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最終章 Side:愛梨
10話
しおりを挟む「愛梨……俺を見て」
顔を近付けてきた雪哉が間近で囁く。吐息が頬にかかりそうな程の距離で、声をワントーン落とした雪哉の視線に、どくん、と心臓が音を立てた。
扉を閉めた雪哉の右腕はいつの間にか腰の後ろに回り、逃げ道を与えないよう強く身体を抱いている。
心臓が口から出てきてしまうのではと思う程、強烈な心音が全身に響く。けれど実際に口から心臓が出て来ることはなかった。驚きの感情の出口を、近付いてきた雪哉の唇が塞いでしまったから。
「…っ、…!」
見開いた目と雪哉の視線が絡み合う。驚いて脱力した手から、バッグがするりと抜けて床に落ちる。雪哉は足元に落下した塊の存在など気にも留めないまま、重なった唇の上を舌先でゆっくりと辿っていった。
唇の端を舌で撫でられ、熱の侵入を予覚した唇と目を同時にきゅっと結ぶ。そんな僅かな抵抗に気付いた雪哉が、そっと離れて小さく笑った。
「そんな可愛い抵抗ある?」
ふっと微笑んだ声が耳に届く前に、再び距離が縮まる。雪哉の左手が後頭部を抱き寄せ、荒々しく愛梨の自由を奪い取った。少し強めに上を向かされたことに驚いて、抗議の台詞を紡ごうとした。
けれど再び唇を奪われ、言葉は無情にも喉の奥に消えてしまう。
「ゆ、…んぅ、…」
開いていた唇の中に熱い舌が侵入してきて、今度はそのまま深く攫われてしまう。身体の動きを奪われて抵抗も出来ない拘束感の中で知る雪哉の熱は、火傷しそうな程に熱くて、蜜のように甘い。逃げようと引っ込めても、雪哉の舌は愛梨の舌を執拗に追い詰めてくる。
視界がとろりと霞む。『俺を見て』と言った雪哉の瞳が今どこを見つめているのか、もうわからない。じわりと浮かんだ涙が視界を濡らして、呼吸と心音のリズムをめちゃくちゃに乱していく。
「…ゃ、ふぁ、…」
身体を離そうと動かした手にも、上手く力が入らない。全身から力が抜けそうになり、思わず雪哉の胸に縋る。掴んだスーツやシャツが皺になってしまうかもしれない事にも気遣えず、指先は必死に雪哉の胸を掻き掴んだ。
「ん…っ、ん、…う」
ぬるりとした柔らかくて温かい舌が、未知の箇所は1つも余さず知り尽くそうと丁寧に口内を撫でていく。次第に口の中いっぱいに唾液が溢れて、息が苦しくなってきた。愛梨の全てを味わうように動いていた雪哉の舌が少し離れると、今度は唇が動いて余った水分をじゅっと吸い上げた。
程なくして雪哉の喉がこくんと鳴った音を聞いて、2人分の混ざった唾液を飲み込まれたのだと知る。自由を奪われている所為でやけに鮮明に音を拾う耳までが、かぁっと強い熱を持った。
こんな恥ずかしいキス、したことがない。
「……っと。……大丈夫?」
羞恥心と快感に負けた身体から、カクンと力が抜けた。身体の位置が急に下がった事に驚いて、雪哉が身体を離してくれた。けれど腰に回された右腕はそのままで、床に膝を突くことなく途中で身体の落下が止まる。
「はぁ…、…っ、は…」
ようやくまともな呼吸が出来るようになっても、まだ頭がぼーっとする。力が抜けた時に離れた雪哉の左手が、愛梨の身体を更に引っ張り上げてくれた。
「ごめん、気持ち良すぎた?」
くすくすと笑う声と意地悪な台詞が響いて、一瞬で思考が覚醒する。けれど反論は出てこない。
何とか足に力を入れて踏ん張ると、熱を帯びた雪哉の瞳がじっと愛梨の顔を覗き込んできた。
「今日は『浮気になる』って言わないんだ?」
「……!」
真実を見破られたような心地がして、思わず顔を背ける。ついでにぎゅっと目を閉じてみるけれど、現実は何も変わらない。
言わない。だって、浮気にはならないから。もう弘翔とは別れてしまったから『浮気だ』なんて言えない。
俯いていると、雪哉の優しい問い掛けと熱を持った吐息が再び耳朶にかかった。
「俺の事、まだ好きになってくれない?」
「な……なら、ないよ…」
「……そう。ほんと、素直じゃないな」
溜息をつく雪哉の言う通りだ。素直じゃない。子供の頃みたいに、素直じゃなくなってしまった。
弘翔は、別れの理由を『愛梨と雪哉が両想いだと知ったから』だと語った。
でも違う。今の愛梨は、雪哉の事が好きなわけじゃない………はずだから。
もうただの幼馴染みではないと思う。幼い頃からよく知っていると言うだけでこんなキスはしないことぐらい、流石に分かる。けれど雪哉の事を好きなのか? と問われれば、やっぱり即答はできない。自分の心を、素直に受け入れられない。
「まぁ、言わせても仕方がないか。愛梨が自分から言ってくれないと」
愛梨に決定打を言わせようとしていたらしい雪哉が、諦めてそっと離れた。密着していた距離が開き温度が遠のくと、急速に思考がクリアになる。
そのまま愛梨の家を後にしようとした雪哉が、ふと動きを止めて振り返った。少し困ったように笑った雪哉の視線と声は『執着心』を超えた甘さを帯びている。そしてひどく優しい声で、愛梨に小さな魔法をかける。あるいはまじないか、呪いのように。
「愛梨、早く俺を好きになって。次は多分、止められないから」
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