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最終章 Side:愛梨

11話

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 自分のデスクでメールチェックをしながら昨日の雪哉とのキスをぼんやり思い出して、1人で恥ずかしくなっているときだった。

「おはよう、上田さん?」

 傍にやってきた2人の女性社員に、背後から話しかけられた。SUI-LENはどの部署にも制服がないので、一見しただけでは女性たちの名前も所属部署も思い出せず、何事かと瞬きしてしまう。

 困惑していると、女性のうちの1人が身体を揺らしながらにこりと妖艶な笑顔を作った。

「上田さんって、情報管理課の泉さんと付き合ってるんだよねー?」
「ふぇっ……?」

 突然弘翔との関係性を訊ねられ、変な声が出た。

 弘翔は昨日飲み会だったらしいので、お酒の席で何かを言ったか、何かがあったのかもしれないと思い浮かぶ。横目で隣のシマを確認するが、あいにく弘翔はまだ出社してきていないようだ。

「でも昨日、通訳の河上さんと一緒にいるとこ見たんだよね~」
「ね、それってどういう事ぉ?」

 あ、そっちか。弘翔じゃなかった。

 弘翔が誰かに何か言ったり迷惑をかけた訳ではないと知ると、ほっと安心した息を吐きそうになった。が、目の前の女性たちが本当に聞きたい意図を察すると、今度は呼吸が止まった上に全身から汗が噴き出て来た。

 見られていた。
 雪哉と一緒に帰ったところ。

「え、えーっと…?」

 誤魔化そうと曖昧な笑顔を浮かべながら首を傾げてみる。だが女性たちの眼光に、小さな怒りが込められていることには嫌でも気が付いてしまう。ついでにその怒りの理由にも。

 彼女たちはきっと、雪哉の存在が気になっている。あるいは雪哉に好意を寄せている。

 眉目秀麗で博学多才の雪哉が、独身の女性社員たちに並々ならぬ興味と関心を向けられていることは想像するに容易い。社内では愛想よく猫を被っていて、腹黒い一面があることは知られていないのだから、尚更。

 あっという間に注目の的になってしまった雪哉が、弘翔と付き合っていると思われている愛梨と一緒にいたら。その様子を目撃してしまったら。朝から他部署までやってきて問い質したくなるのが、乙女心と言うやつなのかもしれない。

(でも……どういう事、って言われても…)

 その質問に『幼馴染みなんです』と素直に口にしても、良い事が起きないのはわかる。とびきり嫌な顔をされるか、逆に色々聞き出そうと纏わり付かれそう。けれど一緒に帰っているのを見られていた事を考えると、しらばくれるのも逆に怪しまれそう。

 咄嗟に良い切り返しが思いつかない。2人の女性社員に睨まれて無言の圧力に負けた愛梨の口から『うぅ』と変な呻き声が出た。

「こらこら、君たち経理部でしょ。階も違うのに朝から押しかけないの」

 困り果てていると、見かねた崎本課長が助け船を出してくれた。その言葉に、愛梨も『あ、経理の人なんだ』と気が付く。言われてみれば、出張費の領収書を精算しに行ったときに彼女たちを見た事があるような気がしてきた。

「崎本課長~」

 彼女達は審問に水を差されて崎本課長に泣きつくような声を漏らしたが、上手くあしらわれてしまい、結局渋々と自分たちの部署へ戻っていった。

「ありがとうございます、課長」

 愛梨がお礼を言うと、崎本課長がにっこりと笑顔を作った。そしてその笑顔のまま、上司の首は45度右側に傾く。

「愛梨。もしかして泉と別れたの?」

 単刀直入に切り込んできた上司に、一瞬『う』と言葉を詰まらせる。

 相手が変わっただけで、結局今日は問い質される運勢らしい。接点のない女性社員よりは幾分か受け答えしやすいけれど、愛梨のデスクの周囲の人は既に全員出社しており、愛梨と崎本課長のやりとりに聞き耳を立てている。

 ヘルプが欲しくてちらりと隣のシマを見ても、やはりまだ弘翔の姿は見当たらなかった。

「えっと……まぁ……」
「いいんじゃない? 泉より河上さんの方がお似合いだよ」

 弘翔との関係が変化した事を認めると、崎本課長には満足げに頷かれてしまった。けど、弘翔と別れたとは言ったけれど、雪哉とどうにかなったなんて一言も言っていないのに。

 愛梨の向かいのデスクで作業をしていた遠藤先輩と前田先輩が、崎本課長の軽口に眉を寄せる。

「課長、ヒドイ…」
「ひどくない」

 そっと弘翔の擁護をしてくれた前田先輩に対して、崎本課長が突然ツンとそっぽを向いて頬を膨らませる。自分の意見が絶対に正しいとでも言うような、子供じみた態度で。

「だって愛梨は、河上さんといる時の笑顔の方が可愛いもの」
「えっ……」

 ……えぇ!? また言われた!

 崎本課長の前で雪哉と会話をしたのはたった1回だけ。雪哉への資料の配達を依頼された時に、本人不在の状態で雪哉の話題になったのが1回。たったそれだけで、崎本課長には表情の違いが分かるのだろうか。

 友理香と弘翔にも同じ事を言われたので、これで3人目。愛梨自身は感情を表出しているつもりはない。雪哉は表情だけじゃなく言葉や態度でも感情表現をするのでかなりわかりやすいと思っていたが、それよりも自分の方が他人から見てわかりやすいなんて。

「そ、そんなに違いますか?」
「うん。乙女の表情かおしてた」
「「「おとめのかお!」」」

 崎本課長の言葉を思わずそのまま反復する。そんな愛梨の声は、前田先輩と遠藤先輩の声ともぴたりと重なり一致した。

 3人で同じワードを呟くと、崎本課長が男性2人の顔をじろりと睨んだ。

「前田と遠藤は、少し乙女心を学びなさい」
「ええ?」
「俺たちっすか?」

 急に飛び火してきた事に驚いた2人の先輩の声がひっくり返る。崎本課長は怪訝な顔をした部下達を鼻で笑うと、わざとらしく肩を竦めてみせた。

「まず愛梨を女性扱い出来ない時点で、君たちは失格よ。髪が短いって見た目だけで判断するところから直しなさい」
「え、いや、それは好みの問題で…」
「遠藤は昨日提出した資料の管理ナンバーミスも直しなさい」
「あ、それはすぐやります。すいません」

 崎本課長は、男性に厳しい。もちろん本気で厳しく叱り付けたりするわけではないが、まだ業務も始まっていない時間なのに、流れに乗じて遠藤先輩のミスを指摘する態度は、やはりやや冷たい。

 先輩が唇を尖らせる様子を見届けた崎本課長は、愛梨に笑顔で向き直る。

「まぁ、ダメなら泉に戻せばいいと思うわ」
「課長、ヒドイ……」
「ひどくない。イケメンは正義よ」

 確かに雪哉の容姿は優れているとは思うが、性格も加味するなら弘翔の方が優しくて好ましい。個人的にはそう思っているのに、男性には厳しいはずの崎本課長までもが雪哉に味方するとは夢にも思っておらず。

 ユキ。うちの会社の女性陣総崩れなんですけど、どうしてくれるんですか。

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