10 / 64
10話
しおりを挟む白霧山に発生した霧は夕暮時になるとすっかり消え失せていた。昼間とは対照に視界は開け、今は広大な黄昏の空を見渡すことができる。
私は空を見上げて雲の流れから今後の天気がどうなるのかを読んでいた。ただ、町と違って山の天気は変わりやすいから自分の予想がその通りになるかは少し不安だ。
「心配せずとも霧は発生せぬ。安心するが良い」
横にいるシンティオは手を止めたままの私を見て優しくそう言う。
その言葉を聞いて生返事をすると、私は下を向いて再び止めていた手を甲斐甲斐しく動かし始めた。
シンティオに抱きつかれてめちゃくちゃ嘔吐いた後、私は失神して倒れてしまった。その後どうなったかは分からないけれど、目が覚めると白い竜と初めて出会った洞窟の中で横たわっていた。
ここまで運んできてくれたのは有難い。そして――あの絵にならないお姫様抱っこできっと運んでくれたに違いない。
私の着ていた服は自分の吐しゃ物で汚れてしまっていて、酷い異臭を放っていた。新しい服に着替える羽目になり、今は汚れたそれを池で洗濯している最中だ。
横にいる白い竜は私から受けた汚れをとうに落とし、うつ伏せに寝そべってこちらを呑気に観察している。
時折石鹸から出るシャボン玉を追っては鋭い爪で割る。それに飽きると今度は両肘をついて頭を持ち上げ、私に向かって口を開いた。
「思ったのだが、ルナは一応年頃の娘なのだろう? もう少し恥じらいというものを持った方が良いと我は思う」
私は反応して僅かに身じろぐと、ギロリとシンティオを横目で睨んだ。
「誰のせいで醜態晒したと思ってるんだ、誰の!」
このところ気品ではなく下品な行動が先行してしまっていることはよーく分かっている。寧ろ淑女な振る舞いをしたい自分の思いとは反比例していろいろとやらかしていることは事実。
私だって好きでこんなことしているわけじゃないし、もとはと言えば爬虫類が嫌いだと知っているのに抱きついたシンティオが悪い。
シンティオは一瞬だけ目をぱちくりさせてから思い出したかのように声を上げる。
「嗚呼、昼間の件は悪かったと思っておる。ルナがなかなか帰って来ぬから寂しくて……見つけた時は感極まってしまって配慮がない行動をした。そのことについてはルナの気が済むまで謝る。本当にすまんかった。我が言いたいのはそれについてではなく、ただ――」
シンティオはバツの悪そうな様子で口を噤んだ。私が目配せしてその先を促すと、彼は深いため息を吐いた。
「……いくら服が汚れて着替えないといけないとはいえ、下着姿のまま新しい服を探すのはやめた方が良い。その、我は雄なのだ。そして其方も自分が雌という自覚を持ってくれ」
そういえば、いつもシンティオは私が着替える時はそっぽを向いたり目を瞑ったりして見ないようにしてくれていた。今回はたまたまシンティオが水浴びから帰って来たところで出くわしてしまい、事故と言えば事故になる。
「ああいう格好は人前でするものではない」
当たり前だ! 人前で下着姿になるなんてするわけないだろう。というか、ただでさえ嫁ぎ遅れなのにそんなことすれば無作法で教養のない娘の烙印を押されて、まだ結婚できるかもしれないという少しの希望も完全に消え失せること必至だ。
しかし、今回は『人前』ではなく『竜前』とでもいうべきか。見られたと言っても私からすれば人語が喋れる爬虫類に見られたという認識だった。
雄は雄でも人間じゃないんだし、最近は昔飼っていた犬のパトラッシーに似てて扱いやすいところもあるから私にとってシンティオはペットみたいな存在。下着姿を見られても特段気にすることじゃない。
「うーん、シンティオの前なら別にいいかなって。減るものでもないし」
すると、揺れていたシンティオの尻尾が反応してピンと立った。
「ルナ、そんなこと言っているが我は……我は、其方を好いておるのだぞ? つまりそれはその……」
最後の方の言葉は尻すぼみになって何を言ったのか全く聞き取れなかった。餌やり係という位置づけで好意を持ってくれていることは嫌というほど知っている。
というか何故今その話題に話が逸れるんだ。挙動不審になっているのでとても不思議だったけれど、言われたからには私もシンティオへの想いを伝えなければ。
「私もシンティオが好きだよ」
パトラッシーみたいで可愛いから。と付け加える前にシンティオに遮られる。
「そ、それは誠か!?」
瞳を爛々と輝かせて喜色満面だ。何となく、白くて柔らかい小麦のパンの時よりも嬉しそうな気がする。懐いてもらっていることに関しては嫌ではなかったのでそれ以上は何も言わず、私は池から服を上げて水気を切った。
「洗濯も終わったし、これを干したら夕食にしましょう」
洞窟に戻り、前回その一角にロープを張った場所へ洗濯物を干す。
服を探す時にリュックの中から全てのものを取り出していたので、あらかじめ用意していた旅灯と火打石で簡単に灯りをつける。暗い洞窟に温かな光が灯った。
サンおばさんがリュックに詰め込んでくれていたものは山入に必要な道具に加えて一風変わったものが入っていた。それは薬を作る際に必要な道具が一式揃った薬箱。その他にも乾燥させた珍しい薬草や薬品の瓶詰めが割れないよう厚めの布でくるまれている。どうりで重かったわけだ。
薬師として設備万全なことは嬉しいけど、山入に必要な代物じゃないわよこれ。というか、放浪薬師なら旅慣れているはずなのに、なんでこんな余分なものを私に持たせたんだ。
ツッコミを入れたいのは山々だけれど、後ろにいた白い竜が今にも小麦のパンと干し肉が入っている袋を全部かっさらう勢いで手を伸ばしてきたので、私は反射的にバチンと叩いて阻止した。
「我を食べ物に群がるハエと一緒にするでない!」
「……じゃあコソ泥?」
「コソ泥と一緒にするでない!」
前にもこんなやり取りがあったことを互いに思い出して笑うと、私はシンティオと一緒に白くて柔らかい小麦のパンと干し肉を食べることにした。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹宰相様の嫁探し
菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。
その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。
マレーヌは思う。
いやいやいやっ。
私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!?
実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。
(「小説家になろう」でも公開しています)
幼い頃に、大きくなったら結婚しようと約束した人は、英雄になりました。きっと彼はもう、わたしとの約束なんて覚えていない
ラム猫
恋愛
幼い頃に、セレフィアはシルヴァードと出会った。お互いがまだ世間を知らない中、二人は王城のパーティーで時折顔を合わせ、交流を深める。そしてある日、シルヴァードから「大きくなったら結婚しよう」と言われ、セレフィアはそれを喜んで受け入れた。
その後、十年以上彼と再会することはなかった。
三年間続いていた戦争が終わり、シルヴァードが王国を勝利に導いた英雄として帰ってきた。彼の隣には、聖女の姿が。彼は自分との約束をとっくに忘れているだろうと、セレフィアはその場を離れた。
しかし治療師として働いているセレフィアは、彼の後遺症治療のために彼と対面することになる。余計なことは言わず、ただ彼の治療をすることだけを考えていた。が、やけに彼との距離が近い。
それどころか、シルヴァードはセレフィアに甘く迫ってくる。これは治療者に対する依存に違いないのだが……。
「シルフィード様。全てをおひとりで抱え込もうとなさらないでください。わたしが、傍にいます」
「お願い、セレフィア。……君が傍にいてくれたら、僕はまともでいられる」
※糖度高め、勘違いが激しめ、主人公は鈍感です。ヒーローがとにかく拗れています。苦手な方はご注意ください。
※『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。
完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす
小木楓
恋愛
完結しました✨
タグ&あらすじ変更しました。
略奪された皇后を待っていたのは、冷徹な次期帝による「狂愛」という名の支配でした。
「泣け、香子。お前をこれほど乱せるのは、世界で私だけだ」
「お前はまだ誰のものでもないな? ならば、私のものだ」
大納言家の姫・香子には、心通わせる穏やかな婚約者がいた。
しかし、そのささやかな幸福は、冷徹と噂される次期帝・彰仁(あきひと)に見初められたことで一変する。
強引な勅命により略奪され、後宮という名の檻に閉じ込められた香子。
夜ごとの契りで身体を繋がれ、元婚約者への想いすら「不義」として塗り潰されていく。
恐怖に震える香子だったが、閉ざされた寝所で待っていたのは、想像を絶するほど重く、激しい寵愛で……?
「痛くはしない。……お前が私のことしか考えられなくなるまで、何度でも教え込もう」
逃げ場のない愛に心が絡め取られていく中、彰仁は香子を守るため、「ある残酷な嘘」を用いて彼女を試す。
それは、愛するがゆえに彼女を嫉妬と絶望で壊し、「帝なしでは息もできない」状態へ作り変えるための、狂気じみた遊戯だった。
「一生、私の腕の中で溺れていろ」
守るために壊し、愛するために縛る。
冷酷な仮面の下に隠された、
一途で異常な執着を知った時、香子の心もまた甘い猛毒に溶かされていく――。
★最後は極上のハッピーエンドです。
※AI画像を使用しています。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎
ギルドで働くおっとり回復役リィナは、
自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。
……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!?
「転ばないで」
「可愛いって言うのは僕の役目」
「固定回復役だから。僕の」
優しいのに過保護。
仲間のはずなのに距離が近い。
しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。
鈍感で頑張り屋なリィナと、
策を捨てるほど恋に負けていくカイの、
コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕!
「遅いままでいい――置いていかないから。」
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
【完結】モブのメイドが腹黒公爵様に捕まりました
ベル
恋愛
皆さまお久しぶりです。メイドAです。
名前をつけられもしなかった私が主人公になるなんて誰が思ったでしょうか。
ええ。私は今非常に困惑しております。
私はザーグ公爵家に仕えるメイド。そして奥様のソフィア様のもと、楽しく時に生温かい微笑みを浮かべながら日々仕事に励んでおり、平和な生活を送らせていただいておりました。
...あの腹黒が現れるまでは。
『無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない』のサイドストーリーです。
個人的に好きだった二人を今回は主役にしてみました。
前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~
高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。
先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。
先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。
普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。
「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」
たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。
そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。
はちみつ色の髪をした竜王曰く。
「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」
番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる