お嬢様なんて柄じゃない

スズキアカネ

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お許しあそばして。お嬢様なんて柄じゃございませんの。

瑞沢家【三人称視点】

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 夜も更けた頃、少女は1人勉強机に向かっていた。
 少女はお世辞にも賢いわけではなかった。彼女は勉強に集中できる環境で育たなかったのだ。とにかくなんとかして生きることが最重要課題で、勉強は二の次三の次だったのだ。
 だが今は違う。彼女は身の安全が保証された環境で、祖父母が用意した習い事を重ねて、彼女はちょっとずつ成長していっている。教師にもこのままでは大学進学が厳しいかもしれないと言われていたので、一生懸命勉強していた。家庭教師に出された宿題を解いていた少女の耳に、コンコンと扉がノックされる音が聞こえた。

 少女が扉を開けると、その向こうにいたのは祖母だった。顔色がよろしくない祖母に呼ばれて客間へ向かうと、久々に顔を見た気がする父の姿がそこにあった。
 最近外泊することが増えて、似合わないカツラなんかを使用するようになってなんだかウキウキ楽しそうだなと思っていた少女だったが、その父親の隣にいる若い女性の姿を見て目を丸くした。

「パパ…その女の人は?」

 こんな時間に来客であろうか? 仕事関係の相手にしては若い。多分少女とそこまで年の離れていない女性だ。…彼女のお腹はまるでボールが入っているかのようにぽっこり膨れ上がっていた。
 父親はその女性の肩を抱いて、「お前の弟を生んでくれるひとだ。待望の跡継ぎだぞ!」と紹介してきた。

 弟、弟……少女の表情は曇った。
 少女…姫乃には腹違いの弟がいた。この父親が奥さんとの間にもうけた跡継ぎ息子だった。一度も会ったことのない弟は、10にも満たない年齢で病死してしまった。たくさん手を尽くしたが、彼はその命を散らせてしまった。長患いによる死であった。
 父親の正妻は夫の不貞の数々に心病んでいたが、矜持を持って生きてきた。年をとってようやく授かったひとり息子を大層可愛がり、夫のような不誠実な男にはしまいと大切に育てた。
 息子が彼女の生きがい、彼女の命だった。
 ……だが、この世は彼女にとって残酷なものでしかなかった。子の死に耐えかねた彼女はとうとう心を病んでしまい、一時はひどい状態に陥った。

 ここにいるよりも実家に帰してあげたほうが彼女のためなのではないかと姑も心配したが、彼女の両親はすでに亡くなり、実家はなくなっている。頼れる兄弟もいない。…彼女にはもう帰れる場所がなかったのだ。
 それならば、自分たちが責任を持って彼女を支えようと思った矢先に、夫が姫乃を連れて帰ってきた。
 いくら自分たちが産んで育てた息子だろうと、これまでの行いに腹を立てた少女の祖父母たちは、自分たちの息子の勝手を責め立てた。今までのことをまとめてきつく叱責したが、息子は嫁が悪いと責任転嫁し、反省する素振りも、嫁を心配することも、息子を亡くしたことを悲しむこともしなかったのである。

 その後祖父母たちは、愛人である母親の元でまともに育てられなかった、情緒の危うい孫娘に手を焼いた。大企業を抱える二階堂家の令嬢の婚約者を奪ったということで、失った取引も少なくなかった。一時は火消しに追われて大変だった。
 一言で言い表せないくらいにとにかく大変だったのだ。孫娘の為を思って、再教育に力を入れようとしたが、何かと文句をつけて逃げるわがまま放題の姫乃を叱責したことは一度ではない。連れてくるだけ連れてきたら後は放置の息子の代わりに、祖父母として出来ることを精一杯やってきたのだ。

 心境の変化があった孫娘とようやく正面から向き合えるようになり、姫乃がいい方向に成長し始めたと思ったらこれだ。
 次から次に、火種を持ってくる息子に、彼らの堪忍袋の緒がとうとう切れた。

「馬鹿もの! お前は一体何を考えておる!? 姫乃を婿取り要員として親元から引き取ってきたかと思えば、次は水商売の女を孕ませただと!?」

 老いた父親に怒鳴られた姫乃の父親はムッとした顔をしていた。それがなんだ、と言いたげな不満そうな顔で、自分がどんな拙い行動をしているのかが理解できていないのだろう。 

「姫乃はもう自立できるだろう。なんなら母親のもとに返せばいい。あとあの女とも離婚だ。妻としての役割を果たさない女は必要ないだろ。ただの金食い虫でしかない」

 その言葉に反応したのは、男の母である、姫乃の祖母だ。彼女はいつもの上品な老婦人然とした雰囲気を投げ捨てて、クワッと怒りの形相を露わに息子を怒鳴り散らした。

「今度という今度はもう許しません! お前と私達の親子の関係はこれでもうおしまいです。今まで親の責任だと思って後始末をしてきましたがもう我慢の限界です!」
「何を言うんだ母さん、俺がいなければ跡継ぎ息子がいなくなるんだぞ?」

 まるで足元を見ているかのような言い方。自分の未来は約束されていると言いたげな謎の自信である。祖父母がここまで怒り狂っているのに、男は反省する素振りはない。その少し後ろに控える水商売風の女性はお腹を撫でて他人事のような顔をしていた。
 姫乃は自分を生んだ母親を思い出して微妙な気分になった。あのお腹にいる子どもは自分と同じような運命を辿るのだろうかと気分が沈んだ。

(パパは、死んじゃった弟のことを忘れちゃったの? ヒメは…また親に捨てられちゃうのね)

 姫乃はとても悲しくなったが、今の彼女は昔とは違う。姫乃はもうひとりではない。
 少なくとも、ここにいる祖父母は姫乃を受け入れてくれている。それが姫乃にしっかり伝わっていたから、泣かずにこうして我慢していられるのだ。
 そして…姫乃が友達になりたいと願っている大好きな女の子の存在が姫乃の中でしっかり根付いていたので、現実に直面しても強くいられた。

「なにもお前の子どもでなくても問題ないんだ。親戚に賢い子達がいる、その子達を次世代の担い手として育てるべく学費などを投資している」

 一度は引き取った姫乃をなんとか跡継ぎにしようと奮闘したが、彼女にはその素質がなかった。会社経営は、会社勤めとは違う、とても大きな責任を伴うもの。素質のないものに会社経営は無理だ。
 たくさんの社員を抱えている瑞沢コーポレーションと共倒れさせるわけには行かないと考えた祖父は相手方の了承を得た上で親戚の子供らを支援して、跡継ぎ育成を始めた。将来本人の意志を聞いて、後継ぎとして任せようと決めていたのだ。

「何を勝手なことを!」
「お前がそれを言うか? 一人息子だからと甘やかした自分たちの育て方がまずかった。…もう勝手はさせない」

 男は慢心していた。
 会社は自分のものであると、今ある瑞沢家の興隆は自分が成し遂げたものであると、勝手に思い込んでいた。
 実際には仕事はできるもののどうにも人望がなく、信頼というものがない。それは致命的であり、このまま会社を任せるには不安要素しかなかったのだ。
 始めは小さな不動産屋の社長だった祖父の瑞沢氏。どんどん事業が大きくなる中で仕事に夢中になりすぎて息子を妻に任せっきりにした、そのしっぺ返しを食らったのだろう。
 彼は父親失格であると自覚していたが、息子可愛さで破滅の道に進むほど愚かではなかった。手を焼いていた実の息子に見切りをつけて、安心できるものに任せるつもりでだいぶ前から動いていたのだ。

「……先だって、丸山家から苦情が来た。取引解消になりかけて大変なことになっている……とんでもない真似をしでかしたようだな」
「…あの小娘…余計なことを!」
「お前は自分が何をしてきたか、捨て置いた娘を利用して何をしようとしたのか忘れたのか!? この大馬鹿者! 今後お前の全ての権限を外す。せいぜい裸一貫でやり直すんだな」

 身内の情や、親としてのけじめの域を超えてしまったのだ。今までに散々息子の非常識な行いに振り回されてきた祖父母たちは、最低限の荷物を詰めたら出て行けと息子を放逐することにしたようだ。

「えっなにそれ! パパってば社長なんでしょ!? 裸一貫って…この家にアタシ住めなくなるの!?」
「その男には汗水たらして働いてもらうから、責任は取らせますよ。ただ、うちの敷居をまたぐことは許しませんし、援助も一切致しません」

 騒ぎ出した愛人の女性に対して祖母が冷めた声で説明した。子どもは授かりものだ。その父親にしっかり責任を取らせると告げた。

「はぁぁーっ!? マジないわ! キモいオッサンと我慢してヤッたのに、ありえないんだけど! もういいやパス!」

 なのだが、愛人の女性は急に失望した様子だった。
 再婚して、この家の女主人になるのが目的だったのだろうか。だが残念ながらこの家は祖父の名義だ。そしてお腹の子の父親である男は今しがた裸一貫でやり直せと言い捨てられていた。
 それに価値がないとみなした女性は文句を言いながら踵を返して部屋から出ていこうとした。

「ちょっとお腹の赤ちゃんはどうするの!? お父さんがいなくてもいいの!?」

 姫乃は自分の境遇に似そうになっている胎児のことだけが心配になり、愛人の女性を呼び止めた。
 姫乃の声に反応した女は鬱陶しげに振り返ると、鼻で笑った。

「コレ、アタシの彼氏の子どもだから。…金のない男には用がないの」

 ニヤリと笑ったその顔は、姫乃の実母が浮かべた笑顔に似ていた。姫乃はトラウマでギクッと固まると、それ以上何も言えなくなった。
 女が出ていった後、父親が何やら喚いていたが、瑞沢家で色々お世話をしてくれている使用人たちが無理やり外へ追い出す形で放逐した。
 明日にでも鍵屋を呼んで、会社や家の鍵の交換とセキュリティを厳重にして、二度と入れないように手配する予定らしい。会社の人間にも周知するそうだ。
 

 瑞沢氏は呆然と事を眺めていた孫娘の姫乃に向き直ると、孫娘を憐れむような視線を送ってきた。

「……姫乃。お前は自分の人生を歩みなさい。その手助けはする。……親に縛られることはない。もしも好きな男と一緒になりたいなら、その努力を惜しむな」
「え…?」

 姫乃がこの家に来たばかりの頃は、この祖父はいつも厳しい言葉ばかり掛けてきた。
 
「姫乃、あなたは人様から婚約者を奪いました。今のあなたはその責任を理解しているはずです。…決して平坦な道ではない。…それでも選んだ相手と添い遂げるならば、今以上に努力しなさい。私達が出来ることはあなたを応援することだけです」

 祖母もそうだ。二人して姫乃を追い出すために結託していじめてくるのだと勝手に思い込んで嫌っていた。
 だけどそうではなかったと今ではわかる。2人は2人なりに姫乃を心配して、まっとうな人生を歩めるように手を貸してくれていたのだ。
 そして今も、自分の責任だけを果たすようにと厳しく聞こえるが、優しい言葉を掛けてくれた。


 男の正妻の位置にいる女性には良い縁談を紹介するか静かに暮らせる環境を与えて援助していくかを選ばせて、失った時間を取り戻してほしいと考えているそうだ。
 4年ほどの療養でだいぶ心を落ち着けて過去の悲しみと向き直れるようになった哀れな女性。息子のもとに嫁がなければこのような目には合わなかったはずなのに。彼女のことは責任とって最後まで面倒を見ると。
 だから姫乃には自分の人生を自分で選んで進みなさいと背中を押した。
 
 瑞沢家は宝生家と同じく、婚約破棄事件で一時信用が落ちた。一度信用を失うとその後回復するのにかなりの時間と労力を要する。彼らは身内の犯したその咎を甘んじて受け、また心を入れ直して前へと進もうと切り替えた。
 あんなのでも彼らにとっては息子には違いない。彼らは息子を捨てる形で失ってしまった。苦渋の決断であったであろう。
 ……姫乃の父親も母親も、娘を捨て去ってどこかへと消え去った。姫乃は自分が両親に愛されていないことはだいぶ前からわかっていた。人に愛されることを求めて、縋っていた昔の自分が叫びだしそうになったが、姫乃はそれを押し留めた。
 辛いのは自分だけではないと。

 悲しみに浸る暇はない。姫乃はもうすぐ高校を卒業する。
 自分の犯したことへの責任をしっかり取らねば。親と同じ生き方をする必要はない。子どもは親の人形じゃない。思い通りに生きる必要はないと“彼女”は教えてくれたもの、と自分に言い聞かせる。

 いつまでも子供のままじゃいられない。自分もしっかり自立した人間になろうと姫乃は強く意識したのだった。

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