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深夜零時のベルベット・レース

Vervet Lace 前編 ◆

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「そういえば、アリーシャ」

 夫セインの穏やかな声が、四つん這いになったままシーツを握りしめるアリーシャの背中へ落ちてくる。彼の声が低いものへ変化したことに気付き、首だけを動かしておそるおそる背後の様子を確認する。

「コレクションが一つ減っていたようだけど?」

 月明かりに照らされたセインの目が怪しく光る。静かな問いかけと相反する視線に、快感に耐えていたアリーシャの身体がぴくっと跳ねる。普段は人懐こい子犬のように明るく優しい夫だが、夜の彼は欲に飢えた狼のようだ。

「ミーシャにあげたの……。エミリオに、もっと積極的になりたいと言うから……」
「そう、アリーシャは妹思いだね」

 説明を聞いたセインが納得したように頷くと、後ろから腰を掴んでいた彼の指先からふっと力が緩む。

「セインが、私の肌には……濃い色が似合うって」
「そうだね。この前のネイビーのも良かったけど、この赤もよく似合うよ」
「ええ。だから、その……もう着ないなら、ミルク色のはミーシャに、ひぁっ……ああっん」

 アリーシャの言い訳が途絶える。脇腹に開いたスリットからセインの手が入り込み、胸をふわりと包まれる。四つん這いという体勢のせいで宙に浮いていた乳房は、セインの大きな手に強く掴まれて、形を変えるほど激しく揉まれて、乳首も丁寧に捏ねられる。

「あっ、や……あっ!」
「他の男に見せて、汚して処分したわけじゃないのなら構わないさ」
「そんなこと、するはずな……い、ぁあッ!」

 妹ミーシャの可愛いらしい悩み事を思い出していたせいで、今の自分の格好と体勢を忘れかけていた。だがお尻を高い位置へ掲げられ、後ろから貫かれているアリーシャの状況は先ほどと何も変わっていない。赤い布地とレースを重ねたこの装いも、その全てがあまりに薄すぎるせいで身体をほとんど隠せていないことも、その姿に恥ずかしがる様子を夫のセインが愉しんでいることも。

「私の可愛いアリーシャ。悶える姿も美しいね」
「っああぁ……ッ」

 背中のリボンが解かれると同時に、セインの腰遣いもより一層激しいものへ変化する。待ちわびた律動に導かれるように果てても、セインはまだ快楽を与え終わらない。
 


   * * *



(またやってしまったわ……)

 昨晩の激しい行為を思い出すだけで顔が熱く火照ってくる。毎回加減をしようと――というより加減をしてほしいとお願いするのに、結局アリーシャは彼の望むままに乱れてしまう。破廉恥だ。

 アリーシャの夜着は一般的なナイトドレスやランジェリーよりも生地が薄く煽情的なデザインのものが多いが、これは夫セインの趣味によるところが大きい。絵画や彫刻といった美術品や芸術品に造詣が深い彼は、美しいものを愛でたいという欲求が人より強い性分だ。特に妻のアリーシャを美しく装い愛でることに関しては、一切の妥協がない。

 学園時代からの友人同士であるアリーシャとセインだが、昔はアリーシャに執着する素振りは感じられなかった。だが学園を卒業すると同時に父を通して正式な形で求婚され、貴族の結婚ならこんなもの、むしろ気心が知れた相手なら気楽でいいわ、と考えているうちに溺甘結婚生活が始まっていた。まさかセインの着せ替え人形になった挙句、毎夜のように激しく抱き乱されるとは想像もしていなかったのだ。

 昨晩の蜜事を思い出したアリーシャは、自分の顔に風を送るようにひらひらと手を振る。顔が赤くなっているのをどうにか紛らわすと、ため息を零しながら衣装部屋へ向かう。

「ごきげんよう」
「ご機嫌麗しゅう、ミセス=ディーアス」

 メイドが扉を開いてくれたので中へ進むと、衣装部屋に一人の男性が立っていた。アリーシャの姿を認めた男性が胸の上に指を揃えて丁寧にお辞儀をする。アリーシャもドレスの裾を摘まんで丁寧に膝を落とす。しかし定型の挨拶を形式通りにこなす反面、待たせていた相手が想定していた人物ではなかったことに内心ひどく驚いている。

「ええと……いつもの方は?」

 アリーシャがここへ呼んでいたのは、一流ドレスメイカー〝フルールリア〟の仕立て職人だ。王都随一と謳われるドレスメイカーは、セインの祖父母の代からディーアス伯爵家の贔屓である。

 そのフルールリアの職人のうち、アリーシャのドレスは全てとある女性職人が担当している。まだ若い職人だが、腕は確かでアリーシャとは感性も話も合う。最初に行う仕立ての相談から採寸、素材や生地選び、実際のドレス作りから試着に調整、最後の納品までいつもその女性に一任しているので、当然のように今回のドレスの採寸も彼女が行ってくれるとばかり思っていた。

「いつもの者は本日臨時の休暇を頂いております。ああ、理由は私も存じません。ですがこちらでの採寸のご予約がありましたので、本日は私が代理で参りました」
「え、ええと……」

 自信満々に胸を張る男性の様子に、つい困惑の声が零れてしまう。

(新人さんかしら?)

 見たところ年齢はアリーシャと同じが少し上だろうか。いつもの女性の仕立て人とも同年代のように思えるが、大事なのは年齢ではない。

「申し訳ありませんが、私、採寸は必ず女性の方にお願いしておりますの」

 自信満々に胸を張っている男性の職人に、出来るだけ失礼のないように申し伝える。すると一瞬の間を置き、男性が不思議そうに首を傾げた。そのままだんだんと曇っていく表情を見ているとアリーシャも申し訳ない気持ちになるが、そうかと言って自分の意見を変えるつもりはない。

「旦那様以外の男性に、素肌を見せるわけには参りません。いつもの方でないのなら、日を改めて下さるかしら?」

 せっかく来てくれたのに申し訳ないとは思う。だが新しいドレスの採寸のためとはいえ、初対面の男性の前で衣服を脱ぐわけにはいかない。多少仕立ての開始が遅くなっても構わないので、やはりいつもの女性職人の都合がつくのを待とうと思うのだ。

 しかし男性の仕立て職人はアリーシャの回答が気に食わなかったらしい。不機嫌な表情と思っていたら、突然鼻白んだように肩を竦めて深いため息を吐かれた。

「ディーアス伯爵夫人は少々自意識過剰であらせられる」

 男性が横柄な態度で口にした台詞に、アリーシャの表情が固まった。アリーシャだけではなく、今までこのやりとりを聞いていたメイドの表情も凍り付いている。

「我がフルールリアは王都随一のドレスメイカーです。その優秀な職人である私が、お客様を不埒な目で見るわけがございません」
「え、ええ……それはもちろん、わかっております。けれど……」
「奥様があらぬ誤解をされているようで、大変不愉快ですねぇ」

 機嫌を損ねてしまったことに気付き、慌てて取り繕おうとする。しかし彼の横柄な態度は止まらない。 

「それとも奥様はここで私の不興を買って、次の夜会でお召しになるドレスを三流ドレスメイカーに作らせたいのですか?」
「そ、そうではないわ……」

 男性が次から次へと投げつけてくる言葉に、アリーシャは内心で強い怒りと焦りを抱いていた。

 本来ならこれほど無礼な発言を繰り返す相手など、発言を訂正させた上で即刻追い出すところだ。しかしアリーシャはディーアス伯爵家に嫁いだ身。現当主であるセインの祖父母の代から伯爵家が贔屓にしている〝フルールリア〟を――その一流ドレスメイカーの職人を無下にすることは出来ない。下手をすれば長年続く伯爵家とメイカーの信頼関係が崩れかねない問題だ。

 言い返さずに耐えるしかない。けれど言いなりになることも出来ない。

「さあ、早く無礼を詫びてドレスを脱いでください」
「そ、それは……」
「私はこの後も他の依頼者の邸宅へ赴かねばなりません。貴方と違って忙しいのです。ほら、そこの貴方も奥様がドレスを脱ぐのを手伝って……」
「無礼はどらちだ」

 アリーシャが困惑していると、ふと背後から男性の声が聞こえた。地雷の轟かと思うほどの低音に驚いたのは、アリーシャではなく仕立て職人の男性だった。

「ディーアス伯爵!?」
「私の妻を侮辱するのも大概にしてくれないか」
「……セイン」

 普段は子犬のように人懐こく、ヘラヘラと笑ってばかりのセインだ。何か困ったことがあっても、明るい笑顔とすっとぼけた態度で全てを乗り切ろうとするほど能天気な夫が、今はアリーシャでも滅多に見ないほどの怒りを滲ませている。男性をきつく睨み、威圧するようなオーラを放ちながらこちらへつかつかと歩み寄ってくる。

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