【R18】年下王子と未亡人令嬢

紺乃 藍

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逃げられない ①

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 ――二週間後。

 自室の机の前に座ったティアナは、窓の外の夜空を見上げて、ここ数日で何度目かの深いため息をついていた。

(……明日は、満月の夜)

 欠けていた月が日ごと夜ごとに満ちてゆき、明日にはとうとう満月を迎える。ひと月の中でもっとも色濃い月光が放たれる夜は、ジークハルト=エンス=ファルトニアが所有する館で『月の仮面舞踏会』が催される日だ。

 夜の空から視線を外し、自身の手の中にある一枚のカードをぼんやりと見つめる。

 光沢のある黒い紙に金色の満月の紋章が捺されたそのカードは、『月の仮面舞踏会』への招待状だ。カードには名前や舞踏会へ誘う文言の記載はなく、記されているのは開催日時と開催場所の二つのみ。

 ゆえに参加手配をしていない人に招待状を譲渡したり、偽造することも不可能ではないが、この招待状は間違いなく本物だ。

 なぜならこの招待状は、第二王子のアレクシス=ファルトニアが直接くれたものだから。口頭で月の仮面舞踏会へ誘われた翌日、花嫁候補者たちを招いた昼食会の真っ最中に、他者の目を忍ぶようにしてティアナの手の中へねじ込まれたものだから。

 びっくりして慌ててカードを隠すティアナの姿を確認すると、アレクシスはすぐに傍を離れてくれた。だが無言のまま笑顔で人指し指を唇に押し当て、内緒の合図を送ってくることは忘れない。

 それに悪戯っぽい仕草とは裏腹に、彼の視線にはティアナの迷いや不安を焼き切るほどの強い熱が込められている。招待状は冗談めかして渡されたが、彼が本気でティアナを誘っていることは明白だった。

(月の仮面舞踏会に行けば、またアレクシス殿下と夜を過ごせるかもしれない……)

 手の中のカードに捺された満月の紋章を指先で撫でるたび、どきどきと心臓が高鳴る。二週間前にアレクシスに誘われてから――否、最初に彼と月の仮面舞踏会で出会ったときから、できるだけ考えないようにしてきた『可能性』に心が揺れる。

(私が舞踏会へ行かなければ……殿下はきっと……)

 この二週間、昼食会や教室へやってきた彼と目が合うたびに、期待を向けられていることには気づいていた。

 しかしそれをあえて無視し、明日も月の仮面舞踏会の場へ足を運ばない、という選択を取ることもできる。もちろんそうすれば、アレクシスはティアナに失望することだろう。

 だがそれでいい。公平に花嫁選定を終えるためにも、彼の今後を真剣に考えてみても、ティアナが月の仮面舞踏会へ足を運ぶことに理由もメリットもない。

 それは十分、わかっているのだけど――。

 ぼんやりと考えごとをしていると、廊下の遠くからドスドスと床を踏む足音が聞こえてきた。その音がこちらに向かってきていると気づいたティアナは、慌てて黒い紙に金の紋章が捺された招待状を机の中へしまい込む。

 勢いよく引き出しを押し込むと同時に、ティアナの私室のドアもバン! と開かれた。

「ティアナ!」
「!」

 ノックもせずにドアを開けられた上に大きな声で名前を呼ばれ、びくりと身体を震わせる。

 部屋の入口へ振り返ってみると、血相を変えた父、マクシム=シルヴァーノ伯爵が肩をいからせてティアナを凝視していた。

「お、お父さま……!? 王都へ戻られたのですね」

 マクシムは王都から離れた東方域にある『シルヴァーノ伯爵領』の領主だ。彼の仕事は伯爵領の管理や経営と同時に、シルヴァーノから産出される鉱石や天然石、それらを加工した宝飾品の流通と取引、王室への献上、上流貴族への販売の指揮を、自ら執り行うことである。

 ゆえに普段はシルヴァーノ伯爵領に、社交や催し物が多い時期は王都のタウンハウスに滞在しているのだが、ティアナが六人目の花嫁候補者として選ばれた直後に『かなり珍しい種類の大きな鉱石が採れた』と連絡が入り、伯爵領へ戻っていたのだ。

 しばらくはあちらにいると聞いてたので、マクシムの急な登場に驚きつつ椅子から立ち上がる。

「おかえりなさいませ。お出迎えもせず申し訳ございま……」
「出迎えなどどうでもいい!」

 父への非礼を詫びようとしたティアナだったが、最初の一歩踏み出す前にマクシムが大きな声を張り上げた。

 元々気難しい人ではあったが、急に大声を出して相手を――しかも娘を睨みつけて威嚇するような人ではなかったので、びっくりしてその場に固まってしまう。

 だがマクシムはティアナの怯えを目の当たりにしても、不機嫌な表情を一切変えない。それどころか怒りの感情は徐々に深まり、不快や憤怒もにじみ始める。

 その表情に不安を感じ始めたティアナに、マクシムが思いもよらない一言を告げてきた。

「ティアナ……おまえ、ラザール=イクシア侯爵と通じ合っていたのか……!?」
「……。……え?」

 予想外の質問を耳にし、その場で動きが停止する。

 一時期はティアナの夫――マクシムにとっては義理の親子という関係にあったので、彼の口からジャックの名前を聞くことはあった。だが彼の口からラザールの名前が出たことは過去一度もなかったので、大きな衝撃を受ける。

 いや、名前よりも重大なのはその内容だ。

 意味が理解できず『それは、誰のお話ですか?』と問い返そうとしてしまう。しかしそれを口にする間もなく、マクシムにきつく睨みつけられた。

「ラザールさまから話を聞いた。ジャックさまが亡くなるよりも前から、おまえがラザールさまと情を通わせていたと……!」
「!?」

 衝撃的な断言を受け、ティアナの身体から血の気が引く。意味がわからなくて愕然とする。

 全身の血液が冷たく凍りつく気配を感じながらも、ティアナはただ必死に首を横へ振った。

「そ、そのようなことをするはずがありません……!」

 ティアナを冷たく見下ろす父の視線に、彼がなにかとんでもない誤解をしていることを理解する。

 どうして急にそんな……と疑問に思うティアナだったが、そこで、はた、と思い至る。

(まさか……ラザールさまがシルヴァーノ伯爵領まで赴いて、お父さまに直談判した……?)

 そうかもしれない。
 いや、そうとしか考えられない。

 二週間前、王宮の回廊で偶然にもラザールと遭遇した。そのとき彼はティアナに対して『イクシアに戻ってくれないか』『僕の方が君を必要としている』と、未だにティアナとの再婚を望んでいるような発言をしていた。

 もちろんティアナは拒否したし、駆けつけたアレクシスも、それは許さない、と言葉でも態度でも示してくれた。だがおそらく、あの出来事がラザールのプライドを傷つけ、彼の欲求に火をつけてしまったのだろう。

 しかし一度終わった話を真正面から蒸し返したところで、ティアナには拒否されるし、アレクシスの不興も買う。

 ならば、と正攻法を諦めた彼は、ティアナではなく父のマクシムに訴えることにしたのではないか。そうでなければ、マクシムの口からラザールの名前が出てくるはずがない。

「お待ちください、お父さま! なにかの間違いです!」

 焦ったティアナは、とにかくマクシムの誤解を解かねば、と父の傍へ駆け寄った。しかしそこへ、ティアナの予想を裏づける衝撃的な状況に陥る。

「間違いではありませんよ、シルヴァーノ伯爵」
「!? ラザールさま……!?」

 マクシムの背後から――廊下へ続く扉からひょこりと顔を出したのは、こんなところにいるはずのない、ラザール=イクシア侯爵だった。

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