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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。
恋敵【三人称視点】
しおりを挟むここはパーティ会場であるホテルのバルコニーだ。会場内の賑やかさから少し離れたここは静かである。
パーティ会場から漏れ出る照明の明かりと外の夜の暗闇が入り混じったこの空間に、2人の青年が対峙していた。
「……話ってなんですか?」
半ば強引に連れてこられた慎悟は、相手から力強く握られた二の腕をさすりながら問いかけた。痛みと複雑な感情が入り混じった表情で相手を見返す。
ここに慎悟を連れてきた人物は、“二階堂エリカ”が以前見合いした相手である西園寺だ。その縁談は二階堂翁の推薦付きであった。
慎悟にとってこの青年は脅威であった。二階堂翁の一声で、彼女と青年の縁組が決まる恐れすらあったのだ。
海運会社を経営する父を持つ西園寺と慎悟は顔見知り程度である。会えば軽く挨拶する程度、お互いのことはよく知らない。
共通しているのは同じ女性を好きになったことくらいだ。慎悟は相手のすべてを理解した上で相手に好意を伝え、西園寺は彼女の人柄に触れて好意を抱いたとの違いはあるものの、2人はいわゆる恋のライバルという関係である。
とはいえ、西園寺のほうが身を引いたこともあり、2人が表立って対立した事実はない。今や彼女は慎悟の恋人である。何も西園寺に恐れを抱く必要はない。
……それでも、彼女に好意を抱く男が近づくと気に入らないと慎悟が嫉妬をあらわにするのは致し方ないことなのであろうか。
西園寺は先程まで彼女に向けていた穏やかな笑顔から一変して、慎悟に対して真顔を向けてきた。
「…先程の君の態度に思うことがあったから、一度話しておこうと思ってね。……自分のことを棚に上げて、エリカさんを疑うような態度を取るのは如何なものかと思うよ」
「あなたには関係のないことだ」
これは自分と彼女の問題であると慎悟は切り捨てる。だが西園寺はそうは思っていないらしい。眉間に軽くシワを寄せて首を横に振っていた。
「そんな事ない。…好きな女性が悲しそうな顔をしているのを見て楽しいわけがないじゃないか。放って置けるわけがないだろう」
西園寺の放ったその言葉に慎悟は顔をこわばらせた。いや、慎悟は薄々気がついていた。この青年が今でも彼女に好意を抱いていると言うことを。
慎悟が西園寺に脅威を抱いているのはいくつか理由がある。ひとつは二階堂翁に気に入られていること、ふたつめは彼女のお相手として申し分なく、2人の仲がいいこと、みっつめは……彼女の初恋の相手に雰囲気が似ていることだ。
背格好こそ違うが、穏やかで、人を落ち着かせる温かい雰囲気を持つこの西園寺は、彼女の従兄である青年を彷彿させるのだ。
彼女が西園寺に惹かれて、その手を取ってしまうかもしれないという恐怖がそこにあった。
余裕なく嫉妬してそれを彼女にぶつけるなんてまったくもって自分らしくないとは慎悟も腹の中ではわかっていたが、彼女と出会ってから感情のコントロールが効かなくなってしまった。それはすべて彼女が関わった時ばかり。
恋をした人間として真っ当な反応であるが、慎悟はこの不安と苛立ちの押し留め方がわからずにいた。
西園寺は慎悟をまっすぐ見つめた。その目は慎悟を責めているようにも見えた。
「…加納君は、釣った魚に餌をやらないタイプなのかな?」
「…なにが言いたいんです」
「一度自分のことを客観視してみたほうがいいよ。彼女のことをほったらかしにして、沢山の女性に囲まれてる自分のことを」
西園寺の言い分に慎悟は目に見えて苛立っていた。
自分の容姿や家柄に惹かれて寄ってくる女性は昔からいた。だけど自分が思わせぶりな態度をとったことは一度もない、と。
「好きで囲まれているわけじゃないです」
「これからもその言い訳をして、彼女に我慢を強いるのかな?」
君の言っていることは、彼女の優しさに甘えている発言だ。と西園寺は呟いた。
「彼女は、元婚約者の不貞によってひどく傷ついたんだ。その後酷い事件にも巻き込まれて…幸せになることを自ら避けようとしていたんだ。側にいた君なら気づいていたはずだろう?」
西園寺は“彼女”の真実を知らない。
確かに、以前の彼女が過去の失恋を経て恋に臆病になり、“エリカ”への申し訳無さで自分の幸せから目を背けようとしていたことも理解していた。
だが婚約破棄に関しては、無関係の彼女は何も気にしていない。事件に関しては未だトラウマと戦っているが、彼女は前を向いて進んでいる。
事情を知らない西園寺と、彼女のことを話すには少々気を使う。慎悟は相手に不審に思われないように言葉を考えながら話そうとしたが、その様子が西園寺にはまごついているように見えているようだ。
「それは…」
「それを理解している君が、彼女を傷つけるなんて…許されるはずがない。君のしていることは誠実ではない」
傍から見たら自分はそんな最低な男に見えるのかと慎悟はショックを受けていた。
自分は決して器用な人間ではない。女性を好きになったのは彼女が初めてで、彼女との交際は新しいことの発見の連続だ。彼女は自分が今まで気づかなかった感情に気づかせてくれた。彼女と一緒にいると、今まで見えなかったことがたくさん見えてきた。
生まれや育ちが異なる彼女とのギャップを感じることはあれど、お互いに歩み寄って理解しようと努力している。
彼女は素直に真っ直ぐに気持ちをぶつけてくる。自分もなるべく素直に気持ちを伝えるようにしているし、彼女を一番に考えるようにはしているが……恋敵の目には、自分が女を侍らして、彼女を悲しませる男に見えるらしい……。
後で笑と合流したらとりあえず謝って、彼女の話を冷静に聞くことにしようと慎悟は反省していたが、目の前の西園寺はまだまだ腹の虫が収まらなかったようである。
「加納君、僕が身を引いたのは君のためではないんだよ。…僕はエリカさんとの婚約を強く希望することも出来たんだ。二階堂のご当主様に僕は気に入られていたから」
慎悟は眉をひそめた。
その可能性も考えなかったこともない。だから慎悟は、当時の彼女と彼が親しくなっていく話を聞く度に気が気じゃなかったのだ。
お見合いをした、初めて告白された、西園寺とカレー食べに行ってくると呑気に告げられ……子どものような嫉妬をしていた事を思い出した慎悟は過去の自分が恥ずかしくなった。
「…それをしなかったのは、エリカさんを困らせたくないからだ」
…もしも、だ。二階堂翁が強制的に縁組をして、この西園寺と彼女が婚約者同士になっていたらと想像する。西園寺は、彼女のことを受け止められるのであろうか。彼女は、西園寺に真実を打ち明けられたのだろうか。
2人は相思相愛となっていたのだろうか。
……そうなれば、自分はどうなっていたかと。
もしものことを考えて慎悟はゾッとした。恋愛に重きをおいていないつもりではあったが、恋という病はこうも人を臆病にしてしまうらしい。
慎悟がそんな想像をしているとは一ミリも知らない西園寺は苦虫を噛み潰したような顔で、重々しく呟いた。
「君が……エリカさんを幸せにできないと判断したら、僕は本気を出して彼女を奪いに行くよ」
西園寺のその宣言は脅しではない。本気だ。
慎悟にはそれがわかったのであろう。拳を握りしめ、略奪宣言をした男に向けて敵対心を隠すことなく鋭く睨みつけた。
「…そんなことさせない」
「なら、彼女を悲しませるような真似をしないことだ。…まだ婚約の決まっていない君たちの関係なんて第三者が乱入すれば、いとも簡単に崩れる。その事を念頭に置いておいてくれ」
睨みつけてくる慎悟に臆することなく、西園寺は堂々と宣戦布告に似た捨てセリフを吐いた。
穏やかで優しげな雰囲気を持つ西園寺だが、好きな女性が関わると険しい表情になれるらしい。静かに、しかし腹の中では確かに煮えたぎる怒りのようなものを秘めた西園寺は冷たく慎悟をひと睨みすると、そのまま踵を返してひとり先に会場に戻っていってしまった。
残された慎悟は渋い顔をしてうつむいていた。数回深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、あの場所に残したままの彼女の元へ戻ろうと足早にバルコニーを後にした。
彼はもう後悔したくないのだ。
ようやくの想いで振り返ってくれた彼女の手を離すなんて彼の選択肢には存在しないのである。
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