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■第一章 小鳥は啼く 

第九話 クチナシの花

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「これより捜査のため面通しを行う。側女はすべて集めていただきたい」

 菫青宮の入り口で陽翔が言い放つ。
 私に「春菊には借金がある」と言った女官を見つけ出すためだ。あいにく私は顔と服装を覚えているものの、彼女の名前を聞いていなかった。

「陽翔様、お役目も大事かと思いますが、ご覧の通りすでに日が傾いております。ここが後宮である以上、殿方であるあなた様は一度お引き取りになり、また明日ということにいたしませんか」

 出迎えた菫青宮の宦官が慇懃いんぎんな笑顔で提案してくる。

「ならぬ! 人殺しの捜査だぞ。それも御所の中ぞ。昼夜を問わずになんとする。捜査を妨害する者は後で上に報告するのでそのつもりでいろ」

 凍てつく蒼い瞳でこう言われては、宦官や女官達も恐れをなして誰一人逆らう者はいなくなった。
 
 直ちに若草色の衣を着た側女達が集められたが、ぞろぞろと数が多い。百人を超えているかも。
 何という多さだろう。
 後宮の下級女官だけでこれだけいるとは。
 それが東西南北に四つある宮の一つだというのだから、皇帝の跡継ぎのためとはいえ、財政や人材の無駄使いではないのかと私は思ってしまう。

 ともかく、一列に並ばせて名簿と名前を照らし合わせながらの面通しが始まった。

「違います」

「次! 竹桃ちくとう

 私も「あ、やっぱり今の人かも。ちょっともう一回いいっすか?」なんて言える空気ではないので真剣に顔を見て判断していく。
 だが、次から次へとやってくる女官達の顔を見ていると、偽証した女官の顔があやふやになってくる。
 忘れないように時々しっかりと顔を思い出しながら、私は面通しを続けた。
 
「では次で、最後になります」

 官吏が告げる。私はその声にハッとしたが、あの女官はまだ見ていない。
 ここにはいないのだろうか?

「おい、玲鈴、ここまでしておいて全部ハズレでしたは通らんぞ。最後の者は嘘でも良い、当てておけ。後で嫌疑不十分ということにもできる」

 陽翔が小声で言ってきた。

「いえ、それはいけません。私達が最後にシロだと言って無罪放免にしたとしても、それまでに女官達には噂が広まってしまいます」

 それでは私がかつてやられたように、池に沈められたり鞭でぶたれたりと様々な嫌がらせが行われることになる。それは避けたかった。
 
「お前……チッ。俺の面目も考えろ」

 陽翔の立場も一応は考えはしたが、名門の若手エリートなのだ、挽回の余地はいくらでもあるだろう。
 だが、一般の下級女官は命すら危うい。

 そして最後の一人が真正面に来る。
 
「違います」

 私が告げると、空気が止まったようにぽかんとした女官達は……次第にざわめき始めた。
 
「どういうこと? 私達の中に犯人がいるのではなかったの?」

「決まっているわ。陽翔様は賢妃様とは幼少の頃からのお知り合いで仲がいいそうよ。だから、ライバルの叔妃様がおられるこの菫青宮を目の敵にしているのでしょう」

 そんな決めつけの声も上がった。

「聞け! 捜しているのは犯人と決まったわけではない。偽証をした者だ! それより、これで本当に全員だろうな? 欠席者はいないのか?」

 陽翔が大声で訂正したあと、蒯正に確認する。

「は、名簿はこれで全員でした。間違いございません」

 陽翔のお付きである蒯正が名簿を手にしてそう言うのだ、名簿に欠席した者の名前があればすぐに彼が報せたことだろう。

 となれば――誰がミスをしたかという疑いは、当然、私に向く。
 この場にいるほぼ全員が私に注目するので、気圧された私は一歩後ずさった。
 
「玲鈴、本当に見間違いはないのだな? 怪しかった者がいれば、もう一度呼び出してもいいのだぞ」

「いえ、それはありません。百合漫画の修行デッサンでイメージの記憶力は人並み以上にあると自負していますし」

「ううん、何を言ってるのかさっぱり分からんぞ。玲鈴、何かそいつの特徴は覚えていないのか」

「では、紙と炭を」

 用意された紙に、私は炭をこすりつけて顔を描いていく。

「適当な似顔絵を描いたところで……んんっ!?」
「おお、これは上手い」

 フッフッフッ、驚いてる驚いてる。伊達に美大の予備校に通って百合漫画に人生を賭けていなくてよ! (まぁ美大は落ちたけど)
 見よ、この精密無比な――おっと、ちょっとミスった。

「パン――いえ、あんまんを、あんまんを下さい!」

「用意してやれ」

 受け取ったあんまんを半分こにして、半分はペロリと平らげた。

「んまー」

 それを見た他の全員が怪訝けげんな顔になる。
 だって今日の私は朝ご飯とおやつしか食べてないし、お腹空いてたんだもん。

「このようなときに腹ごしらえとは、あきれるな。お前は今の自分が置かれた立場が分かっているのか?」

「いえ、分かってますって」

 慌てない慌てない。 
 私は残された半分の皮で絵をこすり、炭が濃すぎたところを消していく。
 
「なんと、あんまんで色を消すとは!」

「ほう、なんだか無茶苦茶だが、そのような技法があろうとは」

 周囲が感嘆の声を上げる中、ついに私の似顔絵が完成した。いや、もう完璧。
 ワンドロでここまで描けたのは生まれて初めてだ。普段はすぐゲームを始めたり、ネット見たり、ご飯食べたり、寝たりするからなぁ。

「陽翔様、これを……」

 私は最後の力を振り絞り、撃て撃て……落とすんだ……!と心の中で叫びながら、絵を渡してその場にカクッとへばる。

「いけません、服が汚れますよ、玲鈴」

「あ、はい」

「この女官に見覚えはあるか!」

 陽翔が紙を女官達に掲げて見せる。
 
木犀もくせいだわ」
「ええ、そうね。木犀よ」

「その女官をここに連れてくるのだ! 今すぐ!」

 陽翔が号令を飛ばし、宦官が慌てて走って行くが……ついにその女官が私達の前に現れることはなかった。

◇ ◆ ◇ ◆ ◇

「忌々しい。ちょうど暇を与えていたなどと、都合の良すぎる展開だ。それも二人もだと?」

 黄晶宮の執務室で陽翔が机を指でトントンしながら言う。苛立ってるなぁ。

 ま、それも無理なからぬことだろう。
 事件は一応の解決を見せたものの、犯人の動機についてはさっぱりなのだ。
 私も納得がいかないのだから、完璧主義に見える陽翔にとってはなおさらだろう。
 
 菫青宮側の言い分では、偽証した女官は私に証言した直後にクビにされ、田舎に帰ったという。
 名簿に彼女の名前が無かったのは、クビにしたからそのページを外して書き直していたから――ということだった。
 
 でも、普通、そんなことをしていれば、「こいつはさっきクビにしたのでいませんよ」くらいは報告するだろうし、すべきだろう。報告を怠った宦官は処罰され、偽証した彼女にはすでに追っ手がかけられているが、まだ捕まっていない。
 
「ですが、毒を呷って自害したもう一人の女官の指紋は、かんざしに残されていた指紋と合致しました。犯人で間違いないでしょう」

 蒯正が報告する。
 
「犯人は特定され、死亡。これで事件は解決か。だが、その犯人には被害者とのトラブルも無かったと聞く。それが引っかかるところだな」

 陽翔がアゴに手を当てて思案げに言うが、死人に口なしである。
 動機の無い不可解な殺人。

「はい。なぜ、彼女は殺したのか?」

 蒯正が私達を見ながら問う。

「そして、なぜ、被害者は殺されたのか? ですね」

 私はもう一つの疑問点を付け加える。
 
「どちらも菫青宮の女官だな。む……もしやこの一件、淑妃が絡んでいるのか? だとすれば厄介だが……」

 陽翔が親指の爪をかじりつつ言うが、地位が違いすぎる。陽翔は正五位、そして菫青宮の主は皇帝の妻にして正一位の大物である。確たる証拠がないかぎり、告発や逮捕はおろか捜査すら難しいだろう。
 
「いかがなさいますか? 陽翔様」

「どうにもできぬ。……今はな」

「分かりました」

 表向き、事件は解決した。ならば、私がここにいる必要もないだろう。

「では、お二人ともお疲れ様でした。今後のお二人のご活躍ご栄達を心よりお祈りしています。ではではー」

 華麗に立ち去ろうとしたら、呼び止められた。

「待て、玲鈴」

「う、なんでしょうか……?」

「お前、まさかこれでお役御免になったと勘違いしているのではないだろうな?」

「ええ? で、でも、お手伝いしていた事件は、一応……解決しましたよね?」

「一応な。だが、俺の職務と権限はそのままだ。つまり! 今後とも、馬車馬のようにこきつかってやるから、ありがたく思えよ?」

「えええエエエェ……」

 全然、嬉しくないです。
 
「ご褒美……」

「うん?」

「褒美に紙とペンを頂けるなら、考えますが」

「たわけ、お前は拒否できぬ立場だぞ。まあ、褒美については前向きに考慮してやろう」

「ありがとうございます!」

 人使いが荒い上司なのは残念だが、紙とペンさえあれば、私は生きていけるッ!
 
 さぁ、漫画を描くぞぉー!
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