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六章
明かされる過去②
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みらいとケンカ別れのようになってしまった翌朝、意外にも俺たちは、いつものように通学路を並んで歩いていた。しかしその間には、何とも言えない気まずい空気が流れている。
俺はチラリと、みらいの横顔を窺う。
……特に、怒っているような様子はない。だがその表情は、まるで能面のようだった。
表情がない。無表情だ。
……首には昨日同様、ピンク色のマフラーがしっかりと巻かれている。
そこで、俺は意を決した。
「なあ、みらい……」
「ん?」
「あのさ、昨日の話の続きなんだけど……」
「……………」
予想通りと言うべきか、彼女を包む空気が一変して針のように鋭くなる。そこで反射的に謝ってしまいそうになったが、俺はその衝動をグッと堪えた。
「その、お前の家庭内事情っていうか……両親のことなんだけど……」
「…………」
「やっぱりお前、まだ親から暴力とか振るわれてんだろ?」
「別に、そんなことないよ」
単調な口調だった。そこには感情がこもっていない。
「隠さなくていいんだ。別に誰かに言いふらそうなんて考えてないから」
「隠してなんかないよ。本当のことだよ」
「いやでもさ、お前、首に―――」
「―――ねえユウ君」
みらいが、強引に俺の声を遮る。
「……何だ?」
「あのね、今ユウ君がしていることは、単なるプライバシーの侵害だよ」
立ち止まり、じっと俺の目を見据えながら、みらいが言った。
「……わかってる。でもそれを承知の上で訊いているんだ」
俺も彼女に合わせて歩を止める。
「……どうして……?」
彼女の顔に、はっきりとした非難の色が広がる。
「どうしてユウ君は放っておいてくれないの? これは私の問題なの。私だけの問題なの。ユウ君には関係ない。昨日もそう言ったよね?」
「……ああ、そうだな」
「じゃあ、この話はもうおしまい。昨日のことは私も忘れるから。もっと、楽しい話をしようよ」
みらいが強引に話題を変えようとする。
だが、
「それはできない」
俺は食い下がる。
ここで引いてしまったら意味がない。
今ここで、彼女から真相を訊き出せなければ、この先もう二度と彼女を救うことは叶わず、もう二度と彼女の笑顔を見ることはできない―――そんな気がした。
事態は一刻を争う。
「何で……よ」
か細い声だった。
「今日のユウ君、何か変だよ。おかしいよ。こんなの全然嬉しくない。楽しくない」
「ああ、俺もだ」
「じゃあ、どうして―――」
「お前のことが心配だからだ。虐待されてるのを知っていて、放っておけるわけないだろ」
「だから……虐待なんかされてないって」
「嘘はもういい。あんな痣、ちょっとやそっと転んだだけで、できるわけがないんだ」
「それは……」
みらいが俯く。
「あんな奴らに、怯えなくていい。言いなりになる必要なんてないんだ」
「…………」
「なあ、みらい。本当のことを教えてくれ。俺はお前を助けたいんだ」
俺は彼女に詰め寄る。
彼女が心を開いてくれるまで、あと少しだと直感が告げていた。
しかし、
「……るさい」
「……え?」
「うるさいって言ったのっ!」
彼女の怒声が、俺の耳を劈いた。
予想していなかった彼女の反応に、俺は思わず面喰ってしまう。
周りを歩いていた人たちが、何事かと目を丸くしていた。
キッと、彼女の鋭い眼光が俺の目を射抜く。
「ユウ君にはわからないよ! 私の気持ちなんて! 私が普段どんな気持ちで生活しているかなんて、これっぽっちもわからないよっ!」
「ち、違うんだ。俺はただ―――」
「ユウ君に私の何がわかるって言うのっ⁉ 幼馴染っていっても、結局は赤の他人なんだよ! 馴れ馴れしく私の事情に踏み入ってこないでっ!」
ズグンと、鋭利な刃物で胸を貫かれたような痛みが走った。こんなにもはっきりと、彼女に拒絶の意志を示されたのは初めてのことだったから。
俺は膝から崩れ落ちそうになってしまう。
「みらい……」
何故彼女がこんなにも怒りを露わにしているのかわからなかった。俺はただ彼女を助けたい。それだけなのに―――
俺とみらいは、物心ついた頃から一緒にいる時間が多かった。一人っ子だった彼女が、遊び相手欲しさによく俺の家に上がり込んでいたからだ。同い年で家が隣同士ということも大きな要因だったのかもしれない。
幼稚園から今の中学校に至るまで、俺たちはずっと一緒のクラスだった。幼馴染と同時に腐れ縁だ。
しかしだからこそ、彼女のことは熟知しているつもりだった。俺にとってはもう一人の家族のような存在だったから―――彼女のことなら何でも知っている。そんな自負があった。
しかし、そんな彼女が今、俺に対して牙を剥いている。私に関わるなと、俺を拒絶している。
わからない。彼女のことがわからなかった。
長い間一緒にいた彼女が、なんだかとても遠い存在のように感じた。
「なんで……なんでぇ……こんなこと、言わせるんだよ。こんなひどいこと、言いたかったんじゃないのに……」
だが突如、みらいの両目から大粒の涙がボロボロと零れ始めた。
はっと我に返ると、彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。
「わたしは……私は、ただ普通の毎日を過ごしたいだけなのに。ユウ君と初音ちゃんと、仲良く楽しく暮らしたい……ただ、それだけなのに……何で、どうしてそんなことすら、叶わないんだよぉ」
「みらい………」
「ユウ君は、本当に……わかってない。私への虐待が明らかになるってことがどういうことか、全くわかってない……」
しゃくりあげながら彼女が言った。
「え……?」
「虐待の事実がわかって、お父さんとお母さんが逮捕なんてことになったら……私、この町に住む所なくなっちゃうんだよ。遠い親戚のお家に引き取られて、もう戻って来れないかもしれないんだよ」
彼女にそう言われて、俺は初めてその可能性に思い至った。
確かにそうだ。両親が警察に捕まれば、娘である彼女はあの家を出て行かなければならない。遠方の親戚にでも引き取られ、転校なんてことになってしまえば、毎日こうして一緒に通学することはおろか、会うことすら難しくなってしまう。今までのような関係は、なくなってしまうかもしれないのだ。
何故、今までそのことに気が付かなかったのか―――
俺は愕然とする。
その可能性を危惧していたからこそ、彼女は虐待の事実を中々認めようとしなかったのだ。告白したものの、俺が下手に警察にでも駆け込めば、事態は大事となってしまう。そうなれば、今まで通りのような日常は送れなくなってしまうだろう。
そのことをみらいは最も恐れていたのだ。
自分の不甲斐なさを呪う。
彼女が俺たちとの日常を、大切に想っていることを知っておきながら、そんな簡単な理屈にも至れないなんて―――
彼女の言う通り、俺は本当に何もわかっていなかったのだ。
「ごめん」
彼女に対する謝罪、憐憫、そして自分自身に対する憤懣、それらすべての感情がそこには込められていた。
「な、何でユウ君が、謝るんだよ……」
「……俺が、無知で軽率だったんだ。ごめん……」
「ち、違うよ。私が……悪いんだよ。ユウ君は、何も悪くないのに」
手の甲で涙を拭いながら、みらいが言った。
「私が、悪いのに。私がしっかりしないといけないのに。それなのに、ユウ君に八つ当たりして……ひどいこと言って……。ユウ君は、私のこと心配してくれただけなのに……それなのに、なんでユウ君が謝るんだよ。これじゃあ私、本当にただの悪い子じゃない」
みらいが俺の胸に顔を埋めてくる。
「ごめん……本当に悪かった」
俺は優しくみらいを抱き寄せた。
「なんで、ユウ君はそんなに優しいんだよ。どうしてもっと、怒ったりしないんだよ」
「怒るわけないだろ。お前は何も悪くないのに」
「うぅ……ぐす……」
みらいは俺の胸で泣き続けた。
限界だったのだろう。
そんな彼女を宥めながら、俺はこれからどうすべきかについて頭を巡らせた。
児童相談所は―――ダメだ。
虐待の事実が明るみになれば、結果的には警察が介入してくる。それでは本末転倒だ。両親が逮捕され、彼女は移住を余儀なくされてしまうだろう。
ならばどうするのが最善策か―――
頭をフル回転させて、あらゆる解決方法を模索する。が、どれも今一つ決め手には欠けていた。
くそっ―――!
俺は内心で舌打ちする。
彼女が苦しんでいるのに、何もできない自分に苛立ちを覚えた。
「……くっ……うぅ……」
嗚咽を漏らしながら、みらいが泣きじゃくっている。
何か―――何かないのだろうか。劇的な解決方法でなくてもいい。少しでも、今の彼女を元気づけられる方法は、何かないのだろうか―――
救いを求めるように、俺は冬の空を仰ぎ見た。
澄んだ青空だった。薄い雲が遠い。冬特有の気持ちの良い青空だった。
―――こんな日にはきっと星が綺麗に見えるのだろう。
ふと、そんなことを思った。
「ぐず……ん、ユウ君、何見てるの……?」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたみらいが顔を上げる。
「あ、いや、こんなに晴れてたら、今日は星が綺麗だろうなって―――」
つい口に出してしまっていた。言ってから、青ざめる。
何を言っているのだ俺は―――
彼女がこんなにも苦しみ、もがき、ようやく胸の内を明かしてくれたというのに、何を俺は呑気な話をしているのか―――
「ごめん、今のは―――」
「そう……だね。こんなに晴れてたら、星、綺麗だろうね」
だがみらいは、特に不快感を示した様子もなく、頭上に広がる青空を見ながらそう言った。
「みらい……?」
「ありがとう。おかげでちょっとすっきりしたよ」
ふわりと、みらいが柔らかな笑みを浮かべた。久しぶりの彼女の笑顔が、俺の目には眩しく映った。
つう、と目尻に残っていた涙が彼女の頬を伝う。
「星かぁ……最近は夜中に空なんて見上げたことなかったからなあ。今日だったら、流れ星とかも見えるのかなあ」
「……流れ星って、願い事を叶えてくれるやつだっけ」
「そうだよ。流れ星にはね、どんな願い事でも聞き届けてくれるっていう言い伝えがあるの」
まだ充血した目で、みらいが少し興奮気味に答える。
「流れ星はね、天の光なんだよ」
「天の光?」
「神様はね、私たちが暮らしてるこの地上の様子を見るために、夜に天の扉を開けるんだって。それで、その時に漏れ出た天の光が流れ星になるの。だからね、天の扉が開いてるその一瞬に、願い事を言うことができれば、その願い事は神様の耳に届くんだよ」
「なんだよそれ。オカルトじみてるなあ」
「オカルトじゃないよ。本当だよ」
俺は苦笑したが、みらいは至って真面目な顔だった。
……まったく、一体どこからそんな知識を拾ってきたのか。
「……まあ、届くといいな。神様に」
「うん!」
みらいは腫らした目を細めながら頷いた。
彼女の笑顔を見ることができ、俺は少しだけ嬉しくなる。
「あっ、それとね。願い事をするときは、なるべく高い所から言わなきゃダメなんだよ」
思い出したように彼女が言った。
「ん? どういうことだ?」
俺は首を傾げる。
「そりゃあ、天にいる神様に願い事を聞かせたいんだから、高い場所から言わないと聞こえないよ」
当たり前だと言うように、みらいは言った。
「ああ……なるほど、な」
俺はまた少しだけ苦笑する。彼女らしい、可愛らしい発想だと思った。
「でしょ。だから願い事をするときには、なるべく空に近い場所からでないとダメなの」
「空に近い場所って、例えば……?」
「うーん……富士山の頂上とか、かなあ」
「いや、それはさすがに無理だろ。願い事言うだけで一苦労じゃないか」
俺は思わず突っ込んだ。
「そう……? でもそれくらいの試練は乗り越えないと、きっと願い事なんて聞き入れてもらえないんじゃないかな?」
「厳しすぎだろ。大丈夫だって。神様は優しいんだから、そんなことしなくても、願い事くらい聞いてくれるよ」
「うーん……ならまあ、近場の山とか、かなあ」
「うん……その方がいいよ。絶対に」
願い事をするためだけに、わざわざ富士山には登れない。願い事を言う前に絶命してしまう。いくら神様でも、そんな危険な試練は与えないだろう。
「ユウ君は何か、神様に叶えてもらいたい願い事とかあるの?」
唐突にみらいが訊いてきた。
「俺? 俺は……そうだな……お前と初音、三人で仲良く暮らしていけたらそれでいいかな」
ぽりぽりと頬を掻きながら答えた。
「なんだよそれ。願い事になってないじゃんかー」
微妙にはにかみながら、みらいが頬を膨らませる。
だがそこで、俺は真剣な表情を作った。
「なあ、みらい。一つだけ約束してくれ」
「何……?」
「俺は今日、お前が打ち明けてくれたその気持ちを大切にしたい。だからこれからは、下手にお前の事情には、口を出さないようにするよ」
「……うん、それがいいよ」
「でも、俺がお前のことを心配していることに変わりはない。だから、何か困った事とか、一人じゃどうしようもなくなったときには、迷わず俺に助けを求めてほしいんだ」
みらいが、少し驚いたように目を見開く。
「約束、できるか?」
これが今思いつく中で、俺が彼女にしてやることのできる最大限の応急処置だった。
彼女にとっては気休め程度にしかならないだろうが、何もしないよりはマシだ。俺という存在を頼りにすることで、彼女の心が少しでも軽くなってくれればいいと思った。
「……わかった」
しばらくの沈黙の後、みらいは小さく頷いた。
「本当か? 約束だぞ。絶対だからな」
「うん。約束。絶対に」
今度は真っ直ぐに俺の目を見て、力強く頷く。
「よし。それじゃあひとまず、この話はこれで終わりだ。色々と偉そうなこと言って悪かったな」
「ううん。心配してくれてありがとう」
みらいが微笑む。
張り詰めていた空気が溶けていく。
しかし―――、
「ねえ、ユウ君」
「ん、なんだ?」
みらいがやたらニコニコしながら俺を見ていた。先ほどまでの笑顔とは何か違う。
嫌な予感がした。
そして、
「二人っきり……だね」
彼女のその言葉で、俺は自分たちがいる現実に立ち戻った。
辺りを見渡す。
彼女の言葉通り、俺たちは二人っきりだった。周りには誰もいない。
サーッと音を立てて、俺の頭から血の気が引いていった。冷たい風と共に、枯れ葉が一枚、俺たちの足元を流れていく。
震える手で携帯を取り出し、俺は時刻を確認した。
始業時刻はとっくに過ぎていた。完全に遅刻だった。
俺はチラリと、みらいの横顔を窺う。
……特に、怒っているような様子はない。だがその表情は、まるで能面のようだった。
表情がない。無表情だ。
……首には昨日同様、ピンク色のマフラーがしっかりと巻かれている。
そこで、俺は意を決した。
「なあ、みらい……」
「ん?」
「あのさ、昨日の話の続きなんだけど……」
「……………」
予想通りと言うべきか、彼女を包む空気が一変して針のように鋭くなる。そこで反射的に謝ってしまいそうになったが、俺はその衝動をグッと堪えた。
「その、お前の家庭内事情っていうか……両親のことなんだけど……」
「…………」
「やっぱりお前、まだ親から暴力とか振るわれてんだろ?」
「別に、そんなことないよ」
単調な口調だった。そこには感情がこもっていない。
「隠さなくていいんだ。別に誰かに言いふらそうなんて考えてないから」
「隠してなんかないよ。本当のことだよ」
「いやでもさ、お前、首に―――」
「―――ねえユウ君」
みらいが、強引に俺の声を遮る。
「……何だ?」
「あのね、今ユウ君がしていることは、単なるプライバシーの侵害だよ」
立ち止まり、じっと俺の目を見据えながら、みらいが言った。
「……わかってる。でもそれを承知の上で訊いているんだ」
俺も彼女に合わせて歩を止める。
「……どうして……?」
彼女の顔に、はっきりとした非難の色が広がる。
「どうしてユウ君は放っておいてくれないの? これは私の問題なの。私だけの問題なの。ユウ君には関係ない。昨日もそう言ったよね?」
「……ああ、そうだな」
「じゃあ、この話はもうおしまい。昨日のことは私も忘れるから。もっと、楽しい話をしようよ」
みらいが強引に話題を変えようとする。
だが、
「それはできない」
俺は食い下がる。
ここで引いてしまったら意味がない。
今ここで、彼女から真相を訊き出せなければ、この先もう二度と彼女を救うことは叶わず、もう二度と彼女の笑顔を見ることはできない―――そんな気がした。
事態は一刻を争う。
「何で……よ」
か細い声だった。
「今日のユウ君、何か変だよ。おかしいよ。こんなの全然嬉しくない。楽しくない」
「ああ、俺もだ」
「じゃあ、どうして―――」
「お前のことが心配だからだ。虐待されてるのを知っていて、放っておけるわけないだろ」
「だから……虐待なんかされてないって」
「嘘はもういい。あんな痣、ちょっとやそっと転んだだけで、できるわけがないんだ」
「それは……」
みらいが俯く。
「あんな奴らに、怯えなくていい。言いなりになる必要なんてないんだ」
「…………」
「なあ、みらい。本当のことを教えてくれ。俺はお前を助けたいんだ」
俺は彼女に詰め寄る。
彼女が心を開いてくれるまで、あと少しだと直感が告げていた。
しかし、
「……るさい」
「……え?」
「うるさいって言ったのっ!」
彼女の怒声が、俺の耳を劈いた。
予想していなかった彼女の反応に、俺は思わず面喰ってしまう。
周りを歩いていた人たちが、何事かと目を丸くしていた。
キッと、彼女の鋭い眼光が俺の目を射抜く。
「ユウ君にはわからないよ! 私の気持ちなんて! 私が普段どんな気持ちで生活しているかなんて、これっぽっちもわからないよっ!」
「ち、違うんだ。俺はただ―――」
「ユウ君に私の何がわかるって言うのっ⁉ 幼馴染っていっても、結局は赤の他人なんだよ! 馴れ馴れしく私の事情に踏み入ってこないでっ!」
ズグンと、鋭利な刃物で胸を貫かれたような痛みが走った。こんなにもはっきりと、彼女に拒絶の意志を示されたのは初めてのことだったから。
俺は膝から崩れ落ちそうになってしまう。
「みらい……」
何故彼女がこんなにも怒りを露わにしているのかわからなかった。俺はただ彼女を助けたい。それだけなのに―――
俺とみらいは、物心ついた頃から一緒にいる時間が多かった。一人っ子だった彼女が、遊び相手欲しさによく俺の家に上がり込んでいたからだ。同い年で家が隣同士ということも大きな要因だったのかもしれない。
幼稚園から今の中学校に至るまで、俺たちはずっと一緒のクラスだった。幼馴染と同時に腐れ縁だ。
しかしだからこそ、彼女のことは熟知しているつもりだった。俺にとってはもう一人の家族のような存在だったから―――彼女のことなら何でも知っている。そんな自負があった。
しかし、そんな彼女が今、俺に対して牙を剥いている。私に関わるなと、俺を拒絶している。
わからない。彼女のことがわからなかった。
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「なんで……なんでぇ……こんなこと、言わせるんだよ。こんなひどいこと、言いたかったんじゃないのに……」
だが突如、みらいの両目から大粒の涙がボロボロと零れ始めた。
はっと我に返ると、彼女は顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。
「わたしは……私は、ただ普通の毎日を過ごしたいだけなのに。ユウ君と初音ちゃんと、仲良く楽しく暮らしたい……ただ、それだけなのに……何で、どうしてそんなことすら、叶わないんだよぉ」
「みらい………」
「ユウ君は、本当に……わかってない。私への虐待が明らかになるってことがどういうことか、全くわかってない……」
しゃくりあげながら彼女が言った。
「え……?」
「虐待の事実がわかって、お父さんとお母さんが逮捕なんてことになったら……私、この町に住む所なくなっちゃうんだよ。遠い親戚のお家に引き取られて、もう戻って来れないかもしれないんだよ」
彼女にそう言われて、俺は初めてその可能性に思い至った。
確かにそうだ。両親が警察に捕まれば、娘である彼女はあの家を出て行かなければならない。遠方の親戚にでも引き取られ、転校なんてことになってしまえば、毎日こうして一緒に通学することはおろか、会うことすら難しくなってしまう。今までのような関係は、なくなってしまうかもしれないのだ。
何故、今までそのことに気が付かなかったのか―――
俺は愕然とする。
その可能性を危惧していたからこそ、彼女は虐待の事実を中々認めようとしなかったのだ。告白したものの、俺が下手に警察にでも駆け込めば、事態は大事となってしまう。そうなれば、今まで通りのような日常は送れなくなってしまうだろう。
そのことをみらいは最も恐れていたのだ。
自分の不甲斐なさを呪う。
彼女が俺たちとの日常を、大切に想っていることを知っておきながら、そんな簡単な理屈にも至れないなんて―――
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「ごめん」
彼女に対する謝罪、憐憫、そして自分自身に対する憤懣、それらすべての感情がそこには込められていた。
「な、何でユウ君が、謝るんだよ……」
「……俺が、無知で軽率だったんだ。ごめん……」
「ち、違うよ。私が……悪いんだよ。ユウ君は、何も悪くないのに」
手の甲で涙を拭いながら、みらいが言った。
「私が、悪いのに。私がしっかりしないといけないのに。それなのに、ユウ君に八つ当たりして……ひどいこと言って……。ユウ君は、私のこと心配してくれただけなのに……それなのに、なんでユウ君が謝るんだよ。これじゃあ私、本当にただの悪い子じゃない」
みらいが俺の胸に顔を埋めてくる。
「ごめん……本当に悪かった」
俺は優しくみらいを抱き寄せた。
「なんで、ユウ君はそんなに優しいんだよ。どうしてもっと、怒ったりしないんだよ」
「怒るわけないだろ。お前は何も悪くないのに」
「うぅ……ぐす……」
みらいは俺の胸で泣き続けた。
限界だったのだろう。
そんな彼女を宥めながら、俺はこれからどうすべきかについて頭を巡らせた。
児童相談所は―――ダメだ。
虐待の事実が明るみになれば、結果的には警察が介入してくる。それでは本末転倒だ。両親が逮捕され、彼女は移住を余儀なくされてしまうだろう。
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頭をフル回転させて、あらゆる解決方法を模索する。が、どれも今一つ決め手には欠けていた。
くそっ―――!
俺は内心で舌打ちする。
彼女が苦しんでいるのに、何もできない自分に苛立ちを覚えた。
「……くっ……うぅ……」
嗚咽を漏らしながら、みらいが泣きじゃくっている。
何か―――何かないのだろうか。劇的な解決方法でなくてもいい。少しでも、今の彼女を元気づけられる方法は、何かないのだろうか―――
救いを求めるように、俺は冬の空を仰ぎ見た。
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―――こんな日にはきっと星が綺麗に見えるのだろう。
ふと、そんなことを思った。
「ぐず……ん、ユウ君、何見てるの……?」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたみらいが顔を上げる。
「あ、いや、こんなに晴れてたら、今日は星が綺麗だろうなって―――」
つい口に出してしまっていた。言ってから、青ざめる。
何を言っているのだ俺は―――
彼女がこんなにも苦しみ、もがき、ようやく胸の内を明かしてくれたというのに、何を俺は呑気な話をしているのか―――
「ごめん、今のは―――」
「そう……だね。こんなに晴れてたら、星、綺麗だろうね」
だがみらいは、特に不快感を示した様子もなく、頭上に広がる青空を見ながらそう言った。
「みらい……?」
「ありがとう。おかげでちょっとすっきりしたよ」
ふわりと、みらいが柔らかな笑みを浮かべた。久しぶりの彼女の笑顔が、俺の目には眩しく映った。
つう、と目尻に残っていた涙が彼女の頬を伝う。
「星かぁ……最近は夜中に空なんて見上げたことなかったからなあ。今日だったら、流れ星とかも見えるのかなあ」
「……流れ星って、願い事を叶えてくれるやつだっけ」
「そうだよ。流れ星にはね、どんな願い事でも聞き届けてくれるっていう言い伝えがあるの」
まだ充血した目で、みらいが少し興奮気味に答える。
「流れ星はね、天の光なんだよ」
「天の光?」
「神様はね、私たちが暮らしてるこの地上の様子を見るために、夜に天の扉を開けるんだって。それで、その時に漏れ出た天の光が流れ星になるの。だからね、天の扉が開いてるその一瞬に、願い事を言うことができれば、その願い事は神様の耳に届くんだよ」
「なんだよそれ。オカルトじみてるなあ」
「オカルトじゃないよ。本当だよ」
俺は苦笑したが、みらいは至って真面目な顔だった。
……まったく、一体どこからそんな知識を拾ってきたのか。
「……まあ、届くといいな。神様に」
「うん!」
みらいは腫らした目を細めながら頷いた。
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「あっ、それとね。願い事をするときは、なるべく高い所から言わなきゃダメなんだよ」
思い出したように彼女が言った。
「ん? どういうことだ?」
俺は首を傾げる。
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「ああ……なるほど、な」
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「空に近い場所って、例えば……?」
「うーん……富士山の頂上とか、かなあ」
「いや、それはさすがに無理だろ。願い事言うだけで一苦労じゃないか」
俺は思わず突っ込んだ。
「そう……? でもそれくらいの試練は乗り越えないと、きっと願い事なんて聞き入れてもらえないんじゃないかな?」
「厳しすぎだろ。大丈夫だって。神様は優しいんだから、そんなことしなくても、願い事くらい聞いてくれるよ」
「うーん……ならまあ、近場の山とか、かなあ」
「うん……その方がいいよ。絶対に」
願い事をするためだけに、わざわざ富士山には登れない。願い事を言う前に絶命してしまう。いくら神様でも、そんな危険な試練は与えないだろう。
「ユウ君は何か、神様に叶えてもらいたい願い事とかあるの?」
唐突にみらいが訊いてきた。
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「何……?」
「俺は今日、お前が打ち明けてくれたその気持ちを大切にしたい。だからこれからは、下手にお前の事情には、口を出さないようにするよ」
「……うん、それがいいよ」
「でも、俺がお前のことを心配していることに変わりはない。だから、何か困った事とか、一人じゃどうしようもなくなったときには、迷わず俺に助けを求めてほしいんだ」
みらいが、少し驚いたように目を見開く。
「約束、できるか?」
これが今思いつく中で、俺が彼女にしてやることのできる最大限の応急処置だった。
彼女にとっては気休め程度にしかならないだろうが、何もしないよりはマシだ。俺という存在を頼りにすることで、彼女の心が少しでも軽くなってくれればいいと思った。
「……わかった」
しばらくの沈黙の後、みらいは小さく頷いた。
「本当か? 約束だぞ。絶対だからな」
「うん。約束。絶対に」
今度は真っ直ぐに俺の目を見て、力強く頷く。
「よし。それじゃあひとまず、この話はこれで終わりだ。色々と偉そうなこと言って悪かったな」
「ううん。心配してくれてありがとう」
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しかし―――、
「ねえ、ユウ君」
「ん、なんだ?」
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嫌な予感がした。
そして、
「二人っきり……だね」
彼女のその言葉で、俺は自分たちがいる現実に立ち戻った。
辺りを見渡す。
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サーッと音を立てて、俺の頭から血の気が引いていった。冷たい風と共に、枯れ葉が一枚、俺たちの足元を流れていく。
震える手で携帯を取り出し、俺は時刻を確認した。
始業時刻はとっくに過ぎていた。完全に遅刻だった。
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