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三章
お買い物デート⑤
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店を出ると、辺りは入った時よりも少し薄暗くなっていた。
心なしか、人通りも少なくなっている気がする。
「どうしましょうか? 時間も時間ですし、そろそろ帰りますか?」
私に続いて店から出てきた彼女がアーケードの入口を見ながら言った。
しかし私は、
「……いえ、せっかくですので、もう少し見て回りたいです」
と言い、歩き始めた。
「わかりました」
少し遅れて、彼女が横に並んできた。
実は一つ、気になっていた店舗があったのだ。
「行ってみたいお店があるのですが、いいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
彼女は快く了承してくれた。
「何のお店なんですか?」
「えっと、先ほど、ちらっと見ただけなのですが―――」
その店は、今出た喫茶店に向かう途中に見つけたものだった。
書店だ。
かなり大規模な書店のようで、ビル一つを丸ごと買い取っているようだった。
普段から読書しかしていない私にとっては、その建物がとても魅力的に見え、どうしても今日この機会に寄ってみたかったのだ。
帰る時間を考慮しても、あと一時間弱くらいは大丈夫だろう。
私は彼女の手を取り、人ごみを縫って早足で歩き始めた。彼女の驚いている様子が、脈動を通して私に伝わってくる。彼女のエスコートはもう必要なさそうだった。
目的のビル前に着くと、私はその存在感に圧倒された。
これまで本のある場所といえば、学校の図書館にしか行ったことがなかったので、世の中にこんなにも大きな書店があるということに度肝を抜かれたのだ。一体この中に、どれほどの本が納められているというのだろうか。
中に入り、私たちはエスカレーター横にあるフロアマップを確認した。
店舗は一階から五階まであるようで、下の階から順番に、「雑誌」「文庫・教育」「ビジネス」「芸術・語学」「専門」と、コーナーが分けられているようだった。
私が、二階の「文庫本売り場」に行きたいです、と言うと彼女は、私もそこに行きたいです、と言ってくれた。
エスカレーターで上の階に昇ると、目的のフロアは予想以上に広々としていた。
フロアの中央に大きなレジカウンターが設けられており、その両側に大きな本棚が規則正しくずらりと並べられている。
探索も兼ねてフロア内をぐるっと周ってみると、なんと一周するのに十分以上もかかってしまった。こんなにも広いフロアでどうやって目的の本を探すのだろうかと疑問に思ったが、レジカウンター横にある大きなタッチパネルを見つけた。どうやらそれで本の場所や在庫の有無を検索することができるらしく、さらには確認した情報を横の小形印刷機で出力できるらしかった。
知らないところで文明は進化しているのだなと、私は少し衝撃を受けた。
ファッション店の時と同様に、しばらくは自由に見て回ろうということになり、私たちは一旦別れた。
私は本の中でも特に小説系を好んで読んでいたので、まずは小説の新刊コーナーに足を向けてみた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れてしまった。
自分の背丈の倍はあろうかという本棚には、大量の書籍が所狭しと並べられていた。上を見上げると棚の枠部分に、『今月の新刊』と太文字で書かれた色画用紙が貼られていた。こんなにもたくさんの本が月一で発行されるのかと、私は仰天した。
どの本のタイトルも、当然見たことも聞いたこともなく、私はとても新鮮な気分になった。目の前にあった一冊を手に取り、試しにパラパラとページを捲ってみると、学校の図書室で借りる本とは違う、なんとも形容し難い良い香りが鼻孔をくすぐってきた。
なんと幸せな空間なのだろう。私はついうっとりとした気分になった。水と食料さえあれば、この建物に一週間は余裕で籠っていられるだろう。
このような素晴らしい場所がこの世界に存在するとは……。
私の町にもあればいいのにと思った。
私はしばらく、裏表紙のあらすじに目を通してから小説の冒頭を読むという作業を繰り返していた。どの本も内容が興味深く、ふとすると時間のことを忘れてしまいそうになるので、適度なタイミングで切り上げることが難しかった。どうせなら一冊でも多くの本に目を通しておきたかったので、時間制限はしっかりとした。
しかし、ちょうど十冊目の小説に手を伸ばした時、私の脳裏にふと、いつかの奇妙な男から押し付けるような形で渡されたあの市松人形の姿が過ってきた。
そういえば―――と私は本に伸ばしていた手をゆっくりと下ろした。
あの人形の供養方法をまだ考えていなかった。
私はきょろきょろとフロア内を見渡す。
このような場所に参考となるような文献があるとは思えなかったが、探してみないことにはわからない。
すると、ちょうど身体を百八十度回した方向に、『歴史・民俗学』と書かれた看板が、天井からぶら下げられているのを見つけた。
そのコーナーに行ってみると、両脇の本棚にはそれらしいタイトルの本が並べられていた。半信半疑で一冊を手に取り、私は中を検めてみた。しかし予想通りと言うべきか、やはりそこには大した内容は記述されていなかった。念のため他の数冊も内容を確認してみたが、感想は似たようなものだった。これならば、うちの神社の蔵に保管してある書物の方がよほど参考になるだろう。
小さくため息を吐き、私は持っていた分厚いハードカバーの本を元の場所に戻そうとした。
が、その時、
「あっ、さよさん。こんなところにいたんですか」
不意に横から声を掛けられた。
見ると数メートルほど先の所から、美鈴さんが小走りでこちらに近づいてくるところだった。
彼女は私の傍まで来ると、
「この本屋、広いですね。危うく迷子になるところでしたよ」
ため息交じりにそう言って、苦笑いを浮かべて見せた。
「確かに……迷路みたいですもんね」
「そうですよ。さよさんともう会えないかと思いました」
「さすがにそれはないと思いますよ……」
確かに広くて迷子になりそうだが、もう会えないということはないだろう。彼女の大袈裟すぎる表現に、私はくすりと笑った。
「それで、何か興味を惹くような本は見つかりましたか?」
「いえ、今はちょっと調べ物をしていて……」
「その本のことですか?」
彼女が私の持っていた本に視線を移した。
「はい」
「買うんですか?」
「いえ、探していた内容とは違いましたので」
「そうなんですか……ちょっと見せてもらってもいいですか?」
彼女が言ってきたので、
「ええ、どうぞ」
私は持っていたその本を渡した。
受け取ると彼女は表紙を開き、書いてある内容を読み始めた。
その本は一般的な供養や除霊の方法を記した書籍だったが、内容が今一つだった。書いてあることは間違っていないのだが、記述がざっくりとし過ぎていている。仮にも神社の娘で幼いころから父の仕事を見てきた私からすると、その内容はほとんど無いに等しかった。
しかし、彼女の目には、その内容が新鮮に映るようで、真剣に中身に目を通しているようだった。邪魔をしても悪いと思ったので、私は他に並べられている本を見ていることにした。見ると言っても手には取らない。表紙や背表紙だけを見て、そこに書かれている内容を想像してみるだけだ。これが意外と楽しく、私はしばらくその作業に没頭した。
だがやがて、パタンと本を閉じる音で、私は現実に引き戻された。
時間にして十分ほどだっただろうか。
彼女の方を振り返ると目が合った。
どういうわけかその瞳は、きらきらと輝いていた。
「さよさんは、この本を買わないんですよね?」
彼女が訊いてきたので、私は、
「ええ、まあ、そうですね」
と曖昧に答えた。
「なら、私が買ってもいいですか?」
「えっ、買うんですか?」
私は驚いて聞き返した。
まさか買うと言い出すとは思っていなかった。
「実践的なことも大切ですが、やはり座学も必要だと思うんです」
「それは、そうかもしれませんが……」
私は彼女が持つ本に目をやる。
正直、今の彼女にとって、その本の必要性は薄いと思った。まずは自分の霊力を制御できるようになることが最優先であり、除霊や供養といったことはあくまでその次の段階だと考えていたのだ。急いで知識を身に付ける必要はないし、なによりその本の内容では心許ない。お勧めはできなかった。
「焦る必要はないですよ。美鈴さんは十分に駆け足ですから、ゆっくりとやっていきましょう」
遠回しに、その本はやめておいた方が良いと促したつもりだった。
しかし、対人関係が不足している私の言葉では、彼女にそこまでの意図は伝わらなかったようで、
「いえ、知識を広げておくことは今後のためにも必要だと思います。それにこれなら、家で一人の時でも勉強できますから。さよさんのお手を煩わせることもないですよ」
と、熱のこもった声で返されてしまった。
私は言葉に詰まった。
確かに読んではいけないことはないのだが……
私は本から彼女に視線を戻す。
彼女の意志は固いようで、その瞳の輝きは先ほどよりも増しているようだった。表情は真剣で、私に霊力の扱い方を教えてほしい、と言ってきた時の面貌と酷似していた。
彼女を説得することは難しそうだった。
「……わかりました」
私はため息と一緒に言葉を吐き出した。しかしそれと同時にある趣向を思いついた。
「ありがとうございます」
彼女は頬をほころばせ、レジに向かって踵を返そうとした。
「ただし―――」
そこで、私は慌てて言葉を付け足した。
彼女に向かって、私はおもむろに右手を差し出す。
「その本は、私に代金を支払わせてください」
「……えっ?」
彼女がキョトンと目を丸くした。
「その本は、私から美鈴さんへのプレゼントです」
私が少し得意げにそう言うと、彼女は一瞬の間の後、
「いえいえ、そんなのダメですよ! さよさんに払ってもらう理由がありません!」
片手に本を持ったまま、ぶんぶんと両手を振った。
「理由ならありますよ。先ほどのワンピースのお礼です」
「あれは……! いつものお礼と、私がさよさんに買ってあげたかったからですよ」
「私も、その本を美鈴さんに買ってあげたいです」
「これは、私が欲しいから買うんですよ」
「ワンピースも、私は欲しいと思いました」
「うぅぅ……」
いつになく頑固な私に、彼女は困り果てているようだった。しきりに目を動かし、私を説得する言葉を探している。
しかし、私は譲るつもりはなかった。意地になっている部分もあったが、彼女にプレゼントしたいという気持ちは本物だった。
何かを貰うだけではなく、何かを与える立場にもなりたい。友達というのはきっとそういうものだろう。
彼女とは対等な関係でいたかった。
「美鈴さんは……私からプレゼントされるのは嫌ですか?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
声を上げた後、彼女はしまったというように口元に手を当てた。だが既に遅い。
「なら、問題ないはずです。私に払わせてください」
「ですが……」
「これは、私がしてあげたいことなんです」
「うぅ……」
「それに私たち、友達じゃないですか」
友達。
改めて声に出してみると、少しこそばゆいものがあった。
しかし、その言葉で彼女は折れてくれたようだった。
「……わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ありがとうございます」
「どうしてさよさんがお礼を言うんですか」
ほぼ無意識に出た言葉であったが、彼女にそう指摘されて、私ははっとした。
先のファッション店でのやり取りが、私の脳裏をよぎってきた。
私は自分の感情を再確認する。
不思議な高揚感があった。優越感のようなものも入り混じっている。今なら多少の不条理なことは許せそうな気がした。
……なるほど。
私はようやく理解ができたような気がした。
あの時、彼女が私にお礼を言ってきたのは、こういった気持ちからだったのか―――
今まで全く味わったことのない気持ち、しかし、悪くないものだと思った。
客観的に見れば私に得なことなんて一つもない。むしろ損しかない。それなのに、今の私は確かに喜びを感じている。
これが、友達に何かをしてあげるということなのだろうか……?
もしそうだとするならば、友達というものは私が思っていたよりも遙かに偉大な存在だ。
ずっと独りでいたら、こんな矛盾した因果関係には恐らく気付かなかっただろう。
やはり、彼女からは色々なことを教えてもらう。
「……ありがとうございます」
私は、もう一度彼女にお礼を言った。
「えっ、何で二回言ったんですか?」
「さあ、どうしてでしょうか」
ふふっと微笑み、私は彼女の手から本を取った。
そのまま私はレジの方へと向かう。
「ま、待って下さいよー」
後ろから彼女が追いかけて来るのがわかったが、私は振り返らなかった。
足取りは軽かった。スキップでもしてみたい気分になったが、さすがに店の中なので止めておいた。
初めての友達。初めてあげるプレゼント。
今の私は幸せだ。
誰になんと揶揄されようと、そう言い切れる自信があった。
心なしか、人通りも少なくなっている気がする。
「どうしましょうか? 時間も時間ですし、そろそろ帰りますか?」
私に続いて店から出てきた彼女がアーケードの入口を見ながら言った。
しかし私は、
「……いえ、せっかくですので、もう少し見て回りたいです」
と言い、歩き始めた。
「わかりました」
少し遅れて、彼女が横に並んできた。
実は一つ、気になっていた店舗があったのだ。
「行ってみたいお店があるのですが、いいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
彼女は快く了承してくれた。
「何のお店なんですか?」
「えっと、先ほど、ちらっと見ただけなのですが―――」
その店は、今出た喫茶店に向かう途中に見つけたものだった。
書店だ。
かなり大規模な書店のようで、ビル一つを丸ごと買い取っているようだった。
普段から読書しかしていない私にとっては、その建物がとても魅力的に見え、どうしても今日この機会に寄ってみたかったのだ。
帰る時間を考慮しても、あと一時間弱くらいは大丈夫だろう。
私は彼女の手を取り、人ごみを縫って早足で歩き始めた。彼女の驚いている様子が、脈動を通して私に伝わってくる。彼女のエスコートはもう必要なさそうだった。
目的のビル前に着くと、私はその存在感に圧倒された。
これまで本のある場所といえば、学校の図書館にしか行ったことがなかったので、世の中にこんなにも大きな書店があるということに度肝を抜かれたのだ。一体この中に、どれほどの本が納められているというのだろうか。
中に入り、私たちはエスカレーター横にあるフロアマップを確認した。
店舗は一階から五階まであるようで、下の階から順番に、「雑誌」「文庫・教育」「ビジネス」「芸術・語学」「専門」と、コーナーが分けられているようだった。
私が、二階の「文庫本売り場」に行きたいです、と言うと彼女は、私もそこに行きたいです、と言ってくれた。
エスカレーターで上の階に昇ると、目的のフロアは予想以上に広々としていた。
フロアの中央に大きなレジカウンターが設けられており、その両側に大きな本棚が規則正しくずらりと並べられている。
探索も兼ねてフロア内をぐるっと周ってみると、なんと一周するのに十分以上もかかってしまった。こんなにも広いフロアでどうやって目的の本を探すのだろうかと疑問に思ったが、レジカウンター横にある大きなタッチパネルを見つけた。どうやらそれで本の場所や在庫の有無を検索することができるらしく、さらには確認した情報を横の小形印刷機で出力できるらしかった。
知らないところで文明は進化しているのだなと、私は少し衝撃を受けた。
ファッション店の時と同様に、しばらくは自由に見て回ろうということになり、私たちは一旦別れた。
私は本の中でも特に小説系を好んで読んでいたので、まずは小説の新刊コーナーに足を向けてみた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れてしまった。
自分の背丈の倍はあろうかという本棚には、大量の書籍が所狭しと並べられていた。上を見上げると棚の枠部分に、『今月の新刊』と太文字で書かれた色画用紙が貼られていた。こんなにもたくさんの本が月一で発行されるのかと、私は仰天した。
どの本のタイトルも、当然見たことも聞いたこともなく、私はとても新鮮な気分になった。目の前にあった一冊を手に取り、試しにパラパラとページを捲ってみると、学校の図書室で借りる本とは違う、なんとも形容し難い良い香りが鼻孔をくすぐってきた。
なんと幸せな空間なのだろう。私はついうっとりとした気分になった。水と食料さえあれば、この建物に一週間は余裕で籠っていられるだろう。
このような素晴らしい場所がこの世界に存在するとは……。
私の町にもあればいいのにと思った。
私はしばらく、裏表紙のあらすじに目を通してから小説の冒頭を読むという作業を繰り返していた。どの本も内容が興味深く、ふとすると時間のことを忘れてしまいそうになるので、適度なタイミングで切り上げることが難しかった。どうせなら一冊でも多くの本に目を通しておきたかったので、時間制限はしっかりとした。
しかし、ちょうど十冊目の小説に手を伸ばした時、私の脳裏にふと、いつかの奇妙な男から押し付けるような形で渡されたあの市松人形の姿が過ってきた。
そういえば―――と私は本に伸ばしていた手をゆっくりと下ろした。
あの人形の供養方法をまだ考えていなかった。
私はきょろきょろとフロア内を見渡す。
このような場所に参考となるような文献があるとは思えなかったが、探してみないことにはわからない。
すると、ちょうど身体を百八十度回した方向に、『歴史・民俗学』と書かれた看板が、天井からぶら下げられているのを見つけた。
そのコーナーに行ってみると、両脇の本棚にはそれらしいタイトルの本が並べられていた。半信半疑で一冊を手に取り、私は中を検めてみた。しかし予想通りと言うべきか、やはりそこには大した内容は記述されていなかった。念のため他の数冊も内容を確認してみたが、感想は似たようなものだった。これならば、うちの神社の蔵に保管してある書物の方がよほど参考になるだろう。
小さくため息を吐き、私は持っていた分厚いハードカバーの本を元の場所に戻そうとした。
が、その時、
「あっ、さよさん。こんなところにいたんですか」
不意に横から声を掛けられた。
見ると数メートルほど先の所から、美鈴さんが小走りでこちらに近づいてくるところだった。
彼女は私の傍まで来ると、
「この本屋、広いですね。危うく迷子になるところでしたよ」
ため息交じりにそう言って、苦笑いを浮かべて見せた。
「確かに……迷路みたいですもんね」
「そうですよ。さよさんともう会えないかと思いました」
「さすがにそれはないと思いますよ……」
確かに広くて迷子になりそうだが、もう会えないということはないだろう。彼女の大袈裟すぎる表現に、私はくすりと笑った。
「それで、何か興味を惹くような本は見つかりましたか?」
「いえ、今はちょっと調べ物をしていて……」
「その本のことですか?」
彼女が私の持っていた本に視線を移した。
「はい」
「買うんですか?」
「いえ、探していた内容とは違いましたので」
「そうなんですか……ちょっと見せてもらってもいいですか?」
彼女が言ってきたので、
「ええ、どうぞ」
私は持っていたその本を渡した。
受け取ると彼女は表紙を開き、書いてある内容を読み始めた。
その本は一般的な供養や除霊の方法を記した書籍だったが、内容が今一つだった。書いてあることは間違っていないのだが、記述がざっくりとし過ぎていている。仮にも神社の娘で幼いころから父の仕事を見てきた私からすると、その内容はほとんど無いに等しかった。
しかし、彼女の目には、その内容が新鮮に映るようで、真剣に中身に目を通しているようだった。邪魔をしても悪いと思ったので、私は他に並べられている本を見ていることにした。見ると言っても手には取らない。表紙や背表紙だけを見て、そこに書かれている内容を想像してみるだけだ。これが意外と楽しく、私はしばらくその作業に没頭した。
だがやがて、パタンと本を閉じる音で、私は現実に引き戻された。
時間にして十分ほどだっただろうか。
彼女の方を振り返ると目が合った。
どういうわけかその瞳は、きらきらと輝いていた。
「さよさんは、この本を買わないんですよね?」
彼女が訊いてきたので、私は、
「ええ、まあ、そうですね」
と曖昧に答えた。
「なら、私が買ってもいいですか?」
「えっ、買うんですか?」
私は驚いて聞き返した。
まさか買うと言い出すとは思っていなかった。
「実践的なことも大切ですが、やはり座学も必要だと思うんです」
「それは、そうかもしれませんが……」
私は彼女が持つ本に目をやる。
正直、今の彼女にとって、その本の必要性は薄いと思った。まずは自分の霊力を制御できるようになることが最優先であり、除霊や供養といったことはあくまでその次の段階だと考えていたのだ。急いで知識を身に付ける必要はないし、なによりその本の内容では心許ない。お勧めはできなかった。
「焦る必要はないですよ。美鈴さんは十分に駆け足ですから、ゆっくりとやっていきましょう」
遠回しに、その本はやめておいた方が良いと促したつもりだった。
しかし、対人関係が不足している私の言葉では、彼女にそこまでの意図は伝わらなかったようで、
「いえ、知識を広げておくことは今後のためにも必要だと思います。それにこれなら、家で一人の時でも勉強できますから。さよさんのお手を煩わせることもないですよ」
と、熱のこもった声で返されてしまった。
私は言葉に詰まった。
確かに読んではいけないことはないのだが……
私は本から彼女に視線を戻す。
彼女の意志は固いようで、その瞳の輝きは先ほどよりも増しているようだった。表情は真剣で、私に霊力の扱い方を教えてほしい、と言ってきた時の面貌と酷似していた。
彼女を説得することは難しそうだった。
「……わかりました」
私はため息と一緒に言葉を吐き出した。しかしそれと同時にある趣向を思いついた。
「ありがとうございます」
彼女は頬をほころばせ、レジに向かって踵を返そうとした。
「ただし―――」
そこで、私は慌てて言葉を付け足した。
彼女に向かって、私はおもむろに右手を差し出す。
「その本は、私に代金を支払わせてください」
「……えっ?」
彼女がキョトンと目を丸くした。
「その本は、私から美鈴さんへのプレゼントです」
私が少し得意げにそう言うと、彼女は一瞬の間の後、
「いえいえ、そんなのダメですよ! さよさんに払ってもらう理由がありません!」
片手に本を持ったまま、ぶんぶんと両手を振った。
「理由ならありますよ。先ほどのワンピースのお礼です」
「あれは……! いつものお礼と、私がさよさんに買ってあげたかったからですよ」
「私も、その本を美鈴さんに買ってあげたいです」
「これは、私が欲しいから買うんですよ」
「ワンピースも、私は欲しいと思いました」
「うぅぅ……」
いつになく頑固な私に、彼女は困り果てているようだった。しきりに目を動かし、私を説得する言葉を探している。
しかし、私は譲るつもりはなかった。意地になっている部分もあったが、彼女にプレゼントしたいという気持ちは本物だった。
何かを貰うだけではなく、何かを与える立場にもなりたい。友達というのはきっとそういうものだろう。
彼女とは対等な関係でいたかった。
「美鈴さんは……私からプレゼントされるのは嫌ですか?」
「そ、そんなわけないじゃないですか!」
声を上げた後、彼女はしまったというように口元に手を当てた。だが既に遅い。
「なら、問題ないはずです。私に払わせてください」
「ですが……」
「これは、私がしてあげたいことなんです」
「うぅ……」
「それに私たち、友達じゃないですか」
友達。
改めて声に出してみると、少しこそばゆいものがあった。
しかし、その言葉で彼女は折れてくれたようだった。
「……わかりました。では、お言葉に甘えさせていただきます」
「ありがとうございます」
「どうしてさよさんがお礼を言うんですか」
ほぼ無意識に出た言葉であったが、彼女にそう指摘されて、私ははっとした。
先のファッション店でのやり取りが、私の脳裏をよぎってきた。
私は自分の感情を再確認する。
不思議な高揚感があった。優越感のようなものも入り混じっている。今なら多少の不条理なことは許せそうな気がした。
……なるほど。
私はようやく理解ができたような気がした。
あの時、彼女が私にお礼を言ってきたのは、こういった気持ちからだったのか―――
今まで全く味わったことのない気持ち、しかし、悪くないものだと思った。
客観的に見れば私に得なことなんて一つもない。むしろ損しかない。それなのに、今の私は確かに喜びを感じている。
これが、友達に何かをしてあげるということなのだろうか……?
もしそうだとするならば、友達というものは私が思っていたよりも遙かに偉大な存在だ。
ずっと独りでいたら、こんな矛盾した因果関係には恐らく気付かなかっただろう。
やはり、彼女からは色々なことを教えてもらう。
「……ありがとうございます」
私は、もう一度彼女にお礼を言った。
「えっ、何で二回言ったんですか?」
「さあ、どうしてでしょうか」
ふふっと微笑み、私は彼女の手から本を取った。
そのまま私はレジの方へと向かう。
「ま、待って下さいよー」
後ろから彼女が追いかけて来るのがわかったが、私は振り返らなかった。
足取りは軽かった。スキップでもしてみたい気分になったが、さすがに店の中なので止めておいた。
初めての友達。初めてあげるプレゼント。
今の私は幸せだ。
誰になんと揶揄されようと、そう言い切れる自信があった。
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