後宮の絵師〜皇妃?いいえ、私は虹の神になりたいのです〜

まさな

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■第一章 小鳥は啼く 

第五話 聞こえよがし

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 そろそろ桶の水を替えないと……と思っていると、テツコがやってきた。早足である。
 もちろん、私はあの後すぐにすべての桟を拭いて掃除したので問題はないはずなのだが……緊張の一瞬だ。

「玲鈴、すぐにこちらにいらっしゃい」

「あの、きちんと桟は拭きましたけど」

「いいから、いらっしゃい」

 周りの女官達が「ああ、あの子、何かやらかしたのね。可哀想に」という顔でこちらを注目している。でも、ちゃんと拭いたし。

 ドキドキしながら早足のテツコのあとをついていく。

「ここです」

 部屋の前でテツコが立ち止まり、扉を開けた。ここに入れということらしい。
 まさか、桟の掃除が甘かったからというだけの理由で懲罰房行きなのだろうか?

「早くなさい」

「は、はい」

 罪が重くなってはかなわないので、入る。するとテツコがすぐにバタンと扉を閉じてしまった。こんなことならさっき抗議しておけば良かった。でも、口答えするとこの世界ではさらに酷いことになりそうだよね……。

 恐る恐る私は見回したが、牢屋にしては……なんだか綺麗な場所だ。窓から明るい陽の光が差し込み、部屋の中央には立派な卓もある。

「しかし、陽翔様、なぜそこまであの女官をお気になさるのですか?」

 聞き覚えのある声が隣の部屋から聞こえてきた。お付きの中級官吏、蒯正さんだ。

「決まっている。陰陽寮で宣託が出たのだ。それに小夜啼鳥が鳴いたのをお前も聞いただろう、蒯正。私はそんなものは信じていないが、噂や評判というものは侮れぬ」

 あの銀髪の主もいたか。

「しかし、それは陽翔様がここにおいでになったからでは……」

「さてな。俺は確かに名門の公卿であはあるが、今代の血筋とは遠い。俺の父と祖父が相次いで亡くなった今、後ろ盾もない鳳家は後継者どころか、臣下の本流からも外れていると周囲から目されている。それに」

 陽翔が言葉を切った。

「どうして下官の子供があれだけの知恵を出せる? 琴を武器にするのはまだ良い。だが、妖魔に酒を浴びせ、あまつさえ火を放てと言うなど、並ではないぞ」

「はい……そこは確かに、知恵の回る子です。私も詳しく調べてみましたが、普通の農村の出で、読み書きも習ったことはないそうです」

「とてもそうは思えぬほど、優秀だ」

「はい」

「そういう優秀な奴を見ると、俺は潰したくなるのでな」

 おい。

「お戯れを。冗談にしても風聞が悪うございます、陽翔様」

「もちろん、わざと聞かせたのだが。そこにいるのは分かっているぞ、レイレイ! さっさと顔を見せろ」

 うわぁ。最悪だわ、この人。このまま聞かなかったことにして帰りたい。

「俺が今から三つ数えぬ間に顔を出さねば、そうだな、菫青宮に戻してやろう。またすぐにあの連中はお前を沈めにかかってくることであろうな。恥をかかされた才女の恨み、次はどんな手でくるやら」

 冗談じゃない。私は観念して隣の部屋に入った。

「お呼びでしょうか、陽翔様」

 恭しく両手を上げ、口を隠したままアカンベーをする。

「レイレイよ、その舌、そこに鏡があるのを知ってのことか?」

「うへっ!? め、滅相もございません! 知りませんでしたー!」

「ならば一度は許してやろう。こう見えても俺は寛大だからな」

 本当に寛大な人なら二度や三度くらいは許してくれるよね。

「さて、レイレイ。お前を呼んだのは、他でもない。俺の手伝いをしてもらいたいからだ」

 執務机の向かいに座った陽翔はヒジを突いて身を乗り出し、上辺だけは人の良さそうな笑みを浮かべた。輝く絹糸を垂らしたような銀髪に、冷たく透き通る蒼い瞳。長めのまつげはまるで女性のよう。実に整った顔立ちだ。その上、血筋も良いとくればモテモテなのだろうけれど、私は百合絵のほうが好き。この人は性格もエグいし。

「聞いているか、レイレイ」

「あ、はい、ええと?」

 聞いてなかった。よく人に言われるけど、私は思考にふけっていて話を聞いてないときが多い。

「俺の手伝いの件だ」

「手伝い? えっ? 私が何をお手伝いすればよろしいのですか?」

 陽翔様は性格がアレとは言え正五位である。この世界では正九位まであるそうだ。となれば会社で言えば真ん中よりちょい上、課長クラスだろう。しかもこの若さでだ。雇われたばかりのバイトみたいな立場の私に手伝えることがあるとも思えない。
 わざわざここに呼び出してまで何をさせようというのか。

「先日、ここの女官が何者かに刺殺された。犯人は未だ目星すらついておらぬ。そこでだ、本来は尚侍や刑部の役割であるが、上の意向でな。俺がその事件の調査に入ることとなった。異例尽くしではあるが賢妃様も賛同しておられる」

 刑事の役割を陽翔が行うようだ。となると、私はワトスン役、いや、使いっぱしりの犬役だろうなぁ。面倒くさい。

「あのう、陽翔様、それは私には荷が重すぎるかと。別の女官をお捜しください。もっと位の高い人を」

「ふむ、俺の頼みを断ると言うか。別に俺としては犯人は正直な話、誰でもいいのだ。その辺の小生意気な女官を適当にしょっぴいて犯人に仕立て上げれば、事件はいともたやすく解決だからな。迅速じんそくに。今すぐにでも」

 そう言って陽翔がじっと私を見る。

「誠心誠意、お手伝いさせていただきたく存じます」

「良い答えだ。しかし、お前、誰かに礼節を教わったのか?」

 うーん、前世の記憶とか、説明が面倒だな。絶対、この人は信じようとしないだろうし、証拠も出せないし。
 ここはごまかすほうが良さそう。

「いいえ、こちらに来てから見様見真似で覚えまして」

「ほう。庭掃除で高官の物言いを覚えるとはな。正直に言え、お前を指導した師傅しふ(先生)は誰だ?」

「いえ……名前までは。たまたまお見かけしただけで」

「ふん、いいだろう。言いたくないならば、好きにしろ。それは今はどうでもいいからな。それより、女官の間で犯人の噂は立っていないか」

「いえ、まだ私も黄水宮に来たばかりです。女官が刺殺されたとは同じ部署の子に聞きましたが、それ以上は何も」

「そうであったな、昨日の今日では分からぬか。だが、私はこの件をさっさと片付けたい。他にも色々と忙しい仕事を抱えているのだ。レイレイよ、お前が気に入らぬ女官がいれば名を上げてみてもいいぞ? あの才女でも面白そうだ」

 冗談じゃない。いくらいじめられたからといって、それはできない。
 無実の罪を作り、いい加減な権力を使うなんて私はやりたくなかった。

 どうも陽翔はやる気がなさそうだし、ここは私が真面目に手伝ったほうが良さそう。

「陽翔様、まずは私とともに、その女官が刺殺された現場を調べるのが最善かと」

「うむ。よかろう。まずは場所を見てみるとするか。命拾いしたな、レイレイ」

 ……それ、どういう意味ですか?

「陽翔様は口は少々お悪いですが、清廉潔白な御方なのですよ」

 小声で蒯正さんが微笑んで教えてくれたが、どうやら甘言の罠にかけられていたようだ。尊敬したそぶりを見せているけれど、蒯正さん、アンタの主様は相当にたちが悪いよ?
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