お嬢様なんて柄じゃない

スズキアカネ

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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。

海に向かって叫べ!

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 依里と無言のドライブに繰り出した私は、シーズン前の海に到着した。時刻は夕方。まだ外は明るいが生憎の曇り空。梅雨の時期だから仕方がないのであろうか。
 道路脇の駐車場に駐車すると、私達は車を降りた。まだ6月なのだが、海岸線の向こう側でサーフィンをしている人が2、3人見受けられる。

 ザザ…ン…と波が押し寄せる音に私は目を細める。
 砂辺に降り立つと松葉杖の先が砂に沈んでしまって前に進みにくい。依里が体を支えてくれたので、転倒すること無く水打ち際まで近づくことが出来た。
 そういえば海に来たのは久しぶりかもしれない。学校帰りに海とは新鮮な気分になるな。普段は学校と家の往復ばかりしているもんな。それこそ、エリカちゃんになる前の私もそうだった。バレーをするために学校に行って、家に帰って寝るの繰り返し。
 今は慎悟とデートしたり、習い事のために移動することもあるけど、基本的に学校と家の往復である。
 …たまには寄り道もいいものだ。

「笑の悩んでること当ててあげようか」

 ずっと無言だった依里が口を開いたかと思えばそんな事を言ってきた。
 私は自他ともに認めるバレー馬鹿。私のことをよく知る彼女には、全てお見通しなのだろう。

「インターハイ予選でレギュラーとして出場していたけど、試合途中で捻挫したあんたは自分のドジに落ち込んでる」
「……」

 改めて言い当てられるとグサッとくる。
 あの時…後ろの後衛の子を信じてボールを任せていたら、私は怪我をすることはなかっただろう。あれは仲間を信用せずにボールを拾いに行った私が自爆した結果だ。
 今になって反省してもあの時間には戻らない。だから余計に自己嫌悪してしまう。

「誰か他の補欠のスパイカーが代理で出場したお陰で英学院は決勝まで進んで、インターハイ出場が決まったことに、自分の存在意義を疑い、自分がそこにいなかったことに落ち込んでいる……そうでしょ?」
 
 依里の目を見れなくなって、サッと目をそらした。完全に図星で耳が痛い。
 私は波が押し寄せる砂浜を凝視していた。海水によって砂浜の形が変わっていく。幼い頃の私は海が怖かった。押しては引いていく波が、足を引っ張って海の底へと連れ去っていきそうで……得体が知れなくて怖かった。

「あんたは頑張りすぎちゃって空回りするところがあったからね」

 今は海に得体のしれぬ恐怖を抱かなくなった。…だけど私には他にも怖いものがある。
 ひとつめはあの事件の日の記憶。
 ふたつめは大切な人を失うこと。
 みっつめは……バレーができなくなることだ。

「怪我は次のインターハイまでには治るんでしょう? なら出場できるじゃないの。次また活躍するチャンスがあるじゃない」

 依里の言葉に私はビクリと肩を揺らしてしまった。
 私が気にしているのはそれだ。代わりに出場した珠ちゃんの功績を奪うみたいな形になりそうで、私はそれがどうにも……
 松戸笑わたしに憧れてバレーボールを始めたという珠ちゃんはスポーツ特待生なだけでなく、他の選手とは違った光るものを持っている。
 えみの攻撃スタイルをお手本にスパイクする姿を見たことが何度かある。生前の私の身長と同じくらいの背丈を持つ彼女が放つスパイクはまだ改良の余地があるが…とても力強い。エリカちゃんの体に憑依した私の放つスパイクよりも強く、もっともっと強くなる可能性を秘めている。

 それに気づいていたコーチは、2年のスパイカー希望の補欠の子ではなく、珠ちゃんに私の代わりを務めさせたのだと思う。可能性のある生徒を成長させるためにどんどん活用するのは当然のことだ。
 ……私だって、強豪校で1年ながらにレギュラーになれたんだ。実力を認められたらそのチャンスが巡ってくるというもの。わかっているんだ。

 …珠ちゃんは純粋に、私のためにチームのために戦ってくれた。
 なのに私は……

「…その、補欠の子ね、私に憧れてバレーボールを始めたんだって。中体連の頃から応援してくれてたみたい」

 私を応援してくれていたファンの存在を今になって知って、嬉しいような恥ずかしいような…。だけど私がプレイすることによって、バレーの魅力や楽しさを伝えられることが出来たんだって考えると嬉しかった。
 殺されてこの世からいなくなった私を、見ず知らずの女の子が覚えていてくれたって事実がとても嬉しかった。

「……珠ちゃんを見ていると…真っ直ぐで、夢と希望にあふれていて……まるであの頃の私を見ているみたいなんだ」

 今の私はあの頃のように、バレーに夢を持てない。
 バレーは変わらず好きだ。もっと上手になりたいという気持ちは変わらない。
 だけど努力や好きという気持ちだけでなんとかなるものじゃないと、この体に憑依して理解した。
 …私がなりたかったのはお嬢様じゃない。プロのバレーボール選手だ。だけどそれはあの日を境に叶わぬ夢に変わってしまったのだ。

「…バレーが大好きなのに、この体では限界が見えてしまう。あの頃の私みたいな珠ちゃんを見ていると辛くなってくるんだ。彼女は私にインターハイの切符を返すと言ってくれたけど、それは横取りになるんじゃないかって……苦しくなる」

 私は今までバレーに一直線だった。もっと上手になりたいと前しか見つめてこなかった。
 なのに今は違う。

「…自分のドジさ加減にも腹が立つけど、自分のために戦ってくれた珠ちゃんが羨ましくて、妬んでいる自分に嫌気が差すんだ…!」

 自分がドジしたのに後輩を妬んでいる自分が嫌なんだ。こんな自分が大嫌いだ。
 目元がじわりと熱くなって、ポタッと砂浜に涙が落ちた。だけどその涙は砂浜に吸収されて消えてしまった。
 依里は私の話を遮ること無く、黙って聞いていた。その視線は海の向こうの水平線へと向かっているようだ。

「……そんなの、劣等感なんか誰だって持ってるよ。あんたがおかしいだけ」
「…は?」

 依里ははぁーっと深いため息を吐くと、こちらを向いてきた。その目は半眼になっており、私に呆れているのがよくわかった。

「だから、あんたは今までバレーボールに関して劣等感を感じたことがないんでしょ」

 …いや、劣等感なんて腐るほど感じているけど。身長はやっぱり伸びないし、エリカちゃんの体は前の体より脆いし。周りが羨ましくて劣等感だらけだよ…。

「少なくとも、松戸笑の身体だった頃のあんたは、劣等感を感じる前にバレーの上達を目標に突き進んでいたから、劣等感に悩まされる暇がなかった」
「……そうかな?」
「劣等感を察知したらすぐに練習に打ち込んでいたんじゃないの? 劣等感に苦しむ暇を与えないくらいに」

 前の私はどうだったかな。とりあえず毎日バレーのことばかり考えていた覚えはあるけど……無意識に人を妬む暇を作らなかったのかもしれない。こんな風に怪我で苦しむこともなかったもん。

「…私だって、あんたの才能に嫉妬したこと、何度もあるよ。あんたが1人先にレギュラー選抜された時……嬉しかったけど、本音は置いていかれたみたいで悔しかったもん」
「…そうなの?」

 私に嫉妬…? そうだったのか…。あの頃の依里は今とポジションが異なっていたし、「すぐに追いつく」とレギュラー入りを意気込んでいた。…まさか嫉妬していたとは気づかなかった。
 依里は苦笑いして私を見下ろしていた。 

「あの江頭だって、やり口がアレだったけど、あんたの才能や実力に嫉妬していた。劣等感の塊だったのよ。でもね、それは正常な人間なら誰しも持っているものだから、全然おかしくないの」

 誰しも持っている劣等感。
 私が今まで生きてきた中で、劣等感を感じたことは腐るほどある。だけどバレーに関しては…依里の言うとおりかもしれない。
 あの頃の私は努力すれば実ると信じ切っていた。だから劣等感を気にする暇もなく、練習に明け暮れて実力をつけていった。
 ……なのに、今の私は後輩を妬むことで発散しているのか。前進どころか後退しているじゃないの。
 私はついつい自嘲してしまった。
 
 努力したら膝を痛めて、現状維持のために制限がかかってしまった。
 背が低いことで打点が低くなってしまう自分の放つスパイクはやすやすとブロックされてしまう。
 私に憧れた後輩は、易々と私を乗り越えて行く。私の中で焦りだけが先回りする。
 バレーが大好きなのに、どうしてうまく行かないんだろう。どうして私はこんなにマイナス思考になっちゃうんだろう。どうして人を妬んでしまうのだろう…

 泣くつもりはなかったのに、次々に涙があふれる。悔しい、羨ましい、悲しい、つらい。
 …こんな自分に負けたくないのに。

 依里は私をちらりと一瞥すると、次は空を見上げた。曇り空の隙間から夕暮れの太陽が覗いていて、ゆっくり水平線の向こうに沈もうとしていた。

「……私があんたの立場になったと考えてみたら…多分同じようにあんたが今直面している問題にぶつかると思う。自分とは全く違う環境に置かれて、今まで出来たことが出来なくなると想像したら…とても怖い」

 死んで憑依した後は怒涛の日々だった。
 別人の代わりとして学校に通ってバレーを始めたけども、それは自分の体ではない。うまく行かない現実にぶつかった。だけどそれに負けたくなくて私は必死に藻掻いていた。
 なによりも私がバレーを愛していたからやってこれた。…バレーがなかったら、私は今こうして元気に過ごしているか定かではない。それほどバレーが私の心の支えになっていた。

「多分あんたは影でいろんな苦悩や葛藤をしてきたんだと思う。どうしようもないと色んなことを諦めてきたんだと思う。…どんなに頑張っても以前のようには行かないこともわかっていると思う…だからこそ、苦しいんだってわかってるよ」

 依里もバレーを愛しているからそこまで理解してくれたのだろう。…私はどこまでこの親友を心配させてしまうのだろう。
 私が死んでも、エリカちゃんに憑依した私を見つけ出してくれた親友。
 彼女と私の大切な夢を叶えるために、今からが大事な時だって言うのに、折角の休みにこっちに来させて、私の暗い愚痴に付き合わせてしまって本当に申し訳無い。
 私らしくない。全くもって私らしくはない。
 依里を応援すると決めていたのに。私の夢は依里の夢。同じ夢を見ているのに。

「だけどね、劣等感に負けちゃダメだよ。あんたが苦しいのはわかるけど、ここで負けたらあんたが余計に苦しくなる」

 依里の言葉に私は顔を上げた。依里は相変わらず空を見上げたままである。
 私達は視線が同じくらいだったのに、今じゃこんなに身長差がある。同じ夢を見ていた私達の今いる居場所は異なり、背負うものも、進む未来も違えてしまった。

「松戸笑の体だったあんたは挫折をしなかった。才能や環境に恵まれていたから、余計に今苦しいんだよ。…でもねここで乗り越えたらあんたはもっと強くなれるんだよ」
「…わかっているんだよ。前の私が恵まれていたから、そのギャップでこんなにも苦しくなっているってことは」

 今でも「あの頃に戻れたら」ってふと思うことがある。
 だけど私は今の居場所で大切な人達に出会ってしまった。それを放り投げてまで、“松戸笑”に戻れるかといえば……即答はできない。
 今、エリカちゃんに憑依した私だから、彼らに会えたのだ。その大切な時間は何物にも変えられない。皆かけがえのない存在なのだ。松戸笑としてバレーに明け暮れた青春の日々と同様に大切なものなんだ。

 両方とも手放したくない私はワガママだ。今の私は“二階堂エリカ”でお嬢様なのだ。手の届かない過去の夢に未練を抱いて、1人で劣等感に塞ぎ込んでいる暇はない。
 悲劇のヒロインぶって劣等感に浸っていても、何の解決にもならない。

 私は前を向かなければ。落ち込んでいても何のプラスにもならない。
 怪我で部活が出来ないのであれば、その間に習い事に精を出せばいい。それはきっと私の糧になるから。
 後輩に負い目を感じるなら、それ以上の活躍を見せるしかない。今は治療に専念して、あとは万全の体制で復帰するのみだ。
 そうしたらきっと、うじうじ悩んでいた事も多少は消化できるはず。

 私の世界の中心はバレーボールだった。
 だけど他にも大切なものが増えたんだ。バレー以外のことも考えなくてはいけない。自分のことだけでなく、周りのことも。
 そうだ、私を支えてくれる慎悟との未来のためにも。

 私はぐいっと手の甲で目元を拭った。

「あーもう悔しい! だけど負けない! 早く怪我治して、インターハイでは3回戦突破目指してやるー!」

 そして海の向こうに向かって、目標を叫んだ。やっぱりまだもやもやは残るけど、耐えるしかない。踏ん張るしかない。

 私が急に主張を始めたので、依里がびっくりした顔をしていたが、依里も私の真似をして声を張り上げた。

「オリンピック目指して頑張るぞー! 日本代表強化選手に選ばれますようにー!」
「身長あと19cm伸ばすー! 身長くれー!」

 私達は2人で抱負やら願い事を海に向かって叫んだ。色んな事を叫んでいると、自分たちは何してるんだと笑えてきた。海でサーフィンしている人達から見たら変な女達が青春ごっこしている様に見えるだろう。

 だけど叫んでスッキリした気がした。
 私達はお互い進む道は違う。だけどバレーを愛する気持ちは昔から同じで、そこだけは変わらない。

 遠く離れて住んでいるのに私の様子を見に来てくれた上に、愚痴を聞き入れてくれた依里には感謝しかない。
 私は改めて友人に恵まれてるなと感じたのであった。

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