呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

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六章

明かされる過去⑥

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 瞼の裏に光を感じる。
 深い海の底から引き上げられるような感覚と共に、俺の意識はゆっくりと現実に引き戻されていった。
 うっすらと目を開ける。真っ白な天井が見えた。シーリングライトの光が目に沁みる。
 自室のベッドの上だった。
「俺は……」
 おもむろに身体を起こそうとする。だがその瞬間、頭を無数の針で突き刺されるような激痛が走った。
「ぐっ……!」
 思わず右手で頭を押さえる。
 と、同時に、つい今しがたまで見ていた夢の光景が、鮮明な映像となって脳裏にフラッシュバックしてきた。
 ドクドクと心臓が早鐘を打ち始める。
 身体が熱い。視点が定まらない。布団の表面がゆらゆらと蜃気楼みたいに揺れている。
「く……そ、一体何が―――」
 顔をしかめながら、呻くように呟くと、
「目を覚ましましたか」
 すぐ傍から声がした。
 ハッと声のした方を向くと―――そこにはさよがいた。
 彼女は俺のベッドを背もたれにして、ペタンと足を伸ばして床に座っていた。
「さ……よ……」
 痛む頭に手を当てながら、俺はゆっくりと上半身を起こす。
 下着のシャツは、少なくとも二、三回は搾れるであろうくらいにビショビショになっていた。
「さ、よ……何をした」
 彼女の言霊で身体の自由を奪われ、霊符が額に触れたところまでは覚えている。
 しかし、そこから先の記憶がまるでない。あるのは、あの夢の光景だけだ。
 まさか、あれからずっと俺は眠っていたのか―――
 部屋の時計を見ると、空白の一時間が存在していることがわかった。
「答えろ、さよ。俺に何を、した」
 必死に言葉を継ぎながら、俺は彼女を問い詰める。
「………」
 しかし、彼女は何も答えない。虚空の一点を見つめたまま、彼女は人形のように静止していた。
「おい、さよ。答えろよ……!」
 ガッと、彼女の肩を掴むと、ようやくさよはこちらを振り返った。
 そして、
「あなたの記憶を、少しばかり覗かせて頂きました」
 と、静かな声音でそう言った。
「記憶……だと?」
 わけがわからず、俺は聞き返す。
「……はい」
 さよが立ち上がる。
「二年前の―――いえ、正確には、初音さんが殺されるよりも少し前の、あなたの記憶です」
 彼女の視線が、真っ直ぐに俺に向けられる。
「初音が殺されるよりも、前……? どういう意味だ?」
「……そのままの意味ですよ」
「……記憶を見るってなんだ? あの夢は俺の記憶なのか……?」
「………そうです」
 一拍置いてさよが頷いた。
「なんだよそれ……なんで、そんなこと……」
「すみません。勝手なことをしました……」
「いや……でもだとするなら……それはおかしい……」
「はい……?」
「あれが俺の記憶だとしたら、最後のは一体何だったんだ」
「最後……とは?」
「みらいの庭で見た、あの光景だよ。穴の中に、誰かが埋められてた。あんな記憶、俺の中には存在しない」
 そう。あんな記憶は俺の中にはない。
 みらいが虐待されていたことや、彼女を山の中にまで迎えに行ったことは、今でも鮮明に思い出すことができる。しかし、最後のあの光景だけはどれだけ頭の中を探っても出てこない。体験したことのない記憶だった。
 だが、
「……それは、あなたが忘れていただけですよ」
 と、さよは静かに言った。
「忘れていた……?」
「一種の、記憶障害のようなものだと思います。あまりに残酷で受け入れがたい現実だったために、頭がついていかなかったのでしょう。自己防衛も兼ねて、あなたはあの日あの場所であった出来事を、記憶の奥底に封印してしまったのです。それを先ほど、私が無理やりに掘り起こしてしまった」
 淡々とした口調で、彼女がそう説明した。
「そんな……そんなことがあるわけないだろ! 人が殺されてたんだぞ! あいつの家で! 目の前で! そんな簡単に、忘れたりするわけないだろっ!」
 俺は声を荒げて彼女に反論した。
 この際、何故、彼女が人の記憶を覗けるかなんてことはどうでもいい。
 あの光景は本当に現実にあった事なのか―――今は、そのことを一刻も早く明確にしたかった。
「あれは、本当に俺の記憶なのか……?」
「はい」
 さよが頷く。
「だとしたら、どうして俺は忘れたんだ。あの日、あいつの家で何があったっていうんだ。俺の目の前で……死体を埋めてたやつは、一体誰だったんだよ?」
 血の気を失った白い腕―――あれはもう、生きている人間のものではなかった。
「それは……私にもわかりません」
「記憶を見たんだろ? 俺の記憶を。だったら、あいつの顔も見たんじゃないのか?」
「私は、あなたの記憶しか見ることができません。最後、あなたの記憶にはノイズのようなものが混じっていました」
「ノイズ……? あの砂嵐みたいなやつか?」
「そうです。そのせいで、相手の顔を見ることは叶いませんでした」
「なんだよそれ! あいつは誰なんだ⁉ 一体、あの家で何があったっていうんだよ⁉」
 バンと拳で布団を叩いた。小さな埃が舞う。
 だがその時、ふとある可能性が頭の中に浮上してきた。それは余りにも不条理かつ残酷なもので、到底受け入れがたい可能性だった。
 すぐにでも頭の中からふるい落としたかったが、米粒みたいに小さかったその可能性は、俺の中でみるみる内に大きくなっていき、やがてそれ以外の可能性を完全に喰らい尽くしてしまった。
 すうと、頭から血の気が引いていく。
「なあ、さよ。もしかしてさ……」
「……はい」
「あの時……あの場所にいたのは、みらいだったんじゃないのか?」
「………」
「あいつは、あの場所で人を殺してたんじゃないのか……?」
「……一体、誰をですか?」
「自分の親をだよ」
 言ってから、俺は何を馬鹿なことをと思う。あいつが人殺しなどできるはずがない。そんな残忍な心を宿しているはずもない。そんなことは、この俺が一番よく知っているはずなのに……。
 だけど、あそこにいたのが彼女だと仮定すると、全てに辻褄が合うのだ。
「どうして今まで気づかなかったんだろ……。そもそもがおかしいんだよ。あいつはなんでこの家にいるんだ」
 記憶の中の、みらいの言葉を思い出す。
 彼女は言っていた。虐待の事実が明らかになり親が警察に捕まれば、自分は親戚の家に引き取られて、転校しなければならなくなる、と。俺たちと共に過ごすことはできなくなる、と。
 しかし、
「あいつはさ、この家に越してきた時に言ったんだよ。親は警察に捕まった。だからこれからは安心して、この家で過ごすことができる―――って」
 矛盾点が浮き彫りになる。
「おかしいだろ。なんであいつはこの家で暮らせてるんだ。あいつの言うとおりだったら、みらいはもうこの町にはいないはずだろ」
 俺は記憶を掘り起こす。二年前の冬、彼女がこの家に越してきた時の記憶を―――。しかし、いくら当時のことを思い出そうとしても、彼女に関する部分だけがぽっかりと抜け落ちてしまっており、その経緯を思い出すことはできなかった。
「あいつが……あいつが殺したのか? 自分の親を? 殺して庭に埋めたのか? だから、あいつは俺の家で暮らせてるのか?」
 穴を掘る手を止め、こちらを振り返る人物の姿がみらいと重なる。
 あの時、みらいは自分の親を殺して庭に埋めていた最中だったのだろうか。その現場を俺は偶然目撃してしまい、ショックでその記憶を封印してしまったのだろうか。記憶にノイズが混じっていたのは、その精神的ショックからきたものだったのだろうか―――
 ……ダメだ。考えれば考えるほど頭が変になってしまう。
 あの時、あそこでは一体何が起こっていたんだ。あそこで穴を掘っていたのは、本当にみらいだったのか―――
「大丈夫ですか……?」
 俺が額に手を当てたまま固まっていると、さよが俺の顔を覗きこんできた。
 しかし、俺はうわごとのように続ける。
「本当に、あいつは自分の親を手に掛けたのか……? 説得するなんて言って、本当は殺すつもりだったのか……? 俺のことなんて、最初からあてにしてなかったのか……?」
 みらいは、自分一人で解決する道を選んだのか―――
「何でそんなことしたんだよ。そんなに俺が頼りないかよ。いくらあんな奴らでも、殺したら殺人犯なんだぞ」
 視界が狭まる。目の前が真っ暗になっていく。
 だがその時、
 ふわっと、柔らかな感触が俺の頬を包んだ。
 はっと顔を上げると、目の前にさよの顔があった。そして俺の頬には、彼女の柔らかな手が添えられていた。
「落ち着いて下さい、時坂優。私が言うのもなんですが、確かな証拠もないのに他人を疑ってはいけません。ましてみらいさんは、あなたの大切な幼馴染でしょう」
「でも……あれは俺の記憶なんだろ? 現実に、俺が見た光景なんだろ?」
「……ですが、あそこに立っていたのがみらいさんだという確証はありません」
「なら、あそこにいたのは一体誰だったんだ? 誰が殺されていたんだ?」
「……わかりません」
「あいつの親はどこに行ったんだ? 本当に警察に捕まったのか?」
「……わかりません」
 さよが視線を落とす。
「じゃあやっぱり―――」
「しかし―――」
 だがそこで、彼女が俺の言葉を遮った。
「みらいさんが自分の親を殺した、と決めつけるのは、余りにも早計です」
 彼女の黒い瞳が俺に向けられる。
「みらいさんは、あなたの大切な人なのでしょう?」
「……ああ」
「誰よりも長く、彼女と同じ時を過ごしてきたのでしょう?」
「……ああ」
「ならせめて、あなただけは、彼女のことを信じてあげてください」
「でも―――」
「お願いします。でなければ……彼女があまりにも報われません」
 語尾は消え入りそうな声だった。
 珍しく、さよの表情が哀し気に歪んでいた。
「どうしたんだよ……」
 しかし、さよはその言葉には答えずに、
「いいですね。約束ですよ」
 念を押すように、俺の目を見てそう言ってきた。
「……ああ、わかった」
 彼女の妙な圧力に押され、俺は小さく頷く。
 彼女は、しばらく俺の目をじっと見つめていたが、やがてすっと俺から離れた。
「それによく考えてください。当時中学生だった彼女が、大の大人をそう簡単に殺せると思いますか?」
「それは……」
 彼女に言われて、俺は確かにその通りかもしれないと思う。例え寝込みを襲ったとしても、華奢な身体で力もない彼女が、大人二人を殺すことなど、果たして本当に可能なのだろうか……?
「……やはり、彼女を殺人犯だと決めつけるには、まだ早すぎるようです」
「……ああ、そうかもしれない」
 俺は頭を振る。馬鹿げた推論を頭からふるい落とす。
 彼女が人殺しなどするはずがない。きっと何か特別な事情があったのだ。みらいは今この家で幸せに暮らせているのだから、きっとうまく解決できたに違いない。記憶で見たあの光景は、きっと何かの見間違いだ。あの庭に、人の死体なんて埋まってるはずがない。
 俺は、そう自分に強く言い聞かせた。
「落ち着きましたか?」
「……ああ」
「勝手に記憶を覗いてしまい、申し訳ありませんでした。今日はゆっくりと休んで下さい」
 そういうと、彼女は俺に背を向け、部屋を出て行こうとした。
 だがそれを、
「なあ、さよ」
 俺は呼び止めた。
 一つだけ、どうしても確認しておきたいことがあった。
「……なんですか」
 彼女が顔だけで振り向く。
「お前はさ、どうして俺の記憶を覗こうなんて思ったんだ?」
「…………」
「お前、俺の記憶を覗く前に言ったよな。今回の事件には二年前の出来事が関わってるかもしれないって」
「………」
 さよは何も答えない。
「その関係を知りたくて、お前は俺の記憶を覗いたんだよな?」
「………」
 やはり彼女は何も答えない。
「あれってどういう意味だったんだ? なんでみらいとの記憶が、今回の事件に関係あることになるんだよ?」
「………」
 だがそれでも、さよは口を開こうとしなかった。じっと俺に視線を据えたまま、微動だにしない。
 しかしやがて、
「……関係ありませんよ」
 俺から視線を逸らし、ぼそっと呟くような声でそう言った。
「あなたの記憶を覗いたのは、単なる私の好奇心です」
「は……?」
「今回の事件と、先ほどの記憶との間には何の関係性もありません。忘れて下さい」
「いや、忘れろって……何か関係があるから見たんじゃないのか?」
「関係ありません」
 きっぱりと彼女が否定する。
「何の関係もありません。詮索するだけ、時間の無駄です」
「いや、でも―――」
「いいですね。先ほど思い出した記憶は、もう忘れてもらって構いません。いえ、忘れて下さい。思い出すことも禁止です」
「お前、何言って―――」
「そんなことより、あなたは今ある現実を精一杯生きてください。大切な人がいるなら手離さないでください。それが今、あなたにできる唯一のことです」
「……どういう意味だよ」
 俺がそう訊ねると、彼女は憐れみと同情が入り混じったような曖昧な笑みを浮かべた。
 そして、
「……約束ですよ」
 そう言い残すと、彼女は静かに俺の部屋から出て行った。
「……何なんだよ、一体」
 誰もいない部屋の中で一人、俺は吐き捨てるように呟いた。
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