後宮の絵師〜皇妃?いいえ、私は虹の神になりたいのです〜

まさな

文字の大きさ
3 / 25
■第一章 小鳥は啼く 

第二話 竜門の鯉

しおりを挟む
「しかし、竜門を登る鯉がまさか人間のことだったとはな」

 助けてくれた陽翔が歩きながら私をちらりと見て言うが、何のことやら。話が見えない。
 
 この庭園に『竜門』などという場所は存在しないのだ。離宮に『門』と呼ばれるものは四つだけ――正門である『西門』と、それ以外の裏門として使われる『東門』、『南門』、『北門』だけである。それを私が知るのはもう少し後のことだ。

「水難の相も当たりましたね。陽翔様、私はお着替えを取ってまいります」

「ああ、頼む。お前の替えでいいぞ、蒯正かいせい

 一緒にやってきた陽翔の従者らしき人物の名は蒯正と言うらしい。あるじとは違って飾り気のない容姿で、大柄ながらも温厚そうな人物に見える。声も見た目より一オクターブ高く柔らかい。

「いけません、陽翔様。離宮で公卿くぎょう(貴族)がそのような身分違いのことをなさっては、あらぬ疑いをかけられるやもしれません。それにこれから尚侍ないしのかみにお会いになるのでしたら、やはり正装でなくては」

「そうだな、地位も色々と面倒臭いか。わかった。では、着替えを取ってきてくれ」

「はい。それとそちらの――ええと、あなたの名は?」

 蒯正が遠慮がちに私の名を聞く。

「あ、はい、坂本玲奈です」

 私は名前を言ったが、二人はきょとんとした顔になった。

「……坂本? そのような官職があったであろうか?」

「いいえ、ございません」

「いえ、官職じゃなくて名字なのですが」

「名字! 名字だと! 聞いたか、蒯正、一介の下女が家の名を言い出したぞ!」

「いけませんよ。ここでは身分を偽れば死罪もあるのです」

 仰天したように陽翔が大声で言い、蒯正が難しい顔で私を諭すように言う。
 死罪……って死刑!?

「ええっ!?」

「まあいいではないか。今のはちょっとウケたぞ。ククク、お前は今日から坂本を名乗るが良い」

 いや、本名なんだけどね?
 でも、ここでそんなことを言おうものなら、凄く面倒なことになりそうだ。

 私が困っていると蒯正が肩をすくめた。

「仕方ないですね。後で私が調べておきます。服の色が茶ですので、下女で間違いないでしょうけど」

「そうだな。ま、それまでは坂本のレイレイで良かろう」

「陽翔様、いけません、ただのレイレイです」

 私の名前は今この瞬間、レイレイに決定したようです。

 なんだかパンダみたいで可愛らしい名前だなーと思ったら、こちらでは本名の韻を重ねて幼名とするのだとか。

「クックックッ、名前が多くて、レイレイちゃんは随分と高貴な御方らしいな。プフ」

 ああもう、バカにされた! 絶対バカにしてる!

「陽翔様、高官相手に緊張しただけの不慣れな子供を、そのように茶化すものではありませんよ。ではレイレイの着替えも持って参ります」

「おお、そうだな、それがいい」

「ありがとうございます」

 着替えはありがたい。寒風に吹かれて私の体は震えが止まらなくなっていた。

「レイレイ、早く服を脱げ。そんなに震えていては風邪を引くぞ」

 まだ蒯正さんが着替えを持ってきてくれていないのに、脱げとは、ここで裸になれと?
 文句を言ってやろうかとも思ったけれど、相手は正五位(何だかよく分からないが)の高官だそうだし、この世界は身分にうるさい様子。
 仕方なく私は遠慮がちに抗議した。

「いえ、男の人の前ではちょっと……」

「んん? ふん、まだ子供の癖に、生意気な」

 陽翔がややあきれたように私を見て言うが、大人だもの。でも、この体、少し背も低くなっているようだし、動いても疲れがない。ひょっとして若返ってる?
 
 夢……にしては周囲の建物がリアルすぎ。いったいここはどこですか。
 日本ではなさそう。中世っぽい東洋風の建物で、言葉はなぜか通じてるんだよなぁ。
 
「あの、ここはいったい……どこなのでしょう?」

「おい、しっかりしろ、レイレイ。ここは離宮、つまりは後宮だ。お前は帝に仕えるためにここにいる。どうせ税の払えぬ村から出てきたのであろう」

 後宮……確か、やんごとなき御方が跡継ぎを作るために夜ごと頑張る場所で、愛人がいっぱい住んでいるという場所ではなかったか。
 そう、ハーレムというヤツだ。
 えええええ……。

 途方に暮れた私の体を、心の底まで冷える風が撫でていく。「もうここから帰れないよ」という声がどこからか聞こえた気がした。

 ど、どうしよう。
 あまりの現実に、私は、ただただ震えてしまう。
 
「そんなに寒いなら、これでも飲んでおけ。温まるぞ」

 ひょうたんを渡された。蓋を抜いて一口飲んでみるが……

「うっ、ゲホッ、ゲホッ」

 やたらと強い酒だった。喉がカーッと熱くなり、火を噴きそうだ。

「フフ、熱くなっただろう」

「うう、喉が焼ける。なんでこんな強い酒を……」

はらいと清めのためだ」

 なるほど、飲み物としてではなく儀礼用と消毒用というわけか。しかし、そんな物を飲ませるなんてちょっと酷くないですか。ニヤニヤと笑ってるし。

「もういいです」

 とても飲めないので酒を突き返したが、その時――私は中庭を急いで走る者を見かけ、不穏なものを感じた。

 その女官は建物に隠れるように小走りで移動している。
 だが、走り方が女性のそれではない。いや、ここの女官のものではないと言ったほうが正しいだろう。
 さきほど私に意地悪した女官『従五位の才女』と同じ服装なのだが、しゃなりしゃなりと歩き、口もとに手をやって笑うようなあの仕草とはかけ離れていた。

 私にはわかる。

 そいつは偽物だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

公爵家の秘密の愛娘 

ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。 過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。 そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。 「パパ……私はあなたの娘です」 名乗り出るアンジェラ。 ◇ アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。 この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。 初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。 母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞  🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞 🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇‍♀️

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...