呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

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四章

眩しかった日々

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「ねえねえ、お兄ちゃん。この制服どう。似合う?」
 入学式の前日夜―――初音がドタドタと廊下を鳴らしながら俺の部屋に飛び込んできた。ベッドの上で漫画を読んでいた俺は、興奮したその声に顔を上げる。
 すると目の前に、おろし立ての制服に身を包んだ初音が満面の笑みを湛えながら立っていた。
 質素な紺色ベースのセーラー服。袖口と襟には白いラインが三本くっきりと引かれている。胸には少し大きめのピンクのリボンが着いており、それが彼女の動きに合わせてひらひらと揺れていた。
「ああ、いいんじゃないか。すごく似合ってるよ」
 身体を起こしながら、俺は素直な感想を述べた。
 実際に可愛かった。兄である俺の目から見ても、その姿には息を呑むものがあった。まだ丈が少し大きいようで、手の甲が袖の外に出ていない。しかし、それが彼女の幼さを際立たせ、男心を妙にくすぐる蠱惑的な雰囲気を醸し出している。これでは入学早々、イケメンの先輩から告白されるといったドラマのようなシチュエーションもあり得るかもしれない。
「本当⁉ やったー! 早く明日にならないかなー!」
 俺に褒められたことがよほど嬉しかったのか、くるくると初音がその場で回り始める。ふわりふわり、と丈の長いスカートが、空中で緩やかな弧を描いた。
「おいおい、そんなにはしゃいだら怪我するぞ」
「大丈夫だよ―――きゃっ」
 言わんこっちゃない。
 足を滑らせ、バランスを崩した初音が俺の方へ倒れ込んできた。
「ほら、気を付けろよ」
 彼女を両手で受け止めながら、俺は優しく窘める。
「えへへ、ごめんなさい」
「怪我でもしたらどうするんだよ。明日出席できなくなるぞ」
「んー、その時はお兄ちゃんにおんぶしてもらうから大丈夫だよ」
「そんな恥ずかしい事できるわけないだろ」
 こつんと、初音の額を人差し指で軽く小突く。
 何とも言えない柔らかな空気が、俺たちを優しく包み込んでいた。
 と、その時、
「うわっ、初音ちゃん制服着てみたんだ⁉ すっごく可愛いよ!」
 部屋の入口から、驚嘆の声が聞こえた。
 見るとパジャマ姿のみらいが、目を丸くした状態で立っていた。風呂上がりのようで、その顔は薄桃色に上気している。
「えへへ、いいでしょ。私、明日からこれ着て毎日二人と同じ学校に登校できるんだよ」
 嬉しそうに言うと、初音は立ち上がり、またその場でくるりと一回転してみせる。
「そっかー。初音ちゃん、明日から中学生だもんね。いいなー、私もそれ着てみたいな」
 みらいがしみじみと言った。
「えっ……? みらいも同じ制服着てるじゃん」
 初音が冷静な突っ込みを入れる。
「んー、そうなんだけど、私のは二年間も着古してるから結構ボロボロなんだよねえ。だから綺麗な制服を見ると、つい着てみたくなっちゃうんだよ」
「へえー。じゃあ、たまには私の制服と交換してみる?」
「えっ、いやいや、それは悪いよ。せっかく綺麗な制服があるんだから、絶対にそっち着た方がいいよ」
 ぱたぱたと、みらいが顔の前で両手を振る。
「えー、私はみらいの制服でも全然大丈夫だよ。なんかお姉さん気分になれそうだし」
「えっ、お姉さん? 本当に……⁉」
 みらいの顔がぱあぁ、と明るくなる。
「うん。なんか年期が入ってそうで」
「えっ……ね、年期? そ、それじゃあまるで私おばさんみたいじゃない」
「あ、ご、ごめん! 間違えた。年期、じゃなくて………先輩感。そう、先輩感が染み込んでそうだから!」
 慌てて初音が言い直す。
 しかし、
「うー、初音ちゃん、本当にそう思ってる?」
 みらいがジト目で初音を睨む。
「お、思ってる、思ってる。嘘じゃないよ」
「ふーん、怪しいなあ」
 みらいが初音の顔を覗き込むようにすると、初音は下を向いてもじもじと指を絡ませた。
「ほら、お前ら。もうそろそろ寝ろよ。明日は初音の入学式なんだから」
 きりがなさそうだったので、俺は無理やりに二人の会話を中断させた。
「あー、ユウ君が初音ちゃんの味方した。相変わらず初音ちゃんには甘いよねえ」
 みらいがぷくう、と頬を膨らませる。
「わかりましたよ。年期の入ったお邪魔虫は退散致しますよー。じゃあね、お二人とも。おやすみー」
 そしていじけながら、みらいは俺の部屋から出て行った。
「………お、怒らせちゃったかな?」
 初音が心配そうな顔で俺を見る。
「別にあれくらい大丈夫だろ。あいつのことだから、明日の朝にはケロッと忘れてるよ」
「あはは……ひどいよお兄ちゃん」
「それより、明日からどうするんだ? 俺とみらいはいつも一緒に帰ってるけど、お前も俺たちと一緒に帰るか?」
「うーん、一緒に帰りたいのは山々なんだけど……早く友達も作りたいから、しばらくはクラスの子たちと一緒に帰ることにするよ」
「そうか。まあ初音なら、すぐに友達できるだろ」
「うん……だといいけど」
 初音がまた下を向いてしまう。どうやら新しい生活には期待半分、不安半分といった心境らしい。
 そんな初音に俺は、
「わかった。じゃあ特別だ。これやるよ」
 と言って俺は立ち上がり、自分の机の引き出しから、小さな細長い箱を取り出した。
 その箱の中に入っていたのは―――
 ネックレスだった。銀色のチェーンの先に透き通るようなブルーの宝石がはめ込まれた、綺麗なネックレスだ。
 初音はそれを見ると目を瞬かせた。
「ど、どうしたのそれ?」
「お前の入学祝にって買っておいたんだ」
「えっ……⁉」
「ほら、後ろむいてみろ。着けてやるから」
 そう言うと俺は、自分から彼女の後ろに回り込み、彼女の色白で細いその首にネックレスを下げてやった。
 ちょうど、彼女の胸の上あたりに小さな青い宝石が落ち着く。それは部屋の明かりを反射してきらきらと煌めいていた。
「……これ、私に……?」
 惚けたような表情で初音が振り向く。
「ああ。よく似合ってるぞ」
 そんな彼女の頭に、俺は優しく手を乗せた。
 本当は、このネックレスは明日の入学式が終わってから、彼女に渡すつもりだった。初日の学校生活お疲れ様の意味も込めて、家に帰ってきた彼女にちょっとしたサプライズも込めて、プレゼントする予定だったのだ。
 彼女が不安そうな顔をしていたので、つい今渡してしまったが……まあ、特に問題はないだろう……。
 しばらくは、信じられないというような顔をして、俺のことを見ていた初音だったが、
 やがてその顔を、向日葵のようにほころばせると、
「ありがとう、お兄ちゃん! ずっと大切にするね!」
 と言って、ぴょんとその場で飛び跳ねた。
「ああ。だから元気出せよ」
 初音の背中を軽く叩いてやる。
「うん! 本当にありがとう!」
 彼女はこれまでに見たことがないくらいに嬉しそうだった。胸の前でギュッと宝石を握り締めている。
 そんな初音に苦笑しながら、
「ほら、明日は早いんだから、もう部屋に戻って寝ろよ」
 と、俺は促した。
 初音ははっと目を見開き、
「あ、うん、そうだったね! おやすみお兄ちゃん!」
 その場でもう一度飛び跳ね、スキップするみたいにして、俺の部屋から出て行った。彼女がいなくなった部屋には妙な静けさだけが残った。

 
 額に当たっていた指が、汗でぬるりと滑った。
 そこで俺は、ようやく現実に返る。
 顔を上げると、さよと先生の視線が俺に注がれていた。
「す、すいません。ちょっと、ぼーっとしてしまって……」
 俺は頭を振る。幸せだったころの思い出に浸ってしまっていた。
「気にしないで。謝るべきなのは私の方よ。今まで黙っていて本当にごめんなさい」
 先生が深く頭を下げる。頭頂部から生えた白髪が、何とも情けなく見えた。
「いえ……」
 何と返せばよいのかわからず、俺は彼女から目を逸らした。
 彼女を責める気持ちがあるのかないのか、今の俺にはわからなかった。正直なところ、正気を保つことで精一杯だった。
「イジメを行っていた生徒は何人だったのですか? 今回亡くなった彼女たち、二人だけでしたか?」
 さよが落ち着いた声で先生に訊ねた。
 彼女は少し逡巡する様子を見せたが、
「……いいえ、四人よ。彼女たちの他に、もう二人いたわ」
 と静かに答えた。
「その子たちの名前はわかりますか?」
「……それを聞いて、あなたはどうするの?」
 先生の口調に、少し厳しい音が混じる。先生という立場上、軽々しく教えてよいものではないのだろう。
 だが、さよは全く怯む様子を見せず、
「これ以上犠牲者を増やさないために役立てます。もちろんこれは、彼女たちの死の理由に何者かの意志が介入していた場合の話ですが」
「……復讐なんてことはしないと、約束できる?」
 先生がちらりと俺を見る動きが、目の端に映った。
「もちろん約束します」
 さよが力強く断言した。
 何故当事者でもないお前がそう強く言い切れるのかと突っかかりたかったが、今の俺には反論する気力もなかった。
「………わかったわ」
 しばしの沈黙の後、先生が諦めたように呟いた。
「ちょっと待ってね」
 そう言うと先生は胸のポケットからメモ帳とボールペンを取り出し、二人の名前をそこに書き始めた。
「この二人よ」
 書き終えるとそのページを破り、それをさよに手渡す。
「ありがとうございます。因みにイジメの原因はご存知ではありませんでしたか?」
 項垂れている俺とは違い、さよは淡々と話を進めていく。
「ごめんなさい。私が知ってるのはここまでよ。イジメの原因まではわからないわ」
 静かに首を振った。嘘を吐いているようには見えなかった。
 彼女は、再び俺の方に向き直ると、
「……時坂君。本当にごめんなさい。本当はずっとあなたに謝りたかった。私は教師失格よ。生徒である初音さんよりも、自分の身の安全と立場を優先させてしまったのだから。謝って済む問題ではないことはわかっているわ。だけど、せめて謝らせて―――」
 語尾は、聞き取ることのできないほどの小さな声だった。
 少し顔を上げると、拝まんばかりの様子で深々と頭を下げている彼女の姿が視界に入ってきた。
 俺は何も言えなかった。突然突きつけられた真実に、俺の神経は完全に参ってしまっていた。
 そんな俺を見兼ねたのか、さよが話を切り上げた。
「帰りましょうか。これ以上ここにいても仕方がありません」
 彼女は俺の腕を掴むと、そのまま強引に俺を引っ張り上げた。
 彼女の力は強かった。俺は彼女にされるがまま、ふらふらと操り人形のように立ち上がる。
「先生、今日はありがとうございました」
 俺の腕をつかんだまま、さよは軽く一礼する。
「いえ、それより時坂君は―――」
「大丈夫です。彼のことは、私が家まで送りますから」
 部屋に先生一人を残し、俺たちは母校を後にした。
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