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三章

ポルターガイスト①

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 ―――放課後。
 俺は昨夜起きた火事の現場に赴くため、さよと校門前で待ち合わせをしていた。
 今日に限ってホームルームが長引いてしまった俺は、急ぎ足で階段を下りていた。
 昇降口を駆け抜ける。
 みらいにはちょっと急用ができたから、とだけ告げておいた。
 息を切らしながら待ち合わせ場所に着くと、予想通りと言うべきかそこには既に彼女の姿があった。
「遅いですよ」
 俺の姿を認めると、さよは軽い非難の目を向けてきた。
「しょうがないだろ。こればっかりはクラスの都合なんだから」
 肩を上下させながら俺は言い訳をする。
「全く、女性を待たせるとは何事ですか」
「悪かったよ。それより、本当に行くのか……?」
「当たり前です。そのために、こうして待ち合わせまでしたのでしょう」
「それは、まあ、そうなんだけど……行って何かわかるのかよ」
 正直なところ、俺は今回の彼女の提案にはあまり乗り気ではなかった。
 火事の現場なら今朝のニュースでちらりと見ていたため、俺にとってはあれ以上得られるものがない。それに何より、その現場というのが遠い。ここから徒歩で四十分は要するであろう場所だ。しかも俺の家とは反対方向。ますます行く気が起きない。
 一緒に来るかと彼女に問われた時、反射的に行くと答えてしまった自分が早くも憎らしかった。
「呪いの力で放火されたことは、ほぼ確実なんだろ? ならわざわざ行かなくてもいいんじゃないのか?」
 俺はさりげなく彼女を説得しようと試みる。
 が、
「そうとも限りませんよ」
 と、静かに一蹴された。
「現場に赴いて初めてわかることもあります。それによく言うじゃないですか。犯人は必ず現場に立ち返る、と」
 そう言うと、彼女は静かに歩き始めた。
 俺は諦めて彼女の横に並ぶ。
「そんな上手くいくのか?」
「それは私にもわかりません」
 冷たく彼女に突き放される。
 そうかと呟き、俺は諦めて空を仰ぎ見た。
 暗い、というか黒い。今にも一雨来そうだ。
 そういえば傘を持ってきてなかったな、と俺はこの時になって初めてそのことに気が付いた。
 俺たちは、ただ黙々と歩き続けた。何か世間話をするわけでもなく、ただ黙々と―――
 しかし次第に現場が近づいてくるにつれて、俺は奇妙な息苦しさを覚えるようになっていった。何というか、心臓を素手で鷲掴みにされているような、そんな不快な息苦しさだ。
 まさかこれも呪いによる影響なのかという考えが一瞬脳裏を掠めたが、そんな思考に及ぶ自分がいよいよ恐ろしくなったので一笑に付しておいた。
 呪い、呪力、霊力―――そんなものは俺にとって非現実的であり非常識だ。
 だけどさよと出会って以来、俺はそんな非常識な世界を知るようになった。
 そして、今まで停止していた歯車がゆっくりと動き出したような―――そんな感覚を覚えていた。
 俺の周りで何かが変わろうとしている。俺の中で何かが変わろうとしている。だけど、俺は未だにその変化について行くことができない。
 ……その変化に追いつけたとき、俺には一体何が待っているのだろうか。
 変わらない日常か、はたまた変わってしまった日常か―――
 湿った風が心の隙間に吹き込んでくるのを感じながら、俺は歩を進めた。


 昨夜の火事の現場は、一件目のそれとは異なり、焼け落ちた家の周りには黄色い規制線が張り巡らされていた。刑事ドラマなどで幾度か目にしたことがある光景だ。しかし、警察らしき人物は一人も見当たらない。
 ニュースで騒がれていたので、野次馬のような人間が少なからずいるだろうと思っていたのだが、そういった奴らも見えなかった。
 人っ子一人見えない。辺りは不気味なほどに静寂に包まれていた。
「これは―――」
 現場に着くや否や、俺は思わず息を呑んだ。
 目の前に広がる情景は、俺の想像をはるかに凌ぐものだった。まず全焼した家屋はまるでその原形を留めていなかった。屋根は崩れ、壁は剥がれ、柱はねじ曲がっている。
 内部の鉄骨は炎の熱によって膨張したのか、コンクリート柱の側面を突き破って飛び出しているものもあった。飛び出した鉄骨はぐにゃぐにゃと蛇のように曲がり、先っぽが地面に突き刺さっているものもある。
 一体どんな熱をもった炎に晒されれば、こんな形になるのだろうか―――
 風が吹く。荒廃した土地に降り積もっていた灰が舞い上がる。
 それが喉に入り込んで、俺はごほごほと咽込んだ。
 息苦しい。肺を圧迫するような重い空気が漂っている。
 匂いも酷い。思わず顔をしかめたくなるほどのススによる火災臭が辺り一帯に満ちている。
 だが、さよはそんな空気などものともせずに、黄色い規制線をくぐると、軽やかな足取りで敷地内へと侵入していった。そして、ちょうど土地の真ん中あたりで立ち止まると、胸ポケットからあの紙切れ―――霊符を取り出し、それを黒い地面にひらりと落とした。
 するとどうだろうか。その霊符は、瞬く間に地面に吸い込まれるようにして消えていったのだ。
 思わず、俺は彼女に声を掛けそうになったが―――やめた。
 邪魔をしても悪いと思ったし、何より訊ねても、また理解不能な答えが返ってくるに違いないと思ったからだ。
「さて……」
 特にすることがなく、手持無沙汰になってしまった俺は、ぐるりと首を巡らせた。
 ここは閑静な住宅地だ。
 焼け落ちた家屋は周囲の住宅からは通り一つを挟んだ場所に建っており、一軒だけ孤立するような形となっている。両隣は更地。そこには雑草もあまり生い茂っていない。
 これだけ激しい火災であっただろうにも関わらず、周囲に火が燃え移らなかったのは、これらの条件が功を奏したのかもしれない。
 暗い空の下、ヒグラシの鳴き声が辺りに寂しく木霊している。
 相も変わらず、人の話し声などは全く聞こえてこない。しわぶきひとつない。
 薄気味悪い場所だと思った。
 人が居住する空間はすぐそこにあるのに、肝心の人がいない。いや、恐らくいるのだろう。家の中には誰かしらがいるのだろう。だけど俺の目には映らない。そのことが、何故だか今の俺をたまらなく不安にさせた。
 ポツ―――
 その時、俺の肩に何かが落ちてきた。
 見ると、カッターシャツの一点が、少しだけ濃い色に変わっていた。
 両手を広げると、パラパラと掌に水滴があたる感覚があった。
 雨だ―――
 参ったなと、俺は頭を掻く。
 傘を持ってきていない分、できれば本降りになる前に帰りたいと思った。ここから俺の家までだと、どれだけ急いでも一時間弱は掛かる。
 いつ終わるのかと思い、俺はさよの方を見た。すると、
 ちょうど彼女が黄色い規制線を潜って、こちら側に出てくるところだった。
「なんだよ。もう終わったのか」
 少し驚いた。もっと時間が掛かるものだと思っていたのだ。
「はい、そう時間を要するものでもありませんので」
「で、どうだった……?」
「……一件目と同様ですね」
 少しの間の後、彼女はそう言った。
「てことは、やっぱり―――」
「ええ、単なる事故による火災などではありません。何者かが呪力を用いて意図的に引き起こしたものです」
「……そうか」
 ある程度予想していた答えではあったので、俺はあまり驚かなかった。
「犯人は一体何が目的なんだろうな……」
「さあ、何なのでしょうね」
「この家の住人に、何か怨みでもあったのかな……?」
「……どうでしょね」
 曖昧な相槌を打たれる。
「それよりも、早い所帰りましょう。これ以上ここにいても仕方がありません」
 さよが黒皮のスクールバッグを頭に乗っけながら言った。少し可愛い。
「でも俺、特に何もしてないような……」
「別に、あなたに何かして下さいと頼んだ覚えはありませんよ」
「まあ、それはそうなんだけど……」
 なら俺は一体何のためにここに来たのだろう。わざわざ放課後に、それも自分の家とは反対方向に四十分も歩いてまで、俺はここに何をしに来たのだろうか。
 はあ―――
 周りの空気に溶かすような、ため息を吐く。
 だがふて腐れていても、どうにもならない。
 俺は大人しく、帰路を辿り始めることにした。心なしか雨脚も強くなっている気がする。
 だがその時、
 ドサリ―――
 背後で何かが落ちる音がした。
 振り向いて見ると、先ほどまでさよの頭の上に乗っていたスクールバッグが地面に落ちていた。
 雨で手を滑らせたのだろうか。
 なにやってんだよ、と言いながら俺はそれを拾ってやろうとする。
 だが、
「静かにしてください」
 カバンに伸ばそうとした俺の手を、彼女がガシッと掴んだ。彼女のものとは思えない強い握力だった。
 その力に俺は思わずギョッとする。
 さよは唇に人差し指を当て、周囲を警戒するように大きな目をゆっくりと動かしていた。ピリピリと張り詰めた緊張感が俺にまで伝わってくる。
 彼女の額には、うっすらと汗が滲んでいた。
 いきなりどうしたのか……?
 俺は恐る恐る、彼女に声を掛ける。
「おい、さよ。どうし―――」
 だがその時、
 彼女の目が、何かを捉えた。
「伏せてください!」
 突如、彼女が切迫した声を上げた。
 と同時に、掴んでいた俺の腕を引っ張ると、そのまま強引に俺を地面に押し倒す。
 突然のことに、俺は満足に受け身も取れず、盛大に胸板を打ち付けてしまった。
「ってーな! 何すんだよ!」
 抗議の声を上げる。
 だが刹那、
 ゴォォウッ―――!
 竜巻のような轟音と爆風と共に、何か巨大な影が、俺たちの頭上を掠めていったのだ。
「な、何だ……⁉」
 顔を上げる。
 すると次の瞬間、信じられない光景が俺の目に飛び込んできた。
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