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さようなら、エリカちゃん。ごきげんよう、新しい人生。
磨杵成针! ここで私の絵の才能は関係ないだろ!
しおりを挟む帰りの電車内でも、ホテルまで歩いて帰っている時もずっと加納ガールズが睨みを効かせていたため、私は慎悟と会話を交わさなかった。
私もなにを話せばいいのかわからなくなってしまったので、慎悟と顔を合わせることも躊躇っていた。
…今更ながら自分の無神経さに嫌気がさしたとも言える。
「デートはどうだったのよ」
「…別に」
「…二階堂様?」
「疲れたからもう休ませてもらうね」
ホテルの部屋に帰り着くと気が抜けて、急に疲れが押し寄せてきた。出迎えてくれた友人たちには悪いが、今は何も話したくない。
今日の観光はとても楽しかったはずなのに、加納ガールズの言葉で夢から覚めてしまったかのようだ。
そうだ、私が中途半端な態度を取り続けていると慎悟はいつまで経っても吹っ切れることが出来ないのだ。
だめだ。彼には幸せになってほしいのだ。…想いを返してもらえないのに、想い続けることの苦しさを私は知っているはずなのに、私はなんて最低なことをしていたのであろう。彼女たちの言うとおりだ。このままじゃダメ。私は態度を改めなければならない。
私は早々に寝る準備を済ませると、布団に潜り込んだ。布団にくるまって今日一日のことを思い出す。
普段見られない慎悟の表情を見られて楽しかった。慎悟から真っ直ぐな想いをぶつけられて私は……
白い橋の上で慎悟にキスをされた時のことを思い出すと、胸がギュッと苦しくなった。
■□■
「クラス毎にガイドの方の指示に従って見学するように。くれぐれも一般の方、施設の方のご迷惑にならないよう」
修学旅行最終日は台湾総統府見学と、その近くの公園へ団体行動で移動することになった。昼過ぎには帰りの飛行機に乗るために空港に向かわなければならない。あっという間の修学旅行だった気がする。
私はというと昨日の事を引きずっていて、台湾総統府を見てもテンションが上がらなかった。ちゃんと寝たはずなのだが、まるで睡眠不足のようなテンション。
クラス毎に回るようにと先生が言ってきたばかりなのに、それを守らない生徒たちがチラホラ。加納ガールズは慎悟の周りに群がって固くガードしている。さっきから私の事を睨みつけてくるけど、相手する気力がないので近寄らないようにしている。
「エリカ、まさか櫻木達に何か言われたの?」
「…考えたくありませんが、昨日の観光先に彼女たちが出現しましたの?」
「…なにも話したくない」
昨日のこと思い出すと自動的に凹むから。
「あいつらにあたしが文句つけて来てあげる!」
「いいの。私の気遣いが足りなかっただけ。大丈夫」
突撃しようとするぴかりんを引き留める。ぴかりんたちが心配してくれているのは分かるけど、今はそっとしておいてほしい。
私は慎悟と距離を置くべきなんだ。側にいても私は彼に何も返してあげられない。
このままではきっと、私は慎悟に迷惑しか掛けない。足を引っ張ることになってしまう。
距離を置く…これが慎悟のためなのだ。
総統府の見学が終わると、そこから移動して二二八記念公園という大きめの公園に入った。各自自由時間が設けられたので、私は友人たちと見て回ることにした。公園内には紀念館や博物館もあったので、そちらに向かう生徒たちもちらほらいた。
私達は折角自然豊かな公園に来られたのだからと公園内を散策することにした。
広場では太極拳をしている人、遊歩道をのんびり散歩をしている人がいる。なんだかここの公園での時間はゆっくり流れているように錯覚してしまう。
落ち込んでいた気分が少し、ここの穏やかな雰囲気に癒やされた。
「みてみて健康歩道だって。歩いてみない?」
ゴツゴツした石の上を裸足で歩く専用の歩道があったので、友人たちを誘ってみた。
「えぇー? 痛そうじゃん。嫌だよ…石すごい尖ってるじゃん…」
「阿南さんと幹さんは?」
「私もちょっと…」
「あ、じゃ私がご一緒しますよ」
全く、ぴかりんも阿南さんも冷たいな。昨日皆で足つぼマッサージ行ったんでしょ? あれ、行ったのはエステだっけ? 私をハブったんだからちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないのよ。
それに比べて幹さんは本当に優しい。
私の誘いに唯一乗ってくれた幹さんと一緒に、靴と靴下を脱いで健康歩道へと降り立った。
「いっ…!」
「幹さん大丈夫!?」
一歩足を踏み入れた瞬間、幹さんが苦悶の表情で呻いた。ひとりでサクサク前へと歩いていた私は、彼女のうめき声に慌てて引き返した。
「幹さーん、エリカに気を遣って付き合ってやらなくても大丈夫だよ?」
「ご無理はなさらないよう…」
「だ、大丈夫です…多分、私運動不足なんだと…イッッ…!」
幹さんには激痛に感じるようだ。
やせ我慢してまで付き合ってもらおうとは思わない。幹さんには健康歩道を歩くことを中止させた。
私は道の先まで見事ひとりで歩ききって見せたよ! 痛い部分はあるにはあったけど、挑戦するからには最後まで達成して見せたかったんだ! これで健康になれたらいいけど。
それを見ていた台湾のおじいさん達に声を掛けられたが、何を言っているかサッパリわからなかった。ここに慎悟がいたらわかるのに…と思ってしまった自分にハッとした。
…だめだ、私は慎悟に頼りすぎだ。慎悟の優しさを利用してはいけないと自分もわかっているじゃないか。ちょっと思い出しちゃうとまた気分が落ち込んじゃうんだよなぁ…
今頃あいつ何してんだろ。加納ガールズとウハウハしてるのかな…
公園内を散策していて気づいたことがある。ここには池があるから鯉や野鳥がいるのは予測できたけど、まさか野生のリスがいるとは思わなかった。しかも台湾のリス大きいな。
「あっという間だったね。修学旅行」
「私は日本に帰れるのが楽しみです」
「幹さんはこちらのお食事があまり口に合いませんでしたものね。私も日本食が恋しくなってきました」
友人たちは池をぼんやり眺めながら、穏やかな表情で帰国の話をしていた。私はというと、魚の餌の自販機で購入して池に投げ入れていた。
あ、この感覚、三途の川で水切り遊びをしたときのことを思い出す。流石に餌では水切りは出来ないけども…
「魚がびっくりするから変な与え方するなよ」
横から掛けられた声に驚いた私は持っていた餌を全て落としそうになった。
「…なんでここにいるの?」
「俺がどこを観光しようと俺の勝手だろ」
「いや、だって加納ガールズが…ってあれ!? みんなは!?」
さっきまで私の後ろで帰国話をしていたくせに! 友人たちは一体いつの間に消えたの!? また私を仲間外れにしてるし!
私が辺りをキョロキョロしてその姿を探していると、慎悟がため息を吐く音が聞こえた。
「…あんたのことだ。櫻木達の言葉を気にしているかもしれないが…変な気遣いをされても、俺にとっては何の得にもならないからやめろよ」
ギクッとした。
ていうかまだ何もアクションを取っていないというのに、私が何かをしようとしていることを何故見抜いているんだこいつは…
「…なんのことを言っているのさ」
「笑さんは単純だから何考えているのかわかりやすんだよ……俺は優しくしたい相手は自分で選んでる。あんたは何も気にしなくていい。アイツらにはちゃんと言っておいた」
何も言っていないのに、慎悟には私の考えていることがお見通しらしい。これだから勘の鋭いやつは…!
「別に、なにも気にしてない」
「…じゃあなんで目を合わせないんだよ」
「…別に」
私は池を泳ぐ鯉をジッと見つめていた。隣にいる慎悟には一瞥もくれずに。
私が目を合わせないから焦れたのか、横から手が伸びてきて、頬に手をかけられた。顔を横に向けさせようとされたけど、私は抵抗した。断固として動かさなかった。だってなんか素直に向きたくなかったから。
私の頑固な意志を感じ取ったのか、慎悟は顔を動かすことを諦めていた。
「…俺の為を思うなら、離れていくのは止めてくれよ」
その言葉にドクリと心臓が跳ねた。
慎悟は昨日の加納ガールズの言葉に納得できるような部分はなかったのだろうか。
私は慎悟の優しさを利用している。想いに応えるわけもなく、中途半端な態度をとっている私は最低なのに。
「…なにかあっても私、責任取れないよ…」
「あんた1人の存在で崩れるような立場じゃないからそれは平気」
そうね、慎悟ハイスペックだもんね。成績優秀・家柄優良・眉目秀麗にスポーツもまぁまぁできる…こんな奴本当に世の中に存在するんだな。今更だが慎悟はすごいな。
だけどそれってどうなの? 私に利用されても全然いいみたいな言い方してる気がする。
「それにあんたはあんたなりに頑張っているんだろう? あいつらが言っていたことは気にする必要ない。櫻木達はあんたの事を何も知らないんだ」
そうは言われても…ちょっとは気にするよ。慎悟だって私の教養の無さに呆れてるでしょ。成績も優秀とはいえないし、やっぱり私の取り柄はバレーだけなんだよなぁ。
慎悟が慰めてくれているのはわかっていたが、私は自分の不甲斐なさにガクリと項垂れてしまった。
そんな私を見て何を思ったのか、慎悟がたとえ話をしてきた。
「…もしもあんたと俺が逆の立場になったら…俺にはバレーの全国大会で活躍するなんて出来ない。それを考えたら、笑さんはよく頑張っている方だよ」
…頑張っているか……それが実になっているかと言われたら首をひねってしまうが、以前に比べて私は確かに頑張っている。自分でもそう思う。
この状況にならなければきっと縁がなかったお稽古ごとだが、続けているとなんとなく馴染んできた気がする。
「そうだね…茶道は好きになってきたし、着付けも覚えられそう。…マナーや作法は先生がいい人だから楽しく学べてる。勉強は幹さんがすごく力になってくれるから私も元気づけられてるよ……でも英会話は全然だし、更に華道とか琴演奏しろと言われたら絶対に無理かな」
「…誰にでも得手不得手はあるからな」
大体のことを器用にこなす人間が何言ってんだ。苦手なものが小学生女子(※美宇嬢)と辛い食べ物位のくせに。
「エリカが物心付く前から身につけてきたものを、笑さんがいきなり短期間で身につけられるわけがないだろう。天才でもないんだ。地道に着々とこなすしかない」
「それはそうだけど…」
私は手に残っていた魚の餌を全て池に投げ入れると、手についている餌の欠片を払い落とした。
「何事も根気が必要なんだよ。あんたは根性が人一倍あるから大丈夫」
慎悟の表情は確信に満ちていた。
萎んでいた心に勇気が与えられたかのように胸の奥がじんわりとあたたかくなった。
「もしも華道や琴を新たに習うことになっても、お披露目の場がなければ大勢の目の前で披露する機会がないから焦らずとも……でもあんたは絵が下手だからな…」
「なんで!? 絵は関係ないでしょ!」
華道や琴と、笑画伯の絵は関係ないでしょ!?
言っとくけど中学の時の美術の先生に『松戸さんはピカソの模写が上手だね』って褒められたんだよ!? ゲルニカって絵を模写したんだけどさ!
私の絵がダメだからって美的センスや音楽センスが皆無ってわけじゃないと思うな!
「いつもの調子に戻ったな」
私がムキになって言い返したのが面白かったのか、慎悟は微笑んでいた。
もしかして、私を元気づけるために…?
「絵が下手なのも個性だ、あまり気にするなよ」
…違った。本音だったらしい。
「慰める方向が違うでしょ!」
「ここで嘘ついても残酷なだけだろ」
「上げようとして落としてくるほうが残酷だわ!」
なんて男なんだコイツは! なんで修学旅行でわざわざ私の絵が下手だと貶すんだよ!
「そろそろ集合時間だ。行こう」
「……」
すっと差し出された手を見て私は、その手を取らなかった。慎悟の横をすり抜けて先を歩く。私は手を引かれなくても歩けるし、迷子にもならないんだから。
「笑さん、怒ったのか? でも絵が下手なのは本当のことなんだぞ?」
「やかましいわ」
私を追いかけるようにして横に並んできた慎悟が私をなだめようとしてきたが、火に油を注ぐような発言をして余計に炎上させてきた。
あんたは何度私の絵の才能を貶せば気が済むの!?
先を行く私の手を捕獲するように慎悟が掴んできたので、振り払ってやろうかと思ったけど…
やっぱり私には、慎悟の手を振り払うなんて真似出来なかったんだ。
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