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1章 Side:愛梨
1話
しおりを挟むシャンパンの泡がフルートグラスの底からゆっくりと上昇していく。ガラスの縁でパチパチと弾ける発泡音さえ、新しい門出を祝う祝砲のように聞こえてとても愉快な気分だ。
白と緑の色彩があふれるガーデン内にやわらかな風が通り抜けると、純白のドレスとヴェールがふわりと広がるのが見えた。テーブルにグラスを置くと、今日の主役の2人がゆっくりとこちらへ近付いてくる。
上田 愛梨は同じ会社で仲良しの同期、池田 玲子の華々しく美しい花嫁姿に感嘆した。
「おめでとう、玲子。すっごく綺麗…!」
「愛梨、ありがとう」
愛梨が玲子の花嫁姿に見惚れながら言祝ぐと、玲子が嬉しそうにはにかんだ。玲子の隣で白いタキシードを身に纏った哲治も、同じく嬉しそうに表情を緩める。
玲子の夫になった池田哲治に会ったのは今日が初めてだが、2人が目線を合わせて嬉しそうに笑い合う姿や、ドレスで歩きにくい玲子を優しくエスコートする哲治の姿を見ると、本当にお似合いだなぁ、と見ているこちらまでが嬉しくなってしまうほど。
本当に素敵な結婚式だ。
愛梨が幸せそうな2人を眺めていると、いつもより色合いがはっきりしたリップを美しく綻ばせて、玲子がそっと耳打ちをしてきた。
「次は愛梨の番だね」
「えぇっ? 私、全然そんな予定ないよ?」
「ふふふ、どうかなぁ」
そっと離れた玲子は笑いながら愛梨の隣を一瞥すると、ヴェールをひらりと翻した。玲子が別の参列者と楽しそうに話し出したのを見て、愛梨の隣にいた同じく同期の泉 弘翔が小さく舌打ちする。
「玲子め、余計な事を…」
「ちょっと、弘翔」
祝いの席でなんという悪態をつくのかと小さな声で注意すると、弘翔が気まずそうに視線を逸らした。
良くない態度だと自分でも気付いたらしい。素直に『申し訳ない事をした』と示せるところが、弘翔の可愛いところだ。
「綺麗だね、玲子」
「ほんとだよなー」
小さくなった弘翔にくすくすと笑いながら言うと、弘翔もころっと表情を変えて顎を引いた。
「書類の束握りしめて、課長と舌戦を繰り広げてるいつもの姿からは想像できないよな」
「そりゃ、花嫁だもん。披露宴でいきなり課長とバトルする訳ないよ」
玲子は常日頃から仕事が好きでやりがいを感じていると話していて、結婚後も仕事は継続する予定だ。
玲子は明日から1週間ほど新婚旅行休暇を取得し、バリ島に行くことになっている。だから不在の間、同僚に出来るだけ迷惑をかけないよう昨日まで必死に働いていた。
その間も、ああでもないこうでもないと上司と言い争っているところは何度か見かけていた。けれど玲子と課長は、決して仲が悪い訳ではない。中年でやせ型の課長は祝杯で呷った酒と同量の涙を流し、職場の中では誰よりも玲子の結婚を感慨深く感じているようだった。
「厳しくするってことは、それだけ可愛がられてるってことだろ」
「あはは、そうだね」
披露宴からの帰り道、弘翔と並んで歩きながら今日の主役とそれを祝福する人々の笑顔を思い浮かべた。
親、きょうだい、親戚、友達、職場の人、お世話になった人。たくさんの人に囲まれながら、新しく家庭が築かれ温かく祝福される出来事は、一生の中でも数少ない素敵なイベントだと思う。
「幼馴染みと結婚かぁ」
隣を歩いていた弘翔がふと発した呟きに、自分の心臓が跳ねた音を聴いた。けれど必死に認識しないよう努める。
一呼吸置いてちらりと隣を見ると、弘翔と目が合った。愛梨は弘翔が呟いた言葉と全く別の話をして気を逸らせようしたが、間を埋めるために適した話題は何も思いつかなかった。
「弘翔は幼馴染みっているの?」
仕方がなく訊ねると、弘翔が一瞬の間を置いてにやりと笑う。
「いるけど。付き合うとか、結婚とかは絶対ないな」
「へぇ、そうなんだ?」
「だって男だもん」
にやにや笑う弘翔の台詞に、思わずつられて笑ってしまう。
愛梨の幼馴染みも、玲子の幼馴染みもたまたま異性だったが、幼馴染みが同性の場合だってある。もちろん幼馴染みがいないという人だって、世の中にはたくさんいるだろう。
そう思うと『幼馴染み』の定義というのは随分曖昧だと思う。幼稚園から同じ地区内にいて、中学ぐらいまでずっと同じ学校に通っていたら、もう全員が幼馴染みな気がする。けれど、きっとそういう事でもない。
少なくとも愛梨にとっては、『幼馴染み』はもっと特別な存在だった。
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