3 / 64
3話
しおりを挟む*****
頭の中がぐるぐると回っている感覚を覚えながら私は呻き声を上げた。
目を開いても世界は揺れ、状況判断が難しい。身体に感じるのは全身の痛みと、柔らかく湿り気のある土。幸い、激痛はなく、どこも折れてはいなかった。
徐々に視界がはっきりしてくると、ふらふらと上半身を起こして上を見た。落ちた穴の先、木々の間からは濃紺の星空と銀色の満月が少しだけ垣間見えた。結局私はこんな時間まで気を失っていたらしい。
空と月があんなに高い位置に感じるのは初めてだった。射し込む微かな光によって足元は仄かに分かるくらいで目が慣れたにしては頼りない明るさだ。
よじ登って穴から出られないか調べると、下の堆積はそこまで柔らかくないけれど、上に行くほど柔らかかった。地質上無理に登れば上の脆い土砂が崩れて生き埋めになる可能性がある。これでは元の場所へ帰れそうにない。客観的な考察をしていた私はそこではっと我に返った。
え、帰れない? ということは――私はふかふかのベッドの上で死ねないと?!
うわああ、こんな穴の中で死ぬなんて嫌だああ! こんな寂しい人生の終わり方は嫌だああ!!
誰か捜索願いを、と淡い期待が過ったけれど黄金のリンゴの期限は一か月。それまで誰も探しには来ないだろう。それにこの山に来る人間なんて平生殆どいない。いたとしても精々お尋ね者くらいだ。もし助けられたとしても金銭の要求は明らか。ついでに自分の身の安全の保障などどこにもない。
――終わった。私の人生は終わった。このまま食料も尽きて干からびて、植物の根っこのような姿になって土の肥やしになるんだ。
頭を両手で抱えてめそめそしていると、不意に空気の流れを肌で感じた。上ばかりに焦点を当てていて気がつかなかった。後ろへ身体を向ければ、そこは暗闇が広がっている。そして静かに風の鳴り響くような音が聞こえた。
空気の流れがあるということはどこかに出口もあるはずだ。だったら早く探してここから出ればいい。鞄ごと落ちたこともあって中に入っていた旅灯に火打石で火をつける。
周りがさっきよりも明るくなって空間が鮮明になった。落ちた穴は土砂でできていたが背後に広がっている空間は洞窟になっていて、岩で覆われていた。これなら土砂が崩れてくることもなさそうだ。
一先ず、生き埋めとか飢えで死ぬことはなさそうだ。……良かった良かった。
心の底から安堵したが、その安らぎは一瞬で吹き飛んでしまう。一歩踏み入ると洞窟の奥の方で大きな何かが動いた。同時に生温かな風がこちらにやって来る。風の音と思っていたけれどこれは何かの息遣いだった。
再び何かが動くと、今度は闇の奥から黄金の双眼がこちらをじっと見つめている。その目を見た途端、私は腰を抜かした。あの特徴的な瞳は、他の生き物は持たない。
嫌でも私の記憶に焼き付いているあの縦長の黒目の形からしてあれは――
「ヘ、ヘビッ!!」
しかも超特大サイズ!! 大蛇だあああ!! こんな大きいの見たことない。新種の人喰い蛇か何かですか!!?
「娘よ」
うわあああ、しかも人語喋るしいいい!! もうこれ私の幻聴か? どこまでが現実、というかまだ気絶してるの? だったら即刻夢から覚めるんだ私!!
「娘よ、我は欲しい」
「い、いや。お腹が減ってるならそこの川でウシガエル捕まえてくるんで勘弁してください! お願い食べないで!!」
って、こんな提案したところで登れないから川に行けないし、登れたら命乞いなんかしてないわ!!
「我を蛇と一緒にするでない!!」
「じゃ、じゃあ昆虫でよろしいでしょうか?」
「トカゲとも一緒にするでない!!」
ピシリときつい口調で言うと、引きずるような音と共に相手がこちらにやって来た。旅灯の灯りで相手の顔が暗闇からゆっくりと浮かび上がる。それは大蛇ではなかった。
黄金の瞳にちょっと汚れで黒くくすんでいる真っ白な竜。この世界の何処かに竜族はいると言われているけれど、それこそ私にとっては黄金のリンゴより眉唾物だった。ええ、数分前までは。
いやあ、高尚な竜を蛇って言ったのは謝りますけど蛇じゃなくてもどっちにしても爬虫類じゃないですか。爬虫類嫌いとしてはもう全身鳥肌ものじゃないですか。
「娘、我は欲しい」
え、やっぱり人肉をご所望? こちとら死ぬわけにはいかないんだけど、大目に見てくれません?
内心冷静な言葉を述べてはいるものの、実際は恐怖で慄いていた。腰を抜かしたままの私は立ち上がれず、両腕を使って落ちた穴の方へと後ずさる。額に脂汗が滲み、身体は小刻みに震えていた。
「娘よ」
「なななな、なんでしょう?!」
「そこ、ムカデが出やすいから気を付けよ。噛まれるぞ」
ヒィィ!! って、え。ムカデ? ご忠告どうもありがとうございます?
「……ムカデの対処法は知ってるから大丈夫よ」
白い竜は漸く私と話が通じたことに満足して目を細めると、怖がらせてすまぬと詫びの言葉を入れてまた暗闇の中へと顔を引っ込めた。姿が見えなければ、瞳が気になるにせよそれ以上の恐怖は覚えなかった。
「其方はふかふかのベッドの上で死ぬのだろう? だったら我が食べたら願いが叶わん。そもそも人など食わぬ。我が欲しいのは……その鞄の中にある薬草だ」
「へっ、薬草?」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※因果応報ざまぁ。最後は甘く後味スッキリ
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜
桐生桜月姫
恋愛
シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。
だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎
本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎
〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜
夕方6時に毎日予約更新です。
1話あたり超短いです。
毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる