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一章
平穏な日常②
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彼女と共に階段を下りると、俺たちはそのままリビングへと続く扉を抜けた。
ふわりと爽涼な風が頬を撫でてくる。
朝の爽やかな風が、半分ほど開かれたテラス窓からリビングへと流れ込んでいた。レースカーテンがふうわりと緩やかな弧を描いている。
その風に乗って、香ばしい匂いが俺の鼻孔を刺激してきた。
今日はベーコンエッグか……。
その匂いだけで、俺は朝食のメニューを当てることができた。
俺はテーブルの椅子に腰を下ろす。そして何とはなしに、だだっ広いリビングを眺めた。
部屋にはこのダイニングテーブルが一つと、それに付属する椅子が三つ、そこから少し離れたところに二人掛け用のソファが一つと、そしてその前に小さな薄型テレビが申し訳程度に置かれている。
パッと目に着くような家具はその四点だけ。実に質素な空間である。
というのも、俺の両親は現在長期出張中で不在なのだ。家族は下に妹が一人、いた。犬や猫などのペットは特に飼っていない。そのため基本、この家には俺とみらいの二人だけしかいないのだ。
二人で住むには、この家は広すぎた。高校生が一軒家の充実した使用方法などを知るはずもない。少なからず空虚な空間と化してしまうのは仕方のないことだった。
「ほら、ユウ君。朝ごはんできたよ」
俺の予想通り、ほどよく焼き目の付いた目玉焼きとベーコン、そして半分に切られたトーストがプレートに乗せられて目の前に置かれた。
「いただきます」
テーブルの中央に置かれていた箸置きから自分の箸を抜き取ると、俺は目玉焼きから先にかぶりつく。
彼女も俺の横に座って、朝食を取り始めた。
……それでも、幼馴染の彼女がいなければ、この家は一層寂しい空間となっていただろう。
毎朝こうして二人で朝食を取ることもない。学校から帰っても話し相手はいない。家事もすべて自分でやらなければならない―――
彼女の存在は色々な意味で偉大なのだ。
毎日毎日永遠と続く朝の一コマを、俺たちは朝食と共に消化していく。
俺はふと、空席になっている前の席へと視線を向けた。
このテーブルには、全部で三人分の椅子が用意されている。二つは俺とみらいのもの。そしてもう一つは、俺の妹の分―――だった。
だった、というのは、彼女はもうこの家にいないからだ。
彼女はここにはいない―――いや、この世にいないのだ。
二年前のあの日、俺の妹は死んだ。真っ赤な夏の夕陽が差し込むこの部屋の中で、彼女は中学一年生という幼さにして、その尊い命を奪われたのだ。
彼女の眩しいほどの笑顔は、今でも俺の脳裏に焼き付いている。
二年前のあの日まで、目の前の椅子には一人の少女が座っていた。真新しい制服に身を包み、柔らかな笑みをその顔に湛え、楽しそうに今日学校ですることなどについて話していた。
背中まで伸ばした艶やかな黒髪。綺麗に切り揃えられた前髪から覗く、クリッとした可愛らしい大きな瞳、桜の花びらのように小さな口元―――。
何から何まで愛おしかった。見た目こそ大人しく真面目な印象を与えるが、彼女の性格は天真爛漫そのものだった。俺の隣で目玉焼きを頬張るみらいの性格を、そのまま写したような、そんな元気いっぱいの少女だった。
彼女の名前は時坂初音。俺と二つ違いの妹だ。
二年前の春、彼女は地元の中学校へと進学した。俺とみらいが通っていた中学校だ。
初音は学校から帰ってくるなり、その日にあった他愛もないことを本当に楽しそうに俺に話してくれた。友達が増えたこと。クラスメイトの子たちと一緒にドッヂボールをしたこと。授業中にみんなが解けなかった問題を、すらすらと解いてみせて先生に褒められたこと―――
太陽みたいな笑顔で、初音はそれらのことを話してくれた。本当に楽しそうだった。
彼女は昔から、みらいとも仲が良かった。
初音が中学へ進学する頃には、みらいは既にこの家に移ってきていたので、毎朝三人揃って登校することが多かったし、夕飯も彼女たち二人で作ることがほとんどだった。
幸せな日々だった。本当に―――。
……しかし、そんな幸せな生活に、突然何の前触れもなく終止符が打たれた。
それは初音が中学へ進学して、しばらく経った時のことだった。
―――あの事件が起こった。
その日はよく晴れた夏日だった。掃除当番でもなく、部活にも入っていなかった俺は、夕方前には帰路についていた。
自宅から学校までの距離はさほど遠くはない。徒歩で二十分程度である。
いつも通りの帰宅だった。
カバンから鍵を取り出し、俺はそれを鍵穴に差し込んだ。
しかし、
ガチッ……。
いつもの方向に回らなかった。
鍵が開いているということである。
俺は違和感を覚えた。
朝は初音と俺とみらいの三人で一緒に家を出て、その際には確かに施錠したはずだ。覚えている。
………彼女たちのどちらかが、帰ってきているのだろうか?
いやしかし、初音がこの時間に帰ってくることは滅多にない。彼女は部活にこそ入ってはいないが、毎日放課後には教室に残って、友達数人と雑談を交わしてから帰宅するというのが日課になっていた。そのため、彼女の帰宅はいつも決まって六時過ぎである。
だとしたら……みらい、か……?
そこで、俺は今日の放課後のことを思い出す。
いつもは教室の前で待ち合わせて、彼女と一緒に帰るのだが、今日は違った。
放課後、彼女の教室に寄ってみると、既に彼女の姿はなかった。
急用でも思い出したのだろうか、とその時は気にも留めなかったが―――まさか、もう帰ってきているのだろうか……?
内心首を捻りながら、俺は玄関扉を開けた。中に入り、靴を脱ごうと前屈みになる。
―――その時、
―――ゴッ―――!
頭の中で火花が散った。
殴られたとわかった時には、俺は玄関にうつ伏せで倒れていた。
頭上から、誰かの荒い息遣いが聞こえてくる。
目が霞む。意識が遠のく。そして―――次に目を覚ました時には、俺は縛られた状態でリビングに転がされていた。
ふわりと爽涼な風が頬を撫でてくる。
朝の爽やかな風が、半分ほど開かれたテラス窓からリビングへと流れ込んでいた。レースカーテンがふうわりと緩やかな弧を描いている。
その風に乗って、香ばしい匂いが俺の鼻孔を刺激してきた。
今日はベーコンエッグか……。
その匂いだけで、俺は朝食のメニューを当てることができた。
俺はテーブルの椅子に腰を下ろす。そして何とはなしに、だだっ広いリビングを眺めた。
部屋にはこのダイニングテーブルが一つと、それに付属する椅子が三つ、そこから少し離れたところに二人掛け用のソファが一つと、そしてその前に小さな薄型テレビが申し訳程度に置かれている。
パッと目に着くような家具はその四点だけ。実に質素な空間である。
というのも、俺の両親は現在長期出張中で不在なのだ。家族は下に妹が一人、いた。犬や猫などのペットは特に飼っていない。そのため基本、この家には俺とみらいの二人だけしかいないのだ。
二人で住むには、この家は広すぎた。高校生が一軒家の充実した使用方法などを知るはずもない。少なからず空虚な空間と化してしまうのは仕方のないことだった。
「ほら、ユウ君。朝ごはんできたよ」
俺の予想通り、ほどよく焼き目の付いた目玉焼きとベーコン、そして半分に切られたトーストがプレートに乗せられて目の前に置かれた。
「いただきます」
テーブルの中央に置かれていた箸置きから自分の箸を抜き取ると、俺は目玉焼きから先にかぶりつく。
彼女も俺の横に座って、朝食を取り始めた。
……それでも、幼馴染の彼女がいなければ、この家は一層寂しい空間となっていただろう。
毎朝こうして二人で朝食を取ることもない。学校から帰っても話し相手はいない。家事もすべて自分でやらなければならない―――
彼女の存在は色々な意味で偉大なのだ。
毎日毎日永遠と続く朝の一コマを、俺たちは朝食と共に消化していく。
俺はふと、空席になっている前の席へと視線を向けた。
このテーブルには、全部で三人分の椅子が用意されている。二つは俺とみらいのもの。そしてもう一つは、俺の妹の分―――だった。
だった、というのは、彼女はもうこの家にいないからだ。
彼女はここにはいない―――いや、この世にいないのだ。
二年前のあの日、俺の妹は死んだ。真っ赤な夏の夕陽が差し込むこの部屋の中で、彼女は中学一年生という幼さにして、その尊い命を奪われたのだ。
彼女の眩しいほどの笑顔は、今でも俺の脳裏に焼き付いている。
二年前のあの日まで、目の前の椅子には一人の少女が座っていた。真新しい制服に身を包み、柔らかな笑みをその顔に湛え、楽しそうに今日学校ですることなどについて話していた。
背中まで伸ばした艶やかな黒髪。綺麗に切り揃えられた前髪から覗く、クリッとした可愛らしい大きな瞳、桜の花びらのように小さな口元―――。
何から何まで愛おしかった。見た目こそ大人しく真面目な印象を与えるが、彼女の性格は天真爛漫そのものだった。俺の隣で目玉焼きを頬張るみらいの性格を、そのまま写したような、そんな元気いっぱいの少女だった。
彼女の名前は時坂初音。俺と二つ違いの妹だ。
二年前の春、彼女は地元の中学校へと進学した。俺とみらいが通っていた中学校だ。
初音は学校から帰ってくるなり、その日にあった他愛もないことを本当に楽しそうに俺に話してくれた。友達が増えたこと。クラスメイトの子たちと一緒にドッヂボールをしたこと。授業中にみんなが解けなかった問題を、すらすらと解いてみせて先生に褒められたこと―――
太陽みたいな笑顔で、初音はそれらのことを話してくれた。本当に楽しそうだった。
彼女は昔から、みらいとも仲が良かった。
初音が中学へ進学する頃には、みらいは既にこの家に移ってきていたので、毎朝三人揃って登校することが多かったし、夕飯も彼女たち二人で作ることがほとんどだった。
幸せな日々だった。本当に―――。
……しかし、そんな幸せな生活に、突然何の前触れもなく終止符が打たれた。
それは初音が中学へ進学して、しばらく経った時のことだった。
―――あの事件が起こった。
その日はよく晴れた夏日だった。掃除当番でもなく、部活にも入っていなかった俺は、夕方前には帰路についていた。
自宅から学校までの距離はさほど遠くはない。徒歩で二十分程度である。
いつも通りの帰宅だった。
カバンから鍵を取り出し、俺はそれを鍵穴に差し込んだ。
しかし、
ガチッ……。
いつもの方向に回らなかった。
鍵が開いているということである。
俺は違和感を覚えた。
朝は初音と俺とみらいの三人で一緒に家を出て、その際には確かに施錠したはずだ。覚えている。
………彼女たちのどちらかが、帰ってきているのだろうか?
いやしかし、初音がこの時間に帰ってくることは滅多にない。彼女は部活にこそ入ってはいないが、毎日放課後には教室に残って、友達数人と雑談を交わしてから帰宅するというのが日課になっていた。そのため、彼女の帰宅はいつも決まって六時過ぎである。
だとしたら……みらい、か……?
そこで、俺は今日の放課後のことを思い出す。
いつもは教室の前で待ち合わせて、彼女と一緒に帰るのだが、今日は違った。
放課後、彼女の教室に寄ってみると、既に彼女の姿はなかった。
急用でも思い出したのだろうか、とその時は気にも留めなかったが―――まさか、もう帰ってきているのだろうか……?
内心首を捻りながら、俺は玄関扉を開けた。中に入り、靴を脱ごうと前屈みになる。
―――その時、
―――ゴッ―――!
頭の中で火花が散った。
殴られたとわかった時には、俺は玄関にうつ伏せで倒れていた。
頭上から、誰かの荒い息遣いが聞こえてくる。
目が霞む。意識が遠のく。そして―――次に目を覚ました時には、俺は縛られた状態でリビングに転がされていた。
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