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四章

儀式

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 石段を登り終えると、目の前に大きな鳥居が現れた。闇の中にずっしりと佇むそれはまるで巨大な怪物が大口を開けているようで、俺はその存在感に圧倒された。
「早くしろ。こっちだ」
 先に上に着いていた男は俺を一瞥すると、その鳥居をくぐり境内へと入っていった。少し遅れて俺も男に続く。
 右手に手水舎を過ぎ、二匹の狛犬と二基の石灯篭に挟まれた参道をしばらく行くと立派な神門が現れた。その神門をくぐり神域に足を踏み入れると、少し先に拝殿が見えた。その拝殿の前に祭壇が建てられている。先ほど男が言っていたものだろう。
 予想していたよりも、その祭壇は大きく厳かなものだった。
 祭壇は全部で二段から構成されており、高さは俺の胸くらいまである。
 下段には三方が四つ並べられており、向かって左側からそれぞれに、稲、塩、酒、魚が乗せられていた。上段の両脇には榊の枝が立てられており、その内側には三方に乗せられた餅、さらに内側には蝋燭、そして中央には弊紙と二枚の紙垂から成る御幣が一本立てられていた。
 祭壇の両脇には赤々と燃え盛るかがり火が焚かれており、パチパチと音を立てながら辺りを紅色に染めていた。
「では、具体的な説明に入る」
 男は祭壇の前で足を止めると、こちらを振り返った。
 男の顔が炎に照らされ、角張った輪郭が露になる。
「お前にやってほしいことはただ一つ。この祭壇に彼女たちの依り代を置き、俺の用意したこの祭文を読み上げることだ」
 男は懐から蛇腹折になった紙を取り出すと、それを祭壇の下段に置いた。
「依り代……」
「お前が持ってきた、二人の形見のことだ」
「ああ……」
「難しいことは考えなくていい。お前はただ、俺に言われた通りにやればいい」
「その祭文を読むだけで、二人は生き返るのか?」
「……さあな」
 さらりと男が俺の追及を躱した。
「さあなって、話が違うじゃないか!」
 俺は声を荒げて男に詰め寄ったが、
「言ったはずだ。お前はただの一サンプルに過ぎないと。成功するかなど、誰にもわからん」
 厳しい口調で俺を一蹴した。
「…………ッ!」
「だがお前は最後の被験者だ。成功する確率は今までで一番高い」
「…………」
「それでどうする? やるのか? やらないのか?」
「……わかった。続けてくれ」
 ここまで来たら、俺に選択肢などなかった。男も俺を帰すつもりはないだろう。
 俺は大人しく引き下がった。
「賢明な判断だ」
 男が満足そうに頷いた。
「では今から、お前に俺の霊力の一部を分け与える」
「霊力を……?」
「この儀式には相応な霊力が必要だ。当然、今お前が持っている霊力だけでは足りない。その不足分を俺が補うということだ」
「ああ、なるほど……」
 なんとなくだが俺は理解した。
「後ろを向け。背中から俺の霊力を流し込む」
 言葉に従い、俺は男に背を向ける。
 ややあって、男の手が背中に触れたかと思うと、そこから微かな熱が広がった。
「…………ッ⁉」
 ドロリとした液体のようなものが、身体の中に流れ込んでくる感覚があった。
「……ぐっ……」
 俺は思わず声を漏らす。
 得体の知れないそれは、俺の身体の中をぐるりと一周した後、ちょうど胸のあたりに収まったような気がした。
 男の手が背中から離れると、俺は地面に膝を突いてゲホゲホと激しく咳き込んだ。咳き込んだ勢いで胃液が逆流してきて、喉の奥の方をじわりと焼いた。吐き気がひどい。頭痛もする。
「ちょっとした拒絶反応だ。すぐに良くなる」
 頭上から冷たい声が降ってくる。
「いけるか?」
「……ああ」
 吐き気を抑え、頭に手を当てながら、俺はよろよろと立ち上がる。
「これで、後は……俺が、その祭文を読めばいいんだな」
「そうだ。お前はそこに書いてあることを、ただ読み上げればいい」
「わかった……」
 俺は覚束ない足取りで祭壇の前まで行くと、その下段に彼女たちの依り代であるネックレスとキーホルダを置いた。
「準備はいいか?」
「……ああ」
 口内の残っていた胃液を飲み込んで、俺は頷いた。
「では始めてくれ」
「……その前に……一つだけいいか?」
「なんだ?」
「この儀式が終わったら、俺は死ぬのか?」
 蛇腹折にされた祭文を開きながら俺は男に訊ねた。
「……さあな。だが相応の覚悟は必要だろう」
「今までの人たちはどうなった?」
「全員死んだ」
 男が即答した。
「……そうか……。儀式は? 成功したのか?」
「……いや、失敗だ。誰も成功しなかった」
「…………」
「何故そんなことを訊く? まさか今更になって、自分の命が惜しくなったのか?」
「いや、確認したかっただけだ。でも安心したよ。失敗しても、俺は死ぬんだな」
「……どういう意味だ?」
「限界だったんだ。もう、あいつらがいない世界で生きていくのは、地獄だったから……」
「…………」
「でも、失敗しても死ぬんだったら、そんな不安もいらないな」
「…………」
「…………」
「始めてくれ」
「……わかった」
 俺は広げた祭文に目を落とす。
 妙に清々しい気分だった。不安も恐怖も感じない。こんなにも心が軽いのはいつ以来だろうか。
 氷のように冷たい大気を肺に取り込み、一瞬だけ目を閉じてから、俺は祭文の一文字目を目に焼き付けながら声に出した。
 訳のわからない文章だったが、何故だか俺の口はよどみなく動いた。
 俺は次々に、書かれている文字を音に変えていく。声を発する度に俺の口からは白い吐息が溢れ、それと共に、身体の中から何かが抜き取られていくような感覚があった。それが霊力なのかはわからなかったが、徐々に俺の身体からは、力が抜けていっているようだった。
 それでも俺は順調に読み進めた。まだ、死が近づいて来ている実感はなかった。
 しかし、ちょうど全体の半分まで来た時、
「―――ッ⁉」
 突然俺の両ひざが、がくんと折れた。何の前触れもなかった。
 俺は盛大に腰を地面に打ち付けた。反射的に背後を振り返る。しかし誰もいない。何もない。この場所には今、俺と男以外に人の姿はない。
 気でも抜けたのかと思い、俺は腰をさすりながら立ち上がろうとする。
 しかしどういうわけか、足に力が入らない。いや、力が入らないのではない。足の感覚がないのだ。手で叩いてみても痛くない。触れられている感覚がまるでない。
 なんだよこれ―――
 俺は咄嗟に男を見た。だが、男も状況がよく理解できていないのか、険しい顔つきで俺を見下ろしているだけだった。
 想定外の事態ということだろうか。
 とにかく立ち上がろうと、俺は地面に手を付き身体を無理やり持ち上げようとした。しかし今度は肘ががくんと折れて、俺は顔から地面に倒れ込んだ。
 額と鼻を打ち付け、頬に冷たい地面が密着する。
 ……だが、何も感じない。痛いはずなのに痛くない。冷たいはずなのに冷たくない。俺の身体から、急速に全ての感覚が抜け落ちていっているのだ。
 男が上で何やら叫んでいたが、その声すら、もう俺の耳には届いていなかった。
 視界が白み始め、目の前の景色が薄れていく。意識が遠のいていく。
 底なしの沼に落ちていくように、俺の意識は闇の中へと吸い込まれていった。
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