話を聞いてくれないのだろう。
「今、王族の花嫁選定を辞退すれば、ミリアの将来にも悪い影響が出かねない。だから時を待つが、おまえには選定を終え次第、イクシア侯爵家へ戻ってもらう」
「っ……!」
――ああ、そういうことか……と、ふと気づいてしまう。マクシムの本心を知ってしまう。
アレクシスの花嫁候補としてティアナが追加で選ばれたとき、父はティアナを褒め称えてくれた。だが彼もティアナ自身と同じく、本心では年上で既婚者のティアナよりも、年下で結婚歴のないミリアの方が花嫁に選ばれる可能性が高い、と思っているのだ。
万が一どちらも選ばれなかったとしても、ミリアには家柄も良く将来有望な素晴らしい相手が約束されている。もちろんティアナも同じ条件ではあるが、未亡人であるティアナには、地位と権力はあるが同じく一度結婚を経験した貴族男性――『条件がいい後妻』を用意される可能性もある。
つまりマクシムにとって優先すべきは『ミリアの将来』であって、『ティアナの将来』ではない。むしろ彼としては、侯爵位を持つラザールと再婚してもらうことで『婚家を追い出された娘』という印象を払拭してもらった方が、なにかと都合がいいのだろう。
「醜聞が広まらないよう、ラザールさまが最大限のご配慮をくださるとのこと。ラザールさまの恩情に感謝するんだな」
「……」
マクシムも最初は驚いたことだろう。なぜならラザールの宣言は、娘であるティアナが不貞を働いていた、と暴露されたのと同義だからだ。
しかし結論として、二人の希望は一致していた。マクシムにとっても、ラザールにとっても、ティアナがイクシア侯爵家に戻る方が都合がいい。
だから明らかにおかしな様子のラザールを受け入れ、こうしてシルヴァーノ伯爵家に招き入れて二人でティアナに再婚を促す、という決断に至ったのだろう。
だがそこには、ティアナの意思が一切存在しない。
「……お父さまは、私の話より……イクシア侯爵さまのお話を信じるのですね」
娘であるティアナが、必死に『ちがう』と言っているのに。『そんなはずはない』『間違いです』と懸命に訴えているのに。
マクシムは一切話を聞いてくれない。ティアナの話にまったく耳を貸してくれない。
だから最初から無意味だったのだと気づいてしまう。あのとき親友のフリーデから、父に相談してみては、と助言を受けていたが、遅かれ早かれ同じ結論に辿り着いたのだろう、と悟ってしまう。
「もう、結構です! 出て行ってくださいっ!」
絶望に打ちひしがれたティアナは残された気力をどうにか振り絞ると、二人を突き飛ばすよう腕に力を込めて、彼らを自室から強引に押し出した。
幸い二人は部屋の入口に立っていて奥までは入ってきていなかったので、よろめいた二人が振り返る前に扉を閉めてしまえば、あとは鍵をかけるだけ。
『! ティアナ……!?』
『おい、ティアナ! ここを開けなさい! ティアナ!』
閉めた扉がどんどん、と叩かれる。ドアノブがガチャガチャと鳴らされ、廊下から名前を呼ばれ続ける。
けれどその扉に背中をつけたティアナには、足から力が抜けてずるずると崩れるばかりで、鍵を開けるどころか返事をする気力すら残っていない。
(いや……。あの家には、絶対に戻りたくない……)
ラザールから逃れるために羞恥を押し殺して検査まで受けたのに、その検査の結果が仇となって自分に返ってくるなんて。
誰も守ってくれないから、自分で自分を守ろうとしたのに、それが巡り巡って自分を苦しめるなんて。
(私は、どうしたらいいの……?)
背後でドンドンと鳴り響く音を遮断するように、耳を塞ぎながら足を抱えてその場に縮こまる。
明日はひと月で一番明るい月夜のはずなのに――ティアナの心は、深い闇の中へ沈んでいくようだった。
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