竜の巣に落ちました

小蔦あおい

文字の大きさ
1 / 64

1話

しおりを挟む


 その日は私・ルナにとって人生で最も絶望した一日だった。
 五年前に母が他界し、彼女が営んでいた薬草店をそのまま受け継いだのが十八の時。香油や薬草茶など幼い頃から母の側でつくり方を骨に刻み込むようにして学んできた私は更に医療行為が可能な薬師免許を奮励努力の末に取得した。今ではこの町に一軒しかない薬屋として重宝されるようになっている。

 店の経営も薬草店の頃より安定し売り上げも上々、結婚の約束をした恋人もいる順風満帆な人生。このまま幸せな家庭を築いて最期はたくさんの子供や孫に看取られてベッドの上で安らかに永遠の眠りにつくんだろうな、大往生万歳! なんて考えていた。

「おまえとの結婚は無かったことにしてくれ」

 神様というものは本当に意地悪だと思う。
 その一言で時が止まってしまったかのように感じた。あまりの急なできごとに私の唇から声が漏れることはなかった。否、声を出す余裕なんてない。できることはただ、じっと目の前にいる男を茫洋とした瞳で見つめるだけ。

 数日前まで将来を語り合い、結婚の約束までしていたはずの最愛の恋人。忙しい昼間に呼び出されて町の広場に来てみれば恋人の横には彼の腕を絡めとり、豊満な胸を押しつけるようにして寄り掛かかる女がいた。彼女は最近隣町から越して来たばかりの美しい娘だった。

 魅惑的なブルネットのウェーブがかった長い髪に陶器のように滑らかで白い肌、整った顔立ち。いやが上に、まさぐりたくなる艶かしい身体つきだ。彼女が歩けば若い男衆は皆、頰を赤く染めて振り返った。勿論鼻の下を伸ばしきって。かく言う私の元恋人も、現在進行形でだらしなく鼻の下を伸ばしている。

「悪いな、俺は彼女と結婚することにしたんだ」

 愛おしそうにブルネット女を見つめ、柔らかな笑みを湛える。数日前までその眼差しは私に向けられていたはずなのに。手のひらを返した元恋人は穢らわしいものでも見る様な目つきで私を一瞥した。
 
「おまえみたいな何の魅力もない女と我慢して付き合うの疲れたわ。まあ、商人としてはいい女だけど、女に求めるべきは安らぎだろ? おまえは俺が欲しくてお得意の香油やら薬やらを使って惚れさそうとしたんだろうが詰めが甘かったなあ」

 元恋人はここら一帯を牛耳る商業組合長の息子だった。よくうちの商品を買いつけに来てくれて、その時にサンプルの香油を使ってもらったり、お茶の試飲をしてもらったりはした。


 ……いやいやいや、ちょっと待って! 大事な商品を私用目的で使ってないし、そんな如何わしい商品あるわけない!! というか、最初に口説いて来たのはそっちなんですけど……記憶喪失も甚だしい。

 呆れた発言によって哀しみは消え、彼への気持ちは一気に氷点下へと冷え込んだ。元恋人は私の商品のレシピ目的で近づいてきたんだと今更ながら気がつく。思い返せばデート中教えてくれってしつこかったし、それ以外の記憶がないに等しい。勿論、大事なレシピの秘密は教えていない。
 そして元恋人が『何の魅力もない』というのは自分で言って悲しきかな、事実だった。

 私は痩せぽっちで肉付きが悪くヒョロヒョロなのだ。錆色の髪なので見惚れる美しさでもないし、整った顔立ちでもない。どう頑張ってもグラマスなブルネット女には勝てない。完敗一つ。
 しかし、私の絶望がここで終わるなら人生最大の絶望にはならなかった。この後の元恋人のあり得ない発言で奈落の底へと突き落とされる。

「たった今おまえにこの町での業務停止を執行する。おまえの店は俺の婚約者が明日から薬草店として経営するから出てってくれよな」

 目の前に差し出されたのは業務停止並びに立ち退きの証書。しかも機材やレシピ、何もかも置いていくという項目まである、なにこれせこい。
 こんな無茶苦茶な行為がまかり通ってしまうのも、元恋人の商業組合がこの辺りを治める領主様から自治権を付与されているからだった。すべからく組合員は市政に関与する権利が認められる。町の条例から近隣の山の採掘権まで全ての決定権を持っているのだ。ついでに組合長の息子となれば自ずと権力の順位は二位。私を慕ってくれている他の組合員が訴えてくれたとしても棄却されるだろう。

 生活していけなくなるのは困る、なんて生ぬるい事態じゃない。商業組合から商売に必要な証書を発行してもらえなければ、たとえ他の町へ移ったとしても店は開けない。その証書も最終的にサインするのはこの男だ。今の私に勝ち目などない。完敗二つ。
 もし店を続けるなら他の領へ移るという手もある。が、生まれ故郷を捨てる選択肢は私にはなかった。


 真面目に働いて来たのにこんな一瞬で住所不定無職になるなんてあんまりやしませんか。ええ? 神様!?

 震える拳を握り締め、青ざめて立ち尽くしていると、元恋人は何か閃いたようにニタニタ笑いながら人差し指を立てた。

「証書の発行をしてやってもいいぞ! ただし――黄金のリンゴを持ってきたらな」

 黄金のリンゴ。それはこの町の東奥にある雲よりも遥かに高い白霧山しろきりやまの中腹にあるとされる伝説の果実。食べればこの世の全てが手に入るとされている。しかし、そんな眉唾物の話に乗る馬鹿はいない。最後の最後まで私のことを馬鹿にしやがった元恋人はブルネット女の腰に腕を回すと、もう行こうと言って立ち去ろうとする。
 目を閉じた私は暫しの沈黙の後、元恋人が私に対して向けた言葉を思い出して微苦笑を浮かべた。『商人としていい女』という言葉は、強ち間違っていないかもしれない。

「分かった。取ってくるわ、黄金のリンゴを!」

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された皇后を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~

高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。 先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。 先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。 普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。 「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」 たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。 そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。 はちみつ色の髪をした竜王曰く。 「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」 番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!

処理中です...