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■第四章 泣きやまぬ雨
第一話 幽霊の噂
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「はぁー、嫌になっちゃうわね、今日も雨だなんて。気分が滅入る」
水晶や黄玉で絢爛に彩られた部屋で春菊がため息をつきながら言う。
ここは黄晶宮の奥の間だ。
「そうね。でも、梅雨だから仕方ないわ」
賢妃様は微笑むと、私のペンを取り上げようとしていた狼狼くん(1)を抱き上げた。
ロウロウくんは賢妃様の子であり、帝位継承権を持つ高貴な血筋である。間違っても私が怪我をさせたりすると私の首が速攻飛んじゃうので、ちょっと緊張を強いられるのだが、ご本人はそれを知ってか知らずか、やたらと私を構ってくる。今もめっちゃ可愛いつぶらな瞳でこちらをじーっと見ている。
「あーうー」
不満そうにイヤイヤをした皇子様は賢妃様の手を逃れると、円卓の上を再び私に向かってハイハイしてくる。ひょっとしてロウロウ様は早熟で、女官が好みですか? 位の低すぎる側女に手を出すと、後が面倒になるからやめたほうがいいよ?
「もう、なんでロウロウって、玲鈴ばっかり構うのかしら」
春菊もこちらを見て顔をしかめる。
「ペンに興味があるのよ。ねー、ロウロウ」
「あーい」
取られた。まあ、別に締め切りのある急ぎの漫画でもないので、可愛い赤ちゃんの好きにさせてやることにする。
――と思ったら、案の定、ペン先を口の中に入れようとする。私はサッと取り上げた。
「あう、あう」
まったく油断も隙も無いんだから。危うく私の首が飛ぶところだった。
この歳で女殺しなんてどうなんですか。
「ダメですよ、ロウロウ、それは食べられないのよ」
「やぁー!」
「ちょっとペン貸して、玲鈴」
「うん」
春菊がペンを持ち、ロウロウの前でねこじゃらしのように振る。
少しの間だけそちらに顔を向けたロウロウだったが、プイと顔を背けると、私のほうへハイハイしてきた。
「ちょっ! なんでよ!」
「落ち着きなさい、春菊。あなたが騒がしくしていると、ロウロウも怖いのよ」
「絶対、違うと思います」
「あー、キャッキャッ」
羊皮紙を覗き込んだロウロウくん、ひょっとして私の絵が気に入ったのかな? 百合趣味とは、なかなか将来が楽しみな皇子である。
「フン、可愛くない」
外で聞かれたら危険な発言を春菊がするが、今、奥の間にいるのは私達三人だけなので大丈夫だ。
「ふふ、お茶にしましょうか」
「あ、私が入れます」
春菊がさっと席を立ち、お湯を取りに行ってしまった。地位としては私がやるべきことだと思うが、春菊はこういうときの行動が素早いのだ。仕方なくヒマを持て余した私がロウロウに百面相を披露していると、春菊が急須を持って戻ってきた。
「玲鈴、あなた、子供の扱いが上手いわね」
「いやー、別に」
私は兄弟もいなかったし、赤ちゃんの面倒を見たことはない。ただ、猫と似たようなものだと思う。
騒がしくしなければ、向こうが興味を見せてくるのだ。
「そういえば、聞いた? また出たんですって、黒曜宮で」
春菊がお茶を注ぎながら言う。
「出た?」
何が出たのだろう?
黒曜宮とは、この後宮を東西南北の四つに分けた区画の一つだ。それぞれの宮に一人ずつの『妃』がおり、ほとんどの女官はその『妃』に仕える形となっている。
私はひょっとしてまた後宮に魔物が――と身構えたが、春菊の口からは別の言葉が出てきた。
「幽霊よ、幽霊。決まってるでしょ」
「なあんだ」
肩の力が抜ける。
「何よ、食いつき悪いわねえ」
「だって」
私は幽霊なんて信じない。幽霊の正体見たり枯れ尾花、人は錯覚で幽霊を見たりするのだ。
「黒曜宮では女官達が怖がって、辞職願いや異動願いも相次いでいるとか。噂が広がるとまずいから、春菊、他の女官達には話さないようにね」
賢妃様がそう指示したが、わりと大事になっている様子。まあ、科学も発展していない感じのこの時代では無理なからぬところだろう。
「はぁ、分かりました」
少し残念そうに返事をした春菊だが、彼女は賢いし、何よりも賢妃様を尊敬している様子なので指示は守るだろう。
「ちなみに、どういう幽霊なの? 私も詳しくは聞いていないのだけれど」
「はい! 賢妃様、詳しくご説明しますね! その幽霊は男女一対の二人組で、決まって新月の夜、黒曜宮の北入口近くの庭に出るそうです。女のほうはいつもさめざめと泣いているとか」
「そう。実害はないのよね?」
「ええ、それを見てビックリした宦官と女官の何人かが慌てて転んで怪我をしたみたいですけど、特に襲ってきたりはしないそうです。姿を見られると、その幽霊、二人ともあっという間に消えちゃうんですよ!」
「ふうん。それって……」
姿を見られた途端に消えるなんて、本当に幽霊なのだろうか?
「失礼します。賢妃様、陰陽寮から手紙を頂いております」
「陰陽寮から? 見せてちょうだい」
女官から手紙を受け取った賢妃は数行読むとすぐに私を見た。
「玲鈴、天文博士があなたをご指名よ。陰陽寮に行ってくれるかしら」
「天文博士が……?」
「ええ? なんで天文博士が玲鈴なんかを呼ぶのかしら?」
春菊も首をひねったが、私はその人とは知り合いでも何でも無い。いったい、何の用事なのか。そもそも一介のお掃除係の女官が、そういう占星術っぽい機関に呼ばれる意味が分からん。
……何やら、こう、嫌な予感がするのは気のせいかな……。
「大丈夫、そんな顔をしなくたって、彼はきっとあなたに味方してくれるはずだから」
「はぁ」
ニコニコする賢妃様にそう言われ、私は陰陽寮へと向かった。
水晶や黄玉で絢爛に彩られた部屋で春菊がため息をつきながら言う。
ここは黄晶宮の奥の間だ。
「そうね。でも、梅雨だから仕方ないわ」
賢妃様は微笑むと、私のペンを取り上げようとしていた狼狼くん(1)を抱き上げた。
ロウロウくんは賢妃様の子であり、帝位継承権を持つ高貴な血筋である。間違っても私が怪我をさせたりすると私の首が速攻飛んじゃうので、ちょっと緊張を強いられるのだが、ご本人はそれを知ってか知らずか、やたらと私を構ってくる。今もめっちゃ可愛いつぶらな瞳でこちらをじーっと見ている。
「あーうー」
不満そうにイヤイヤをした皇子様は賢妃様の手を逃れると、円卓の上を再び私に向かってハイハイしてくる。ひょっとしてロウロウ様は早熟で、女官が好みですか? 位の低すぎる側女に手を出すと、後が面倒になるからやめたほうがいいよ?
「もう、なんでロウロウって、玲鈴ばっかり構うのかしら」
春菊もこちらを見て顔をしかめる。
「ペンに興味があるのよ。ねー、ロウロウ」
「あーい」
取られた。まあ、別に締め切りのある急ぎの漫画でもないので、可愛い赤ちゃんの好きにさせてやることにする。
――と思ったら、案の定、ペン先を口の中に入れようとする。私はサッと取り上げた。
「あう、あう」
まったく油断も隙も無いんだから。危うく私の首が飛ぶところだった。
この歳で女殺しなんてどうなんですか。
「ダメですよ、ロウロウ、それは食べられないのよ」
「やぁー!」
「ちょっとペン貸して、玲鈴」
「うん」
春菊がペンを持ち、ロウロウの前でねこじゃらしのように振る。
少しの間だけそちらに顔を向けたロウロウだったが、プイと顔を背けると、私のほうへハイハイしてきた。
「ちょっ! なんでよ!」
「落ち着きなさい、春菊。あなたが騒がしくしていると、ロウロウも怖いのよ」
「絶対、違うと思います」
「あー、キャッキャッ」
羊皮紙を覗き込んだロウロウくん、ひょっとして私の絵が気に入ったのかな? 百合趣味とは、なかなか将来が楽しみな皇子である。
「フン、可愛くない」
外で聞かれたら危険な発言を春菊がするが、今、奥の間にいるのは私達三人だけなので大丈夫だ。
「ふふ、お茶にしましょうか」
「あ、私が入れます」
春菊がさっと席を立ち、お湯を取りに行ってしまった。地位としては私がやるべきことだと思うが、春菊はこういうときの行動が素早いのだ。仕方なくヒマを持て余した私がロウロウに百面相を披露していると、春菊が急須を持って戻ってきた。
「玲鈴、あなた、子供の扱いが上手いわね」
「いやー、別に」
私は兄弟もいなかったし、赤ちゃんの面倒を見たことはない。ただ、猫と似たようなものだと思う。
騒がしくしなければ、向こうが興味を見せてくるのだ。
「そういえば、聞いた? また出たんですって、黒曜宮で」
春菊がお茶を注ぎながら言う。
「出た?」
何が出たのだろう?
黒曜宮とは、この後宮を東西南北の四つに分けた区画の一つだ。それぞれの宮に一人ずつの『妃』がおり、ほとんどの女官はその『妃』に仕える形となっている。
私はひょっとしてまた後宮に魔物が――と身構えたが、春菊の口からは別の言葉が出てきた。
「幽霊よ、幽霊。決まってるでしょ」
「なあんだ」
肩の力が抜ける。
「何よ、食いつき悪いわねえ」
「だって」
私は幽霊なんて信じない。幽霊の正体見たり枯れ尾花、人は錯覚で幽霊を見たりするのだ。
「黒曜宮では女官達が怖がって、辞職願いや異動願いも相次いでいるとか。噂が広がるとまずいから、春菊、他の女官達には話さないようにね」
賢妃様がそう指示したが、わりと大事になっている様子。まあ、科学も発展していない感じのこの時代では無理なからぬところだろう。
「はぁ、分かりました」
少し残念そうに返事をした春菊だが、彼女は賢いし、何よりも賢妃様を尊敬している様子なので指示は守るだろう。
「ちなみに、どういう幽霊なの? 私も詳しくは聞いていないのだけれど」
「はい! 賢妃様、詳しくご説明しますね! その幽霊は男女一対の二人組で、決まって新月の夜、黒曜宮の北入口近くの庭に出るそうです。女のほうはいつもさめざめと泣いているとか」
「そう。実害はないのよね?」
「ええ、それを見てビックリした宦官と女官の何人かが慌てて転んで怪我をしたみたいですけど、特に襲ってきたりはしないそうです。姿を見られると、その幽霊、二人ともあっという間に消えちゃうんですよ!」
「ふうん。それって……」
姿を見られた途端に消えるなんて、本当に幽霊なのだろうか?
「失礼します。賢妃様、陰陽寮から手紙を頂いております」
「陰陽寮から? 見せてちょうだい」
女官から手紙を受け取った賢妃は数行読むとすぐに私を見た。
「玲鈴、天文博士があなたをご指名よ。陰陽寮に行ってくれるかしら」
「天文博士が……?」
「ええ? なんで天文博士が玲鈴なんかを呼ぶのかしら?」
春菊も首をひねったが、私はその人とは知り合いでも何でも無い。いったい、何の用事なのか。そもそも一介のお掃除係の女官が、そういう占星術っぽい機関に呼ばれる意味が分からん。
……何やら、こう、嫌な予感がするのは気のせいかな……。
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