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【了】
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フロスト公爵の元へ嫁いでから、早いもので、半年の月日が経ちました。
今日も穏やかな日和でした。
あの日の告白の通り――フロスト公爵は、私をとても大切にしてくださる。
私は今日も、フロスト公爵を見つめることができる。
そして私を見つめ返す彼の視線はいつだって真摯で、そこに弱気な猫のような感情を見つけたことは、今まで一度もありません。
毎日が幸せでした。
私は今日も、彼を愛しく思うことができる――。
「フロスト様、お茶が入りましたよ」
「ああ、ありがとう、頂こう。――良い香りだね」
微笑む彼に――私は、良いものを返せているでしょうか?
あれから色々なことがありましたが――一番印象的だったのは、婚約破棄を受けた私が、これほど早くに嫁げた事情である、奇妙な偶然の重なりでしょう。
あの日フロスト公爵が、レーゼマン伯爵の元へ、自ら足を運んだことが、世間的な評判として良い方向に転がったのです。
フロスト公爵とは、縁談前の繋がりは無いに等しかった――あったのは、一度、レーゼマン伯爵のお屋敷に招かれた彼に、挨拶をしたそのときくらい。
その時節のお話です。
フロスト公爵の、情熱的なアプローチの様子は、すぐに世間に広まりました。
そして人の耳を渡るにつれ、話に尾ひれが付き――レーゼマン伯爵の元へ出向いたあの日も、私の姿を見るために、わざわざ公爵自らが出向いた、というような噂まで広まる始末で。
フロスト公爵がそこまで思い入れる程の女性であるなら――そんな解釈が浸透し、僅かに損なわれた私の名誉も、知らぬ間に回復されていました。
人の噂話の転がる先など、分からぬものです。
なぜあの日フロスト公爵のほうからレーゼマン卿の元へ出向いたかといえば――。
「レーゼマン伯爵が、邸宅の薔薇園をフロスト様に披露するため、であったのに」
「人の噂など、分からぬものだ」
フロスト公爵も私同様の感想を持ち、苦笑していました。
しかし、私の姿を見るためなんて事情ではなかったのに――と続けて口にすると、フロスト公爵は目を逸らし、言葉を濁しました。
小首を傾げると――彼は「実はあの日に、君に一目惚れしたのだ」と語ってくれました。――紫陽花の前に立ち、私を見つめた君に、一目惚れしたのだ、と。
「言ってくださればよかったのに」
「気恥ずかしかったんだよ! ウィスタリア、私はあの日の君が忘れられず、君がレーゼマン卿との関係を解消した後のほぼ即日に、縁談を申し込んだんだよ。落ち着きが無いと思われてもしかたない、でもいてもたってもいられなかった。今だから言えるが、噂はあながち間違っちゃいないんだよ」
「まあ」
微笑を浮かべて赤面するフロスト公爵を見ると、心に不思議な浮き立ちを感じました。
「――しかも、顔を合わせるなりいきなりの告白を口にした男だしね」
「情熱的でした」
「自分にあんな情熱的な側面があったなんて、驚いた」
赤面を手で隠しおどけて言うフロスト公爵に、私は小さな微笑みを返しました。
どうやら彼は、私との機会をずっと、待ってくださっていたようです。
機会。訪れた、婚約破棄の事情。
――さて、私に婚約破棄を突き付けたレーゼマン伯爵はといえば、残念ながら、妹のオリーブを迎え入れた日から、やはり……徐々に、没落の一途を辿りました。
理由は危惧していた通り、オリーブがお家の品格を背負いきれなかった、というのが大きな原因であるようです。
貴族の連れ合いも、決して楽な道ではありません。相応の核が必要不可欠――。
オリーブは最後まで、自由気ままな振る舞いが許されていた頃とは違うということに、気付かなかったようでした。
気の毒ですが、私にできることはありません。
もうそれは、あの子が選んだ道だから。
「浅ましい期待だったかもしれないが――」
ふと聞こえてきた、フロスト公爵の呟きに、私は顔を上げました。
伝えなくてはいけない。そんな思いの込められた呟き――。
「それは紛れもない、私にとっての幸運だった」
その告解のような響きを持ちながら、断固とした意思と共に口にされた言葉に――私は目を瞑り、微笑みを浮かべました。
「――あら、雨」
しばらくお茶を楽しんでいると、窓の外、日の光が透ける薄雲の下で、疎らな雨脚で雨粒が降り始めました。
――雨が似合うね、と言われることが多かったです。
正直なところ、あまり嬉しい言葉ではなかった。
私の好むところである、黒を基調とした装いの印象が陰鬱なものであると、言われているような気がして。
けれど今は――傷は癒え、痛みを感じることもない。
私の意思を心一杯の愛しさで見つめてくれる、貴方がいるから。
ふと、彼が、私を見つめていることに気付いて。
彼を見つめ返す私は、自分でも意外なほどに柔らかな微笑みを、自然と浮かべていました。
――私が貴方を見つめる視線に込められた愛しさに、貴方は気付いていますか?
私はもう気付いている。私も、貴方を見つめたいと強く願っていることに――。
緩やかで確かな日々が流れている。
この日々を願うために――私は彼の隣で、どんな平穏、苦難があろうと、思いを抱き続けましょう。
晴れも雨間も、心を咲かせ、隣で。
緑の葉をも明瞭な輝きたる、紫陽花のように。
今日も穏やかな日和でした。
あの日の告白の通り――フロスト公爵は、私をとても大切にしてくださる。
私は今日も、フロスト公爵を見つめることができる。
そして私を見つめ返す彼の視線はいつだって真摯で、そこに弱気な猫のような感情を見つけたことは、今まで一度もありません。
毎日が幸せでした。
私は今日も、彼を愛しく思うことができる――。
「フロスト様、お茶が入りましたよ」
「ああ、ありがとう、頂こう。――良い香りだね」
微笑む彼に――私は、良いものを返せているでしょうか?
あれから色々なことがありましたが――一番印象的だったのは、婚約破棄を受けた私が、これほど早くに嫁げた事情である、奇妙な偶然の重なりでしょう。
あの日フロスト公爵が、レーゼマン伯爵の元へ、自ら足を運んだことが、世間的な評判として良い方向に転がったのです。
フロスト公爵とは、縁談前の繋がりは無いに等しかった――あったのは、一度、レーゼマン伯爵のお屋敷に招かれた彼に、挨拶をしたそのときくらい。
その時節のお話です。
フロスト公爵の、情熱的なアプローチの様子は、すぐに世間に広まりました。
そして人の耳を渡るにつれ、話に尾ひれが付き――レーゼマン伯爵の元へ出向いたあの日も、私の姿を見るために、わざわざ公爵自らが出向いた、というような噂まで広まる始末で。
フロスト公爵がそこまで思い入れる程の女性であるなら――そんな解釈が浸透し、僅かに損なわれた私の名誉も、知らぬ間に回復されていました。
人の噂話の転がる先など、分からぬものです。
なぜあの日フロスト公爵のほうからレーゼマン卿の元へ出向いたかといえば――。
「レーゼマン伯爵が、邸宅の薔薇園をフロスト様に披露するため、であったのに」
「人の噂など、分からぬものだ」
フロスト公爵も私同様の感想を持ち、苦笑していました。
しかし、私の姿を見るためなんて事情ではなかったのに――と続けて口にすると、フロスト公爵は目を逸らし、言葉を濁しました。
小首を傾げると――彼は「実はあの日に、君に一目惚れしたのだ」と語ってくれました。――紫陽花の前に立ち、私を見つめた君に、一目惚れしたのだ、と。
「言ってくださればよかったのに」
「気恥ずかしかったんだよ! ウィスタリア、私はあの日の君が忘れられず、君がレーゼマン卿との関係を解消した後のほぼ即日に、縁談を申し込んだんだよ。落ち着きが無いと思われてもしかたない、でもいてもたってもいられなかった。今だから言えるが、噂はあながち間違っちゃいないんだよ」
「まあ」
微笑を浮かべて赤面するフロスト公爵を見ると、心に不思議な浮き立ちを感じました。
「――しかも、顔を合わせるなりいきなりの告白を口にした男だしね」
「情熱的でした」
「自分にあんな情熱的な側面があったなんて、驚いた」
赤面を手で隠しおどけて言うフロスト公爵に、私は小さな微笑みを返しました。
どうやら彼は、私との機会をずっと、待ってくださっていたようです。
機会。訪れた、婚約破棄の事情。
――さて、私に婚約破棄を突き付けたレーゼマン伯爵はといえば、残念ながら、妹のオリーブを迎え入れた日から、やはり……徐々に、没落の一途を辿りました。
理由は危惧していた通り、オリーブがお家の品格を背負いきれなかった、というのが大きな原因であるようです。
貴族の連れ合いも、決して楽な道ではありません。相応の核が必要不可欠――。
オリーブは最後まで、自由気ままな振る舞いが許されていた頃とは違うということに、気付かなかったようでした。
気の毒ですが、私にできることはありません。
もうそれは、あの子が選んだ道だから。
「浅ましい期待だったかもしれないが――」
ふと聞こえてきた、フロスト公爵の呟きに、私は顔を上げました。
伝えなくてはいけない。そんな思いの込められた呟き――。
「それは紛れもない、私にとっての幸運だった」
その告解のような響きを持ちながら、断固とした意思と共に口にされた言葉に――私は目を瞑り、微笑みを浮かべました。
「――あら、雨」
しばらくお茶を楽しんでいると、窓の外、日の光が透ける薄雲の下で、疎らな雨脚で雨粒が降り始めました。
――雨が似合うね、と言われることが多かったです。
正直なところ、あまり嬉しい言葉ではなかった。
私の好むところである、黒を基調とした装いの印象が陰鬱なものであると、言われているような気がして。
けれど今は――傷は癒え、痛みを感じることもない。
私の意思を心一杯の愛しさで見つめてくれる、貴方がいるから。
ふと、彼が、私を見つめていることに気付いて。
彼を見つめ返す私は、自分でも意外なほどに柔らかな微笑みを、自然と浮かべていました。
――私が貴方を見つめる視線に込められた愛しさに、貴方は気付いていますか?
私はもう気付いている。私も、貴方を見つめたいと強く願っていることに――。
緩やかで確かな日々が流れている。
この日々を願うために――私は彼の隣で、どんな平穏、苦難があろうと、思いを抱き続けましょう。
晴れも雨間も、心を咲かせ、隣で。
緑の葉をも明瞭な輝きたる、紫陽花のように。
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