呪縛 ~呪われた過去、消せない想い~

ひろ

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七章

最後の戦い⑦

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 みらいは俺の言葉を聞くと哀しそうに微笑んだ。
「思い出した、みたいだね……」
「みらい……お前は―――……」
「そう。あの日、あの場所で死んでたのは私。親に殺されて庭に埋められた……」
「………ッ、何で……どうしてお前が……!」
「私ね、本当はユウ君が助けてくれたあの日の夜、お父さんとお母さんを殺そうとしたの」
「…………ッ⁉」
「あの人たちのことでユウ君に迷惑をかけるのはやっぱり嫌だったから……」
「そんな……」
「私頑張ったんだよ。人を殺すのも、あの二人に刃向かうのも初めてだったから、すっごい勇気を振り絞った」
「…………」
「でも、ダメだった……いざ二人を殺そうとした瞬間に、なんでかわからないけど身体に力が入らなくなっちゃって……それで―――」
 そこで言葉を詰まらせて、みらいがギュッと唇を噛む。
 消えゆく彼女の身体が、小刻みに震えていた。
 そこから先は、聞かなくてもわかった。
「ごめん。俺が……俺があんなこと言ったから……。家出しろなんて、馬鹿なこと言ったから、お前は―――」
 過去の愚かな発言が脳裏をよぎり、俺は激しい自責の念に駆られる。
 なんと向こう見ずで、浅はかな考えだったのだろうか。全てが上手くいくと本気で思い込んでいたのだろうか。そのせいでみらいは―――
 だが、彼女はゆっくりと首を振った。
「ユウ君は何も悪くないよ。全部、私の自業自得。仕方のないことだったんだよ」
 いつものように、柔らかな笑みを浮かべていた。
 そんな彼女を見て、俺はいよいよ泣きそうになる。
「私は死んだ。殺された。でもね、私はまだ死にたくなかった。せっかく幸せになれると思ったのに、あんな最期でユウ君たちとお別れなんて、絶対に嫌だった。もっと生きて、幸せになりたかった。だから、私は死んでも尚、この世に惨めに縋り続ける道を選んだの」
 屋上に風が吹く。栗色の彼女の髪先がさらさらと流れ、溶けるようにして夜空に消えていく。
 俺は何も言えなかった。口を開くこと自体が罪のような気がした。
「でも驚いたよ。ユウ君てば、あの日にあったこと、全然覚えてないんだもん。私がこんな姿になって会いに行っても、いつも通りに接してきて……夢かと思ったよ。初音ちゃんはすっごく驚いてたけどね」
 くすす、とみらいが屈託なく笑う。
「―――ッ」
「ユウ君を責めてるんじゃないよ。むしろ感謝してるの。あの日のことを忘れてくれて、尚且つこんな姿になった私を認めてくれて―――。おかげで私は、ずっと夢見てきた幸せな日常を送ることができた」
 ありがとう、と目を細めてみらいが言った。彼女の目から、小さな水滴が一つ零れ落ちた。
「本当に夢みたいな……時間、だった。ずっと、存在を否定され続けてきた……私、だったけど、生きてていいんだって……思えた」
 彼女の言葉が途切れ途切れになっていく。
 身体の透過度が増している。彼女の後ろに回した俺の手が、もうはっきりと視認できるほどになっていた。
 そんな彼女の言葉を、俺はこれ以上聞いていられなかった。
「わかった。わかったから、もうしゃべるな」
 俺は彼女を制す。
 だがみらいは静かに首を振り、小さな口を動かし続ける。まるで、何かに追い詰められているように―――
「でも……そんな、幸せな生活も……すぐに、終わっちゃった」
 彼女を包む空気が変化し、暗いものに変わる。
「初音ちゃんが、イジメに……遭い始めて…………初音ちゃんから、今回の計画を持ち掛けられて、私の生活は、一変した」
 彼女が必死に言葉を繋ぐ。
「……色々、迷ったけど……私は結局、初音ちゃんの復讐に……協力する、ことにした。それが初音ちゃんの、幸せに繋がるんだったら……それでいいと、思った。でも……やっぱり、やめておけばよかったよ。こんな方法じゃ、きっと……誰も幸せになんてなれない」
 透けるみらいの顔に影が落ちる。
「わかったから! もう喋らなくていい!」
 俺の悲痛な叫び声が、夜のしじまを切り裂く。
 しかし、
「ごめんね。もう、手遅れなんだよ……」
 申し訳なさそうに、みらいの眉が下がった。
 途端、彼女の手足はまるで桜の花びらのような無数の粒子となり、空中へと散り始めた。
「何だよ、これ………何だよこれはっ!」
 俺はその粒子をかき集めようとする。
 散らしてはいけないと思った。きっとこれは、彼女の命そのものだ。
「無理だよ……」
 幻覚だろうが幽霊だろうが何でもいい。こんな形で彼女と別れてしまうことだけは絶対に嫌だと思った。
 夜空に吸い込まれていく光の粒子を俺はかき集める。何とかしてそれらを彼女の身体に戻そうとする。
 だがいくら必死に腕を動かしても、俺の手は虚しく空を切るだけだった。
「もう無理だよ、ユウ君」
「うるさい黙ってろっ!」
 自分でも驚くほどの荒れた声が出た。
「ユウ君……」
「なんで……なんでこんなことになるんだよっ! どうしてお前がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよっ‼」
 この世の全てのことが理不尽に思えた。
「もっと下らない奴とかいるだろ。どうでもいい奴なんてこの世に溢れかえってるじゃないか。なのに、どうしてお前なんだよ。なんで、お前が消えなくちゃならないんだよっ!」
 振り絞る声とともに、俺の目から大粒の涙が零れた。
 それらは彼女の身体を通過して、灰色の地面に染みを作っていく。
 二度目の彼女の最期が、すぐそこにまで迫っていた。
「ふざっけんなっ! 絶対連れて帰るからな! 引きずってでも連れて帰るからな! こんな場所で、勝手に消えるとか許さねえからなっ!」
 死に物狂いで手を動かし続ける。
 しかし、彼女の身体は、もう上半身だけしか残っていなかった。
 彼女の存在は今にも、この世の理から切り離されようとしている。
「ほんと、こんな時に冗談とか笑えねーんだよ! わけわかんねーんだよ‼」
 顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになっていくのがわかる。
「ユウ……君」
「俺は、お前がいなかったら何にもできないんだ! 朝だって時間通りに起きれない。ご飯だってまともに作れやしない。学校なんて行けるわけがない。お前は、俺がそんな不良に成り下がってもいいのかよ⁉」
「………」
「俺にはお前が必要なんだっ! お前は俺にとって、そういう存在なんだよっ‼」
 そう叫んだとき、みらいが少しだけ驚いたように目を見開いた。
 しかし、すぐに頬を緩めて、
「……情けないなあ、ユウ君は」
 と、柔らかく微笑んだ。
「大丈夫。ユウ君はできる子だよ。私が保証してあげる」
 みらいが俺の頬に手を伸ばそうとした。
 しかしそこに彼女の手はない。彼女の腕はもう、肘の辺りまで消えてしまっていた。
「違う! 俺は何もできないんだ! お前無しじゃ生きられないんだ!」
 彼女をこの世に引き留めようと、俺は力の限り叫ぶ。
 すると、
「………ありがとうね」
 突然、彼女がぽそりと言った。
「……えっ?」
 俺は思わず手を止めた。
「こんな私に、居場所を与えてくれてありがとう」
「何……言ってんだよ……」
「あの時、私を迎えに来てくれてありがとう。一緒に暮らそうって言ってくれてありがとう。本当に嬉しかった。幸せだったよ」
 彼女が消えていく。
「よせ……やめろ……!」
「ユウ君は、私を救ってくれた。私にたくさんの幸せを分けてくれた。楽しい日常を過ごさせてくれた」
「頼む……やめてくれ……」
 首を垂れ、懇願する。
「だからね。もういいよ。これからは、ユウ君がやりたいことをやって、なりたい者になって、自分の道を歩んでいってね」
 そう言うと彼女は、ふわっと春の花がほころぶような笑顔を咲かせた。
「―――ッ⁉」
 必死に繫ぎ止めていた最後の糸が、ぷつりと切れてしまった瞬間だった。
「みらい……」
 掠れた声で、俺は彼女の名前を呟く。
「……最後に一つ、ユウ君にお願い」
「何だよ………」
 ゆっくりと、みらいが息を吸う。消えゆく胸が膨らむ。
 そして―――
「初音ちゃんのこと、お願いね―――……」
 一息にそう言った。
 途端、彼女の姿は無数の光の粒子となり、夏の星空に吸い込まれるようにして消えていった。



# # #



 ああ―――……消えていく。
 今度こそ、私は死ぬ。
 終わったんだ……何もかも。私に残されたのは〝死〟のみ。
 でも何故だろう。不思議と恐怖や悲しみといった感情はない。消えることが怖いとは思わない。
 振り返ればこの瞬間を、私はずっと恐れてきたはずなのに……。どうしてだろう。自分でも驚くほどに落ち着いている。
 彼を見上げる。
 私の目の前で、彼は顔をぐしゃぐしゃにして泣きじゃくっている。
 彼の目から、大粒の涙がいくつも零れ落ちてくる。しかしそれらは私に落ちることはなく、存在が希薄になった私の中を無情に通り抜けていくだけだ。
 彼が何か言っている。必死に何かを叫んでいる。
 だが今の私には、彼のその言葉を正しく聞き取る力すら、残されていなかった。
 だから私は、ただ彼の名前を呟く。
 だがその声が彼に届いているかはわからない。
 彼がまた何かを叫ぶ。
 私には聞こえない。
 ……しかし、
 『俺にはお前が必要なんだ』
 その言葉だけは私の耳を貫き、心の奥深くに突き刺さってきた。
 はっとした。
 私はすべてを理解した。霧が晴れるみたいに急速に目の前が開けていく。
 そうか―――
 理解する。
 ―――私はずっと、誰かに必要とされたかったのだ。それだけだったのだ。
 心がクリアになる。
 彼や彼女のためなどという御大層な名目は、所詮ただの飾りつけに過ぎなかった。自分の行動を正当化させるための、体の良い方便でしかなかった。結局私は、自分のためだけに行動してきたのだ。
 親に愛してもらえず、暴力を振るわれ、殺され、冷たい庭の中に埋められた。
 そんな存在意義が希薄だった私は、誰かに必要としてもらいたかったのだ。全ては自分のためだったのだ―――
 詰まるところ、誰でもよかったのだろう。
 私の存在を必要としてくれる人なら、誰でもよかった。
 だから、彼女に計画を持ち掛けられた時も、私は断れなかった。いや、断りたくなかったのだ。
 嬉しかったから。こんな存在になった私をまだ必要としてくれる人がいたことが。
 馬鹿みたいだ。
 自嘲する。
 何の覚悟もなかった。人の命を奪う罪の重さなんて、何もわかっていなかった。
 何て愚かなことをしてしまったのだろう。
 二年前、自分が侵してしまった罪を私は思い返す。

 
 ガンッ、ガンッ―――
 鈍い音が響く。
 両手に握りしめた鈍器を振り下ろす度に、床が振動し、空気が揺れ、重たい音が部屋に響いた。
 ―――血のように赤い夕陽が差し込む夏の日のこと。
 私はただただ無心に、目の前の少女の顔に、真っ黒な鈍器を振り下ろしていた。
 ガンッ、ガンッ―――
 叩き付ける度に、少女の身体がビクンと大きく跳ね上がる。血液と肉片が飛び散り、私の顔を赤く染め上げていく。
 何をしているのだろう。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 朦朧とする意識の中で、私はそんなことを考えていた。
 誰か止めてほしい。誰でもいい。誰でもいいから私を―――彼女を止めてほしい。
 私の頬に、一筋の涙が伝う。
 その時、
「ひっ―――!」
 悲鳴のような声が後ろから聞こえた。
 そこで、私の意識は現実に引き戻される。
 ふう、と短く息を吐いた。
 ―――恐らく、彼が目を覚ましたのだろう。
 ガン、ゴロン、ゴロン―――……。
 無意識のうちに、私は血に染まった鈍器から手を離していた。
 立ち上がり、ゆっくりと彼に向かって歩き始める。
「あ……あ……」
 恐怖に顔をゆがませながら、彼が後ずさるように身体を動かした。
 ズキン―――
 今はもうない胸が痛んだ。
 何故、私は彼にこんな顔をさせているのだろう。何故、彼を怯えさせているのだろう。
 私が望んでいたことは、彼にこんな顔をさせることだったのだろうか。
 親に殺されてもなお、この世に惨めに縋りついたのは、こんなことをするためだったのだろうか―――
 ……わからない。
「気付いてよ……ユウ君……」
 小さく情けない声が、私の喉から洩れた。
 だが目の前の彼は、顔を真っ青にしたまま何も答えてくれない。
「助けて、よお―――……」
 限界だった。
 膝から崩れ落ち、私は倒れ込むようにして彼に覆いかぶさった。
「うわああぁぁぁぁぁあ――――――‼」
 そのまま、私は泣き崩れた。
 救いを求めるような悲痛な叫び声が、部屋全体にこだましては消えていく。
 楽しかった日々が音を立てて崩れていく。
 取り返しのつかないことをしてしまった。きっといつまでも後悔して、私は消えていくのだろう。
「ユウ……君」
 震える声で彼の名前を呼んだ。
 だが、彼が私の呼びかけに答えてくれることはなかった。
 まるで停電でも起こしたように、彼は私の胸の中で、ぷっつりと意識を失っていた―――。


 ……ああ、やはり私には覚悟なんてなかったのだ。
 改めて私はそう思う。
 中途半端な覚悟と自分勝手な都合で、私は全く関係のない見ず知らずの幼い少女を巻き込んでしまった。
 津波のような後悔が押し寄せてくる。
 しかし、もうどうすることもできない。
 今頃こんな気持ちになるなんて、やはり私には存在価値などないのだろうか。
 彼を見上げる。まだ泣いていた。
 そんな彼を見て、私は心底申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 悲しまないでほしい。涙を流さないでほしい。
 目の前にいる少女は、本当にろくでもなくて自己中心的で独りよがりで、どうしようもない人間なのだ。大切な人に泣いてもらう権利なんてない。
 だけど、彼は涙を流し続けている。叫び続けている。こんな惨めな私をまだ必要としてくれている。
 何て優しい人なのだろう。何て尊い人なのだろう。
 だから、私は言う。
 ありがとう―――と。
 こんな私に居場所を与えてくれてありがとう。あの時、私を迎えに来てくれてありがとう。一緒に暮らそうって言ってくれてありがとう―――
 どうかこれからは幸せな人生を歩んでいってほしい。
 彼が叫ぶたびに、私は幸せな気持ちに包まれていく。彼の声が、優しく私を束縛していく。こんな気持ちになってはいけないはずなのに、どうしようもなくて私はその言葉に身を預けてしまう。
 何て素敵な呪いなのだろう。
 ……彼女にも、こんな気持ちになってほしい。
 もう誰も憎まないでほしい。復讐に身を蝕まれないでほしい。彼と一緒に幸せな日々を過ごしていってほしい。
 そうだ。彼にお願いしよう。彼ならきっと、彼女を救ってくれるはずだ。私を救ってくれた時みたいに―――
 薄れゆく意識の中、私は最後の力を振り絞り、言った。
 初音ちゃんのこと、お願いね―――……
 次の瞬間、私の身体は完全に砕け散った。
 いつかに見上げたような満天の星空の中に、私の意識はゆっくりと吸い込まれていく。
 ああ。消える。消えていく。
 今度こそ、本当にさようなら。私の愛した人たち―――
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