「あんたは、ぼくの獲物だ。」~月は太陽を追う~

火威

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第四幕&終幕

「あんたは、ぼくの獲物だ。」~月は太陽を追う~

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第四幕

 夜闇を切り裂くように、一筋の月光が降る。
 まるで、彼一人を、周囲からくっきりと浮き上がらせるように。
 細い月明かりをそのまま束ねたような、淡く柔らかな色合いの、長い金髪。
 蒼と碧の溶け合った、宝玉の瞳。
 白い頬には、長い睫毛の影が落ちている。固く引き結ばれた唇は、珊瑚を思わせる薄紅。
 儚げで繊細な、可憐な面差し。細く華奢な四肢。
 月の女神が降り立ったかのようだった。
 その全身が、容赦なく屠った敵の、返り血に塗れていなければ。
 肌の白さとのコントラストが、凄惨さに拍車をかけている。
 天使のような容姿は、出会った頃と変わらぬまま、その瞳は修羅の色。
 ソールは、一度目を閉じた。
 その眼裏に浮かんだものを振り切るように、真紅の瞳を開き。
「おまえごときが、このオレを殺れると?」
 ばっさりと容赦なく切って捨てる刃の声で。
「うぬぼれるな。」
 ディアナはびくりと肩を震わせる。声と共に叩き付けられた殺気だけが理由ではなく。
(もう、名前、呼んでくれないんだ。)
 ソールから真の銀ミスリルの五芒星を渡された夜から、数日経った頃。何気ない会話の中で、月の女神の名前なんて好きじゃない、という話をした。満月の夜に生まれたとは言え、男に女神の名前を付けるなんてどうかしている、と。
 ソールは笑って、『だったら、ディアと呼んでやる。』と言ったのだ。
 ディア。
 それは、古い言葉で「親愛なる者」を意味する。
(あの時から、ボクはこの名前が好きになったのに。)
 ソールに「ディア」と呼ばれるたびに、胸が高鳴った。
(でも、もう、あの日々は終わったんだ。)
 本当にディアナの覚悟が決まったのは、この瞬間だった。
「吹雪け、立花の舞!!」
 刃の殺傷力をもつ、純白の花が、荒れ狂う風に乗ってソールに向かう。
「降り注げ、焼尽の矢。」
 ソールの放った火矢は、無数の花弁を正確に打ち抜き、勢いを消さぬまま、ディアナに向かう。
「射抜け、白銀の矢!」
 ディアナも氷の矢で応戦するが、ソールの火矢に当たった途端にぐにゃりと歪む。水になる時間さえなく、空気に溶けて。
 ソールは、侮蔑に彩られた冷徹さで、ディアナに告げた。
「そんな技しか使えない状態で、よく大口が叩けたな。」
「そっちだっけ、灼熱の太陽使った後だろ。」
 ソールは、怯まずに言い返す。心が折れたら負けだと思った。始めから、ソールとの実力の差など、この身に沁みてわかっているのだ。
 氷星の陣に、氷結の束縛。あんな大技を繰り出した後だ。ベリアルの指摘の通り、魔力は底をつきかけている。
(あと一回か。)
「あと一度が限度だろう。」
 ディアナが目を瞠る。
(さすがだ。)
 圧倒的な攻撃力だけが、ソールの武器ではない。相手の魔力の残量まで、正確に読み切る。
「受けてやる。そこでおまえは終わりだ。」
 躊躇いなく、容赦なく。いっそ静かに紡がれた死刑宣告が、ディアナの耳に、心に突き刺さる。それでも、ディアナは、不敵に笑って見せた。虚勢すら張れないようでは、ソールの前に立つ資格はない。
「一切の熱を奪う、無慈悲なる天の裁きよ。」
 ソールは、かすかに真紅の目を眇めた。ソールは、炎属性と相反する水属性の魔法は使えないが、超一流のハンターである彼は、あらゆる魔法を熟知している。この詠唱から導かれる魔法の威力も、消耗する魔力の量も。
(それでも、止めないんだ。)
 ディアナの唇が、はったりではない笑みを含む。「受けてやる。」と、ソールは言った。一度言い出したことを、簡単に覆すような男ではないことを、ディアナはよく知っている。
(ソールらしいね。)
「絶対零度の凍てつく牢獄、全ての命を封じよ、極寒の白獄!!」
 大地が、空が、真っ白に凍てついた。
 空気中の水分が、氷と化していく。ピキピキッと、不吉な音をたてながら。
 生きとし生ける者、全てから、熱を奪う。
 体内を流れる血液さえ、瞬時に凍りつく、圧倒的なまでの凍気。
 ソールの肌が、霜に覆われていく。その真紅の髪も、瞳も、吐息さえも。
 だが。
 色を失い、凍気に裂けた唇から流れるのは、詠唱。凍てつき、傷口から零れ落ちることもない血の代わりのように。
「我が身に宿れ、地獄の業火、我が魂ごと焼きつくし、世界を深紅に染め上げろ、天地炎上!!」
 世界の色彩が塗り替えられる。
 処女雪の純白ホワイト・スノーから、燃え上がる朱色ヴァーミリオン・ファイアへ。
 その、圧倒的な熱量。
 通常の状態で放てば、見渡す限りを焦土と化す荒技だが、極寒の白獄が空間を閉ざしている状態だったために、凍気が炎に相殺されるに留まる。否。
(ぴったり打ち消すように、威力をコントロールしたんだ、ソールは。)
 針の穴を通すような正確さで、魔法を放った。世界に熱を取り戻すのに必要なだけの炎に制御した。
(本当に、憎ったらしいくらいに、洗練されている…。)
 力任せに見えて、こんな精密さが必要とされる芸当も、たやすくやってのけるのだから、とんでもない化け物だ。
 つ、とソールの唇から血の珠が零れ落ちる。凍気は薙ぎ払われ、その血は流れ始めた。
 紅玉のような鮮血を、ソールは、親指の腹で払った。
「おまえが、力が尽きるまで無茶をして、オレに流させた血は、この一滴だ。」
「そう。今ので、ボクの力は0だ。」
 ディアナの、無垢で愛らしい美貌が、不敵な笑みに歪んだ。ギラリと、抜き身の刃の光が奔る。
「だからこそ、ここで使える手があるのさ!!」
 ここまで全て計算通りだと、高らかに吠えるように。
 その白く小さな掌を開く。
「!」
 初めて、ソールの真紅の瞳が揺れた。
 ディアナの狙いに気づいて駆け寄るより、ディアナの唇が、それを呑みこむ方が早い。
 ゴクンと、その折れそうに細い喉が動いた。
 ぎらりとソールを見据えた瞳は、空を焼き焦がす夕焼けの朱金。
 蒼天の淡い青ではない。
 バチバチッと、魔力が外にあふれた。雷の放電にも似た魔力の放出が、ディアナの髪をまとめていた紐を弾き飛ばす。
 なびいた髪の色も、月光のような淡い金から、落日の紅緋へと染め変えられていた。
 胸元に落ちた一筋に、ディアナはふと思う。
 世界が終わる日の日没は、こんな不吉な色の空をしているのかもしれない、と。
「…馬鹿なことを。」
 ソールがかすれた声で吐き捨てた。
「そうだね。馬鹿なことだ。」
 ディアナは薄く笑う。
 魔力を込めた核に、その魔法を解放させるには、何らかの「変化」が必要となる。だから、たいていは衝撃を与えるために投げつけて使う。ディアナが酒場で、ハンターたちに核の威力を見せた時のように。
 だが、ディアナは知ってしまった。核の、禁断の使い方を。
 ディアナは、ベリアルの行方を追うため、ありとあらゆる古文書を調べ尽くした。非合法な手段で、所謂「禁書」の類にも手を出した。一国の崩壊を招くほどの威力がある魔法、人を生贄に捧げるような非道な手段を取る魔法は、今では「禁呪」とされている。「禁書」は、それらについて記してあるため、厳しく閲覧を制限されている。
 核の体内への取り込みは、「禁呪」の一つ。
 魔獣本来の性質と、核に込められた魔法使いの魔力。その二つが、人体の中で溶け合い、取り込んだ人間に、爆発的な魔力をもたらす。当然だが、核に魔力を込めた魔法使いの力が強いほど、その威力もまた跳ね上がる。
 強い力を制御するのは容易ではなく、様々な条件があった。そのうちの一つが、取り込んだ人間の魔力と、核に込められた魔力の属性が同じか、近いものであること。取り込んだ人間の魔力と、核に込められた魔力の属性が反対だと、反発作用が起きると。ソールが込めた魔力は炎属性。だからこそ、ディアナは、水属性の自分の魔力を0にする必要があった。
 しかし、強い力には代償が伴うと記されていた。具体的に何が起きるのかまでは、ディアナには解読できなかった。
 解読はできなかったが、想像はつく。魔獣の核など体に入れて、髪の色が変わるだけで済むはずがない。最悪、死ぬかもしれない。
「それでも、あんたに勝つにはもうこれしかない。」
 体の奥底が、燃え上がる感覚。腹の底に渦巻き、駆けあがってくるのは、全てを無に帰す、凶悪な熱。全身の血が煮え滾り、沸騰する。
 ディアナは、初めて感じるはずの、炎の魔力を、(知っている。)と思った。
 この、自らの身さえ焼き焦がすほどの渇望こそ、ディアナがソールに向ける思い。
 己も相手も滅ぼす、狂い咲く仇花の思慕。
 ソールは、自分の喉が干上がるのを感じた。
 大悪魔に、狂気の月光ルナティクスと言わしめたもの。
 ディアナの唇が、にこりと弧を描く。
 出会った夜と変わらない、清楚な姫君のような美貌で、獰猛に吠えた。
「我が身に宿れ、地獄の業火、我が魂ごと焼きつくし、世界を深紅に染め上げろ、天地炎上!!」
 躊躇う暇は無かった。
「世界に満ちる、命潤す神の息吹よ、今その恵を断絶し、世界を死に封じよ、真空天蓋!!」
 世界が止まる。
 天地を焼き尽くすほどの業火さえ、無情に断ち切る。
 大気が零なら、全てが。
 世界を、完全なる無に閉じる大技。禁呪に近い威力を有する、究極の風属性魔法。
 そこから
「ディアッ!!」
 力強い腕が、華奢な体を引き寄せた。そのまま、覆いかぶさる。
 そこまでが、真空天蓋を維持する限界だったのだろう。
 規格外の天才である、ソール・アルバ。暁の劫火の二つ名で知られる彼でさえも、禁呪に準ずる大技は。
 崩壊した真空天蓋は、封じられていた風を、一気に解き放つ。
 暴虐の嵐。
 風の刃が、荒れ狂う。
 木々は倒され、大地は抉られ、人の身は切り裂かれて鮮血を吹き上げる。
 それが、ディアナの目には、はっきりと見えるのに。
 痛みは、一切無い。
 ソールは、腕の中に庇ったディアナを守り切った。
 自らを盾にして。
 全身を血に染めても、うめき声一つたてなかったソールは、狂乱の風が吹き過ぎても、ディアナを抱えたままだった。出血が多すぎて、動けないのか。
「なにを…なにをやってんだよ!!」
 ディアナが絶叫した。
 振り解くように、ソールの腕の中から抜け出す。
 ソールの腕が、何の抵抗もなく外れたことに、ディアナは蒼白になった。
 一見細く見えても、しっかりとした筋肉のついたソールの腕は、いつだって強靭だった。軽々と抱き上げられたことを覚えている。ディアナが全力で暴れたって、その拘束が緩むはずもない。いつものソールなら。
 ディアナは、震える腕で、逆にソールを抱え起こした。
「ふざけんなよ…!なんで…。」
 声が詰まる。
 喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。
 薄い膜がかかって、視界が歪んだ。
 ぽたり、塩辛い雫が、ディアナの頬を伝わってソールの肌に落ちたのと、ディアナが声を叩き付けたのは同時。
「なんでボクを助けたんだ!!」
 灼熱の涙が、堰を切ったようにあふれ出た。ぼろぼろと、次々にこぼれ落ちて、止まらない。ひくっひくっと、幼い子どものようにしゃくりあげながら、ディアナは叫ぶ。
「わかってただろ。ボクは本気だった。本気であんたを殺すつもりだった。」
 今のディアナには、もう、ひとかけらの魔力もない。ソールの傷を癒すことはできないし、それはソールも同じだ。ソール自身も、自分を治す魔力は残っていない。残らないと知って、真空天蓋を使った。
「ソールがボクといっしょに生きてくれないなら、ボクといっしょに死んでほしかったんだ。」
 ディアナは、ぎゅっと目を閉じる。その拍子に、また大粒の涙が頬を伝う。
「ボクは狂ってる。」
 ディアナが、ソールを抱える腕に、ぎゅっと力を込めた。支えているというより、すがりついているような必死さで。
「ソールのせいだ。ソールがボクを捨てたから。」
 怨嗟の言葉なのに、迷子の子どものような、頼りない声だった。
「ボク、強くなったよ。闘ったから、わかるだろ。」
 ディアナが、閉じていた目を開く。涙を懸命にこらえる。泣いていたら、ソールの顔が見えない。
「もう足手まといにはならない。だから…だからっまた、ボクといっしょに。」
 ぽたっと、ディアナの頬に新しい雫が弾け、最後まで言えなくなる。こらえきれなかった。
 ソールが、ディアナに支えられたまま、ディアナの頬に手を伸ばした。
 涙を受け止めるように、ディアナの白い頬をソールの掌が包む。
「!!」
 限界まで見開かれたディアナの瞳は、もう既に蒼天の色に戻っていた。
 驚きすぎて声も出せないディアナの表情は、年齢よりもずいぶん幼く、あどけなくさえあった。
 ソールが微笑んだ。ディアナが呼吸さえ忘れたほど、その笑みは甘くて。
 けれど、刹那に消える淡雪のように儚く。
 そこが、限界だった。
 ソールのまぶたが落ちる。
 燃える紅玉は隠される。力を失ったソールの手が、ディアナの頬からすべり落ちる寸前で。
 ディアナの白い手が、ソールの手をつかんだ。
「ソール!!」

 目を開けた時、ソールの視界いっぱいに広がったのは、空の色だった。
 それなのに、背中は柔らかな寝台の感触を伝えている。
 一瞬遅れて、淡い青色は、ディアナの瞳だと気づく。
 覆いかぶさるように、じっと自分を見ていたディアナが、身を起こして大きく息をついた。細い肩が上下する。肺の空気を全て吐き出したような、長いため息だった。
「…だいじょうぶ?」
 何と声をかけたらいいか躊躇ったような間の後、ディアナが訊いてくる。
 ソールは、自分の体にざっと視線を走らせた。
 体のあちこちに包帯が巻かれている。熱をもった鈍い痛みはあるものの、包帯は白く、血は止まっているようだった。
「ああ。」
と、首肯すると、ディアナは花がほころぶように安堵の笑みを浮かべ、そんな顔になった自分を恥じるように、早口で言った。
「傷を塞ぐ効果のある魔族の核を持ってたから、それで。ボクの魔力はもう空だったから。でも、傷を塞ぐだけの核しか持ってなかったから、失血した分は戻ってないよ。今下手に動くと死ぬから。」
「おまえは?」
 たったそれだけの言葉だが、ディアナはソールの言いたいことを正確に理解する。聞いているのは、核を呑んだ影響だ。
「さっき吐き出したから。たぶん、もう何ともない。」
 ディアナは、真の銀ミスリルのプレートをひっくり返す。そこに再び収められた核から、目を奪う朱色は失われている。ソールの魔力は使い果たされたことを示していた。
「そうか。」
 ソールの言葉は短かったが、素っ気ないようでいて、安堵が滲む声だった。
「他の魔族は。」
ヴァルプルギスの夜のブロッケン山は、悪魔の祝宴場。一番乗りはベリアルだが、他の魔族も集うはずだと。
「そんなの集まって来る前に山を下りたよ。当然だろ。」
「上出来だな。」
 ソールがかすかに笑う。ゆっくりと半身を起こす。
「ソール!!」
 ディアナが慌ててソールを支える。
「馬鹿なの!?今下手に動くと死ぬって言ったとこだろ!!」
「見くびるな。そんなにヤワじゃない。」
 ソールが、ぽんとディアナの頭に手を置いた。
 もう片方の手は、ディアナの背に回す。
 ディアナはびくんと肩を大きくはねさせ、そのまま固まった。
 相変わらず小さくて細いなと、ソールは思う。こんな、ちょっと力を込めたら折れてしまいそうなほど華奢な体で、どこまでも無茶をする。
 ずっと、そうだった。初めて会ったその時から、ずっと。
 がむしゃらに自分を追いかけてきた。
 ソールは、幼い子どもに言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「おまえが足手まといだから、置いて行ったわけじゃない。」
 あの時は、ああでも言わないと、おまえは退かなかっただろと付け加える声は、静かに心に溶けて、肌も血も温めていくような、ぬくもりに満ちていた。
「おまえの覚悟は、見せてもらった。」
 ディアナの心臓がどきんと大きく脈打つ。覚悟。弟子にしてもらった日にも言われた言葉だ。
「それが足りなかったのは、オレの方だな。」
 ソールは、自嘲するように唇の端を歪めた。
 少しだけ体を離した。顔を見て伝えたかった。
「おまえを巻き込みたくなかった。」
 それは、初めて告げられた、ソールの本音だった。
 ディアナは、頭の中が真っ白になる。受け止めきれない衝撃に打ちのめされて、ようやく出た言葉は。
「ずるいよ、ソール…。」
「ああ。」
 ソールの頬に、笑みが広がる。
(!)
 ディアナが、無意識にソールに縋る腕に力を込めてしまった。
 めったに見せてくれなかった、皮肉でも嘲笑でもないソールの笑顔。心臓が早鐘を打つ。
「それでも、オレについて来るか?」
「馬鹿じゃないの?」
 ディアナが、ハッと鼻で笑った。
 姫君のような容貌にはふさわしくない、生意気で高飛車で、勝気な笑み。
「置いていかれたって、ボクはソールを追いかけたじゃないか。」
 晴れ渡った蒼天の瞳が、ソールを射抜く。
「逃がさないから。」
「なら。」
と、ソールの笑みが、その温度を変える。日だまりのような暖かさから、灼熱の業火へ。
 全てを焼き尽くす炎熱。それは、閃光のように燦然と眩しい。
「地獄の底まで付き合わせてやる。」

終幕

 オレの父親は、高名なハンターだった。全ハンターの中でも、一握りしかいない、Sランク。その中でも、当時、五本の指に入ると言われていた。
 腕がいいだけではなく、高潔で気高いハンターだった。王侯貴族にさえ膝を折らせ、権力を笠に着る奴や、領民から搾り取る一方のあくどい奴の依頼は、いくら金を積まれても受けなかった。その一方で、貧しい庶民からの依頼は、無償に等しい対価でも受け、逆に魔族の核を置いていった。
 そんな父は、オレの憧れで誇りで目標だった。「オレも父さんみたいなハンターになる。」それが、ガキの頃のオレの口癖で、オレがそう言うたびに、「オレを超えるハンターになれ。」と、頭を撫でてくれた。
 父は依頼を受けて、世界中を飛び回っていた。母とオレが待つ故郷の村には、たまにしか帰って来なかった。しかし、オレがある程度魔法を使えるようになると、比較的安全な依頼には同行させてもらえるようになった。たいていの魔獣を一撃で倒す父の技は凄まじく研ぎ澄まされていて、同時に華麗でもあった。
 修行は厳しかったが、上達した時は、大袈裟なほど褒めてくれた。師匠としても一流だった。オレの周囲には、同じようにハンターを目指す子どもたちが多かったが、オレは誰にも負けなかった。相手を見下すオレに、父は何度も言った。
「強くなければ何も守れない。だが、強さは全てではない。」
 父の言いたいことは、正直よくわからなかった。ハンターに、強さ以外に必要なものがあるとは思えなかった。けれど、父が言うなら、正しいのだろうと思っていた。
 全てがひっくり返ったのは、オレが十になった冬。
 一年で日が一番短くなる頃だった。吐く息が真っ白に変わる、凍てつく夜。毛皮をはったブーツを履いていても、指先が芯から冷えた。
 オレは父とともに依頼をこなす旅に出ていた。予定では、日暮れまでに村に帰れるはずだった。しかし、父が魔獣の襲撃を受けた商人の馬車を助け、そのお礼に館に滞在してくれと頼まれた。村から馬で1時間ほどの距離だったので、父は快諾した。豪奢な晩餐会の最中。
 真っ暗のはずの窓の外が、夕日よりも赤い朱金に染まっていることに、父が気づいた。
 村の方角だった。
 父はすぐさま、疾風の翼で村に飛んだ。オレに「おまえはここにいなさい。」と言い残して。今から思えば、父には予感があったのかもしれない。村に待ち受けているのが、けして敵うはずのない相手だと。
 オレは、父の言いつけを守らなかった。疾風の翼で追いかけた。だが、当時のオレは、父と同じ速さで飛ぶことなどできなかった。
 オレが村に辿り着いた時には、全てが終わっていた。
 痛いほどの冷気が支配していた冬の夜なのに、真夏の炎天下のように、熱気が肌を刺した。
 村は、灼熱の業火に包まれて、至るところから火の手が上がっていた。ガラガラと音をたてて家屋が崩れ落ち、そのたびに火の粉がまき散らされる。それに、時折、何かが爆ぜる音が混じる。
 真昼のように辺りを照らす火柱が、大地を染める鮮血を、より深く濃い真紅に染め上げていた。
 どの遺体も、真っ黒になっていて、顔の判別などできなかった。後でわかったが、あれは炎で焼かれたのではない。嬲るように切り刻まれた上で、雷に打たれたのだ。
 地獄絵図、というのはこういうことなのか、としびれたように動かない頭の片隅で思っていた。あまりに現実味がなさすぎて、まるで悪夢の中にいるようだった。
人の体が焼ける臭いに、何度も吐いた。
 それでも進んだのは、父を探すためだった。村で何が起こったのかはわからない。それでも、父さえ見つければ、何とかしてもらえると思っていた。
 それがどれだけ甘い考えだったか、本当の地獄はその先に口を開けていたのだと知らされるまで。
「おや、まだ壊れていない玩具があったんですか。」
 その声は、ひどく甘くて、極上の楽器が紡ぐ天上の音楽のようだった。
 振り向いて目を細めたそいつは、声にふさわしい、人間離れした玲瓏たる美貌の持ち主だった。
光沢を放つ、濡れたように艶やかな漆黒の髪。夕暮れの空の、最も美しいひと時を閉じ込めてはめ込んだかのような紫の双眸。
 背中に広がる闇色の翼がなくてもわかった。
 これは、魔族だ。
 人が太刀打ちできない相手だと。
だから、父さんも、真っ黒に焼かれて地に伏しているのだと。高熱に耐える特別な金属、真の銀ミスリルでできたでプレートだけが、無事に残っていた。それが唯一、遺体が父さんだという証だった。
 悲しいとか、憎いとか、そんな感情は遠かった。
 思考の全てが凍てついて、真っ白な絶望だけがあった。ここでオレも殺されるのだと。
 だから、ふいに口をついた言葉は、無意識のうちに零れ落ちたもので…それ故に本心だった。
「なんだ。やっぱり力が全てか。」
 善行を積んできても、高潔な志があっても、関係ない。正義そのものに力はない。逆に、どれほど悪に染まっていても、力があれば全てを蹂躙できる。今、この魔族が父にしたように。
 オレの言葉のどこが、魔族の琴線に触れたのかは知らない。紫水晶の瞳がかすかに見開かれ、そいつは、ふっと笑った。見た目は十六、七くらいだったが、その笑みはもっとずっと年を経たものの笑みに見えた。
「この状況で、その台詞ですか。おもしろい子ですねぇ。」
と、魔族は赤い唇の端をつり上げる。
「ここで殺すのが惜しくなりました。時間をあげます。強くなって、追いかけてきてください、私を。」
 魔族は、ベリアルと名乗った。

 あの夜から、オレは、感情が麻痺してしまったのかもしれない。父さんのことは好きだったのに、尊敬していたのに、あの魔族を憎いとも許せないとも思えない。
 力が全てだと、わかってしまったから。
 父さんはあの魔族より弱かった。だから殺された。父さんがあの魔族より強かったら、結果は逆だった。ただそれだけのこと。
 だから、オレは強くなろうと思った。
 がむしゃらに修行を重ねた。気が付いたら、Sランクハンターになっていて、暁の劫火、なんてごたいそうな二つ名まで勝手につけられていた。
 ベリアルとは、なんだかんだ何度も戦った。決着がつかないまま。あいつは仇だが、復讐心はあまりない。弱ければ死ぬ。それが世界の真理だと知ったから。
 そんな時に、ディアと出会った。
 弟子にしろなんて、貴族のおぼっちゃんの気まぐれだと思っていたら、大間違いだった。深窓のお姫サマみたいなツラのくせに、ずいぶん根性のすわったガキだった。こっちがびっくりするくらいに。
 足手まといはいらないから、パーティーも組まずにきたってのに、ディアがなついてくるのが、いつの間にか居心地がよくなっていた。絆されていたんだろう、たぶん。認めるのは癪だったが。
 そんなオレの甘さを見透かしたかのような、ベリアルの襲撃は、冷水を浴びせられたような衝撃だった。
(オレのせいでディアが死ぬ?)
 そう思ったら怖くなった。ずっと忘れていた感覚に、指先まで冷たくなった。ディアから離れようと思った。ベリアルに目をつけられることがなければ、危険から遠ざけることができると、安易に考えた。
『おまえはここで待っていろ。』と言ったくせに、迎えに行かなかった。別れの言葉も、理由も告げないまま置き去りにした。裏切られた、見損なったと、ディアがオレを見捨てるように。
 置き去りにしたあの夜から、あいつの意識がある時に優しくしたことは一度もない。名前すら呼んでやらなかった。ずっと、手荒に扱って、傷つけてズタボロにして…酷いことばかりしてきた。
 それなのに、ディアはオレを追ってきた。何度突き放しても、諦めずに。
 ディアのやってることは滅茶苦茶で、狂気の沙汰だった。
 だけど、それがディアの覚悟だった。
 オレに足りなかったものだった。
「逃がさない。」と、おまえが言うなら。
 オレは、誰よりも強くなる。おまえもオレの強さを追ってくる。必ず。
 二人なら、誰にも負けないと信じられる。
 信じることが、オレの覚悟だ。
                            終
 
 

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