竜の巣に落ちました

小蔦あおい

文字の大きさ
7 / 64

7話

しおりを挟む


「ルナ、そんなことをしたら我の折角のマーキングが取れてしまう!!」
 シンティオの狼狽する声が聞こえてきても、私はそれを無視して水筒の水を含ませたハンカチで右頬にへばりついた竜の体液を拭き取っていた。
 尿をひっかけられなかっただけマシなのかもしれない。しかし、色が透明でも粘り気のある変な汁をつけたまま山を下りるのは嫌だった。

「本来ならば身体を擦り付けるのが一般的で最も効果があるのだが、ルナは我の鱗が苦手であろう? だから怖がらせないようにと思って舌で舐めたのだ……」
 組んだ指をもじもじさせながら弁解の言葉を口にするシンティオはしょんぼりと俯いた。ピンと立っていた尻尾は萎れた植物のように元気をなくし、いつの間にか地に横たわっている。

 ……シンティオの身体を擦り付けられでもしたら私は発狂するわ、絶対。でも気を利かせてくれたんだとしても体液も嫌だ。とどのつまりどっちも嫌だ!!
 私はハンカチをポケットにしまうと、深いため息を吐いて頬に張り付いた髪を耳に掛ける。

「さっきも言ったけど、巣に通じる穴があるんだから、マーキングなんてしなくてもそこから叫べばいいと思うの。 聞こえるよう大声で叫ぶし」
 しかし、シンティオはいつになく真剣な顔つきでそれではダメだと言った。万が一私の身に何かあったら駆けつけられないからだと。自分の匂いをつけておけば、数キロ離れていても私を感じ取れるらしい。
 いつになく過保護なシンティオに驚くと同時に不覚にも嬉しさが溢れる。母が他界して、誰も私の帰りを待ってくれる者なんていなかった。心の奥底から熱い何かが込み上げてくるのを感じていると、シンティオが次の言葉を口にする。

「ルナが帰って来ないということは、白くて柔らかい小麦のパンを拝めないことを指す。……ついでにあの噛みごたえのある美味い羊の干し肉も。それは困る」
 ……あなた今、結構酷いこと言ってるって気づいてますか!?
 嗚呼、少しでも嬉しくなった私がバカだった。そして私の気持ちを返して。

 色気より食い気はどの生き物にも共通なのかもしれない。いや、そもそも私はシンティオと種族が違うし、少々爬虫類嫌いがマシになったところで人語が喋れるだけの爬虫類を好きになるわけがない。断じて。
 したがって変な好意を持たれても困るからこれで良い。シンティオの中で私は単なる餌やり係とでも言うべき立ち位置であることはよく理解した。

「ちゃんと食料を持って帰って来るから、大人しく待っていて」
「うむ。多少我の匂いが取れてしまったが感じ取れないわけでもないな。では気をつけて、道草などせず真っ直ぐ帰って来るのだぞ!」

 私は手を振ってシンティオと別れると、白霧山を下山した。



 *****

 約十日ぶりに町に帰って来ると、変わらない風景がそこにある。
 大通りは行商人と思わしき人々が自身の荷馬車を走らせ、目的の商館へと向かっている。軒を連ねる店々では住人が食品や雑貨を吟味しては店員と楽しげに話をしていた。

 いつも通りの賑やかな雰囲気を感じながら自分の店まで歩いていると、何人かのご近所さんや薬を買いに来るお客さんに声を掛けられた。
 私の事情を知っているようで優しい言葉を掛けてくれる。皆の気持ちが嬉しくて丁寧に礼を言ってから再び歩き始めた。

 すると、少し離れた酒屋から元恋人の友人二人が丁度外に出てきた。二人と目が合うと、彼らはにやにやと笑いながらわざとらしく大きな声で話し始める。

「勝ち目のない賭けなんかに乗らずに頭でも下げてりゃ良かったのに。ほんとああいうプライド高い女見てると哀れだわ」
「あと三年若けりゃあ貰い手もあったのに。って、見つからないから仕事にしがみついてるのか」
 一般的な女性の結婚適齢期は十六~二十歳。私は現在二十三歳だ。
 ええ、ええ。おっしゃる通り私は完全に嫁ぎ遅れに当てはまる。

 母が病気に罹り亡くなって落ち着くまでは色恋どころではなかった。生活のため、商売以外の時間は薬師免許の取得に費やしてしまったのだ。勿論、後悔はしていない。
 私は腰に手をあてて、二人組に近づくとにっこりとほほ笑んだ。
「こんな真昼間から仕事もしないで、飲んだくれてるろくでなし男よりも働き者の方がマシだと思いますけど? 私のことを言う前に甲斐性なしだから二人とも奥さんに離縁されるんですよ。ふふ、では私は急ぎますので。ごきげんよう」

 目には目を歯には歯を。ぐうの音も出ない二人組を尻目に私は足早にその場から離れた。
 それにしても、よくもまあ傷口を抉るようなことを……。いくら私だってこれは流石に凹む。早く自分の店に辿り着こう。
 私はそう決めると小走りになって先を進んだ。


 大通りに入って三つ目の角を右に曲がると、私の店はある。日当たりも良く、周りに日用品を扱う店も多いため立地は最高だ。元恋人が店ごとを奪おうとしているのも頷ける。
 私は見えてきた我が家をほっと胸を撫で下ろすと、首に下げていた鍵を取り出してドアを開けた。ツンとした独特の薬の匂いが鼻孔を擽り、帰って来たという実感が湧く。

 店内は丸くて低めのテーブルと向かい合うようにして置かれたソファが二つ。その奥にカウンターと乾燥させた薬草や香油、薬を陳列している棚がある。
 十日いなかっただけで酷く懐かしい気持ちになった私はカウンターを見つめながらドアを閉める。鞄を床に置くと、ソファに腰を下ろしそのまま横になった。

 天井をぼうっと見つめていると、徐々に視界がぼやけ始める。瞳から涙が零れると私は両手で顔を覆った。
 元恋人の前でも泣かなかったのに今になって泣くだなんて。私ってば、あれくらいどうってことないわよ。……いや、やっぱり悲しい。
 今まで溜め込んでいたものが二人組の一撃によって堰を切ったように涙として出てくる。

 うう、もう動きたくないし何も考えたくない……。

 私は身体の疲れとソファの心地よさによっていつの間にか深い眠りへと落ちてしまった。

しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない

ラム猫
恋愛
 幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。  その後、十年以上彼と再会することはなかった。  三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。  しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。  それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。 「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」 「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」 ※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。 ※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓
恋愛
完結しました✨ タグ&あらすじ変更しました。 略奪された皇后を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。 「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」 「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」 大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。 しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。 強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。 夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。 恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……? 「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」 逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。 それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。 「一生、私の腕の中で溺れていろ」 守るために壊し、愛するために縛る。 冷酷な仮面の下に隠された、 一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。 ★最後は極上のハッピーエンドです。 ※AI画像を使用しています。

偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~

甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」 「全力でお断りします」 主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。 だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。 …それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で… 一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。 令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました

ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。 名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。 ええ。私は今非常に困惑しております。 私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。 ...あの腹黒が現れるまでは。 『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。 個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。

前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~

高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。 先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。 先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。 普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。 「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」 たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。 そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。 はちみつ色の髪をした竜王曰く。 「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」 番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!

処理中です...