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三章
些細なすれ違い
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―――翌週。
圧し掛かってくるような曇天の空の下、巫女装束姿で私が箒を動かしていると、いつもの時刻に彼女が訪れてきた。
恒例行事を終えて昼食を済ませると、彼女はこれまでと同様、兄の目を盗んで私の小屋にまでやってきた。
「いつものことですけど、なんだかお兄さんを騙しているようで気が引けますね」
小屋の扉を閉めながら、彼女が申し訳なさそうに言った。
「兄は反対派ですからね。仕方ありません」
「ですが、やはり悪い気がします。今からでも本当のことを伝えるべきでしょうか」
持っていたスクールバッグを床に置き、彼女は机の前に正座して、私と向かい合った。
「それは美鈴さんが霊力の制御を完璧にできるようになってからにしましょう。その時に美鈴さんの想いを兄に打ち明ければ、きっとわかってくれると思いますよ」
「……そう、ですね。すみません、変なことを言ってしまって。今日もよろしくお願いします」
「はい」
「……あれ、さよさん、その服って……」
そこでようやく、彼女はいつもとは違う私の容姿に気が付いたようだった。
「はい、せっかくなので美鈴さんにお見せしたくて―――」
私は立ち上がり、その場でくるっと一回転してみせた。
カシュクールワンピースの裾が、空中で見事な弧を描いた。この間出掛けた時に、彼女にプレゼントしてもらったものだ。
実は、彼女がこの小屋に来る前にこっそりと着替えておいたのだ。
ワンピースのサイズは縦も横も私にぴったりと合っている。また長袖なので、まだ少し冷えるこの時期にはちょうど良かった。着心地も良く、質素でシンプルなデザインが、私はとても気に入っていた。
「すごく似合っています。可愛いです」
「ありがとうございます」
「妖精さんみたいです」
「ありがとう……ございます?」
妖精という表現が誉め言葉なのか今一つわからなかったので、私は少し首を傾げた。
「お兄さんには、もうお見せしたんですか?」
「あ、いえ、兄にはまだ……」
実はこの一週間、部屋着の代わりに何度かこのワンピースを着てみたことはあったのだが、この姿で兄の前に出たことは一度もなかった。
理由は単純。恥ずかしいから。
私にとってこれを着るということは、今までとは異なる自分の一面を見せることに等しい。それが、肉親である兄に対してはどうにも気恥ずかしくて、私は一度もこのワンピース姿で兄の前に出ることができずにいた。
そんな私の心中を察したのか、彼女は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。お兄さんもきっと、さよさんのこと可愛いって言ってくれます」
「……そうでしょうか?」
私はその場面を思い浮かべようとしたが、どうにもうまく想像できなかった。
勇気を出して、この姿を兄に見せたはいいものの、素っ気ない態度であしらわれたり、気付いてすらもらえなかったときのことを考えると、どうしようもなく胸のあたりがきゅっと痛んだ。
もちろん、兄がそんなことをするはずがないとは信じている。今の兄は、以前の兄とはまるで別人だ。外に出る回数も格段に多くなったし、時折だが笑顔も見せてくれるようになった。
だから、そんな兄が私の傷つくような態度や発言はするはずがないと信じてはいるのだが……。
それでもやはり、不安なものは不安だ。
あと一歩のところで決心がつかない。踏み出せない。
〝案ずるより産むが易し〟という諺もあるように、早いところ行動してしまえば良いのだろうが、本能の部分でそうすることを躊躇っていた。
私が俯いて下で指をくるくるとやっていると、彼女が突然何かを思い付いたように、
「では、こうしましょう」
と言って、顔の横で人差し指を立てた。
「私とさよさんで勝負をしましょう」
「……勝負?」
意味がわからなくて私は訊き返した。
「はい。私がこの鍛錬のことを打ち明けられるのが先か、さよさんがその姿でお兄さんの前に立つことができるのが先か、私と競争するんです」
「な、何ですかそれ……!」
「負けた方は相手の言うことを何でも聞く、というのはどうですか? ベタですが」
「そ、そんな……」
「もちろん相手が本気で嫌がるようなことはダメですよ。あくまでモラルを守った範囲内での罰ゲームとしましょう」
話がとんとん拍子で進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って下さい。急にそんなこと……それにその条件なら、私の方が有利になりますよ。美鈴さんの鍛錬を看ているのは私なんですから、その気になれば、私は美鈴さんの進捗を遅らせることだってできるんです」
私が慌ててそう言うと、彼女はキョトンとした目で私を見てきた。
「さよさんは、そんなことをするんですか?」
「……え?」
「私は、さよさんがそんな卑怯なことをできる人間だとは思っていません。さよさんは、とても真面目な方ですから」
「う、うぅ……」
真正面から純粋無垢な瞳でそう言われてしまい、私は何も言い返せなかった。
彼女の言う通り、この鍛錬において手を抜くようなことは絶対にしないつもりだった。嘘のことを教えれば彼女の身を危険に晒してしまうかもしれないし、わざと進み具合を遅らせるようなことは、彼女に対して申し訳が立たない。
しかし、だからこそ困ってしまう。彼女の発案を拒否できるだけの要素を見つけることができない。
上手い回避法はないだろうか。
私はもっともそうな言い分を考えようとしたが、そこでふと冷静になり、俯瞰的に今の状況を見つめ直した。
これは、そんなにも都合の悪い提案だろうか?
確かに少し強引すぎるような気もするが、そうでもしないと、いつまで経っても私の中で決心がつきそうにない。いつかいつかと先延ばしにし、その結果、このワンピースを着られなくなるほどに時が経ってしまってからでは意味がないのだ。
もしかするとこれはピンチなのではなく、私の意志を固めるための良いチャンスなのかもしれない。
そう考え直すと、少しだけ気が楽になった。
私は小さく息を吐き、下唇を噛んで、両手を軽く握った。そして、気が変わらない内に口を開いた。
「わかりました。その勝負、受けましょう」
私が力強く言うと、彼女はにこりと微笑んだ。
「負けませんからね」
「私も負けません。それと、鍛錬はこれまで以上に厳しくいきますから」
自分を追い込むような発言だとはわかっていたが、彼女に対するほんの少しの対抗心からそう口にしてしまった。
「それは有難い限りです」
「では、早速始めましょう」
私は、机の前に座り直した。
お願いします、と彼女が小さく頭を下げてきた。
昼間だというのに外は暗く、じきに雨になりそうだった。
# # #
「少し休憩にしましょうか」
気が付くと、鍛錬を開始してから早二時間が経過していた。彼女が少し息を切らしていたので私はそう提案した。彼女の成長にはいつも驚かされるため、ついつい時間のことを忘れて教えることに夢中になってしまう。
「お手洗いに行ってくるので、少しくつろいでいてください」
そう言って私が腰を上げた時、彼女の視線が私の後ろに移った。
「……それ、何ですか?」
私が彼女の視線を追って部屋の隅を見ると、そこには、いつかの奇妙な男から押し付けるような形で受け取ったあの木箱が置いてあった。中には市松人形が入れられている。
「ああ、これは……」
私はその木箱を持ってくると、机の上に静かに置いた。
「これは少し、訳ありの物でして……」
木箱の淵をなぞりながら、私は少し声を落として言った。
「訳あり?」
「いわゆる……曰くつきの物ということです」
「……どういう意味ですか?」
「人を呪う道具として使われた物、ということです」
「人を呪う道具……」
興味ありげに箱を見ていた彼女の瞳に、初めて怯えの色が混じった。
そこで追及を止めるかと思ったが、
「あの、中を見せてもらってもいいですか?」
意外にも彼女は、そこから更に喰いついてきた。
少し驚いたが、私は、
「ええ、構いませんよ」
と言って、ゆっくりと箱の蓋を開けた。
見せるだけなら問題ないと思った。
蓋を取り、中に収められていた市松人形が露になると、彼女は第一声に「可愛い」と声を漏らした。彼女らしい素直な反応だと思ったが、私の目には、それはやはり不気味な物にしか映らなかった。
「これ、どうしたんですか?」
人形に視線を固定したまま彼女が訊いてきた。
「この間、この神社に寄せられてきたんです。詳しい事情はわかりませんが、供養してほしいとのことでした」
隠す必要もないことなので、私はありのままを伝えた。
「供養って、どうするんですか?」
「それはまだ考え中です。恐らくは、焼いてしまえば早いのでしょうが……」
「そんなのダメですよ!」
そこで彼女が弾かれたように顔を上げて、鋭い視線で私を睨んできた。
「焼いてしまうなんて可哀想です! こんなにも綺麗なお人形なんですから、ちゃんと供養してあげないと!」
その迫力に押されて、私は思わず身体を少し後ろに仰け反らせてしまう。
彼女がこんなにも語気を荒げるのは珍しい。どうやら、彼女は怒っているようだった。
「そ、そう、ですよね。私も、そう思います。一度、兄に相談してみることにします」
慌てて私はそう答えた。実際に、この件は兄に相談しようと思っていた。
怒りの感情を露にする彼女を見るのは初めてだった。彼女みたいな穏やかな人でも怒ることがあるのだなと、私は狼狽しながらも、頭の隅で冷静に驚いていた。
「焼却処分は、あくまで最終手段としましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
彼女の眼差しは真剣そのものだった。たかが人形一体にここまで本気になれるなんて、本当に彼女は優しい人だ。
「あ、すみません。いきなり大きな声を出してしまって……」
はっと我に返った彼女が、慌てて謝ってきた。
「いえ、気にしないでください」
「私、別にさよさんを責めたわけじゃないですからね? ただ、そのお人形が可哀そうだと思っただけで―――」
先ほどまで強い光が宿っていた彼女の瞳は、今は右へ左へとおろおろと揺らいでいた。
ころころと変わる彼女の表情が可笑しくて、私はつい、くすりと笑ってしまった。
「えっ、何ですか?」
いきなり笑い声を漏らした私に、彼女が驚いて訊ねてきた。
「すいません。ただ、美鈴さんはやはり可愛い人だなと思って」
「か、可愛い、ですか……?」
「はい」
「えと……怒って、ないんですか?」
「……? どうして私が怒る必要があるんですか?」
彼女の言っている意味が純粋にわからなくて、私は首を傾げた。
「だって私、さよさんと喧嘩してしまいました」
「えっ……?」
喧嘩? 今のやりとりは喧嘩だったのだろうか?
私の知る喧嘩とは、もっと激しく互いのことを罵倒し合ったり、ついには殴り合いにすら発展したりする争いだったはずだが……これも、私の知識が追い付いていないだけなのだろうか?
いや、しかし……
「多分、今のは喧嘩にはならないと思いますよ」
「……どうしてですか?」
「だって私、美鈴さんに気分を害されたり、傷つけられたりされていません」
喧嘩とは詰まる所、相手を心身的に痛めつけることが目的のはずだ。ならば今回は、その範疇には該当しない。私は傷ついていないし、彼女だってそうであるはずだ。
「なので、やはり気にしないでください」
「……そういうものなのでしょうか?」
「きっと、そういうものです」
私が言うと、彼女はほっと息を吐いた。
「良かったです。さよさんに嫌われたら、私どうしようかと思いました」
「そんなことで嫌いになるわけないじゃないですか」
「よかったです。……それで、結局このお人形はどうしましょうか? お兄さんの方にお任せするという形になるんでしょうか?」
「……そうですね。私の方で、対処できそうならやってみますが……」
箱の淵を触りながら私は言った。まだこの人形が、どんな呪いに使われたモノなのかも調べられていない。
「……私では、力不足でしょうか?」
「えっ?」
顔を上げると、彼女がまた真剣な目で私を見つめていた。
「私の力で、そのお人形を助けてあげることはできないでしょうか?」
「えっと………」
「どうですか?」
「……それは、やめておいた方が良いと思います」
予想外の彼女の申し出に、私は反応するのが一瞬遅れた。
「何故ですか? やはり私では難しいからですか?」
「……それもありますが、何より大きな危険を伴うからです」
「危険?」
「こういった、呪いに使用されたモノは、霊力に対してとても敏感なんです。ほんの少し加減を間違えただけで、霊力が呪力に変わってしまうこともあります」
「…………」
「美鈴さんは、確かに凄まじいスピードで成長しています。そう遠くない未来に、私なんて軽々と抜かして行ってしまうでしょう」
「そんなことは……」
「お世辞などではありません、事実です。……ですが、そんな美鈴さんでも、この件は任せられません」
「…………」
「さすがに危険が過ぎます」
「……わかりました」
彼女はしぶしぶという感じで引き下がった。
「すみません。決して、美鈴さんのことを信用していないわけではないのですが……」
「はい……わかっています」
「……お気持ちだけ、頂いておきますね」
そう言って私は腰を上げた。
小屋から出て行くときに振り返り、もう一度箱に入れられた人形を見たが、やはりそれは、不気味な物にしか映らなかった。
圧し掛かってくるような曇天の空の下、巫女装束姿で私が箒を動かしていると、いつもの時刻に彼女が訪れてきた。
恒例行事を終えて昼食を済ませると、彼女はこれまでと同様、兄の目を盗んで私の小屋にまでやってきた。
「いつものことですけど、なんだかお兄さんを騙しているようで気が引けますね」
小屋の扉を閉めながら、彼女が申し訳なさそうに言った。
「兄は反対派ですからね。仕方ありません」
「ですが、やはり悪い気がします。今からでも本当のことを伝えるべきでしょうか」
持っていたスクールバッグを床に置き、彼女は机の前に正座して、私と向かい合った。
「それは美鈴さんが霊力の制御を完璧にできるようになってからにしましょう。その時に美鈴さんの想いを兄に打ち明ければ、きっとわかってくれると思いますよ」
「……そう、ですね。すみません、変なことを言ってしまって。今日もよろしくお願いします」
「はい」
「……あれ、さよさん、その服って……」
そこでようやく、彼女はいつもとは違う私の容姿に気が付いたようだった。
「はい、せっかくなので美鈴さんにお見せしたくて―――」
私は立ち上がり、その場でくるっと一回転してみせた。
カシュクールワンピースの裾が、空中で見事な弧を描いた。この間出掛けた時に、彼女にプレゼントしてもらったものだ。
実は、彼女がこの小屋に来る前にこっそりと着替えておいたのだ。
ワンピースのサイズは縦も横も私にぴったりと合っている。また長袖なので、まだ少し冷えるこの時期にはちょうど良かった。着心地も良く、質素でシンプルなデザインが、私はとても気に入っていた。
「すごく似合っています。可愛いです」
「ありがとうございます」
「妖精さんみたいです」
「ありがとう……ございます?」
妖精という表現が誉め言葉なのか今一つわからなかったので、私は少し首を傾げた。
「お兄さんには、もうお見せしたんですか?」
「あ、いえ、兄にはまだ……」
実はこの一週間、部屋着の代わりに何度かこのワンピースを着てみたことはあったのだが、この姿で兄の前に出たことは一度もなかった。
理由は単純。恥ずかしいから。
私にとってこれを着るということは、今までとは異なる自分の一面を見せることに等しい。それが、肉親である兄に対してはどうにも気恥ずかしくて、私は一度もこのワンピース姿で兄の前に出ることができずにいた。
そんな私の心中を察したのか、彼女は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。お兄さんもきっと、さよさんのこと可愛いって言ってくれます」
「……そうでしょうか?」
私はその場面を思い浮かべようとしたが、どうにもうまく想像できなかった。
勇気を出して、この姿を兄に見せたはいいものの、素っ気ない態度であしらわれたり、気付いてすらもらえなかったときのことを考えると、どうしようもなく胸のあたりがきゅっと痛んだ。
もちろん、兄がそんなことをするはずがないとは信じている。今の兄は、以前の兄とはまるで別人だ。外に出る回数も格段に多くなったし、時折だが笑顔も見せてくれるようになった。
だから、そんな兄が私の傷つくような態度や発言はするはずがないと信じてはいるのだが……。
それでもやはり、不安なものは不安だ。
あと一歩のところで決心がつかない。踏み出せない。
〝案ずるより産むが易し〟という諺もあるように、早いところ行動してしまえば良いのだろうが、本能の部分でそうすることを躊躇っていた。
私が俯いて下で指をくるくるとやっていると、彼女が突然何かを思い付いたように、
「では、こうしましょう」
と言って、顔の横で人差し指を立てた。
「私とさよさんで勝負をしましょう」
「……勝負?」
意味がわからなくて私は訊き返した。
「はい。私がこの鍛錬のことを打ち明けられるのが先か、さよさんがその姿でお兄さんの前に立つことができるのが先か、私と競争するんです」
「な、何ですかそれ……!」
「負けた方は相手の言うことを何でも聞く、というのはどうですか? ベタですが」
「そ、そんな……」
「もちろん相手が本気で嫌がるようなことはダメですよ。あくまでモラルを守った範囲内での罰ゲームとしましょう」
話がとんとん拍子で進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って下さい。急にそんなこと……それにその条件なら、私の方が有利になりますよ。美鈴さんの鍛錬を看ているのは私なんですから、その気になれば、私は美鈴さんの進捗を遅らせることだってできるんです」
私が慌ててそう言うと、彼女はキョトンとした目で私を見てきた。
「さよさんは、そんなことをするんですか?」
「……え?」
「私は、さよさんがそんな卑怯なことをできる人間だとは思っていません。さよさんは、とても真面目な方ですから」
「う、うぅ……」
真正面から純粋無垢な瞳でそう言われてしまい、私は何も言い返せなかった。
彼女の言う通り、この鍛錬において手を抜くようなことは絶対にしないつもりだった。嘘のことを教えれば彼女の身を危険に晒してしまうかもしれないし、わざと進み具合を遅らせるようなことは、彼女に対して申し訳が立たない。
しかし、だからこそ困ってしまう。彼女の発案を拒否できるだけの要素を見つけることができない。
上手い回避法はないだろうか。
私はもっともそうな言い分を考えようとしたが、そこでふと冷静になり、俯瞰的に今の状況を見つめ直した。
これは、そんなにも都合の悪い提案だろうか?
確かに少し強引すぎるような気もするが、そうでもしないと、いつまで経っても私の中で決心がつきそうにない。いつかいつかと先延ばしにし、その結果、このワンピースを着られなくなるほどに時が経ってしまってからでは意味がないのだ。
もしかするとこれはピンチなのではなく、私の意志を固めるための良いチャンスなのかもしれない。
そう考え直すと、少しだけ気が楽になった。
私は小さく息を吐き、下唇を噛んで、両手を軽く握った。そして、気が変わらない内に口を開いた。
「わかりました。その勝負、受けましょう」
私が力強く言うと、彼女はにこりと微笑んだ。
「負けませんからね」
「私も負けません。それと、鍛錬はこれまで以上に厳しくいきますから」
自分を追い込むような発言だとはわかっていたが、彼女に対するほんの少しの対抗心からそう口にしてしまった。
「それは有難い限りです」
「では、早速始めましょう」
私は、机の前に座り直した。
お願いします、と彼女が小さく頭を下げてきた。
昼間だというのに外は暗く、じきに雨になりそうだった。
# # #
「少し休憩にしましょうか」
気が付くと、鍛錬を開始してから早二時間が経過していた。彼女が少し息を切らしていたので私はそう提案した。彼女の成長にはいつも驚かされるため、ついつい時間のことを忘れて教えることに夢中になってしまう。
「お手洗いに行ってくるので、少しくつろいでいてください」
そう言って私が腰を上げた時、彼女の視線が私の後ろに移った。
「……それ、何ですか?」
私が彼女の視線を追って部屋の隅を見ると、そこには、いつかの奇妙な男から押し付けるような形で受け取ったあの木箱が置いてあった。中には市松人形が入れられている。
「ああ、これは……」
私はその木箱を持ってくると、机の上に静かに置いた。
「これは少し、訳ありの物でして……」
木箱の淵をなぞりながら、私は少し声を落として言った。
「訳あり?」
「いわゆる……曰くつきの物ということです」
「……どういう意味ですか?」
「人を呪う道具として使われた物、ということです」
「人を呪う道具……」
興味ありげに箱を見ていた彼女の瞳に、初めて怯えの色が混じった。
そこで追及を止めるかと思ったが、
「あの、中を見せてもらってもいいですか?」
意外にも彼女は、そこから更に喰いついてきた。
少し驚いたが、私は、
「ええ、構いませんよ」
と言って、ゆっくりと箱の蓋を開けた。
見せるだけなら問題ないと思った。
蓋を取り、中に収められていた市松人形が露になると、彼女は第一声に「可愛い」と声を漏らした。彼女らしい素直な反応だと思ったが、私の目には、それはやはり不気味な物にしか映らなかった。
「これ、どうしたんですか?」
人形に視線を固定したまま彼女が訊いてきた。
「この間、この神社に寄せられてきたんです。詳しい事情はわかりませんが、供養してほしいとのことでした」
隠す必要もないことなので、私はありのままを伝えた。
「供養って、どうするんですか?」
「それはまだ考え中です。恐らくは、焼いてしまえば早いのでしょうが……」
「そんなのダメですよ!」
そこで彼女が弾かれたように顔を上げて、鋭い視線で私を睨んできた。
「焼いてしまうなんて可哀想です! こんなにも綺麗なお人形なんですから、ちゃんと供養してあげないと!」
その迫力に押されて、私は思わず身体を少し後ろに仰け反らせてしまう。
彼女がこんなにも語気を荒げるのは珍しい。どうやら、彼女は怒っているようだった。
「そ、そう、ですよね。私も、そう思います。一度、兄に相談してみることにします」
慌てて私はそう答えた。実際に、この件は兄に相談しようと思っていた。
怒りの感情を露にする彼女を見るのは初めてだった。彼女みたいな穏やかな人でも怒ることがあるのだなと、私は狼狽しながらも、頭の隅で冷静に驚いていた。
「焼却処分は、あくまで最終手段としましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
彼女の眼差しは真剣そのものだった。たかが人形一体にここまで本気になれるなんて、本当に彼女は優しい人だ。
「あ、すみません。いきなり大きな声を出してしまって……」
はっと我に返った彼女が、慌てて謝ってきた。
「いえ、気にしないでください」
「私、別にさよさんを責めたわけじゃないですからね? ただ、そのお人形が可哀そうだと思っただけで―――」
先ほどまで強い光が宿っていた彼女の瞳は、今は右へ左へとおろおろと揺らいでいた。
ころころと変わる彼女の表情が可笑しくて、私はつい、くすりと笑ってしまった。
「えっ、何ですか?」
いきなり笑い声を漏らした私に、彼女が驚いて訊ねてきた。
「すいません。ただ、美鈴さんはやはり可愛い人だなと思って」
「か、可愛い、ですか……?」
「はい」
「えと……怒って、ないんですか?」
「……? どうして私が怒る必要があるんですか?」
彼女の言っている意味が純粋にわからなくて、私は首を傾げた。
「だって私、さよさんと喧嘩してしまいました」
「えっ……?」
喧嘩? 今のやりとりは喧嘩だったのだろうか?
私の知る喧嘩とは、もっと激しく互いのことを罵倒し合ったり、ついには殴り合いにすら発展したりする争いだったはずだが……これも、私の知識が追い付いていないだけなのだろうか?
いや、しかし……
「多分、今のは喧嘩にはならないと思いますよ」
「……どうしてですか?」
「だって私、美鈴さんに気分を害されたり、傷つけられたりされていません」
喧嘩とは詰まる所、相手を心身的に痛めつけることが目的のはずだ。ならば今回は、その範疇には該当しない。私は傷ついていないし、彼女だってそうであるはずだ。
「なので、やはり気にしないでください」
「……そういうものなのでしょうか?」
「きっと、そういうものです」
私が言うと、彼女はほっと息を吐いた。
「良かったです。さよさんに嫌われたら、私どうしようかと思いました」
「そんなことで嫌いになるわけないじゃないですか」
「よかったです。……それで、結局このお人形はどうしましょうか? お兄さんの方にお任せするという形になるんでしょうか?」
「……そうですね。私の方で、対処できそうならやってみますが……」
箱の淵を触りながら私は言った。まだこの人形が、どんな呪いに使われたモノなのかも調べられていない。
「……私では、力不足でしょうか?」
「えっ?」
顔を上げると、彼女がまた真剣な目で私を見つめていた。
「私の力で、そのお人形を助けてあげることはできないでしょうか?」
「えっと………」
「どうですか?」
「……それは、やめておいた方が良いと思います」
予想外の彼女の申し出に、私は反応するのが一瞬遅れた。
「何故ですか? やはり私では難しいからですか?」
「……それもありますが、何より大きな危険を伴うからです」
「危険?」
「こういった、呪いに使用されたモノは、霊力に対してとても敏感なんです。ほんの少し加減を間違えただけで、霊力が呪力に変わってしまうこともあります」
「…………」
「美鈴さんは、確かに凄まじいスピードで成長しています。そう遠くない未来に、私なんて軽々と抜かして行ってしまうでしょう」
「そんなことは……」
「お世辞などではありません、事実です。……ですが、そんな美鈴さんでも、この件は任せられません」
「…………」
「さすがに危険が過ぎます」
「……わかりました」
彼女はしぶしぶという感じで引き下がった。
「すみません。決して、美鈴さんのことを信用していないわけではないのですが……」
「はい……わかっています」
「……お気持ちだけ、頂いておきますね」
そう言って私は腰を上げた。
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