6 / 64
6話
しおりを挟む*****
あれから十日が過ぎた。シンティオの怪我は快方に向かい、傷跡もすっかりなくなった。
翼を折りたためるようになったことで数日ぶりに洞窟から出られたシンティオは、胸が大きく膨らむほどに新鮮な空気を吸うと、勢いよくそれを吐き出してから顔を上げた。
快晴の空には雄々しい大鷲が翼を広げて滑空している。太陽の眩しさに嬉しそうに目を細めると、やがてのろのろと二足歩行で歩き始めた。
辿り着いた場所は、崖から流れ落ちる滝下の大きな池。池の縁で歩みを止めると、そのまま盛大に大きな音を立てて頭からダイブした。
気持ちよさそうに水浴びを始めると、跳ね上げる水しぶきが太陽の光によってキラキラと美しく光る。
「ああ、終わった……。やっとこの生き地獄から解放される」
私はというと、げっぞりとした表情で洞窟の入り口でうつ伏せに倒れていた。頭を動かして水浴びをする竜を目の端で眺める。
この十日間、それはもう嫌というほどに竜の姿を間近で診たり、触ったりした。治療のためとはいえ、ひんやりとした鱗に触れる度に私の身体は強張り、全身に鳥肌が駆け巡っていた。
克服したかと問われれば疑問が残る。しかし、最初みたいにあの鱗を見て吐かなくなったことは私にとって大きな一歩だった。ここに死んだ母がいたならば偉いと褒めたに違いない。
シンティオは満足いくまで水浴びをすると、やがて池から上がってぶるぶると身体全身を震わせて水を取り除く。それから柔らかそうな草地に腰を下ろすと、尻尾を揺らしながら日向ぼっこを始めた。身体の黒ずんだ汚れは取れ、白い鱗は今までにないくらい眩い宝石のような光を放っている。
鱗が気味悪いのは確かだけど、あんなに輝けば流石に綺麗だな。ってあれ、私の頭おかしくなってきてる?
そんなことを考えていると腹の虫が大きくなって洞窟内に響き渡る。私が山入の際に持ってきていた食料はとうになくなっていた。本来ならば七日分の食料だったが竜に取られて四日ほどでなくなってしまった。それで分かったことは竜が人間と同じ食事を好むということ。
食料が尽きてからは洞窟外の野原に自生する食べられそうな山菜や木の実、キノコを採ってなんとかしのいだ。だが、流石に栄養は偏る。今は野菜よりもタンパク源の豊富な肉や魚が食べたい。
再び空腹を主張するように大きな音が腹から鳴る。
「ルナ、今何か得体のしれぬ怪物の鳴き声がしたぞ?! 大丈夫か? もしやあの穴から落ちてきたのか?! 我に任せよ、退治してくれる!!」
いつの間にか洞窟入り口まで戻ってきていたシンティオは私を庇うようにして仁王立ちするとじっと睨むようにして洞窟奥を見ている。
その鳴き声とやらは私の腹の虫で、しいて言うなら怪物はおまえだこのバカ竜。
それでもお腹の音を聞かれたのはこれでも一応乙女なので恥ずかしかった。私は顔を地面に埋めると少し沈黙を置いてから口を開いた。
「……今のは私のお腹の音。ちゃんとしたものを食べてないから身体が食べ物を欲してるの」
シンティオはなんだっと安堵すると私の隣に腰を下ろした。
「確かに。我ももう山菜やら木の実は飽きたし、何の腹の足しにもならんかったぞ。という訳で、やっと翼も良くなったのだ。リンゴが黄金色になる頃には飢え死にしているやもしれぬし一度、町に戻っていろいろ買い込んできてはどうだ?」
白くて柔らかい小麦のパンを買うのだぞ? という念押しがあったような気がしたけれど、私はその言葉よりも『町に戻る』という言葉に反応して身体を起こした。
「もしかして飛べるようになった?」
「そうだ、怪我が完治した今なら我は飛べる。あの空を飛ぶ大鷲よりもずっと気高く美しく飛べるぞ」
軽く自慢してくるが、竜の飛ぶ姿など今まで見たことがない。試しにトカゲが飛ぶ姿を想像してみたけれど勇ましいよりもおぞましいが先に来てしまい、想像するのを止めるように頭を横に振った。
早速、町に戻る準備を整え横掛け鞄を肩に掛けるとシンティオが私を優しく抱き上げた。乙女なら一度でも夢見るシチュエーション。所謂、お姫様抱っこだった。
何だろう、この最高の状況の中で最高に絵にならない状況は。これが人間の男女だったら、きっと素敵なんだろうなあ……。
私が引きつった笑みを向けると、シンティオは大丈夫だと判断したのかそのまま飛翔した。身体がふわりと浮く感覚は随分と不思議なものだった。水の中を揺蕩うような心地と似てはいるけれど、それとはまた違う爽快感。錆色の髪が大きく揺れ、耳元で鳴る風の唸りは自分が飛んでいるのだという気持ちを沸き立たせ、酷く興奮した。
やがて、私が落ちた穴のある場所近くの拓けたところにシンティオはゆっくりと下りた。ありがとう、と礼を言うと私もまた地面に足をつける。
「この穴の付近まで戻ってきてくれれば、我は其方を迎えに飛んでこよう」
「それは穴に向かって叫べばいいってこと?」
訊けばそうではない、とシンティオは言う。では一体どうするのか。
私が怪訝そうにしていると、突然視界が暗くなり、右の頬に生温かくぬるりとした気持ち悪いものが触れた。
内心パニックを起こしつつ、恐る恐る手を右の頬にあてて離せば掌と右の頬の間に透明の糸がだらり伸びて途切れる。掌を凝視したまま固まっていたが、心の中では勿論悲鳴を上げていた。
ヒィィ、気持ち悪いいい! な、何か変な甘い匂いするんだけど!?
私は右頬をシンティオに舐められたのだ。
「案ずるでない、マーキングというやつだ。我の体液をつけておけばすぐに其方を見つけられる」
目の前のドヤ顔に二、三発の拳をお見舞いしても私は神様に許されるだろうとこの時激しく思った。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された皇后を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~
高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。
先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。
先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。
普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。
「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」
たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。
そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。
はちみつ色の髪をした竜王曰く。
「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」
番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる