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三章
お買い物デート⑥
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店を出ると、正面店舗の明かりが眩しく私の網膜を焼いてきた。
アーケードを抜け、空を見上げると、群青色の天井が静かに私たちを見下ろしていた。西の方に目を向けると、茜がかったグラデーションがまるで魔法のように空を覆っている。
少し長居し過ぎてしまったかもしれない。神社に着く頃には、もうとっぷりと日は暮れているだろう。
そんなことを考えていると、隣を歩いていた彼女が、申し訳なさそうに口を開いた。
「今日はすみませんでした。私の我儘に付き合っていただいて……」
一瞬、何のことかと首を傾げたが、すぐに彼女の謝罪の意味に気が付いた。
「何を言ってるんですか。むしろ誘っていただいてありがとうございます。友達と買い物に来るなんて経験は、これまでしたことがありませんでしたから」
「でも、こんなに遅くなってしまって……」
どうやら彼女は、私の帰りが遅くなってしまうことを気にしているようだった。
「それは私の責任です。最後に私が本屋に寄りたいなんて言ってしまったばかりに……なのでむしろ、謝るべきは私の方です。すみませんでした」
歩きながら、私が小さく頭を下げると、彼女はあわあわと、両手を胸の前でパタパタさせた。
「謝らないでください。それにそのお陰で、さよさんからプレゼントを貰うことができたんですから」
彼女は右手に持っていた本の入った袋を、腰の位置まで上げて見せた。
「いえ、それなら私の方こそありがとうございます。美鈴さんのお陰で、お気に入りの服ができそうです」
私もワンピースの入った袋を少し持ち上げた。
「気に入ってもらえましたか?」
「はい、とても」
「それはよかったです」
彼女はにっこりと微笑んだ。
そんな彼女に、私も口元を緩めた。
ふうわりと春の夜風が吹く。
冷たい空気が頬を撫でる感触が気持ちよくて、私は目を細めた。
不快に思うはずの車の音や人の話し声が、今は心地よいBGMのようになって、耳の奥に響いてくる。
波のように揺れるそんな音楽に身を委ねながら、私は今日の出来事を振り返った。
彼女にワンピースを買ってもらった。嬉しかった。彼女に私たちの過去を告白した。受け入れてくれた。彼女に初めてのプレゼントをした。喜んでくれた。
彼女と過ごした今日の時間は、本当に充実していた。
「今日は楽しかったです」
思わず心の声が漏れてしまった。
しかし私は、取り乱したりも、その言葉を訂正したりもしなかった。本心であったし、聞かれて恥ずかしいとも思わなかったから。
しかし、不意に隣を歩く彼女が歩を止めた。
それに気付いて、私も数歩遅れて足を止め、彼女を振り返った。
どういうわけか彼女は、私の顔を見つめたまま硬直しているようだった。
「あの―――」
どうしたんですか、と私は言葉を続けようとした。しかし、私がその言葉を発することはなかった。
飛び込むみたいにして抱き着いてきた彼女に、私の頭がすっぽりと抱きすくめられてしまったからだ。
衝撃で、私は二、三歩後ろによろめいた。
自分の身に何が起きたのか、瞬間には思考が追い付かなかった。だが、私の耳元にかかる彼女の吐息が、小刻みに震えていることに気が付くと、私の頭は徐々に冷静さを取り戻していった。
「……美鈴さん?」
私が呼びかけると、私の背中に回された彼女の腕に、ギュッと力が入った。
「すみません。もう少しだけこのままで。私、今、人に見せられる顔をしていないと思いますので」
人に見せられない顔とはどんな顔だろう。
思い浮かべようとしたが、やはり私には想像がつかなかった。
行き交う人々が怪訝そうな顔で私たちに視線を向けてくる。
当然だ。往来のど真ん中で、少女二人が抱き合っているのだから。
しかし、不思議と私は嫌な気分にはならなかった。向けられる視線を、疎ましくは思わなかった。私の心は妙に澄んでいた。
トクトクと脈打つ彼女の鼓動が、密着した身体から伝わってくる。彼女の温もりが、私の奥深くまで染み込んでくる。
いつかの夜、兄に抱き着いて泣きじゃくった時とは、まるで逆の立場だと思った。
……やがて、西の空に見えるグラデーションが薄くなってきた頃、ようやく彼女は私から身体を離した。
そこに立っていたのは、やはりいつも通りの、柔和な笑顔を浮かべた彼女だった。しかし、その目尻に薄っすらと涙が浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。
「大丈夫ですか?」
そう言って私が顔を覗き込もうとすると、彼女は少しだけ顔を右に背けて、極めて自然な動作で目元に浮かんでいたその涙を拭った。
「ありがとうございます」
「えっ?」
「本当は不安だったんです。さよさんが楽しんでくれているかどうか」
「えっと……」
「私、これまで友達なんて一人もいませんでしたから、同年代の友人とここに遊びに来るのは、今日が初めてだったんです。いつも、一人で遊んでいたんです」
ふうと冷涼な空気が流れて、彼女の栗色の髪が柔らかく揺れた。
「なので今日は、私なりの楽しみ方で、さよさんが満足してくれているかどうか、ずっと不安だったんです」
「そんなこと……」
「ですが、そんな心配は要らなかったみたいですね」
そこで、彼女はにっこりと微笑んだ。
「お楽しみいただけて何よりです。今日のデートは大成功です」
「…………」
彼女の満面の笑みを前に、私は、何も言えなかった。
まさか今日一日中、彼女がそんな不安に苛まれていたなんて―――
全く気付かなかった。私なんて、くだらない服装の違いや自らの失態を悔いることで精一杯だったというのに―――
やはり、彼女には頭が上がらない。
彼女に対する申し訳なさで、私は反射的に謝りそうになった。しかし、そんなことしても、また彼女に気を遣わせてしまうだけだと思ったので、
「ありがとうございます」
と最大限の感謝の気持ちを込めて言った。
どうやらそれは正解だったようで、私の言葉を聞くと、彼女の顔にぱあと笑顔が咲いた。
どうやら人は、謝られるよりも感謝される方が嬉しいらしい。
「また来ましょう。今度は兄も誘って三人で」
「はい、必ず」
彼女が小指を差し出してきたので、私はそれに自分の小指を絡めた。
「約束です」
年甲斐もなく私たちは指切りを交わした。道のど真ん中で。
今日の出来事を、感じたことを、私は一生忘れないだろう。
アーケードを抜け、空を見上げると、群青色の天井が静かに私たちを見下ろしていた。西の方に目を向けると、茜がかったグラデーションがまるで魔法のように空を覆っている。
少し長居し過ぎてしまったかもしれない。神社に着く頃には、もうとっぷりと日は暮れているだろう。
そんなことを考えていると、隣を歩いていた彼女が、申し訳なさそうに口を開いた。
「今日はすみませんでした。私の我儘に付き合っていただいて……」
一瞬、何のことかと首を傾げたが、すぐに彼女の謝罪の意味に気が付いた。
「何を言ってるんですか。むしろ誘っていただいてありがとうございます。友達と買い物に来るなんて経験は、これまでしたことがありませんでしたから」
「でも、こんなに遅くなってしまって……」
どうやら彼女は、私の帰りが遅くなってしまうことを気にしているようだった。
「それは私の責任です。最後に私が本屋に寄りたいなんて言ってしまったばかりに……なのでむしろ、謝るべきは私の方です。すみませんでした」
歩きながら、私が小さく頭を下げると、彼女はあわあわと、両手を胸の前でパタパタさせた。
「謝らないでください。それにそのお陰で、さよさんからプレゼントを貰うことができたんですから」
彼女は右手に持っていた本の入った袋を、腰の位置まで上げて見せた。
「いえ、それなら私の方こそありがとうございます。美鈴さんのお陰で、お気に入りの服ができそうです」
私もワンピースの入った袋を少し持ち上げた。
「気に入ってもらえましたか?」
「はい、とても」
「それはよかったです」
彼女はにっこりと微笑んだ。
そんな彼女に、私も口元を緩めた。
ふうわりと春の夜風が吹く。
冷たい空気が頬を撫でる感触が気持ちよくて、私は目を細めた。
不快に思うはずの車の音や人の話し声が、今は心地よいBGMのようになって、耳の奥に響いてくる。
波のように揺れるそんな音楽に身を委ねながら、私は今日の出来事を振り返った。
彼女にワンピースを買ってもらった。嬉しかった。彼女に私たちの過去を告白した。受け入れてくれた。彼女に初めてのプレゼントをした。喜んでくれた。
彼女と過ごした今日の時間は、本当に充実していた。
「今日は楽しかったです」
思わず心の声が漏れてしまった。
しかし私は、取り乱したりも、その言葉を訂正したりもしなかった。本心であったし、聞かれて恥ずかしいとも思わなかったから。
しかし、不意に隣を歩く彼女が歩を止めた。
それに気付いて、私も数歩遅れて足を止め、彼女を振り返った。
どういうわけか彼女は、私の顔を見つめたまま硬直しているようだった。
「あの―――」
どうしたんですか、と私は言葉を続けようとした。しかし、私がその言葉を発することはなかった。
飛び込むみたいにして抱き着いてきた彼女に、私の頭がすっぽりと抱きすくめられてしまったからだ。
衝撃で、私は二、三歩後ろによろめいた。
自分の身に何が起きたのか、瞬間には思考が追い付かなかった。だが、私の耳元にかかる彼女の吐息が、小刻みに震えていることに気が付くと、私の頭は徐々に冷静さを取り戻していった。
「……美鈴さん?」
私が呼びかけると、私の背中に回された彼女の腕に、ギュッと力が入った。
「すみません。もう少しだけこのままで。私、今、人に見せられる顔をしていないと思いますので」
人に見せられない顔とはどんな顔だろう。
思い浮かべようとしたが、やはり私には想像がつかなかった。
行き交う人々が怪訝そうな顔で私たちに視線を向けてくる。
当然だ。往来のど真ん中で、少女二人が抱き合っているのだから。
しかし、不思議と私は嫌な気分にはならなかった。向けられる視線を、疎ましくは思わなかった。私の心は妙に澄んでいた。
トクトクと脈打つ彼女の鼓動が、密着した身体から伝わってくる。彼女の温もりが、私の奥深くまで染み込んでくる。
いつかの夜、兄に抱き着いて泣きじゃくった時とは、まるで逆の立場だと思った。
……やがて、西の空に見えるグラデーションが薄くなってきた頃、ようやく彼女は私から身体を離した。
そこに立っていたのは、やはりいつも通りの、柔和な笑顔を浮かべた彼女だった。しかし、その目尻に薄っすらと涙が浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。
「大丈夫ですか?」
そう言って私が顔を覗き込もうとすると、彼女は少しだけ顔を右に背けて、極めて自然な動作で目元に浮かんでいたその涙を拭った。
「ありがとうございます」
「えっ?」
「本当は不安だったんです。さよさんが楽しんでくれているかどうか」
「えっと……」
「私、これまで友達なんて一人もいませんでしたから、同年代の友人とここに遊びに来るのは、今日が初めてだったんです。いつも、一人で遊んでいたんです」
ふうと冷涼な空気が流れて、彼女の栗色の髪が柔らかく揺れた。
「なので今日は、私なりの楽しみ方で、さよさんが満足してくれているかどうか、ずっと不安だったんです」
「そんなこと……」
「ですが、そんな心配は要らなかったみたいですね」
そこで、彼女はにっこりと微笑んだ。
「お楽しみいただけて何よりです。今日のデートは大成功です」
「…………」
彼女の満面の笑みを前に、私は、何も言えなかった。
まさか今日一日中、彼女がそんな不安に苛まれていたなんて―――
全く気付かなかった。私なんて、くだらない服装の違いや自らの失態を悔いることで精一杯だったというのに―――
やはり、彼女には頭が上がらない。
彼女に対する申し訳なさで、私は反射的に謝りそうになった。しかし、そんなことしても、また彼女に気を遣わせてしまうだけだと思ったので、
「ありがとうございます」
と最大限の感謝の気持ちを込めて言った。
どうやらそれは正解だったようで、私の言葉を聞くと、彼女の顔にぱあと笑顔が咲いた。
どうやら人は、謝られるよりも感謝される方が嬉しいらしい。
「また来ましょう。今度は兄も誘って三人で」
「はい、必ず」
彼女が小指を差し出してきたので、私はそれに自分の小指を絡めた。
「約束です」
年甲斐もなく私たちは指切りを交わした。道のど真ん中で。
今日の出来事を、感じたことを、私は一生忘れないだろう。
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